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キヴォトス  作者: ととこなつ
第四部 〜覚醒篇〜
282/944

121話 覚醒 Ⅰ 2


 アントニオの案内で、セルゲイは、真砂名神社の横の参道を通り、奥まった神殿へと足を踏み入れた。セルゲイは、そういう気配などはまったく分からないのだが、だまっていても清涼な空気が、肺に流れ込んでくる気がする。


(なんというか、うまく表現できないけど……洗われてる気がするな)


 とても、清々しい気分だ。

 峻厳とした林の中に、時折聞こえる鳥の声。木々の間を縫って差してくる、柔らかな光。

 L5系で医者をしていたころは、こんなふうに自然の中をゆっくり歩く時間など取れなかった。


「つきましたよ」


 けっこう歩いた気はするのだが、あっという間だった気もする。

 白木づくりの真新しい日本家屋が見えた。ちいさな鳥居はあったものの、玄関らしき場所はない。砂が敷き詰められた庭に面しているのは回廊だ。

 今や満開と、輪郭を(けむ)らせているのは、桜だろうか。


「ここから入ってください」


 アントニオは靴を脱いで、開け放たれた廊下の途中から神殿へ上がった。セルゲイも習った。磨き上げられた木の床に、はらりはらりと桜の花びらが落ちてくる。

 美しいな。

 セルゲイは、自然に口もとがゆるんだ。


「セルゲイさん、これは桜でなくて梅の木ですよ」

「ウメ? あ、これがウメですか」


 桜と似てはいるが、匂いが違う。よく見れば、花びらの形も違う気がする。

 廊下は、大の大人二人が並んでも、余裕で歩ける広さだった。ギャラリーは廊下を曲がってすぐ。ギャラリーに入ると、急に天井も高く、廊下も部屋ほどある広さになった。壁の一面に、額に入れられた絵が、等間隔に並べられている。

 木造建築ではあるが、明り取りの窓からちいさな光が差し込むくらいで、絵には当たらないように工夫されている。


「すごいな」セルゲイは素直に感嘆した。「美術館みたいだ」


「マ・アース・ジャ・ハーナの神話をご存じですか?」

「知っています。地球時代の神話ですよね」

「そ。ここの四十二枚の絵は、マ・アース・ジャ・ハーナの神話をモチーフにした絵です」

「へえ……。これは、油彩ですか」

「そう。油彩。これらの絵を描いたのは、千年も前の名もない絵師ですが、一枚だけは、サルーディーバが描いた絵があるんです」

「え!? 絵を描いたサルーディーバなんていたんですか?」

「歴代のサルーディーバの中では彼ひとりだけ。もちろんレアですよ。絵をかくサルーディーバなんて、彼しかいなかったですもん。――さ、ここから」


 この絵には順番があるようだ。ルートを示す矢印のプレートが壁につけられている。

 一番最初の位置にある絵は外されて、今はない。絵のタイトルだけ残されている。


 “真昼の神と太陽の神、夜の神と月の神”


 セルゲイがそのタイトルをじっと眺めているのに気付き、アントニオは声をかけた。


「その話、知ってるんです?」

「ええ。この絵、ないんですね。見たかったなあ」

「修復作業中で、何枚かないんですよ」

「残念だな。――この話も有名ですよね」


 セルゲイは、記憶を掘り起こした。


「マ・アース・ジャ・ハーナの神話は、昔、家にあった子ども向けの本を読んだことが。有名な話ばかり載った厚めの本でした。マ・アース・ジャ・ハーナの神話っていっぱい話があって、それこそ全五十巻もあるっていう、壮大な神話ですよね」

「そうだね」

「この二枚目の話は、知らないなあ。読んだことがない」


 二枚目の絵は、大きな白い鳥に乗って飛ぶ少年の絵だ。

 セルゲイは、一枚一枚の絵をじっくり見て回った。

 八枚目の絵でセルゲイは立ち止まる。


「ああ、これ知ってる。最近また、リメイクされて映画になりませんでした? 八つの頭をもつ龍と戦う王子様の話。戦いの後は、この八つ頭の龍は王子様の強い味方になるんですよね」

「マ・アース・ジャ・ハーナの神話のなかじゃ一番メジャーかもね。俺も見たよ、映画。お姫様役の子がかわいかった♪」

「ですよね。あの女優俺も好きです」


 セルゲイは、いつのまにか、「俺」にもどっているのに気付かなかった。


「ほとんど知らない話ばかりだな」


 子ども向けの本を読んだだけでは、知らない話があり過ぎた。たしか、十二話くらいしかあの本にはなかったはずだ。


「あ、これも知ってる。東の名君の話」


 セルゲイはまた、一枚の絵の前で立ち止まった。

 この絵は、王様が、ひとりの少女の胸に剣を突き立てている姿が描かれている。後ろには兵士たちに押さえられ暴れる騎士と、子どもを抱いて泣き崩れる女性の姿。


「神話って、だいたいこんな話多いですけど、よく子ども向けの本にこの話入れたよなあ」

 セルゲイはつぶやいた。


 この話も、セルゲイが昔読んだ子ども向けの本にあったものだが、いわゆる男女の恋のもつれだ。


 東の大国に王様がいた。彼は戦争のない平和な時代を築いた名君だったが、ひとつだけ血なまぐさい逸話を持っている。彼にはとても愛した妾がいた。その妾は可愛らしいが、とてもわがままだった。それでも王様は彼女を愛していたが、彼女は王様の側近である騎士と通じてしまった。それで怒った王様が、妾を騎士の前で刺し殺し、騎士を処刑したという、怖い話だ。


「セルゲイさん、それ、ほんとにこども向けの本ですよね……?」

「そのはずです。子ども心に怯えながら読んだ覚えあります」


 普段おとなしい人がキレると怖いって、この話で学んだ気がします、とセルゲイが真剣な顔で言うので、アントニオは笑ってしまった。


「いやあ、しかし……、」


 セルゲイは、王様のかたわらで、子どもを抱いて泣き崩れる女性を見ながら、神妙な顔をしていた。


「不思議なんですよね。俺、まだ子どもだったのに、妙にこのお妃様――たしか王様の二番目の正妻だ――に同情していた気がするんですよ」

「へえ? お妃様に?」

「そう。俺、妹もいなかったのにね。このお妃様は、殺されたお妾さんを妹みたいに可愛がってたんじゃなかったかな。――けっこう、覚えてるもんですね。で、王様に殺されちゃって、バカだなあとか、止められなかった自分を責めたかな、悲しかっただろうななんて、ずいぶん考えてた記憶があります」

「ふうん。男の子がお妃様に感情移入って、めずらしいですね」


 セルゲイは、しばらくその絵に見入っていたが、やがて離れて次の絵に移動した。

 ほとんど知らない話の絵ばかりなのは変わらなかったが、セルゲイは、一枚の絵のまえで足を止めた。

 この絵に、違和を感じたのだ。


「どうしました? セルゲイさん」

「え? いや――」


 この絵は、ほかの絵が、本物のような精密さで描かれているのに対し、同じ油彩だが、タッチがちがう。


 白いライオンがお姫様を襲おうとしているのを、二匹のライオンと、神々たちが守ろうとしている絵だが、これだけイラストのよう、というか抽象的、といおうか。子どもが描いた絵のように見える。


 絵の具の剥落(はくらく)が進んで、全体的に絵がぼやけているせいだけではない。


「ああ、それね」

 少し先を歩いていたアントニオがもどってきて、説明してくれた。

「この絵が、さっき言った、サルーディーバが晩年に描いた絵で、唯一の予言の絵だと言われています」


「……予言の絵?」


「そう。L03のサルーディーバというのは、一応予言師の頂点に立つ生き神なので、予言をしないというのはあり得ないんですが、この百五十六代目のサルーディーバだけは、ある時期から、ぴったり予言することをやめているんです」

「そうなんですか」

「歴代のサルーディーバの中でも、有能な政治手腕を発揮した方で、一番L03から出ることが多かった人らしいです。基本的にサルーディーバというのは、一生L03から出たことないって人多いですから。彼の時代はL03が一番開放的で、いまより近代的だった」


 セルゲイは、アントニオの言葉に笑った。


「だけどその分、保守派との対立が大きくてね。長老会や保守派との大きな対立があったあと、すぐ隠遁(いんとん)しちゃって、あとは絵ばっかり描いていた晩年だったらしいです」

「なるほど……」

「隠遁した後は完全に予言師をやめていた彼が、唯一描いた予言の絵、それがこれ、らしいです」


 セルゲイはあらためて、この絵を見た。

 絵本の一ページのような淡い色彩なのだが――妙に迫力がある。


「これって、去年修復をはじめてから、分かったことなんですけど」

 アントニオは、絵を見つめながらいった。

「もともと、ここにあったこの四十二枚の絵は、この地球行き宇宙船ができあがったときに、伝説の絵師と言われた人物が描いたものだったんです」


「へえ」


「何度か修復を施されながらここまで来たらしいですが、本格的な修復は、今回がはじめてなんです。機械つかって細部までチェックしたりとかね。このあいだまで、この予言の絵も、伝説の絵師が描いたものだと思われてたんです。でも、違ったらしくて、この絵だけは1290年代のものだとわかった。今が1415年ですから、120年くらい前のですか」


「120年前……」

「軍事惑星で言うと、第二次バブロスカ革命のころ」

「……?」


 セルゲイは、その言葉に違和を感じたが、奇妙だという理由がつかめずに、その先のアントニオの話を聞いた。


「予言の絵を描いた百五十六代目のサルーディーバは、第二次バブロスカ革命の時代のサルーディーバです。ここにあった四十二枚の絵は、本当はぜんぶ神話の絵だったんです。だれかが、この一枚を挿げ替(す か)えた。神話の絵と、サルーディーバの予言の絵を。挿げ替えられた神話の一枚は、L05で見つかったんです。マ・アース・ジャ・ハーナの神話の絵で、同じタッチですし、年代も同じころ、おそらく、この四十二枚のうちの一枚だと」


「……なんの絵なんです?」

「マ・アース・ジャ・ハーナの兄弟。船大工の兄と弟の話です。知っていますか」

 

 読んだ覚えがあるような、ないような。セルゲイは、急にこめかみがズキズキしてきた。


「もっとも、この予言の絵のタッチこそ、子どものイラストみたいですが、百五十六代目のサルーディーバの描く絵もこれらの絵同様、とても写実的なんです。年代さえ調べなければ、この四十二枚も、サルーディーバが描いたと言ってもうなずける。千年前の伝説の絵師と百五十六代目のサルーディーバ、彼らの絵はとてもよく似ているんです。……ここからは、ちょっと不思議めいた話になりますけど」


「不思議めいた話、」

「L03の高等占術師アンジェリカのZOOカードの占いによると、伝説の絵師の生まれ変わりが、百五十六代目のサルーディーバだとか」

「へえ……」


 そんなこともあるんですねえ、とセルゲイはやっとのことでつぶやいた。

 頭のいたみが増してくる。どうしたのだろう。さっき急に汗が冷えたから、風邪でもひいたのだろうか。


 ――『大変です! 大変です! アレクセイ大佐!! ロメリア様が……!』

『弟君が、仲間と、バブローシュカの政治犯を解放しようとしたんです!』

『バブローシュカで弟君が捕まったんですよ!? よくそんなに落ち着いていられますね!』

『ドーソン一族は裁判などする気はありません』

『弟君と連絡が取れません。銃撃戦があったそうなんです。みんなもう死んで……』

『おお、なぜロメリアが……!』

『母上、落ち着いてください』――


「アントニオさん」

「はい?」

「さっき、おかしなこと言ったでしょう」

「おかしなこと?」

「第二次バブロスカ革命は、1285年です」


 アントニオは、びっくり顔で固まったあと、それから、穏やかな顔にもどって微笑んだ。


「……よく正確な年をご存じで」

「そうですね。正確な年を知っているなどあり得ない。第二次バブロスカ革命の事実は、すべてドーソンが消した。人も、記憶も、記録も」

 

 セルゲイは、ひどくいたむ頭を押さえながら、頭の中に響く声をぼんやりと聞いていた。


  ――『ロメリアの友人面をしてあの男は裏切った!』

『だから、最初から反対だったんだ! ドーソンの人間を入れるのは……!』

『グレンのせいで、みんな死んだ!』

『ロメリアは死んでない! あのまま衛兵に引きずられてどこかへ――』

『ロメリア様は、今どこに――!!』――


「彼は、結果としてはロメリアを裏切ってしまったかもしれません」


 アントニオが、まるでセルゲイの頭の中に響く声を一緒に聞いているかのように、静かに言った。


「でも彼は、“グレン・E・ドーソン”には、役目があった。彼はサルーディーバとの約束を果たした。この宇宙船に乗って、この予言の絵をここに持ってきた。そう、百二十年のちの、あなたとルナちゃんのために――生まれ変わる、愛する友人たちのために」


 ――『あの男の裏切りのせいで私の弟は死んだ! ロメリアは死んだのだ! バブローシュカ監獄で!』


 あの、つめたい監獄で。

 バブローシュカ特別政治犯棟第二十二号八。

 弟が、死んだ場所。


 ――ああ、そうだったのか。


 “グレン”は、地球行き宇宙船に乗ったのか。

 そして、一年後の弟の命日と同じ日に、自分の書斎でピストル自殺した。

 まるで、弟の後を追うように。


「アレクセイ・D・アーズガルド大佐」

 アントニオは静かに告げた。

「あの“前世”で、ようやく“すべて”が終わったのです」


 ――夜の神よ。

 すべては、終わったのです。


 セルゲイは、自分ではないなにかが、滂沱の涙を流しているのを悟った。


 アレクセイ・D・アーズガルド大佐か。

 東の国の王様のお妃様か。

 プラハに母を持つ兄か。

 妻を失った若き伯爵か。

 経典を待っていた大本堂の高僧か。


 ――知恵おくれのあの子を引き取ったのに、大切にしようとしたのに彼女は、自分がちょっと目を離したすきに、道路へ出て車にひかれて死んでしまった。


 また自分は、妹から目を離してしまった。

 目を離してはいけない。

 いつまたどこで、だれに傷つけられるかもしれない。

 私が守ってやらねば。

 閉じ込めなければ。

 ケガをしないように、傷つかないように、なくさないように。

 安全な場所に。誰の手も届かない自分の腕のなかに。


 愛らしく、そしてあわれな私の妹。


 ああ――月の女神よ。

 私の妹。

 

「――セルゲイさん!」


 アントニオの声が、どこか遠くの方から聞こえる。セルゲイは、ガツンと床に後頭部を打ち付けた音を聞いた。




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