121話 覚醒 Ⅰ 1
(……ずいぶん、距離があるものだなあ)
セルゲイは、自家用車を運転しながら、そう思った。
K35区から車で二時間。まだK07区を抜けていない。K07区が異様に広いのだ。
船内の区画で一番広いと言われても、うなずける。グレンとこのあいだ行ったスポーツセンターは、同じK07区でも一番南側にあるから、三十分ほどで行けるのだが。
セルゲイはいったん車を道路わきに停め、さっき燃料補給所で受け取ったソフトをつかってみることにした。
カーナビにセットすると、宇宙船内の地図が表れた。3Dモードにすると、フロントガラスに、行くべき道筋が風景のように浮かび上がる。
「あ、これは見にくいな」
セルゲイは3Dモードを消した。これは自動運転システム専用のもののようだ。あらためて「K05区 真砂名神社」といれると、ルートが表示された。
「高速道路は、中央役所までしか通ってないのか……」
中央区以北は、高速道路はない。この山道をのんびりドライブするほかないらしい。ハンシックの皆と、ロッテ・コスカーテの滝に行ったときの道は、かえって回り道になる。この道を行くしかないようだ。
「あと二時間はかかる……遠いなあ」
ここまで来ると、ビル群はなくなる。めのまえにそびえたつのは、ビルの代わりに山々だ。稜線が連なり、まだ白く雪が被っている峰もある。その中で、ぴょこんと高い山にセルゲイは目を留めた。
(あれを目指して行けば着くって、アントニオさんはいってたけど)
たしかに道は、一本道のようだが――。
ずいぶん、おおざっぱだな。
セルゲイは呆れて声も出なかった。
アントニオと、K05区の真砂名神社で待ち合わせを予定したのは、三日前のことだ。
花見でもしようと誘ってくれた当のアントニオは、用があるとかで、前日からK05区に行っていた。アントニオも乗せてK05区に行くつもりだったセルゲイは、道案内人がいなくなって困った。
ルナはマリッジブルーの友人を励ましに行くそうだし、同居人たちを誘ってはみたものの、グレンはいない、ルートヴィヒも水泳教室、カレンとジュリは、セルゲイが起きたときにはもういなかった。エレナに聞けば、ふたりでプールへ行ったとか。
エレナを誘ったが、K05区までは距離があり過ぎるし、いつ気分が悪くなるかしれないので遠慮する、と断られてしまった。
エレナは、今日はママ会もないから、家でのんびりしているらしい。ルナが留守なのは、エレナも知っているようだった。ルナのおかげでpi=poの設定もすんだことだし、エレナが家にひとりでも、だいじょうぶそうだ。
(……よく考えたら、男二人で花見っていうのもどうなのかなあ……)
ちょっと考えてしまったセルゲイだが、アントニオは顔が広い。自分がひとりで行っても、知りあいを呼んでいるかもしれないと、思い直した。
延々と続く山道。
同じ風景なので眠くなりそうだ。いざとなったら自動運転システムにすればいいが、景色を眺めて行きたい。コーヒーが飲みたくなってくる。
ナビを見ると、三キロ先にコンビニエンスストアがある。助かった、とセルゲイは車を飛ばした。
コンビニエンスストアは、ずいぶん広い駐車場があって、だれも客がいない。
セルゲイは車を停め、缶コーヒーを買ってトイレを済ませると、車に寄りかかりながら熱いコーヒーを飲んだ。乾燥した喉に染みる。
どんどん山深くなってくる風景。道路の端には黒ずんだ雪が残っていた。
寒気がして、セルゲイは車からカーディガンを出して羽織った。
コンビニを囲む木々はほとんど針葉樹林。セルゲイは軍事惑星を思い出した。ここは船内でも平均気温が低く、雪深い土地なのか。
セルゲイは腕時計を見た。予定より早くつきそうだ。グレンが、タクシーで片道五時間くらいかかったといっていたが、うなずける。制限時速七十キロを超えないタクシーならば、おそらくそのくらいだ。
「梅も桃も、桜も一気に咲くんですよ、K05区じゃ」
急に話しかけられて、セルゲイはびっくりした。店長が、客がいないのをいいことに、店から出てきてセルゲイに話しかけていたのだ。
「はい、これあげる」
ほかほかの肉まんをセルゲイに差し出した。
「ここ、ほとんどひとが来ないんだよ。だからヒマでヒマで」
セルゲイは礼を言って受け取った。ちょうど小腹もすいたところだった。
「ありがとう。――ウメ? 桃は分かりますけど、ウメってなんですか」
「あ、軍事惑星の人だね。軍事惑星生まれ、L5系そだちってところ。それかその逆」
人懐こいコンビニ店長は、自分も肉まんをかじりながらセルゲイの出自を当てた。
「ええ、そうです。よくわかりますね」
「だいたいね、梅だけわからない人ってその出自の人が多いんだ。軍事惑星にはぜんぶ咲かないから。でもL5系には桜と桃はある。梅は、L7系の人なら知ってるけどね」
「なるほど。そうでなくても私はもともと、植物にはうとくて」
L02生まれだという店長の話につきあわされ、一時間も立ち話をしていたセルゲイは、昼近くになっていることに気付いてあわてて車に乗った。
アントニオとの約束は十二時半。
どうして自分はいつも、ちょうどいいところで切り上げられないのだろうか。
「帰りも寄ってね~! 今度は売れ残ったケーキあげるから!!」
ガブリエル天使の祝福を~、とでかい声が聞こえる。彼がハンカチを振って見送っているのだ。こんなに盛大に、コンビニから見送られたのは初めてだった。
ガブリエル天使って?
素朴な疑問を感じながら、セルゲイはぶっ飛ばした。無人の道路を百二十キロで。
だが「野ウサギ注意」という看板を見つけると、途端に減速した。
山をひとつ越えて、くだりの坂道が終わった。やっと道路標識にK05区の文字を見つける。
だだっ広い草原にまっすぐの道路、そして、眼前に山。――ここは本当に宇宙船内か? この宇宙船に乗ってから何度となく浮かぶ疑問。
林を抜け、民家がぽつぽつと見えはじめ、急に視界に、巨大な白木の鳥居が現れる。その向こうは、観光地だった。小さな店が立ちならび、道路の幅は、恐ろしく広い。
「大路」と書かれたそこは、車両進入禁止だ。
セルゲイはナビに従って、大路の前を左に曲がり、大駐車場へ車を止めに行った。大駐車場にはぽつぽつと車があった。大きな観光バスも一台。
ひとはまばらにいた。
車から降りると、駐車場のそばを流れる大きな川に目がいった。あの山を源流にした川だろうか。
(あ、桜だ)
広い河原の両岸には、一定の間隔を置いて桜が植えられていた。こちらまで、その淡い香りがただよってきそうだ。今が盛りの満開で、思ったよりたくさんの観光客がいた。変わった出店もある。
……やっぱり、ルナちゃんを連れてきたかったな。
ルナならば、はしゃいで大喜びしそうだ。
(急がなきゃ)
もう十二時を回っている。
多少遅れたところで怒るような相手ではないが、過度な遅刻はもうしわけない。駐車場から大路まで、歩いて十分と標識にあるが、真砂名神社はさらにその奥だ。
セルゲイは小走りに大路まで急ぎ、巨大鳥居をくぐると、遠くに見える階段まで一気に走った。
見れば見るほど、独特の文化だ。セルゲイは、見たことも触れたこともない景色だった。
L5系でも、こんな神殿や文化は見たことがない。エレナが最初のころ着ていた、「キモノ」という服を着ている女性も何人かいる。だがそれは、エレナの着ていた無地の地味なものではなく、柄がついたとても派手なものだった。
(ここの文化は、どの星のものだろう?)
疑問を追及しているひまはなく、セルゲイはその長い足でタッタカ走った。
階段まで来て、セルゲイは絶句した。
(ウソだろ)
思わず、叫びたくなった。
真砂名神社は、階段の上――しかも、この階段が、おそろしく長い。
(……まいったな)
セルゲイは、ためいきをついた。
(階段を上がらなきゃならないのか、やっぱり)
周囲にエスカレーターも、エレベーターも、ロープウェイもない。上に着くまで何分かかるだろう。遅刻間違いなしだ。
セルゲイは息を切らせながら、一歩一歩上る羽目になった。
(――冗談だろ)
なんだこれは。ジムよりきつい。
笑い話になりそうだった。自分はこれでも、基礎体力は落とさないように、定期的にジムに通っている。グレンやアズラエルとくらべるつもりはないが、軍事学校にいた現役時代と変わらずおなかだって割れたまま。それなのに、この程度の階段がこんなにつらいとは。
まるで、背中に重い石でも背負っているようだ。
セルゲイは、この階段を上がれば、前世の罪が許される仕組みになっているとは、まだ知らない。
アンディ親子の事件のとき、ルナが真砂名神社に来たことも、神頼みでもするのかなあという程度にしかとらえていなかった。
彼は彼でバンビの助手という責務があったし、クラウドやルナからも、どうして真砂名神社にいくのかという説明はほとんどなかった。
だから、この体の重みの意味も、真砂名神社の階段の秘密も、なにも知らずに上がっているわけである。
セルゲイは焦っていた。待ち合わせ時間はとうに過ぎている。
駐車場を出た時点で、アントニオに「少し遅れる」とのメールはしておいたが、これでは大遅刻だった。
びっしょりと汗をかき、セットした髪もだいなし。肌寒いのにシャツがはりつくほど汗をかいて。まるで、一日いっぱい軍事教練のフルコースをやりとげたあとのようだった。
なぜだ。
よろよろになるくらい、くたびれていた。
階段を上りきったそこには、見たことがない文化の神殿がある。朱色と金が所々に見えるが、全体的に木と布でつくられた、寂びた神殿だ。
セルゲイにとっては、神殿と同じくらい不思議な格好をした者たちが、祈りをささげている。
アントニオはいない。
(このあたりの文化は、見たことがないなあ)
セルゲイは、祈りのやりかたなど知らない。神殿をながめ、ハンカチで汗をぬぐい、べったりと汗で背中に張り付いたシャツを、パタパタさせて風を通した。広い砂利の庭の、端にあったベンチに腰かける。
強い風が吹いてきた。
(ああもう――涼しいけど――やっぱり寒いな。コートも必要だったかな)
セルゲイは、肩にかけていたカーディガンを着こむ。汗が冷えそうだ。
そして神殿のほうをなんの気もなく見たら、祈っていた女性と目があった。――途端に。
「きゃあ!」
叫んで、彼女は倒れた。
(――え? なに?)
人の顔見て気絶しないでほしいな。
と、どこかのだれかと同じことを思ったセルゲイは、それでも医者だった。あわてて倒れた彼女に駆け寄ろうとしたが。
風が強すぎて、ベンチから立つので精いっぱいだった。
(なんだこの風)
警報級の風速ではないか? セルゲイは人を助けに行くどころか、自分がベンチにしがみつく羽目になった。
なにやら雲行きも怪しくなってきた。
(K05の天気予報、ちゃんと見てくればよかったな。強風注意報なんてあったかな)
ルナレベルの天然であるセルゲイは、自分のせいで彼女が倒れたとか、自分のせいでこんな強風になっているのだとは、思ってもみなかった。
「なんじゃなんじゃ! ――ああ、こりゃぁ」
神主衣装を着たおじいさんがやってきて、またかという顔をした。無論セルゲイは、ここでルナが遭遇したできごとは知らない。
「今度は男か!」
神主は、強風なので声を張り上げ、
「おまえさん、とりあえずこっから降りてくれ!!」
「え? あ、私ですか?」
「おまえさん以外にだれがいる!!」
「はあ……、すみません……ですが、その女性、泡をふいてるので早く病院へ、」
「おまえさんが降りれば元にもどるわい!」
俺のせい? 俺のせいなのか?
なんだかよくわからないが、せっかく上ったのにまた降りるのか。
セルゲイは半分うんざりしながら、階段を降りはじめた。
「セルゲイさあん! こっちこっち!!」
アントニオの声だ。
まったく、今日はあわててばかりいる。セルゲイはほっとして、アントニオがいるほうへ行こうとしたが、
「降りてくれと言ったじゃろうが!!」
「は、はあ、でも、あの、」
「どうしたの」
アントニオが、神殿の脇に見える小道から姿を現す。途端に強風はやんだ。
「あっはっは、ルナちゃんが来たときとおんなじだね」
アントニオは、倒れている女神官を見て苦笑した。
「笑いごとじゃすまされんのう、アントニオさま」
ひどく訛りの強い神主は、そう言って唸った。
「神さんがそう何人も来ちゃ、たまったもんじゃないわい。しかも本人は自覚なしとくる」
「彼は今日、俺が呼んだんだ」
「えっ。――ほいたら――まさか」
「うん、彼」
神主とアントニオの会話は、セルゲイには意味が分からなかった。もしかして、このおじさんも、花見のメンバーだろうかと思っただけだった。
「だいじょうぶ。ちょっとびっくりしただけだよ。ルナちゃんが来たときぶっ倒れた子もそうだった。あのあと、神様との感応力が上がったってンで、大感激だったじゃないか。彼女もきっとそうだ」
「今年は、めずらしいことが多すぎる」
神主はぶつぶつ言いながら、そばにいた何人かの女神官とともに、倒れた女性を運んで行った。
会話についていけないセルゲイは、呆然とそれを見送っていたが。
「あの、――どうか祝福させてくださいまし」
驚いて目線を下げると、熱を帯びた眼差しで自分を見上げている娘と目があった。
「ずるいわ! わたくしも!」
「わたくしもよ!」
「どうか祝福させてくださいまし!」
「順番よ!!」
「え? ええええ?」
セルゲイは軽いパニックに陥った。ルナくらいの年頃の女性たちが、自分を取り囲み、自分の左手を奪い合っているのだ。彼女たちは、かわるがわるセルゲイの左手にキスをしていく。
「あ、あの、アントニオさん!」
「悪気はないんですよ。祝福させてあげてください」
アントニオはにっこり笑った。
「それで、いつもあなたがルナちゃんにしてるみたいに、左手で頭を撫でてあげてください」
セルゲイがその通りにすると、彼女は感激して、何度もセルゲイの手の甲にキスをした。
(なんなんだ……)
困惑するセルゲイをよそに、五人の娘たちはきゃあきゃあと騒ぎながら、セルゲイに挨拶してこの場を立ち去った。三度、不思議な舞とともに深くお辞儀をして。
「神をその身に宿した人間は、彼女たちにとって、サルーディーバと同じくらい聖なる存在なんです」
アントニオは、この神社となにか関わりがあるのだろうか。だとしても、彼の服装は、いつもどおりTシャツとジーンズで、エプロンがないだけ。彼女や、さっきのおじいさんと同じ格好はしていない。
彼の出身はL05だというが、そのせいでこんなにくわしいのだろうか。
これは、L05にある神殿?
「だから、あなたに祝福を捧げることは、サルーディーバに祝福するのと同じ――ましてやこんなイケメンじゃ、祝福したくもなる」
「や――あの、」
アントニオの言い分では、まるで自分が神様と同じなのだと言われているようだ。セルゲイは、ますます困惑した。
「あの階段、大変だったでしょ」
「え、ええ。久しぶりにくたびれました」
「どうせここまで上がったんですから、見ていかれませんか。絵は好きですか」
「絵、ですか?」
くわしくはないが、見るのは好きだというと、アントニオは微笑んだ。
「よかった。真砂名神社の奥殿に、ギャラリーがあるんです。一般公開されてるんですけど、滅多に見に来る人いなくてですね……」




