120話 pi=poシャープナーと、ルナのボディガードについて
「たいへんなおぼっちゃまたちです!」
ルナは絶叫した。
「エレナさんとジュリさんはべつとして!!」
「……うん。返す言葉もない」
いったのは、ルートヴィヒだった。
エレナが自分の子のために、新しい携帯電話を買ったあと――なぜか入れ替わりのように、pi=poが故障した。
ルナがエレナにプレゼントしたpi=poだ。それを、修理に出した。
ふつうなら、不便がないよう、修理会社から代わりのpi=poが寄こされるはずなのだが、家電量販店に行ったのがエレナとジュリだったのが、よくなかった。
彼女たちは、カレンの部屋に、クローゼットにしまいっぱなしの高性能pi=poがあることを覚えていた――掃除屋エレナの記憶力は抜群だ。だから、かわりは「いらない」と言ってしまったのだ。
「まさか、一から設定が必要だなんて思わなくてさ。ホントに悪かったよ」
エレナは、収納されていたpi=poが、ルナにもらったpi=po同様に、すぐつかえると思い込んでいた。仕方がない。彼女たちはpi=poがない環境で育ってきたのだ。
満格楼にもpi=poはあったが、主に母屋の掃除と防犯と金銭管理につかわれていて、エレナたちはお目にかかったことなどないのであった。
しまっていたものは一から設定が必要だし、かわりのpi=poをすぐ送ってもらおうというおぼっちゃま集団――ルートヴィヒ、カレン、グレン、セルゲイと、もったいない精神を持ち合わせるエレナの間で、熾烈なバトルが起こった。ジュリはエレナがひとりだったので、エレナに味方した。
口数で圧勝したのはエレナだったが、設定の仕方が分からない。お坊ちゃまたちは、エレナがつかっていたpi=poのデータを、一から新品に設定し直すのが面倒くさい。というか無理である。あれは、ルナの「ちこたん」がベースになっているのだ。
家電量販店から、エレナのpi=poのデータをそっくり移した代わりが電話一本で届くというのに。
みんなはそうエレナを説得したが、彼女は聞かなかった。
そこで、ルナが呼びつけられたわけである。
「しかたないおぼっちゃまたちです!!」
ルナはぷんすかしながら、自分のpi=poである「ちこたん」を待機させ、最先端pi=poをクローゼットから出した。
しかし、ルートヴィヒたちお坊ちゃま勢が、pi=poのセッティングができないというのも、無理のないことだった。それには理由がある。
一般的には、ロボット型、箱型、球型の形状で、独立して動く汎用型家庭コンピュータを、総合してpi=poという。アプリを加えることによって、さまざまな働きをしてくれる。
pi=poはたしかに便利なもので、pi=poなしの生活はもはや成り立たないほど世間に浸透しているが、実はL5系をはじめ、裕福な一般家庭にpi=poはあまり必要ない――というのも、高級マンションや豪邸には、すでに家事専用のコンピュータが取り付けられているからである。
ルートヴィヒたちが住むマンションも、各階にフロントがあり、コンシェルジュがいて、玄関ドアは生体認証。防犯はこの上ない。(そのわりには、先日、傭兵に侵入されたが)
さらに、清掃マシンはあらゆるところにある。部屋もリビングも、定期的にすみずみまで掃除し、磨いてくれる機械が各部屋に備え付けられている。靴箱に突っ込んでおけば、スニーカーですら三十分後にはピカピカ。
トイレは言わずもがな。風呂も全自動だ。全自動とはつまり、湯を廃棄し、浴室内清掃を終え、再び湯を張るまでボタンひとつのコース。シャンプーやボディソープの類も、定期的に自動入れ替え可能。
洗濯は、クリーニング・サービスがあり、浴室のシャイン・ボックスに置けば、翌日には新品同然になって帰ってくる。タオル類は、常に新品が必要な場所に補充されている。
冷蔵庫とキッチンはあるが、ビルのレストランであらゆるものが食べられるし、通販で、栄養バランスの整った食事が、玄関先のシャイン・システムに届く。
消耗品も、自動的に新しいものに取り換えられるし、生活において、pi=poはあまり必要ない――。
じつのところ、実家にいたころは家事ひとつしたことのないお坊ちゃまたちが――ぜんぶコンピュータか執事かメイドか両親が家事を担っていたお坊ちゃまたちが――そんなところまで気配りできるわけがなかった。
だからルートヴィヒたちは、だれひとりとして、エレナが一番困っているときに、pi=poという選択肢が思い浮かばなかったわけである。
とにかくもまあ、以上が初期設定で備え付けられているが、もちろんそれらはオプション設定で、いらない機能を切れば家賃は減る。なので、エレナが来てからは、不必要なシステムは切られていた。
エレナ曰く、「掃除は自分でできる! 洗濯も自分でする! 料理も自分でできる! ルナからpi=poをもらったし!」だったので、みんな、エレナに合わせていた節もある。
ルートヴィヒはともかく、グレンとカレンとセルゲイは軍属経験があるので、本物のお坊ちゃまとは違い、ある程度、「不自由」な環境でも生活できるという経験があったからだった。
ルートヴィヒはルートヴィヒで、母親が文明星ではない出身のため、もともと家事は人の手がするもの、という考えだった。
人間のメイドや執事はいたが、家にpi=poはない。母親とメイドが家事を行っていた、L5系ではめずらしい家庭だったかもしれない。
なので皆、多少まずいメシでもかまわない。外食もあるし。エレナが暮らしやすければ、まあそれでいいかという吞気さだった。
つまり、pi=poも、彼らにとっては新鮮だった。
pi=poはどちらかというと、企業か、L6から7系の家庭で普及していて、家庭によって使い勝手のいいようにカスタムされていくのが普通だ。家そのものにあらゆる便利な機能が備わっているL5系や、裕福な家庭のお坊ちゃまには、なじみが薄い。
ちなみに、担当役員だったマックスが、エレナたちにpi=poを勧めなかったのも理由があった。
L4系の船客に、セッティングしたpi=poを渡すのは、乗船して一年過ぎてから、という決まりがあるからだ。
L4系は――中でも、L44の娼婦は、文明とは程遠い生活をしてきた者が多い。高級娼婦は別だが――船内の生活に慣れるのが精いっぱいのところにpi=poを与えられても、つかえない、混乱する、という船客が多かった。
文明的な生活に慣れて、余裕ができてきたところで、ある程度セッティングしたpi=poを手渡す――それが、通例だった。
そして、この宇宙船では、pi=poは、船内のすべてのマンション、アパート、家に最初から備え付けられている。船客個人で持ち込んだpi=poは、入船と同時に、宇宙船のメイン・コンピュータに登録される。もちろん、ちこたんも、キックもそうだった。
そして、画面には、ひとつのアプリが増えるのだ。そのアプリは勝手に消すことができない。船を降りるまで、あり続ける。
それも、理由がある。
「“ステラ”がさぁ、こいつをつかわないのかって、何度も聞いてくるのさ」
ステラとは、ルナがエレナにプレゼントしたpi=poの名である。名前は初期設定のままだ。
ひとり暮らしに人気の球型、ステラボールL1400。L歴1400年代型という意味である。カラーバリエーションはブループラネット。こちらも新型だ。
ルナはうなずいた。カレンの部屋で眠っていた高性能pi=poを見つめながら。
「そうだよね。最新式でもったいないもの。これ、とっても高いんだよ。五百万デルくらいすると思う」
「五百万!?」
目を剥いたのはエレナだけである。ルナは言った。
「だってオブライエン社製のは、会社とか、お金持ちのひとが買うやつだもの……」
エレナは五百万と言われたpi=poを丁寧に撫でながら、主張した。
「ステラもよくしゃべる子だけど、コイツはなんだか、ロボットみたいだろう? しまいっぱなしはよくないんじゃないかと思うんだ。ステラもこいつとおしゃべりしたいんじゃないかって」
『“ちこたん”もそう思います』
「しゃべった!? pi=poって会話に加わるの!?」
カレンが叫んだ。
「ちこたんには、付喪神がいるんですよ。クラウドも認めました」
ルナが厳かに言った。
「ツクモガミ?」
セルゲイが聞くと、エレナが素っ頓狂な声を上げた。
「知らないのかい!? 付喪神だよ」
「それくらい、あたしも知ってるよ?」
エレナとジュリが知っていて、セルゲイが知らないことがあるなんて。ふたりはそんな顔をしたが、ルナは言った。
「意外とみんな、知らなかったよ? 知ってるエレナさんたちのほうがめずらしいのかも」
「そうなのかい?」
エレナは首を傾げたが、説明はしてくれなかった――エレナには今、新しいpi=poのほうが大事だった。
ルナは熱心に説明書を読み、pi=poの電源を入れてから、宙に浮かび上がったホログラム画面を指でスワイプしていた。
「“DDK1414型シャープナー……去年発売のまったく最新式です。車の運転とか簡単な修理もしてくれるやつだ。アズが欲しがってたやつ」
クローゼットのpi=poは、ロボット型で、頭と胴体と手足がある大型タイプ。グリーン・ガーデンの厨房にいたものと同じだ。
ルナたちが持っている小型pi=poとちがって、複雑で大きな動作がいる調理が可能――中華料理なんかもつくれるし、最初から、フレンチのフルコースや、高級な料理のレシピが初期設定で搭載されている。プロの料理がご家庭で、というやつ。
ほかには、経理機能、投資システム、煩雑な役所手続きの代理ほか、一日のタスクを管理してくれる秘書システム、かんたんな家屋の修繕、車の運転および修理、防犯で弾丸をはじく障壁までつくれる。多機能がすぎるタイプだ。
「いらないアプリは消すとして――カレン、この子に名前をつけてあげてください」
「名前?」
「一応カレンの部屋にあるものだから、カレンが持ち主で、名前をつけてあげます。初期設定はシャープナーだけど……」
「う~ん、名前かあ……」
「シャープナーのままでもかっこいいよ?」
ジュリが言ったので、カレンは「じゃ、それでいいよ」といった。
「あなたの名前はシャープナーです」
ルナがいうと、『はじめましてマスター、わたしはシャープナーです』とロボットが答えた。
最初から設定済みのpi=poしか見たことのないお坊ちゃまたちは、「おお」と歓声を上げてその様子を見守った。
「担当役員さんにお願いしておけば、設定してくれたんじゃないかなあ」
ルナのボヤキに、お坊ちゃまたちは顔を見合わせた。担当役員より、どちらかというとルナに会いたかったことは否めない。
ルナは、ロボットを部屋の中央に置いた。
『スキャンをはじめます』
シャープナーはそう言って、ゴーグルみたいなレンズを前後左右に向け始めた。
「な、なにしてんの?」
「カレンはpi=poの設定をしたことがないのね?」
ルナはぷっくらほっぺたをした。
「まずは住み家を把握させるんですよ」
シャープナーが部屋のあちこちに目を光らせ、移動しているあいだ、カレンとルートヴィヒは興味深げにpi=poを追いかけまわし、グレンは退屈そうに座り込み、エレナとジュリは「ちこたん」と会話をはじめ、セルゲイはルナに話しかけた。
「ねえ、ルナちゃん」
「うん?」
「あした、アントニオさんとK05区でお花見でもしようって話になったんだけど――一緒に行かない?」
「あした!」
ルナは悲しげに絶叫した。
「あしたは、ミシェルたちと、キラに会いに行くんです」
「おともだち?」
「うん。いっしょに宇宙船に乗った子なの。マリッジブルーかもしれないのね? だから、みんなで会いに行こうかって、まえから約束してて……」
「そうか。それじゃしかたないね。残念だな」
振られてしまったセルゲイも、また残念そうに肩をすくめたが、会話はそこで終わった。
こちら中央区役所。
カザマは朝から、役員執務室の自分のデスクで、たくさんの写真と、それにともなうプロフィールの書類と、にらめっこしていた。
決して、お見合い写真ではない。
いかめしい面構えばかりそろった写真とプロフィールの羅列は、ある意味ではお見合い写真といってもいいかもしれなかった――彼らは、ボディガード候補たるお歴々である。
ルナに九庵というボディガードがつき、以前も、カザマのあずかり知らぬところでルナを見守っていた組織があった。いまだに正体はつかめない。先日名刺をもらったアレニスにも調査協力を願ったが、そちらは却下された。
「すでにその組織はルナさまの周囲に確認されません。深追いは禁物と存じます」
九庵に話を聞きたかったカザマだったが、先だってのバーベキューパーティーには来なかった。
言いにくそうに言葉をにごすアズラエルをつつきまわして引き出した結果、九庵という人物は、ルナが危険にさらされなければ現れないという、これもまた、奇妙というか、珍妙というか、あいまいというか、煮え切らない答えだったわけである。
あのバーベキューでのできごとは、危険のうちには入らなかったようだ。だとすると、ルナの危険というのは、それ以上の、まさしく命に関わる危険といったところだろうか。
そう、つまりは――ハンシックでのできごとのように。
そんな危険がルナに起こってしまうのは、できるなら避けたい。当然だ。
九庵は、ハンシックで起きた、電子装甲兵にまつわる一連の事件にも関わっていたようだった。
カザマももちろん星海寺に赴いたが、会えなかった。尼さんのいうこともまた、奇妙であった。九庵にはなかなか会えない。必要でなければ、会えないという。
カザマは今まさに、九庵を必要としていたのだが。
ハンシックの人々は、バーベキューに来ていたので、あらかた話を聞くことはできたが、やはり、九庵の正体だけはよくわからなかった。前歴は調べればすぐに知れるが、星海寺の住職というだけで、ルナのボディガードに任命された理由がわからない。
カザマは特別派遣役員である。
裏表がある世界など嫌というほど見てきた。そしてL03出身として、世界には理屈で説明できない、不可思議な事象があることもわかっている。
自分が昼の女神だといわれて地球行き宇宙船に乗ったということ自体、理屈とはかけ離れた話だ。
だがカザマは、ほとんどの人生を派遣役員として過ごしてきた。どちらかというと、価値観は現実寄りの人間だった。
そこで、カザマは、ひとつの決心をした。
理屈で説明のつかない部分は置いておくとして、やはり、担当役員たる自分のあずかり知らぬところで、ルナの周囲を、正体の知れない人間がうろつくのは好ましくない。
カザマはいっそ、ルナのボディガードを自分で選出しようと決めた。
デスクにならぶ写真付きの履歴書は、どれもがそうそうたる経歴を持つ人物ばかりだが、カザマはどれもピンとこなかった。
傭兵、軍人、警察、ボディガード、探偵、もと格闘家……。
常に引っ付きまわらなくてもいい。肝心かなめのときにルナのそばにいることができて、彼女のストレスにならない人物。
ルナは、ふつうの船客なのだ。そもそも、ボディガードという仰々しいあつかいも、本来なら避けたいところ。
カザマはすべての履歴書をまとめて脇に寄せ、携帯電話にある、ひとつの連絡先を見つめた。
ハンシックの電話番号だ。
あのサバットの達人は、孫娘が危険にさらされるかもしれないことをよしとするだろうか。するわけがない。
だが、彼らにとって、アズラエルもルナも、戦友のひとりになっている。
ルナのボディガードにふさわしいのは、あの子しかいないのではないか。
カザマは悩みに悩んで、携帯電話のボタンを押そうとしたが、ふいに目に入った時計が時間切れを示していたので、デスクに置いた。
これから、K05区へ――真砂名神社へ向かう時刻だ。
カザマはあわただしく、ブリーフケースに書類と携帯電話をつめこんだ。
アントニオから昨夜、電話があった。
いよいよ、夜の神の生まれ変わりが真砂名神社に現れると。
カザマは純粋に驚いただけだったが、真砂名神社界隈の住民に緊張が走ったのを、その場で見ていた。
夜の神の生まれ変わりの覚醒があるあいだ、夜の神の力は半減する――すなわち、この宇宙船を守る夜の神の力も弱まるということだ。
万が一のことがあってはならない。
だから、太陽の神であるアントニオと、真昼の神であるカザマが、朝から真砂名神社に結集して、様子を見るという手はずになっていた。
カザマは、嫌な予感がしていた。
アンジェリカが言ったように、時が、動き出している。
先だっての、グレンとクラウドが狙われた事件も、まったく無関係ではないように思われた――メルーヴァの影が、背後にちらついている。
メルーヴァの本当の目的が分からない今、なにが危険につながるか、まったく予想もできないのだ。
自身が昼の女神の生まれ変わりといわれても、そちら方面では、なにができるかもわからないというのに。
カザマにできるのは、ルナの担当役員として――特派として、やれることをやるだけだ。
カザマはメールを受け取って、立ち上がった。
そこには、アンジェリカが真砂名神社についたという知らせがあった。




