119話 予言の絵と、エレナの携帯電話と、ミシェルの悩み 2
「L44の宇宙港でさ……、」
エレナは、愛おしげに、真っ白な携帯電話を撫でた。
「ユミコさんが、くまのマスコットぶらさげた携帯持っててさ、あたしらは、アレを知ってたけど、L44では持てなかった。持っちゃいけなかったんだ。でも、ユミコさんが、これからはあたしらも持てるんですよって言ってくれたの。……よく考えたら、あれがあたしの自由の始まりだったかもしれないなって」
「あたしも、グレンに携帯買ってもらったとき、すっごく嬉しかったんだよ!!」
ジュリは、真っ赤なラメ入りの携帯電話に、たくさんのマスコットやアクセサリーをぶら下げ、いつも持ち歩いていた。
「……そうか。それは笑って悪かったね」
セルゲイが謝った。
エレナたちには、ただの電話機ではない。ジュリの言うように、“自由”の象徴なのだ。
「赤ん坊は携帯なんかつかえないよ。もちろん知ってるさそんなこと。契約はしてないし、電話機を買って来ただけさ。これはお守りなんだから。この子の人生は、この携帯の色みたいに真っ白なの」
エレナは、願い事をするように、つぶやいた。
「あたしの子が、自由で幸せな生き方ができるように。それから、――」
「それから?」
ルーイはまた、カレンに、「キモイ」と言われるくらい滂沱の涙を流していた。
「この子にも、あたしに携帯くれたみんなみたいな、いいともだちができてほしい……」
「エエェエレナあああああァァアァアアアア!!!」
ルーイとカレンが、飛びついてきたのでエレナは本気でびっくりした。
「な、ななななななんだい!? あんたら!!」
「なんてあんたってばカワイイの!! ルーイにはもったいないったらないよ!!」
「エレナあああああおまえ可愛すぎるだろおおおおおお!!!!!」
「気持ち悪いな! ルーイだけ離れなよ!!」
「それひでえ!!」
グレンがニヤニヤ笑い、セルゲイも、「エレナちゃんはほんとうにいい子だねえ」と微笑んだ。
「そんな可愛いエレナちゃんに、あったかい紅茶でも淹れようかな」
「あ、俺はビールで」
「グレンはセルフサービスだよ」
「なんでエレナだけ抱っこなの! あたしもしてよ~!!」
「ジュリイイイイイイイ!! あんたもかわいいよおおお」
ジュリが拗ねたので、カレンは今度、ジュリに抱きついた。
K35区のマンションの一室は、今日も平和だった。
――さて、こちらはミシェル。
レディ・ミシェルである。
ミシェルはひとりで、ぼうっと空を眺めながら、カフェ・モカを脇に置いて、ベンチに座っていた。
ここはリズン前の公園――今日は、リズンの席には座らず、カフェ・モカだけを買ってのんびりと公園をうろついたあと、ベンチに座って空を見上げた。
春の陽気。タンポポやマーガレットが咲いている。
のどかだ。
クラウドは、このあいだのことがあってから、ミシェルをひとりにしておきたくはないようで、ついてきたがったが、なんとか振り払ってきた。
どうしてだろう。
ミシェルは思った。
こうしてひとりになったのに、まだ気持ちがソワソワする。
ミシェルは、ここ最近、異様に気分が落ち着かないのだった。だから今日は、ルナも誘わず、レイチェルやシナモンにも声をかけず、ひとりになってみた。でも、このソワソワ感はますますひどくなるだけで、ちっとも治まらない。
「あーっ!! もう!!」
ミシェルは頭を掻きむしったが、それで落ち着くわけもなかった。
いったい、なんなのだ。この焦燥感は。
最初は、クラウドが傭兵たちに拉致されかけたことが、思いのほかショックになっているのかもしれないと思った。
実際、とても怖かったし、不覚にも涙がこぼれて、クラウドの胸で一晩中泣いてしまった。泣きたいのはクラウドだったかもしれないのに。でもクラウドはずっと、「俺がついているからだいじょうぶ」と、彼も一晩じゅう眠らずに、抱きしめてくれた。
「俺のせいで怖い思いをさせてごめんね」と謝られ、ミシェルは「なんでクラウドが謝るのよっ!」と怒ってしまったことを少し後悔している。
クラウドの元職場は、普通ではないということは、知っている。普通の軍人ともちがう、もっと、なにか、怖いところ。
でも、クラウドは、「心理作戦部はやめる」とはっきり言った。
「この地球旅行が終わったら、ふたりで地球に住むか、L5系の星に行って暮らそう」
とクラウドは言った。
だからミシェルも、クラウドのことは元軍人と自分の両親には話したが、心理作戦部の人間だとは話していない。第一、自分と同じで、L77で平々凡々に暮らしてきた両親だ。心理作戦部と聞いたところで、その意味するところも分からないだろう。
今回クラウドが襲われたことも、ミシェルはカザマに、「親には言わないで」とお願いした。
だから親には伝わっていないはずだ。
親にそんなことがバレたら、問答無用で帰ってこいと言われるばかりか、クラウドと一緒にいることはもう叶わなくなる。さすがにのんきなミシェルの親だって、そういうはずだ。
ミシェルだけではない、ルナも同じだ。ルナの親は、自分のうちよりよほど過保護だから、お父さんあたりが宇宙船まで乗り込んできそうだ。
このあいだのことは、ルナも怖かっただろう。
でも、ミシェルには、ルナの気持ちもよくわかった。
ルナはずっと「怖くないもん!」と言い続けていたが、――あれは意地だ。ミシェルだって、本当はルナのように「怖くないもん!」と言いたかった。
そのくらいの意地、張らせてほしい。
あれはルナなりの覚悟だ。
ルナだって、アズラエルと結婚するのだろう。きっと、そのつもりだと思う――いや? ルナはそこまで考えていないかもしれない? 付き合ってないとか主張してるけど、いまさらだよね? でも、アズラエルはきっと考えている――まァいいや。
傭兵の奥さんは、心理作戦部の軍人の奥さんより大変かもしれない。どっちが大変なんて、分からないけれど、こんなことが、これからいっぱいあるかもしれない。
だからほんとうは、怖いなんて言っていられないのだ。
あれは、無理な強がりに見えたかもしれないけれど、ルナなりに、強くなろうと決意した、気持ちの表れだとミシェルは思った。
あたしたちだって、守られるばかりじゃない。
レオナさんみたいに腕力が強くはないけど、――でも、いちいちこんなことでビクつかないぐらいには、強くなりたい。
銃くらいは撃てるようになったほうがいいのかな。
クラウドにいっても、銃の打ち方なんか教えてくれないだろうから、ジェイクさんにでも聞いてみようか。
「……っはあ」
いい、天気だなあ。
ミシェルは空を仰ぎ、太陽がまぶしくて手をかざした。
強くなりたいって気持ちが、ソワソワさせてるのかな。……ちがう。もっと前からだもの。ソワソワしてるのは。
『――ミシェルのさ、ガラスで遊ぶ子ネコって、そのまんまだとおもうよ?』
『え? まんま?』
『うん。だから、そのまんま。ミシェルはさ、ガラスでなにかつくるの、すきでしょ?』
『うん……』
『だからね、ガラスで遊んでるの。このカードのネコみたいに』
最近のルナとの会話は、ZOOカードのことが多かった。その日も、ZOOカードの話をしていたのだ。ルナはう~んと腕を組んでまじめに考えたあと、そう言った。
ミシェルは、ルナの言葉にはっと気づいたのだ。
『ZOOカードって、魂とかもあるけど、今の状態を表してるんだって。だから、カードは変わることがあるんだって。人生の転機とかに』
今の状態――まぎれもなく、ミシェルは、「ガラスで遊んでいる子ネコ」だ。
たしかにガラス工芸は好きだ。ゆるくやれればいいなって思っていて――。
「そう……ゆるく」
ミシェルは空を眺めてつぶやいた。このあいだサルディオーネとした会話の意味が、ようやく分かった。
自分にとって、ガラス工芸はあくまでも趣味だ。ガラスを扱って物をつくるのは楽しい。
だが、それだけだ。
それだけなのだ。それに、気づいてしまった。
現に、もうどのくらいガラスに触れていないだろう。
アンジェラは次々に生み出される作品のアイデアを消化しなければ、頭がおかしくなると、インタビューで言っていた。ガラスにしろ、彫刻にしろ、アンジェラはものすごい勢いでさまざまな作品を生み出す。
自分は、そんな意欲などこれっぽっちもない。
ゆるくやれればいいはずのガラス。
今でも、やりたければ、とっくにガラス工芸教室に通っていてもいいはずなのに――。
気持ちが、向かないのだ。
アンジェラの作品はアンジェラの作品で、憧れとして眺められればいい、という気持ちがある一方、心のどこかで、アンジェラの技術が見たい、アンジェラみたいな作品をつくりたいという欲求にも駆られる。
だが、アンジェラと同じものはつくれない。それは分かっている。
アンジェラと自分はちがいすぎる。いくら彼女の技術を学んでも、千年追いかけたとしてもそれは無理。
自分でもよくわかっている。彼女と自分では、描きたいテーマからちがう。
絵をかくなら、彼女は抽象、自分はどちらかというと写実。
まるで、正反対なのだから。
(……ガラスじゃない)
ミシェルはそう思った。空を眺めながら。
あたしのやりたいことは、――魂が望んでいることは、ガラスじゃない。
それに、気づいてしまった。
でも――。
(あたしがほんとうにやりたいことってなんなの)
それがなんなのか、まったく分からない。
ソワソワの理由は、それが原因なのかもしれなかった。サルディオーネも、ミシェルは成功する、と太鼓判を押してくれたが、『天命』は教えてくれなかった。
(いったい――なんなんだろ)
ミシェルは考えたが、さっぱり思い浮かばない。
(ねえ、ガラスで遊ぶ子ネコ、あんた、いったいなにがしたいの?)
「ガラスで遊ぶ子ネコ」のカードを見つめてみたが、答えがあるはずはなかった。




