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キヴォトス  作者: ととこなつ
第四部 〜覚醒篇〜
278/946

119話 予言の絵と、エレナの携帯電話と、ミシェルの悩み 1


 ――ララは、見とれていた。


 毎日、ララはここで、正座の体勢で、一時間もそれに見入る。まるで、崇めてでもいるように。


 ララが見ているのは、美しい絵画だ。


 美術館クラスの広さを持ったこの場所は、実は真砂名神社の奥殿へ通じる回廊のひとつである。その、長い渡り廊下に、縦二メートル、横三メートルほどの額装がずらりと並んでいる。


 これらはすべて、マ・アース・ジャ・ハーナの神話を絵にしたものだ。

 ぜんぶで四十二点ある。

 いくつかの絵はここにはない。なにせ千年前に描かれた絵画だ――経年劣化(けいねんれっか)のため、今も何枚かが修復作業に出されている。


 地球行き宇宙船ができたころ、伝説の絵師が、この神話の絵を描いた。

 ララは、この修復作業の資金源で、パトロンでもあり、このちいさな美術館の管理人のひとりでもある。


 このギャラリーは、一般公開されているのだが、真砂名神社の、しかも奥まったこの廊下になど、一般客などほとんど来ない。ごくたまに、マ・アース・ジャ・ハーナの神話が好きな者が、どこから知りえたのか、絵画を見に来ることがある。だが、それもほんのわずかである。


 第一、真砂名神社に来るのは、この区画周辺に住んでいる神官たちくらいで、南の方に居住している人間は、ほとんどこの北の観光地までは来ない。

 来ても、だれかの案内がなければ、この場所を見つけることは難しかった。


 現在、三枚の絵画が外されて、修復のために工房へ運び込まれていた。

 ほとんどの絵画に修復が施されていたが、ララが見つめている一枚は、まったくの手つかずだ。


 古びたままなのは、この一枚だけである。

 不思議な絵だった。


 マ・アース・ジャ・ハーナの神話は、神々と人間たちの織りなす歴史絵巻。

 ほかの絵画は、長い神話のどの話に当たるか、どのエピソードかが、ひと目で分かる絵ばかりだ。


 神話を知っている者は、必ずこの古い一枚の前で首をかしげた。

 こんな話、あったか? 

 だれもが、そういった。


 その絵は、月をつかさどる女神が主体に描かれている。

 かなり古くなって全体的にぼやけているが、だいたいの形は分かるといった具合だ。


 月の女神めがけて、土煙を上げ、まっしぐらに白いライオンが突き進んでくる。それに対し、二頭のライオンが守るように立ちはだかり、月の女神の後ろでは、夜の神と昼の神が両腕を広げている。月の女神を襲おうとしている、白いライオンを威嚇するかのように。


 白いライオンの後ろにいる太陽の神は、右手だけがどこかを指し、佇んでいる。太陽の神のこの位置は、まるで白いライオンをけしかけているかに見えるし、月の女神を守っているようにも見える。


「ララ」


 だれの気配もなく、静かな廊下を、絵を眺めながら歩いてきたのは、アンジェリカだった。


「そろそろ時間だよ」

「ああ――もうそんな時間か。悪いね」


 ララは、立った。その目には涙があふれていた。立ったものの、その絵に吸い寄せられたまま動こうとしない。


「なんて絵だろう――ほんとに。あたしの心をこんなに奪っちまって……」

 ララがこの絵を見て泣くのは、ほぼ日課だ。

「あたしは予言だのなんだのは、さっぱりわからない。だけど、この絵の意味なんか、あたしなんかが知ることじゃない。いいんだ。意味なんかは。これは、あたしの人生そのものさ。あたしは、きっとこれを蘇らせるために生まれてきた――」


 アンジェリカも、ララと一緒に絵画を見た。

 見ただけで、恐るべき霊威がアンジェリカを突き抜ける。アンジェリカもこの絵に平伏したくなった。姉のサルーディーバも、この絵は特別だと言っていた。


(これは、偉大なる予言師が描いた、予言の絵だ)


 しかし、いったいなんの予言なのか。

 月の女神が描かれているということは、もちろん、ルナに関係があることは間違いないが――。


「あたしが、自分自身でこの絵を修復してみたかった」


 ララはつぶやいた。

 でも、自分にそんな才能はない。――芸術家の逸材(いつざい)を、見出すことはできても。


「アンジェ」

「なに?」

「あんたが教えてくれた、この絵画を描いた予言師の生まれ変わりは、いつあたしのまえに現れるんだい」


 これも、毎日聞かれることだ。アンジェリカは苦笑した。


 この絵を描いた、名すら残っていない伝説の絵師の生まれ変わりが、今回の地球行き宇宙船に乗ることになる――。


 去年初めのZOOカードの占いで、ララは、自分の運命の相手が、今回のツアーに現れることを聞き、すべての業務を放り投げて宇宙船に乗った。ララはE.S.Cの株主だ。特権で、自由に宇宙船を出入りすることができた。


 運命の相手とは、その伝説の絵師にほかならない。

 ララが待ち続けた、運命の相手。

 だが、一年以上たつのに、その相手はララのもとに現れない。


「ララ、もう少し待ってあげて。……前も言ったけど、生まれ変わった人間には前世の記憶なんてない。かつては伝説の絵師だったって、今はふつうの人なんだよ?」

「それはわかってるさ。――だけど、この絵が待っているんだよ。修復してくれる人間を。分からないかい? この絵の願いが」

「……だいじょうぶ。伝説の絵師は、絶対、導かれるようにして、この絵の前に現れる」


 アンジェリカは、確信を込めた笑顔で、ララを励ました。

 ララは言った。


「……あたしは、アンジーだと思っていたんだけどねえ……」


 伝説の絵師は、アンジェラではなかった。アンジェラは、絵画の修復にはまったく興味を示さなかったし、この絵を見ても「怖い絵だね」と感想を述べたきりだった。

 アンジェリカがZOOカードで占い、それは確定した。アンジェラは、この絵画を描いた絵師の生まれ変わりではない。


「この絵は、その生まれ変わりの子でなきゃ修復できない。あたしが認めない」


 そして、この絵も認めないだろう。自分を修復するのは、描いたものだけ。


「――アンジェ、あんたはもう、だれか分かってるんだろう?」

「まあね、だいたいは」

「だいたいってなんだい。あたしの知っている人間かい」

「つながりはあるよ」


 アンジェリカは、「焦らないで」とララを(さと)した。


「急がせたって無理だ。彼女が、自分の使命に気付かないと。必ず、太陽の神か、――月の神が自ら導いて、彼女らをここへ連れてくる」

「彼女? やっぱり女かい?」


 アンジェリカはしまったという顔で口を覆った。アンジェリカの悪い癖がここでも出てしまった。サルーディーバにもユハラムにもメリッサにも、さんざん言われているのに。

 言いすぎるな、と。


「ごめ、ごめん! 今のなし!! 聞かなかったことにして!」

「いまさらそんなことできるもんかい! お待ち! すばしっこいネズミだね!」


 口を塞いで廊下をバタバタ逃げていくアンジェリカを、ララが追った。


「お待ちったら! もうすこし教えてくれてもいいじゃないか!」


 絵の中の月の女神は、めのまえに襲い来る猛獣を恐れてはいない。ただじっと、白いライオンを見つめているように、見えた。





「ねえ、ルーイ、お願いがあるんだけど、」


 大きいおなかを抱えて、エレナが帰ってきた。

 病院の帰りにどこかへ寄ってきたのか、帰りが遅くてみんな心配していたのだ。

 エレナの頼みごとなどめずらしい。エレナが進んで、自分を頼ってくれたことがあっただろうか――いや、ない。

 ルーイは、大興奮で「なに!? なに!?」と迫った。


「ウザイからそれ以上寄らないで」


 べしっと顔面を叩かれる。顔を叩かれても幸せな顔のルーイは、いつみてもキモい。カレンがそう言い、グレンも「……このドMめ」とつぶやいた。


 昨日退院したグレンは、後遺症もなく、普段どおりだった。

 昨夜、グレンの退院祝いと称して飲み会が開かれ、グレンはこの面子の中で一番飲んで、カレンとルーイを飲みつぶした。これがほんとうに、このあいだ傭兵に襲われた男だろうか。

 少しはしおらしくしてろとみんなにどつかれたのは、説明するまでもない。


 エレナは、後ろに隠していた紙袋を取り出した。

 これは、どこからどう見ても、有名メーカーの携帯電話ショップの紙袋。新しい携帯電話を買ったらしい。

 ルーイだけではない、カレンも、グレンもセルゲイも首をかしげた。エレナは携帯を壊しでもしたのか?

 エレナは紙袋から箱を取り出し、中から真新しい、真っ白な携帯を取り出した。最新モデルだ。


「これ、発売されたばっかのやつじゃないか。奮発したね、エレナ」


 ルーイの言葉に、エレナは顔を赤くした。彼女にしては、ずいぶん大きな贅沢だ。


「あ、あのね……これにね、あたしの携帯みたいに、キラキラしたので飾って欲しいの」


 エレナはワンピースのポケットから、折りたたんだ紙を取り出す。


「こういうの、描いてほしいんだ」


 そこには、絵が描かれていた。

 クレヨンで色をつけたであろう、ネコのイラスト。親子だろうか。大きい黒ネコと小さな黒ネコのイラスト。星と月が周りにきらめいている。


「えーっ!? これ、エレナが描いたの!?」

 カレンがその絵を覗き込み、驚いて叫んだ。

「上手!」


「エレナは絵が上手だよ?」


 ジュリが当然のように言った。彼女は赤いフレームのオシャレな眼鏡をかけて、本を読んでいる。


「お芝居のチラシとか、真似してかくとすごくじょうずなの」


「あんた! あんなものはチラシの裏にかいたらくがきじゃないか!」

 エレナは顔を真っ赤にして叫んだ。

「あんなもんは絵とは言わないよ……」


「でも、可愛いよこのイラスト。あたしは好きだな」

「うん。俺も好き」


 カレンとルーイに褒められ、エレナはますます赤くなった。褒められるのは慣れていないのだ。


「どうしたんだ。携帯、ぶっ壊したのか?」


 グレンの問いに、エレナはあわてて首を振り、ポケットから自分の携帯を出した。


「ちゃんとあるよ」

「じゃあ、なんで」

「……この子の分だよ!」


 エレナは、突き出したおなかを撫でながら宣言した。


 一瞬だけ、時間が止まった。


「な、……なんなのさ、」


 ルーイとカレンが、あっちの方を向いて笑いをこらえている。グレンが床を叩きながら笑い転げていた。セルゲイも、後ろを向いたままだったが、肩が大きく震えていた。笑っていないのは、不思議な顔をしたジュリだけである。

 エレナの天然ボケは、今に始まったことではないが――。(例:クリスマスにおみこしが出ると思っていたこと)


「赤ん坊に携帯持たせンのか!?」


 グレンがこらえかねたように爆笑しながら、そう言った。ルーイも、「エレナ、赤ちゃんに携帯は少し早いんじゃない?」と苦笑した。


 エレナは顔を最高潮に赤くし、

「い、いいじゃないか!! 別に、持つぐらい持っても!!」


「こらこら、妊婦さんをそんなに興奮させちゃダメ」

 言いながら、セルゲイも笑っている。


「セルゲイさんまで――」


 エレナはふて腐れた。

 それは、エレナだって分かっている。非常識なことは。


「ユミコさんはちゃんとあたしの気持ち分かってくれたよ……」

「それ、ユミコちゃんと買いに行ったの!? あたしも一緒に行きたかった!」

「だって、あんた昼間まで寝こけてたじゃないか」


 グレンの退院祝いだといって飲み過ぎ、ジュリは昼過ぎまで寝ていたのだ。


「白色なんだね。あたしはピンクが良かった!」

「男にピンクはないだろ」


 エレナはまだ、自分の腹の子の性別を聞いていない。産んでみての楽しみだと言いきっている。でも、完全に男だと決めつけていた。


「これはね、エレナの赤ちゃんのお守りなんだよ!」

 ジュリがえらそうに、胸を張って言った。

「携帯はね、ただの電話じゃないんだよ。あたしたちにとってはね、“自由”のお守りなの!!」


「お守り?」

 カレンたちは、笑うのをやめた。



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