118話 砂嵐 1
――L18の、小さな田舎の軍事教練学校。
都市のはずれにあるその学校は、廃校寸前のさびれ具合だった。
金がなくてここに入った若者も、そのうちここを見限って、よその大きな軍事教練学校に入った。都市部へ行けば、まともなところはいくらでもある。学費が安いここで基本的な授業を受け、バイトをして金を貯め、本格的な軍事教練や体技は都市部の大きい学校へ行って習う――。
L8系あたりからくる人間には、そういう貧乏学生がたくさんいた。
風前の灯であるようなここが、なかなか廃校にならないのは、恐ろしく学費が安いから、とりあえず人は切れないのと、ドーソンの名を持つ校長がいるからだった。
バクスター・T・ドーソン。
この廃校寸前の、軍事教練学校の校長の名である。
なぜドーソン家の人間が、L18の、しかもこんなはずれの小さな学校の校長を? と思う人間はよくいる。
もっとも、ここはドーソンの流刑地だと、一部の将校のあいだでは有名だ。
学費が極端に安いこの学校は、ドーソン一族の私費で賄われている。ここの校長におさまるのは、ドーソンの身内で、消すこともできず、さりとて中枢にいてもらっては困るという厄介な人物ばかりだった。
つまり、隠居所という名の牢獄だ。
グレンがドーソン一族の直系だということは、その父であるバクスターも当然そうである。彼は、本来ならば、L18の首相になっていてもおかしくない立場だ。傍系であるユージィンとは、くらべるべくもない。
すでに死してはいるが、バクスターの父で、グレンの祖父である男は、二度もL18の首相をつとめたガチガチのドーソン一族だった。
第三次バブロスカ革命の、ユキトたちへの処分を下したのも彼である。
バクスターもその父に習い、ユージィンよりも冷酷非情で、彼が父の跡を継いでL18の首相になったら恐怖政治になる、と噂が立つくらい、ドーソン史上最悪の人物欄に名を連ねていたのだ――かつては。
――あの、地球行き宇宙船に乗るまで。
バクスターの父は、息子が、あの得体のしれない地球行き宇宙船に乗ったあと、変貌してしまったことにも、娼婦だったという女を勝手に妻にしたことにも嘆きながら世を去ったが、グレンのことは可愛がっていた。あんなに恐ろしい男でも、孫は可愛かったとみえる。ジュリのことは、絶対に認めなかったが。
今、本来ならL18のトップに立つはずの息子が、こんな辺境の田舎に左遷させられていると知ったら、彼はどれだけがっかりするだろうか。
父が今のバクスターと同じ年ぐらいのころは、一番活動的だった。首相もつとめていた時期もこのころだ。本来なら、バクスターもそんな父同様に、いまごろは首相となっていたかもしれなかったのに。
バクスターが左遷させられたのも、無理もない。
だれもがそう思った。
直系の立場でありながら、ドーソン一族を誹謗中傷する――ドーソン側から言わせれば――バブロスカ革命の本などに、あれほどはっきりと名を連ねていては。
編集者であるバンクスも迷い、何度もバクスターにその意思を確認した。だが、バクスターは名を載せた。載せることを許可した。
あれはL19のロナウド家の支援を得て、L22で発行された本だったが、L18では流通していない。それは当然だった。L18では本を持っているだけで処罰の対象になる。だからといって、L18の人間が読んでいないというわけではないが。
近々、バンクスが、二冊目を刊行しようとしている、という噂だけがあるが、その本にバクスターの名は今度こそ並ばないだろう。
ドーソン一族は、バクスターを厳重な監視下に置いていた。
バンクスも、ここには近づけなかった。エルドリウスが、思い出したころにやってくることがあるが、彼との会話はみな傍受され、記録される。
バクスターに自由は、なかった。
その日の夜は、月が明るかった。
軍事惑星群は、辺境の惑星群と並んで、太陽からかなり離れた位置にあるため、気温も低い。夏でも二十度以上にならない。
四月になろうというのに白い息を吐きながら、バクスターは学校の校長室で書類をまとめていた。ランプをひとつ、机の上で灯しているだけだったが、月がひどく明るいせいで、ランプすら必要ないと思われた。
しかし、ランプの火はかじかんだ手を暖めてくれる。今年はずいぶん寒い。
バクスターは暖房をつける気にはなれなかった。暖かくなったら、この場で眠ってしまいそうだ。
延々と紙に判を押し、バインダーに閉じるだけの単調な作業をくりかえし、バクスターは疲れを覚えて席を立った。
今学校には自分ひとり。コーヒーを淹れてくれるだれかもいない。pi=poは監視の目的のために置かれたものだから遠ざけた。
バクスターは、ケトルで湯を沸かし、丁寧にコーヒーをドリップした。
ジュリが淹れてくれるコーヒーは、おいしかった。
グレンは、考えたこともないのだろう。あのなんでもこなす母親が、最初はなにもできなかったなんて。
いや、グレンは母親のことは覚えていないかもしれない。なにせ彼女が死んだとき、三歳だったのだ。コーヒーすら、彼女は知らなかった。淹れ方を知らないのではなく、見たことも、飲んだこともなかったのだ。
バクスターが教えた。字も、読み方も書き方も。コーヒーの淹れ方も。ミルクと砂糖を入れたら苦いのがすこしなくなる――ジュリは、砂糖とミルクをたっぷり入れたコーヒーが好きだった。
彼女は驚くほど勤勉で、教えたことはすぐに覚え、なんでも知りたがった。
もっと教えてあげたかった。もっと広い世界を見せてあげたかった。
――地球に、連れて行ってあげたかった。
L44という名の牢獄から救い上げられた彼女の、自由な人生はなんと短かったことだろう。その命を奪ったのは、自分にほかならない。
彼女をL18に連れてこなければ、死ぬことはなかったのに。
ジュリの担当役員であったマックスは、いまだに手紙をくれる。ジュリが死んだあたりは、後悔とかなしみで、地球行き宇宙船のことは思い出したくなかった。今なら、ひとことふたことでも返せるような気がしたが、検閲に掛けられて、まともにマックスのもとには届かないだろう。
バクスターが、何度目かしれぬ後悔に打ちひしがれそうになったとき、ガチャリとドアノブが回される音がした。立てつけの悪いドアがギイ、と軋んだ。
グレーの軍服の男が、入ってきた。
上背はあるだろう。背の高いバクスターとほぼ変わりがない。片頬にキズがあるが、まだ若い。二十代前半のようだが――前線経験が多いのだろうか、なんらかの苦難を経て、急激に老けこんだ顔をしている。
挙句に、髪は白髪だ。グレンや自分のような銀髪、ではない。白髪だ。こんなに若いのに。
よほどの修羅場をくぐったな、とバクスターは察した。
「ノックはどうしたのかね」
「バクスター・T・ドーソン大佐……でしょうか?」
彼は分かってはいるが、一応確認するように問うた。
バクスターは、いよいよ、その時が来たかと思った。「……そうだが」
「少し、待ってくれないかね。……せめて、このコーヒーを飲み終えるまで」
バクスターはそういって彼に背を向け、窓の外をながめた。
さっきまで星がこうこうと瞬いていた外の景色は、砂嵐に変わっていた。この地区は砂漠の入り口だ。砂嵐もめずらしくないが、せっかく最期の晩なのに、砂嵐はひどいだろうとバクスターは思った。
さっきまで、あんなにきれいな星空だったのに。
だが、自分の最期には、ふさわしいのかもしれない。
ジュリに会うまで、自分の人生は、この砂嵐のようだった。
「私にも、いただけませんか」
将校は、敬礼するでもなく、そうなごやかに言って手を差し出した。
自分にもコーヒーをくれといっているのか。バクスターは彼が、グレーの軍服は来ているが、中身は軍服通りでないことを悟った。
傭兵か? やれやれ、自分は傭兵に殺されるのか。せめて、ドーソン一族のだれかにしてほしかった。
将校だったら、上官の前では直立不動で敬礼の姿勢を崩さない。それはどんな落ちぶれた者に対してもだ。彼らは、そういう姿勢が骨の髄まで染みついている。
コーヒーをねだる時間など持ち合わせない。名を確認して敬礼し、拳銃を抜いて一発バン! だ。それで終了。
「君は傭兵かね」
「いいえ」
バクスターは新しいカップにコーヒーを注ぎ、彼に振る舞いながら言った。
「では、どこのだれだ」
「……あなたは、なにやら勘違いをしておられるようだ」
軍服の男は温かなコーヒーを一口飲み、微笑んだ。
「私は、あなたの処刑にやってきたのではありません」
殺しに来たのではない。ドーソンの何者かに命ぜられて、自分を暗殺しに来たのではないのか。
バクスターはひそかに安堵の息を吐いた。どうやら、まだ生きていてもいいらしい。
「君はだれだ」
あらためて、問うた。
「ごちそうさまでした」
彼は飲み終わると、カップを棚の上に置いた。あれは、放っておけばあとでドーソンの者が調査に来たときに、持ち帰るだろうか。
「私は、メルーヴァ・S・デヌーヴといいます」
「……L03の革命家の?」
不審な顔で聞くと、メルーヴァはまた、先ほどと同じ正体不明の笑みを口に刻んだ。
「革命家になるのですね、私は。……私たちがしたことは、L03から長老会を追い出し、新たな政権をたてようとしただけなのですが。現職のサルーディーバ様もご無事ですし、L18の介入さえなければ、無血で終わっていたのです」
L05に逃げた長老会の依頼で、L18が軍を出さなければ、死者は出なかった。
「それが革命というのでは?」
バクスターの言葉に、返事はなかった。
「その革命家が、私に何を頼みに来た。このとおり私は左遷された立場で――」
ドーソンに、私の立ち位置はすでにない。そう言おうとしたが、
「私はあなたに、L18の軍隊をL03から引かせろとお願いしに来たのではありません」
「言っておくが、私に頼みごとなどしても無駄だ」
バクスターはドーソンに監視されていて、ここを動けない。
「そうおっしゃられますが、やはりあなたはドーソン一族の正式な長になるべき人物。あなたのために動くものが、皆無とは言えないでしょう」
メルーヴァは断りもせず、ゆったりと肘掛椅子に座って足を組んだ。
バクスターは、メルーヴァに容易に背を向け、さっきメルーヴァが飲み干したカップと、自分のカップをシンクに置き、水を流した。カップに残ったコーヒーは水で洗い流されていく。バクスターはカップを洗い、片付けた。
メルーヴァはそれを見て、小さく眉を上げただけだ。
ここに自分が来た証拠は、ちゃんと隠滅してくれるらしい。
「知っていますよ。あなたはここに物資を届けに来る軍人や、古い執事たち――彼らをつかって外部と連絡を取っている。むかしのあなたは恐れられていたが、地球行き宇宙船からもどって生まれ変わったあなたには、味方が大勢いる。エルドリウス氏とも懇意でしょう? あなたは、完全に翼をもがれているわけではない」
「だとしてもだ。……私に君の願いを聞き入れる義務が?」
「私は――あなたの息子を二度、助けた」
バクスターの背が、ピクリと動いた。
「一度目はガルダ砂漠で。――二度目は、先日、地球行き宇宙船内で」
「あそこは、L系惑星群一警備が厳しい」
バクスターの声は上擦った。「命の危機に晒されることなどないはずだ」
「絶対に安全な場所など、どこにもないのですよバクスター大佐」
メルーヴァの声はまるで、哀れな者を安心させるような声だった。
「あなたの息子を連れもどそうと、ユージィンが傭兵を送り込んだのです。もっとも、それには裏もありますが。彼は致死量の麻酔を受けて昏倒した」
「――無事なのだろうな!?」
「ご心配なく。無事です。私が、グレン様のボディガードに、襲撃の時刻を知らせたゆえ彼は助かったのです」
バクスターが、大きく息を吐いて壁に寄り掛かった。
「まったく、親の心子知らずとはこのことでしょうね」
「……」
「あなたは、これほどグレン様を大切に思われているのに。――グレン様は、あなたを恨んでいます」
「それは無理もないだろう」
バクスターはあっさり認めた。
帰ってきた息子を抱き上げてやりもしなかった。あのときの息子の傷ついた顔を、バクスターは忘れたわけではない。そのあとも、避けるだけ避けた。そのうち、息子はバクスターに対して心を閉ざした。それは、バクスター自身がそう望んだことだ。




