117話 策略 2
「うーっさうっさ。うーっさうっさ、うさうさうさうさうさうさ……」
翌日の朝である。
ルナは、アズラエルがつくった、チーズとハムの大きなサンドイッチを三つも食べ、コーンスープを二杯のみ、ヨーグルトと紅茶と、器に盛られた山盛りのトマト・サラダを完食した。
「いっぱい食べるよ! 元気出さなきゃ!」
そういって、アズラエルの分のオレンジを掻っ攫った。
アズラエルはなにもいわなかったが、「いつになく、食うな」と呆れた声で言った。
ルナはそれから、おかしなウサギダンスを披露しながら着替えをし、ミシェルに「なんか変な生き物がいる」といつも通りスルーされ、クラウドからは「ルナちゃんのカオスが今日はMAX」という診断結果を得た。
カオスかどうかは知らないが、ルナの様子がおかしいのはアズラエルにもわかった。
昨夜、隣の部屋から聞こえてくるすすり泣きは、ルナもアズラエルも聞いた。ミシェルは泣いていたのだ。不穏な来訪者が、よほど怖かったのだろう。
アズラエルもクラウドも、ようやくそこで思い出したのだ。
ルナもミシェルも、軍事惑星群の人間ではない。あんなでかい銃とナイフを持った夜間の来訪者など、一生出会うこともないはずの、ゆるくて平和な星の人間だということを。
いくらハンシックでのできごとで、ある程度の修羅場はくぐったのだのだとしても、深夜、傭兵に踏み込まれたことはないのだった。
今朝、ミシェルの目は腫れていた。昨日泣いたら、すっきりしたのか、今朝のミシェルは元気だった。
ルナは昨夜、泣かなかった。だが、眠れていないのはアズラエルにもわかった。
ずっと、身体をもぞもぞさせながら、――震えていた。
ルナは空元気、というか元気なそぶりをしているのだが、一度も笑っていない。
元気に「おはよう!」と言い、ずっとウサギダンスは踊っているが、アズラエルから離れないのだ。まるで、親に引っ付いて離れない子どもである。
朝食の片づけをし、クラウドが駐車場から車を出してきた。クラウドが運転席に、ミシェルが助手席に乗ったところで、ルナも後部座席に乗ろうとしたのをアズラエルが止めた。
アズラエルはルナの頬っぺたを両手で包み込み、
「――おまえ、だいじょうぶか?」
今日、一度も笑ってねえぞ、と心配そうに言った。
「だいじょうぶ!」
「……昨日、怖かったんだろ?」
「怖くないもん!」
「どうしたの? 早く乗りなよ」
「うん!」
ルナはさっさと後部座席に乗った。仕方なく、アズラエルも座ったが、ルナはアズラエルが入ってくると、隣にではなく、アズラエルの膝に乗った。そして、アズラエルのムキムキな両腕を、シートベルトのように自分の腹のあたりに置き、「……怖くないもん!」ともう一度宣言した。アズラエルの両腕につかまったまま身動きしない。
その顔はやはり笑ってはいない。むっつりと頬をふくらませ、まるで怒っているようだ。
アズラエルはため息をつき、窓の外を眺めた。ルナがこういう顔をするときは、かなり意固地になっているときだ。
こういうときは、放っておくに限る。
ルナが聞かなかったので、結局アズラエルは、グレンのことは話せずじまいだった。
グレンが搬送された病院は、中央役所の近くにある、宇宙船一大きい中央病院――エレナが入院したところだ。
区画ごとに病院はあるが、耳鼻科や皮膚科などの病院か、個人経営の小さな病院ばかりである。夜間の診療はない。夜間に倒れた患者は、中央病院のほうへ運ばれるのが普通だった。
病院へ着くと、クラウドは駐車場へ車を置きに行くために、ルナたちを玄関先で降ろした。
受付に行ってグレンの病室を聞き、エレベーターに向かおうとしたら、声をかけられた。
「おはようございます」
「おう、おはよう。嬢ちゃんたち。元気か?」
ルナたちに声をかけたのは、花束を持ったカザマと、バグムントだった。
「だいじょうぶでしたか? 昨夜は大変でしたね」
カザマがルナとミシェルの肩を撫で、抱きしめた。カザマからは、花と香水のいい匂いがする。お母さんみたいだ。さっきまで元気だったミシェルの涙腺が、またゆるんだ。ルナも、口をヘンな風に尖らせ、泣くのを我慢していた。
「あとで話しますけれども、昨夜の犯人たちは今日中にも宇宙船を降ろされますからね。だいじょうぶですよ」
「病室はこっちだ。行こうぜ」
バグムントが、カザマの持っていた花束を代わりに持った。彼の案内で、ルナとミシェルはカザマと、バグムントはアズラエルと並んで、五階の病室へ向かった。
「チャンは昨夜からずっとつきっきりだ。まるで献身的な恋人だぜ」
「おまえは?」
「今来たばっかだよ。今朝チャンに電話したんだがな。グレンは元気そのもの。どっこも異常なし。致死量の麻酔食らっときながら、ピンピンしてやがる」
「化け物か」
「ふつうは、良くて一週間昏睡状態だとよ」
エレベーターに乗って、五階へ。長い廊下を右、左に曲がって、グレンの病室へ。そこは個室だった。
病室に近づくと、ルナが我慢しきれない子どものように、てててっと走って行く。
「グレン!!」
ルナはノックもせず、バタン! と盛大にドアを開けた。
「――おう。……て、ルナ!?」
グレンはベッドに半身を起こして座っていた。びっくり顔で来客を見つめる。チャンもだ。
「グレン! グレンだいじょぶ!?」
ルナがグレンのベッドに寄る。グレンの身体には傷もなかったし、包帯もまかれてはいなかった。薄いブルーの病院服を着て、ベッドに座っているだけだ。
「問題ない。だいじょうぶだ」
そういって、ルナの頭を撫でてくれた。ルナはほっとして、――やっとほっとして、涙がぼたぼたとこぼれてきた。
「泣くな。別に怪我はしちゃいねえ。飯も食ったし、」
「足りない、と言って、二人分も食べたのはあなたぐらいですよ」
「いやだって、こんなうまい病院のメシははじめてだったんだ。さすが地球行き宇宙船だよな。病院のメシまでうまいのか」
「軍事惑星は最低ですからね」
いつも無表情なチャンだったが、ルナには、微笑んでいるように見えた。チャンもまた、グレンの無事を喜んでいるのだ。
ルナはグレンの分厚い左手を両手で握り、「グレンが元気で良かった」とまた泣いた。
「グレンってば、あたしに心配かけてばっかり!」
ルナの頭には、かつて夢の中で見た、グレンがガルダ砂漠で大けがをして、包帯ぐるぐる巻きでベッドに座っていたシーンがよみがえっていた。
「よう、元気そうじゃねえか」
バグムントが花束を掲げて病室へ入ってくる。続いてカザマとミシェルと、アズラエルが。
グレンはアズラエルの顔を認めて嫌な顔をしたが、アズラエルもグレンと同じ顔をしていた。いつものことである。
「本当に。呆れるほど元気ですよ。この人、今朝ひとが居眠りしているのをいいことに、病室から抜け出してタバコ吸いに行ったんですよ?」
チャンは、自分の座っていた椅子をカザマに勧めながら言った。グレンが、言うな、と顔でジェスチャーするが、遅かった。ルナが呆れた声を出す。
「グレンてほんとにばか!!」
「ほんとにバカですよ。……麻酔は致死量だったんです。普通の人間なら死んでいてもおかしくない。あなたは自分の頑丈な身体に感謝するべきです」
「俺は毒も麻酔もある程度耐性つけて――」
「そういう問題じゃないの! タバコはだめなの! グレンは病人!!」
チャンとルナに挟まれて、グレンは嫌な汗をかいた。昨夜不審者が部屋に侵入してきたときも、こんなに焦りはしなかった。なんだこの最強タッグは。
アズラエルはこの最強タッグに挟まれた覚えがあったので、ほんの少し、わずかに、ちょびっとだけ、ほんの0.01ミリほど、グレンに同情した。
「おはよう。……え? 起きてる。信じられない。ゴキブリみたいな生命力だね」
「……おまえそれ、見舞いに来て言うセリフじゃねえぞ」
クラウドの、対グレンのセリフは相変わらず辛辣である。グレンがベッドに座っているのをいいことに、上から目線で登場したクラウドは、バーガスとレオナを背後に連れていた。
「よう! ゴキブリ少佐! 殺しても死なねえってのはマジだったんだな」
「ずいぶんピンピンしてるじゃないか! 可愛げがないったらないねえ。虫の息だったら同情くらいしてやるのにさ。それになんだい? こんな個室ゼイタクに。お坊ちゃんてのはこれだから……。あんたより病人はいっぱいいんだから、とっとと出なよ」
バーガスとレオナのセリフは、傭兵の標準レベルの会話である。決して、彼がドーソン一族だから皮肉ぶっているわけではない。決してない。
グレンは、自分の身体の頑丈さをちょっとだけ恨んだ。一週間くらい昏睡状態になればよかった。心配してくれたのはルナだけである。
「グレンさん、ほんとにだいじょうぶなの?」
ルナだけではない、ミシェルも心配してくれる。グレンは、女の子たちのあたたかい言葉にちょっと感動しながら、
「ああ、平気だ。まだ麻酔残ってるみてえだから、頭ガンガンするけどな、」
「彼女いないからって人の女の同情ひくのやめてくれる?」
クラウドの零下273.15度の声が病室に響き渡る。
あとでエレナたちが見舞いに来るまで、グレンは本気で人間不信に陥った。
それはさておき。
「――さっき、中央役所から連絡が来ましたが」
チャンが、携帯電話を見つめた。
「ヘルズ・ゲイトのメンバーは四人とも、今日中に宇宙船を降ろされます。L18に強制送還ということですね。それから、クラウドさん宅に侵入した方々も」
「ったくよ。クラウドの巻き添えで、なんで俺がこんな目に」
グレンも今朝チャンから、クラウドが襲われたことを聞いていた。
「……なにいってんの。俺が君の巻き添えだろ」
「狙いはてめえだっていうじゃねえか。俺は、なにも言われなかったぜ」
「君と俺の件は別件だろ」
「そこ、喧嘩はいけません」
カザマが、バーガスたちの手土産のリンゴを剥きながら、笑顔でグレンとクラウドの間の空気をシャットダウンする。なんだか包丁が凶器に見えて、二人は黙った。
チャンが仕切りなおす。
「グレンさん、今朝がた私にお話ししたように状況をもう一度ご説明願います」
「は!? またしゃべるのか?」
「情報は共有しませんと。なんのために今日集まってもらったのですか」
チャンに逆らうと、あとで面倒だ。グレンは、しぶしぶ説明した。
――昨夜のことだ。
グレンがベッドに入って微睡んだあたりで、おかしな音がしたので目覚めた。枕の下の拳銃をかまえ、そっとドアを開けて様子を伺った。
次の瞬間だ。口を覆われて自分は倒れた。まだ意識はあったので、落とした銃を拾おうと手を動かしたらもう一度口を塞がれ、意識が混濁した――。
「あらたまって昨日の状況、とかいうレベルじゃねえぞ」
麻酔薬嗅がされて失神したって言えばいいだけじゃねえか、とアズラエルは言ったが、チャンに一蹴された。
「状況説明というのは正確を要するものです。どこに、どんな発見があるか分からないではありませんか。ちなみに付け足せば、」
チャンは、愛用の電子手帳を見ながら言った。
「グレンさんは、合計五回、麻酔を嗅がされています。ほんの十分かそこらの間に。なかなかダウンしないので、彼らも手こずったようですね。まさにゴキブリ並みの生命力」
「分かる分かる。ゴキブリって潰してもまだピクピク言って――、」
「やめてよクラウド! 想像しちゃうじゃない!!」
「おまえら、本気で泣くぞ?」
俺、そんな弄られキャラだったかな、とグレンは真剣に悩んだ。
「グレンさんのゴキブリレベルの生命力は今さらです――セルゲイさんはまだ来ておりませんね。では、バーガスさん、レオナさん」
「俺たちもか?」
「当然でしょう。もとはといえばあなた方が発端です。あなたが、グレンさん襲撃が今日だと教えてくださらなければ、私たちだってあんな周到に用意はできませんでした」
「……」
「どんな手段で、グレンさん襲撃の日付と時刻を知ったのです?」
レオナとバーガスは、困った顔で互いを見やった。
昨夜もそうだった。アズラエルが同じことを聞いたが、ふたりは口を濁した。
「よろしい」
チャンは眼鏡を押し上げ、誓うように右手を挙げた。
「――ここで聞いたことは、どんなことがあっても白龍グループには流しません。あなたがたメフラー商社にも、それなりの情報調達手段があるのでしょう。私は白龍グループの出ですが、いまは宇宙船役員です。誓って白龍グループには……」
「あ、いや、そういうんじゃねえんだ」
バーガスがあわてて言った。「――そういうんじゃねえんだが」
「そういうんじゃないんだけどねえ……」
レオナも、困ったように頭を掻いた。
「そのう。……こういうのってね、言っても信じてもらえないかもしんないんだけど」
レオナとバーガスが話したことは、衝撃も衝撃だった。
周りが信じる信じないというより、話しているバーガスとレオナでさえ、まだ半信半疑だったのだから。
「メルーヴァ・S・デヌーヴが、現れたってえ!?」
バグムントの呆れた――素っ頓狂な声に、真っ赤な顔をしたレオナが、バンッとバグムントの背中をたたいた。バグムントは口から胃が出るほどの衝撃を受けて、噎せこんだ。
「だっ……から、言いたくなかったんだよ!!」
「ちょっと待ってください。あのL03の革命家が、あなた方のまえに現れたっていうんですか? なんのために?」
「なんのためって――そりゃ、こいつのためだろうなあ。コイツの襲撃の時刻を教えてくれたんだからよ」
バーガスが、グレンを指さして言った。グレンもまた、呆気にとられた顔でそれを聞いている。




