116話 狙われた孤高のトラ Ⅱ 3
クラウドは、その会話には加わらずに、自分の携帯電話を手にしていた。彼が押したボタンの番号は、エーリヒの邸宅の、自室の番号だ。
「クラウド、どうした」
「エーリヒに電話する」
どう考えても、自分が襲われたのは、心理作戦部関連であることは違いない。
クラウドはだまっていられなかった。今回は早めに気づいてミシェルを隠すことができたが、次回もこううまく行くとは限らない。これから先、一緒にいるミシェルになにかあったら困る。
絶対、エーリヒはなにか隠している。
こちらに危険が迫っているのだから、すべてとは言わずとも、手掛かりくらい聞き出せないか。
明日まで、待ってなどいられなかった。
呼び出し音が数回鳴り、相手は出た。
「やあ、エーリヒ」
『……宇宙船とL18では時差があったかな?』
「丸一日と、二時間ほどね。こちらは深夜三時。そっちは一時ころだろう。あなたは起きているはずだと思って」
『なるほど。しかし深夜に電話する詫びのひとつもあっていいと思うが。私が心理作戦部に詰めているかもしれないとは、考えなかったのかね』
「まあ、それも考えた。エーリヒ、雑談のために電話したんじゃない。俺はたった今、宇宙船内の自室で、傭兵たちに襲われた」
『ほう』
エーリヒが電話の向こうで、身を乗り出すのが分かった。
「人数は三人。彼らは俺が心理作戦部B班であることと、名前を確認して、ついてくるよう命じた」
『どこへ』
「それは言わなかったし、聞き出せなかった。関連する出来事はある。――ユージィンは傭兵グループのヘルズ・ゲイトを宇宙船へ送り込み、彼の甥であるグレン・J・ドーソンを拉致しようとした。それが実行されたのも今夜だ。詳しいことは分からないが、俺が襲われた件とグレンの件とは、関わりがあると考えられる――ユージィンが仕組んだこととして」
『そうかね。なるほど』
「エーリヒ。俺に危険が迫るということは、俺の愛する人や、身近な人々にも被害が及ぶことがあるということだ。俺の身近な人はアズラエルだけじゃない。それはわかっているだろう」
いいかげん、知っていることを教えてくれ、俺は襲われたんだ、とすごもうとしたクラウドの言葉は、エーリヒの投げつけた爆弾によってさえぎられた。
『クラウド、君はマリアンヌ嬢から教わったパスを持っているね?』
クラウドは、一瞬で背筋が凍った。クラウドは、マリアンヌから聞いたパスワードのことは、ひとことも報告していない。
エーリヒはなんでもないことのように言う。
『おそらく、ユージィンが狙っているのはそのパスワードとID。そして、君の能力。並外れた速読の力と記憶力だ』
「……エーリヒ。俺はあなたに、そのことは報告していない」
『私も、君からは聞いていないね』
エーリヒは面白そうに言ったが、クラウドの隠し事を、怒っている節はない。
『かまわないよ軍曹。君が私に何を秘密にしようがそれは君の自由だ。だが、君が教えたはずのないことを私が知っていても、それは私の自由』
「パスワードの内容を?」
『知らないよ。だが教えてくれなくてもいい。私には必要ない』
「いったい、心理作戦部でなにが起こっているんだ。俺の能力を、ユージィンが必要としているのか? だから、俺の拉致を?」
『たぶんね。ユージィンは君を心理作戦部へ連れもどし、『あるもの』を解読させようとしている。私のところにも君を呼び出すよう依頼が来たが、君はバカンス中だと断っておいた。グレン氏のほうはよくわからんが、たいてい、人材不足のドーソンだから、ひとりでも人数が欲しいと言ったところかね。君が今、くわしいことを知る必要はない。君は自分の身体とそのパスワードを大事に、宇宙船という名の頑丈な金庫にしまっておきたまえ。いつか役立つ日が来る』
「エーリヒ、」
『これだけは告げておく。ドーソン一族の栄華はもはや終わる。もって、一、二年といったところだ。君が宇宙船旅行を楽しんでいる間にケリはつくだろう。ユージィンは焦り過ぎている。焦ったワシは、獲物など取れん。もう傭兵を宇宙船へ送り込む資金はないだろうしね。君もグレン氏も、しばらくは安全だ』
「……俺にできることは、今はない?」
『ないと言ったろう、クラウド。バカンスを楽しみたまえ! あ、でも報告書は毎週忘れずにね。いずれ、私のほうから君に会いに行こうと思う。ではな、おやすみ』
エーリヒは、一方的に電話を切った。
彼のマイペースには慣れていたつもりだったが、久しぶりにイラッとした。
――どうして、俺がマリアンヌから謎のIDとパスワードを受け取ったことを知っている?
いや、エーリヒにはすでに「謎」ではないのかもしれない。
ユージィンが欲しがっているのは俺の能力だと?
速読法と、記憶力――。
なぜ、俺は蚊帳の外なんだ。自分がこうして狙われているというのに。
クラウドが腹立ちまぎれに受話器を電話機に叩きつけると、ミシェルが怯えたようにこっちを見ていた。
クラウドはあわてて、「だ、だいじょうぶ。……びっくりさせてゴメン」とミシェルを抱きしめた。
(――バカだな)
エーリヒの言葉が頭によみがえる。ユージィンのことではなく、自分に向かって言われたような気がした。
焦ったワシは、獲物は取れん。
(……これじゃ、俺もユージィンと一緒だ)
焦っているのはユージィンだけじゃない、俺もだ。
「ねえ。クラウド」
ミシェルが心配そうに覗き込んでいた。「あたし、何にもできなくて、ごめんね」
クラウドは、思わずミシェルを抱きしめた。
「なんにもできないなんて。……ミシェルがそばにいてくれるだけで、俺はほっとするよ」
俺だけならどうにでもなる。
――ミシェルを、危険にさらすのが怖い。
クラウドは、自分の焦りの理由を、冷静に分析していた。
ミシェルだけは守らなければ。なにがなんでも。
アズラエルも、自分の特殊仕様腕時計で、バーガス夫婦と通信していた。ルナがセルゲイの膝の上で、アズラエルのほうをじーっと見つめている。
『おう、アズラエル。セルゲイさんはだいじょうぶか』
「だいじょうぶだ。セルゲイも、ルナもな。ところで、予定が変わった。明日、グレンの病室へ俺も行く。チャンとかいう役員も来るんだろ」
『ああ。……なんだ突然。どうかしたか』
「今な、クラウドが寝込みを襲われた。グレンと同じパターンだ」
『なんだってえ!? ミシェルちゃんは無事なのかい!?』
レオナが後ろで吠えている。
「ああ、無事だ」
俺の心配はだれもしてくんないの、とクラウドが不満げな顔をしている。この腕時計での会話は、周りにも聞こえるのだ。
『どういうこった。……なんでクラウドまで?』
「それは明日説明する。みんなそろって話をした方がまとまりやすい。だから明日行く」
『分かった。クラウドが襲われたとなりゃ、バグムントも顔出すだろうな。俺から連絡しておく。……グレンの今日の襲撃と、クラウドの件は関係してるとみていいのか』
「ああ。俺もそう思ってる」
『あしたはうさこちゃんもミシェルちゃんも連れておいで、一緒のほうが安全だろ』
レオナの言葉に、いつになくアズラエルは素直にうなずいた。
「ああ、そうする」
おやすみと言って、通信を切る。
「ルゥ。ミシェル、もう寝ろ。明日、九時にはグレンの見舞いに行く」
「――グレンって? グレンどうかしたの」
アズラエルは、ルナに仕事の内容を聞かせていなかったことを思い出した。
「明日、行く途中に車の中で話すよ。いい子だから今日は寝るぞ」
「セルゲイさんは、俺が送っていくよ」
アントニオが、車のキーを持って立ちあがった。
「すみません」
セルゲイも、ルナを膝から降ろして立つ。
「セルゲイ」
ルナがセルゲイのパジャマの裾をつかんで言った。
「ありがとう。助けに来てくれて」
「……」
実際、自分がここに駆け込んだところで、アントニオのような活躍は無理そうだったが。それでも、ルナの言葉にセルゲイは微笑んで、額に一度、キスをした。
「あっ!! ドサクサ紛れに何やってんだてめえ!!」
アズラエルが吠えたが、セルゲイはルナの髪を撫でると、「おやすみ」と言って部屋を出た。
アパートの階下に停めてある軽乗用車の助手席に、セルゲイは乗った。
「ごめんね、狭くて」
「いいえ。……迷惑をかけて申し訳ない」
軽乗用車のため、かなり車内は狭くて、セルゲイは長身を縮めて収まる羽目になった。
まったく、いきなりルナが危ないと飛び出した挙句、車のキーがなくて暴れるわ、しかもパジャマのままでこんなところまで。よほど危ない人間だと思われたにちがいない。
セルゲイは、穴があったら隠れたかった。だが、明日グレンの見舞いに行かないわけにもいかないだろう。
それに、カレンやエレナたちにはどう説明するか。正直に全部話したほうがいいだろうが。
カレンは――どんな反応を示すだろうか。
カレンは、グレンがドーソンの嫡男だということで最初は嫌悪していた。だが、この宇宙船内で交流するうちに、グレンもかけがえのない友人だと思うようになった。
そのグレンが――「あの」ユージィンに、……。
「そんな他人行儀なこと言わないで。このあいだ一緒に飲んだ仲じゃないですか」
考えにふけっているアタマに、急に他人の存在が現れて、セルゲイはそういえばアントニオが隣にいたのだと思い出した。
ははは、と明るく笑うアントニオの横顔をセルゲイは見た。
彼がいると、周りがパッと明るくなる気がする。このあいだのバーベキューパーティーの時もそうだ。彼が音頭を取るだけで、沈んでいた空気が一気に陽が差したように、明るいものに変わった。
――太陽みたいだな。
セルゲイは、自分とは正反対だと思った。
自分は、いるだけで人を明るい気持ちにさせるような性格ではない。
うらやましいとは思うが、不思議と彼に対してねたむとか、ひがむとか、そんな気分ではないのだ。むしろ彼は、ひとのマイナスの感情――ひがみやら嫉妬やら、そういったものすら吹き払ってしまう明るさがある。
そんなことを考えていると、アントニオが言った。
「あなたは、とても穏やかで、癒されます。――そう。毎日訪れる夜みたいにね。ひとは昼ばっかりだけでは生きていけませんから。安らかに眠らせてくれる夜も必要なんですよね」
自分の考えが読まれたかと思った。セルゲイが絶句していると、彼は微笑んだ。
「セルゲイさん、バーベキューパーティーのこと、覚えてます?」
セルゲイは、あいまいに、「え、ええ、……楽しかったですね」と答えた。
だが、正直言うと、――。
「あんまり、覚えてないでしょ」
またアントニオに図星を指され、セルゲイは言葉を失った。
まったく覚えていないというわけではない。楽しかったのは事実だ。
来てそうそう、自分の担当役員に席に引きずり込まれたこと、それに、デレクとラガーの店長の勝負や、ルナのつくった焼きそばが美味しかったことだの、覚えていることは覚えている。片づけをして、リズンでアントニオたちとコーヒーを飲んだことも。
一部だけ、ぽっかり記憶が抜け落ちているのだ。
……なんだか、トラブルがなかったか?
「バーベキューパーティーのあと、熱を上げませんでした?」
「あ……上げました」
インフルエンザかと思うほどの高熱で、一週間倒れた。
それにしても、なぜ彼は、自分のことがこんなにもわかるのか。
アントニオはセルゲイの様子を伺うように、ちらりと目をやり、また視線を前にもどした。
「ぜんぶ、ルナちゃんセンサーのせいですよ」
「ルナちゃんセンサー?」
さっきも言っていたが、なんだそれは。
アントニオはだが、すぐ関係ないことに話を変えた。
「そう。ルナちゃんセンサー。――セルゲイさんは、K05区を訪れたことはありますか?」
「え? いいえ」
「いいところですよ。今の時期は桜も咲いてるし。神社のそばの、河原沿いの桜並木が、それは見事なんです。あと、大きな神社がありましてね、真砂名神社と言いまして、」
「ジンジャ?」
「ええ。宗教的建築物です。軍事惑星やL5系ではあまりなじみがないですよね。L7系では見れますけど。地球時代に、アジア地方にあったものです。神殿、の一種と言えばいいでしょうか」
「ああ、神殿ですか」
それならわかる。神をまつる場所だ。遺跡などにも多い。
「一度、いらしてください。……そうだ、水曜日あたり、花見でもしませんか。今、桜が一番いい時期なんですよ」
アントニオとは、バーベキューパーティーの時も親しく話したが、なんというか――ルナ同様、初めて会った気がしない。
ひどく、懐かしい思いがこみ上げるのだ。
それに、最近の自分ときたら、熱は上げるわ、今日もこういったバカな振る舞いはするし、気がどうしても滅入りがちだった。
ゆっくり花を愛でて、のんびりするのもいいかもしれない。
セルゲイは、一も二もなく承知した。
「ええ。水曜日ですね。三日後か。いいですよ」
「じゃあ、真砂名神社でお待ちしてます。午後に」
ルナちゃんに用がなかったら、誘ってもいいかもしれないな。
セルゲイが家に着き、ベッドに倒れ込んだのは、もううっすらと外が明るくなるころだった。




