14話 再会 Ⅱ 2
(あの夢は、いったいなんなのだろう?)
よく見る、意味の分からない夢とはちがう。きちんと物語が成り立っていて、絵本を読んでいるような気にもなるし、映像を見ている気もする。体験しているような気もする。
出てくる登場人物は、みんなウサギやライオンなどの動物だ。
(悲しい、結末ばかり)
このあいだ見た夢も、悲しい結末だった。パンダの兄と、ライオンの弟が、ウサギのルナを取り合って死んだ、悲しい結末――銀色のトラを巻き込んで。
そして昨夜の夢も。
ルシヤはもと夫のピューマに撃たれ、ライオンにとどめを刺された。銀色のトラはルシヤを愛していたけれども、警察官としての立場があって、ルシヤを助けられなかった。パンダのマフィアは、ルシヤを手元に置こうとして、死なせてしまった。
(ライオンは、アズ?)
どうして、そう思うのだろう。
しかしなぜか、夢の中のライオンの面影が、今生きているアズラエルと重なる。
パンダと銀色のトラは、このあいだの夢にも出てきた。でも、だれなのかは分からない。
妄想にしては、ただの夢にしては、あまりにリアリティがともなっていることに、ルナは困惑していた。
(あの夢は、なに?)
答えてくれるだれかなど、あるわけはない。
ルナは、たよりない自分の両足を見つめて考え込んでいたが、声をかけられて、はっと我に返った。
『本を返却しますか?』
ペンギンのホログラムが、アプリから立ち上がっている。
「返却します!」
ルナの言葉とともに、動物図鑑は青い光につつまれて、テーブルの上から消えた。
図書館の出口に向かいかけたルナは、思い出したようにウサ耳を立たせ、アプリのペンギンをもう一度呼び出した。
『なにか、お探しの本はありますか?』
ルシヤのことを調べようと思ったが、ちょっと迷って、べつのことを言った。
「傭兵のことを、調べたいのだけども」
『リファレンス・サービスをご利用しますか?』
「そこまでは、よいです」
傭兵というものが、だいたいどんなものなのか、知りたいだけだ。ルシヤは傭兵かもしれなかったそうだし、ルシヤのもと夫であるピューマも傭兵だ。
ついでに言えば、アズラエルも傭兵。ルナは傭兵というものがどんなものなのか、ほとんど知らなかった。
「L18の本は、ありますか」
ルナが尋ねると、『少々お待ちください』とペンギンが言った。
『軍事惑星群をテーマにしたロマンス小説などは?』
「ロマンスはいらないのです。ノンフィクション」
『では、エレベーターで八階へ。軍事惑星の専門書、および書籍があります。最近発売された新刊では、“バブロスカ~我が革命の血潮~”。ベストセラーでは、“L18の真相”、“女系軍部の興亡”など。絵本では、“ぐんじわくせいぐんのれきし”などがあります』
「ありがとう。じゃあ、八階に行ってみます」
ルナは律儀に返事をした。
『ごゆっくり、どうぞ』
アプリの向こうで、ペンギンが手を振っている。ルナは携帯電話をバッグにしまい、ガラス張りのエレベーターめがけて、ぽてぽて歩いた。
八階は、ひどくしずかだった――というより、ひとの気配がなかった。
巨大な円錐状の建物の内側に、ガラス張りの広い通路が円形に取られていて、ずらりと書棚がならんでいる。つまり、ガラス張りの窓から、はるか階下が見渡せるのであった。
高所恐怖症のルナは、窓側に行ってみる気などぜんぜんなかった。廊下が広く取られているので、窓から離れれば、見えるのは向かいの廊下の様子だけ。書棚のほうを見ていれば、まったく怖くはないが――。
「たいへんだ」
八階に、軍事惑星群の専門書が並んでいることは分かったが、あまりに多すぎて、話にならない。
「えーっと、えっと、L18……」
書棚につけられた「L18」の札を見つけるのに、ルナは長い廊下を、半分ほど先まで歩かねばならなかった。
「うわあ」
そして、L18の専門書だけでも、膨大だということが分かった。辞典、雑誌、単行本から、読む気すら失せそうな厚さの本が並んでいる。
「これはたいへんだ」
ルナはとりあえず、めのまえにあった分厚い本を出し、広げてみた。そして、「傭兵」の欄をさがした。
「長年差別を受けてきた軍事惑星群の傭兵は、独自のコミュニティを持ち、独自の法律によって組織を営んでいる。軍部とは付かず離れずの組織体であり、軍部の干渉が及ばない箇所もある。認定の傭兵ともなると総じて誇りも高く、特におのれの矜持に傷をつけられた場合、報復は、熾烈を極める。なかでもL18の傭兵は、目的を達するに手段を選ばないことで有名である」
ルナの口はウサギ口になり、それから笑顔になった。
「うん!」
パタン! といい音をさせて本を閉じ、書棚にもどした。
「傭兵っていうのが、どんなのか、知りたいだけなんだけども」
これはむずかしすぎるし、怖すぎる。
ルナはウロウロ書棚を移動し、やがて、よく見る単行本仕様の本を見つけた。表紙はメガネをかけた老軍人のカラー写真入りで、「バブロスカ~我が革命の血潮~」とある。まだ新しい本だ。
「あれ? さっきペンギンさんが、新刊だっていってたやつかも」
それは書棚の一番上にあり、ルナでは手が届かなかった。近くに台も脚立もない。
ルナは背伸びをして、それから、ぴょんぴょんと飛び跳ねてみた――。
「どれが読みたいの?」
この階には、ルナ一人だけだったのに。
いつのまにか、もうひとり増えていた。話しかけられたルナは、目をそちらへやったが、腹か胸のあたりしか見えない。顔を上げると、ずいぶん高い位置に、その人の顔はあった。
「わあ」
なんとなく、世界中の優しいを、全部顔につめこんだらこんな顔になる、とルナは思った。
背はアズラエルより高いだろう。サラサラの黒髪――黒い瞳はルナと同じだ。しっかりめの眉の下には、まつげの長い、優しそうな目があって、優しい口元から出てくる声まで柔らかかった。
そして、なによりも――。
(イケメンです!!)
ルナは赤面した。初対面のアズラエルにもしなかった赤面を、いままさに、この男の前で披露しようとしていた。
「どの本が読みたいの」
彼は、もう一度、ルナがふにゃふにゃになるような笑顔と声で言った。
「あっ、あれ――あの、あれを――」
ルナは懸命に、一番上にある本を指さした。
「ああ、バブロスカの本」
彼がつぶやいたのは、反射的なものか、手元の携帯電話に呼びかけたのか。彼の言葉が終わるやいなや、書棚は動いた。
「え!?」
一番上の棚が、ルナの目の前の棚と入れ替わるように、下に降りてくる。彼は柔らかい笑みをたたえたまま言った。
「こういう仕様の図書館、はじめて?」
「あ、は、はい……」
「入ったら、アプリが携帯電話に出てくるでしょ。削除しちゃった?」
「え? う、ううん。そのまんまのはず……」
ルナが自分の携帯電話を探そうとするのを止め、彼は自分の携帯電話の画面を見せた。
「図書館を出ると、アプリは自動で消える。でも、借りた本のデータとかは残るから。この図書館では、アプリを出したままにしておいて、読みたい本の名前を言うと、自分がいる場所まで届けてくれるシステムになっているんだよ。本棚のまえにいると、いまみたいに、本が目の前までやってくる」
「う、うん」
「返却するときも、ペンギンさんに『返します』っていうと、もとの書棚まで返してくれる」
「あっ」
彼の音声を拾ったのか、緑色の電子光につつまれた本は、あっというまに書棚にもどってしまった。
「ごめん」
彼は苦笑して、ふたたび棚から本を取り出し、ルナの手に乗せようとした――だが。
本は青い色の電子光につつまれ、どこかへ行ってしまった。
「ふえっ!?」
ルナは叫び、彼はしまったという顔をした。
「書棚にもどったから、だれかに借りられちゃったんだな」
そういえば、ペンギンさんは新刊だと言っていた。借りたい人が、たくさんいるのだろうか。それにしても、一瞬のことだった。
「ごめんね」
彼は謝った。
「ううん。どうしても読みたい本だったわけじゃないから――」
向こうに並んでいるむずかしそうな辞典より、最近の単行本のほうが読みやすいかもしれないと思って、手に取った本だった。
「学生さん? 軍事惑星関連の論文でも?」
ルナは首を振って答えた。
「学生じゃないです。ただ――そのう。ちょっと、傭兵のことを調べたくて」
「傭兵?」
起動しっぱなしのアプリは、やはり反応した。
『傭兵についての本は、586冊あります。船内の図書館を含めると、846冊になります。専門書は、この図書館では、八階にそろっています』
「むずかしい本ばっかりなんだもの。カンタンなのはない?」
ルナの言葉に、ペンギンは言った。
『小児用の絵本があります』
「絵本かあ……」
ルナがため息をついていると、彼は苦笑した。
「傭兵のことなら、私が教えようか?」
「へっ?」
ルナはふたたび顔を上げた。優しい双眸が、ルナを見下ろしている。
「とはいっても、知ってることしか教えられないけど。私は一応、軍事惑星出身」
「ほんと!?」
ルナの見えないはずのウサ耳がビコーン! と立ち、彼はなぜか不思議そうな顔で、ルナの頭を見た。
「ほんと。私は傭兵じゃなく、軍事学校で狙撃兵コースにいたけどね」
ルナと視線を合わせるように、膝を曲げて手をつき、にっこり笑った。
「本が取られちゃったおわびに、お茶でもいかが。おごるよ」
「……!」
ルナのウサ耳が、感激のために跳ね上がり、ほっぺたは真っ赤になった。
セルゲイ・E・ウィルキンソンと名乗った彼は、軍事惑星出身者でも、今はL53の医者だった。
ルナは彼に連れられて、一階のカフェに向かった。さっき来たばかりのカフェで、ルナはまたチョコドリンクをご馳走になった。セルゲイはコーヒーを手に、窓際の席に座った。
外のクリスマス風の庭が、一面に見える席である。
「ケーキかドーナツは? ワッフルもあるよ」
「チョコでおなかいっぱいになっちゃうから、いいのです」
「そう? なんでも頼んでいいよ」
正直、セルゲイのそばにいるだけでおなかいっぱいのルナだった。
(ふわわ、はじめて男の人に声をかけられちゃった……)
しかも、メッチャ好みのイケメン。
ルナ単体で行動しているときに、男性に声をかけられたことなど一度もなかったのだ。
アズラエルをのぞいては。
(べつにアズとつきあってはいないけど……)
今日のこれは、本を逃してしまったお詫びだということだし、罪悪感は持たなくてもいいだろうとルナは思い直した。
アズと、つきあっては、いないし。
アズは、ただのボディガードだし。
「ルナちゃんは、L77の出身か……へえ」
傭兵のことなどすでにどうでもよくなっていたルナは、セルゲイの問いかけに答えるだけの、ずいぶんおとなしいウサギに変貌していた。
「ともだち四人で乗ったの。楽しそうだね」
ふたたび、イルミネーションよりきらびやかな笑顔がセルゲイから発射され――ルナは(まぶしい!)と叫びそうになった。
「学生かと思ったよ。いくつ?」
「20歳です!」
「20歳……」
セルゲイのほうが遠い目をし、「ルナちゃんは20歳、20歳かあ……」とつぶやいた。
「それは、リリザが楽しみだろうな」
「うん!」
セルゲイは、ルナの元気なお返事ににっこり微笑んだあと、「ところで、傭兵のことを知りたいんだっけ」と話題を変えた。
「え? ――あ、はい!」
すっかり忘れていたルナだった。そうだ、そもそも、傭兵のことを知りたくて本を探していて――。
「私で教えてあげられることだったらなんでも。でも――ひとつ聞いていい?」
「ぷ?」
「どうして、傭兵のことを知りたいの?」
ルナは詰まった。なんて説明していいものだろうか。
「ええと――」
チョコドリンクのカップのはじをかみかみしながら、ウサギは返事を考えた。
「あ、ごめん。言いづらいことならいいんだ」
セルゲイのほうが察して、質問を変えた。
「じゃあ、知りたいことは何だろう?」
「……」
ルナはウサ耳をぺったりと垂らしてセルゲイを見上げた。よく考えたら、何をどう質問していいかもわからないのだった。
「なるほど」
ウサギが言葉をなくしてしまったのを見て、セルゲイは少し考えるようにして。
「さっきの本は、もしかしたら八階だけじゃなくて、新刊コーナーにもあるかもしれないね?」
といった。
ルナのウサ耳がビーン! と立ち、「そのとおりだ!」と叫んだときだった。
携帯電話の着信音が鳴った。
「はい」
ルナではなかった。セルゲイの携帯だ。
「どこにいるって? ああ、中央区の図書館」
セルゲイは話しながら立った。
「え!?」
セルゲイの目が驚きに丸くなり、「どうしてそんな――うん、うん」急に焦りが混じった声色になった。
説明は、ずいぶん長いようだった。セルゲイは、ルナのことも気にしていたが、電話を切るタイミングが見つからないようで。
「分かった。いますぐもどる。そこにいて」
五分近くも話を聞いて、セルゲイは電話を切った。
「私といっしょに乗った友人が、ケガをしたみたいで」
「えっ!」
「病院に行かなきゃ」
もう一度、「ごめんね」と詫びてから、席を離れた。セルゲイはほとんど駆け足でカフェを出ていった。
(あれ?)
ルナは、目をこすった。
扉から出ていくセルゲイの姿が、なぜかパンダの後ろ姿に見えたのだ。




