115話 狙われた孤高のトラ Ⅰ 2
クラウドは、自分がつくった顔写真入りのZOOカードもどきを並べた。アズラエルは、ルナの日記帳をコピーしたものを広げた。
ルナ……「月を眺める子ウサギ」
アズ……「傭兵のライオン」
ミシェル……「ガラスで遊ぶ子ネコ」
クラウド……「真実をもたらすライオン」
リサ……「美容師の子ネコ」
ミシェル……「裏切られた探偵」
キラ……「エキセントリックな子ネコ」
ロイド……「裏切られた保育士」
グレン……「孤高のトラ」
セルゲイ……「パンダのお医者さん」
ルーイ……「泳ぐ大型犬」
カレン……「孤高のキリン」
??……「羽ばたきたい椋鳥」
エレナさん……「色町の黒いネコ」
ジュリさん……「色町の野良ネコ」
ナタリア、ブレア……「双子の姉妹」
ケヴィン、アルフレッド……「双子の兄弟」
アントニオ……「高僧のトラ」
アンジェリカさん……「ZOOの支配者」
サルーディーバさん……「迷える子羊」
黒いタカさんがいる。だれ?
ナタリア……「パティシエの子ネコ」
ブレア……「ぐるぐる回る子ネコ」
ケヴィン……「文豪のネコ」
アルフレッド……「図書館のネコ」
アズラエルが、不思議そうに尋ねる。
「グレンとサルーディーバ? いったいなんの関わりがある?」
「あるさ。サルーディーバは、ガルダ砂漠でグレンを助けた」
「だからって? それで終わりだ。それにアイツは終始ぶったおれたまんまで、サルーディーバの顔さえ分かってねえんじゃ、」
「さあ? そんなの分からないさ。見えていたかもしれない。アズの言うとおり、もしもサルーディーバが女なら」
クラウドは冗談めかして言った。
「グレンを挟んで、ルナちゃんと女の戦いを繰り広げることもあるかも?」
「ありえねえな」
「冗談だよ。サルーディーバってのは、生涯神に仕える神官として独身が原則だからね」
クラウドは笑って言ったが、しばしの沈黙の後、神妙に呟いた。
「……気になってることがあるんだ」
「なんだ」
「カサンドラが言っていた。カードには、ひとつひとつ意味がある。……ウサギって動物がつくカードは、『自分の身を犠牲にして、だれかを救う』カードなんだって」
「おい、冗談よせ」
背筋がひやりとし、アズラエルは唸った。
「冗談は言ってない」
「たかが占いだろ」
「そうだね。……たかが、占いだ」
クラウドは、深い思慮のさなかにいる眼差しで、今日何度となく飲んだコーヒーを見つめた。
「カサンドラが言っていた。ウサギのカードは、どれも間違いなく、悲劇的な死を迎える。……必ず」
「やめろ」
アズラエルが遮ると、クラウドはまっすぐな目で彼を見た。
「占いなんだろ? たかが」
「言っていいことと悪いことがあるだろうが! ルナに聞かせる気か、それを」
「ルナちゃんに言うはずないだろう、だから、アズに言ってるんだ」
クラウドの目は悲観してはいなかった。
「希望はあるんだ。カードは変わるんだそうだ。運命が変わるのと同様に。よく見て」
クラウドは、ルナの日記帳のコピーを指した。
「おかしな話だろ。ZOOカードなんだから、必ず動物の名がつくはずなのに、ミシェルとロイドのカードには、動物がついていない」
アズラエルが見ると、ほんとうにそうだった。
ミシェルは「裏切られた探偵」、ロイドは「裏切られた保育士」。
どこにも動物の名がない。
「ルナちゃんは、ナタリアちゃんたちのカードにも線を引いて、新しい名を書き足している。カサンドラも言っていた。人生の転機を乗り越えると、カードは変わることがあるんだって」
「……」
「動物がついたカードもそうだ。運命は変わる。それに、“ZOOの支配者”であり、ZOOカードの生みの親であるアンジェリカが、このことを知らないわけはない。だけど、アンジェリカは、ルナちゃんにウサギのカードの意味を告げていない。ルナちゃんは、知らない。自分のカードの意味を。アンジェリカはルナちゃんとは友人だ。まさか友人を、ウサギのカードだからといって、みすみす見殺しにするとは思えない。なにかきっと、理由があると思うんだ。俺は一度、彼女と話してみたいと思う。アズも行くだろう?」
「……ああ」
「ねえアズ。きっとなんとかできる。俺だって、ルナちゃんが死ぬのは見たくないし、ミシェルだって悲しむ。そんなのは嫌だ。だから、俺は、ルナちゃんのカードの意味を考えてみるよ」
「……」
「それに、カサンドラは、亡くなる寸前に、あるパスワードを俺に教えてくれた」
「パスワード?」
「ああ。……いったい何のパスかはしらない。だけど、この流れで行くと、このパスワードが、もしかしたらルナちゃんを助ける手掛かりになるかもしれない」
「それは……俺にも言えないか?」
「言っても、多分わからない。現段階で、俺も意味が分からないしさ」
「そうか……」
「アズ」
クラウドは、アズラエルを元気づけるように笑った。
「心配いらない。必ずルナちゃんのカードの意味を突き止めて、それからルナちゃんが……悪いことにならないように、考えてみる。なんてったって俺は、“真実をもたらすライオン”だからね」
アズラエルが、クラウドと一緒にK36区の自宅に帰ったのは、二十一時を過ぎたころだった。
ルナはミシェルと、テレビを見ながら大笑いしているところだった。
なんとなく、さっきまでの話が胃の腑に残って、ふたりともだまってルナとミシェルの後ろ姿を眺めていた。
クラウドが先に声をかけた。
「ただいま」
「あ、お帰りクラウド」
「びっくりした。いつ来たの。お帰りなさい。……あれ? アズ?」
「おう」
アズラエルはリビングに一瞬顔を出し、それから自分の部屋へ向かった。
「遅かったね。夕ご飯食べた?」
ミシェルがクラウドに聞くと、
「ずっとコーヒーばっか飲んでたんで胸やけがするよ。夕飯はいらない」
「そお? ルナがさ、サラダ作ってくれたよ。海鮮サラダ」
「ほんと? サラダなら食えそう。シャワーを浴びてから、それを肴に飲もうかな。ルナちゃん、ありがとう」
ずいぶん根を詰めた話だったのだろうか。クラウドの顔にもアズラエルの表情にも、疲れが見えていた。
クラウドは上着を脱ぐと、ソファに放り投げて、「シャワー浴びてくるね」と言って出て行った。
アズラエルが交代で顔を出す。冷蔵庫からビール缶を持ち出してきて、開けていた。
「ルゥ、運転頼んだぞ」
「まかせといてー!」
ルナは、大喜びで手を挙げた。アズラエルは、ルナに運転席を譲ったことはない。
「う~ん」
アズラエルは、部屋を見渡して、つぶやいた。
「……そろそろ、マジで引っ越し考えるか」
ソファにどっかりと腰を下ろし、ビールを呷る。
「なあ、ミシェル。おまえクラウドとここで暮らすか? 俺はルナとK27区で暮らそうと思うんだが。ここを引き払ってな」
「えっ」
ミシェルが、身を乗り出した。
「その話、もう決まっちゃったの? あたし、できればここじゃなくてK27区で暮らしたい。ここもけっこう広くていいけど、K27区にもどりたいかも。できればあのアパートに住みたい。レイチェルたちもいるし、リズンあるしマタドール・カフェ近いし」
ここ、周りに知り合いいなくてさみしいし、というと、
「なら、俺たちと一緒に部屋を借りるか? 今住んでるアパートの向かいに、もうひと棟あるだろ。あそこが、K27区じゃ一番広いらしい。今日、クラウドと一緒に間取りを見てきたら、ここより広かった。家賃は今住んでるアパートより少し高いが、ここよりは安い。どうだ?」
ルナは驚いた。そんな話は今日初めて聞いた。ルナは頬をリスみたいにぱんぱんにして、アズラエルに食ってかかった。
「なんであたしに教えてくれないの!!」
アズラエルは困った顔で言った。
「……間取り見てから言おうと思ってたんだよ。だから、今夜話すつもりだったんだ」
「アズのばか! 勝手に決めて!」
「いや、もちろんおまえの意見も聞くさ。こういう物件もあったから、どうだ? って話でだな、決定ってわけじゃあ……、」
拗ねたルナに、困り顔のアズラエルが、機嫌を取るように話しかけている。ミシェルは笑いたくなった。
意外と、ルナってば、アズラエルを尻に敷いてる……?
「……シャワー浴びたら、すこしすっきりしたかな」
烏の行水とはこのことだ。クラウドはあっという間にシャワーを浴びて出てきた。パジャマを着て、濡れ髪を拭きながら。
「クラウド、おまえはどうする。ここに住むか?」
クラウドは、ビールを飲みながら、ミシェルに聞いた。
「ミシェルはどうしたい?」
「……あたしはK27区のほうがいい、かな?」
「じゃあ、そうしよう」
あっさり、クラウドは言った。
「アズ、今日見に行った物件の話、したの?」
アズラエルは、ルナのご機嫌を伺いながら、「ああ」つぶやいた。
「あたし、そこでもいいよ」
ミシェルが言うと、クラウドは笑顔になった。
「じゃあ明日、四人で部屋を見に行こうか」
ルナは、頬を膨らませていたが、クラウドのその言葉に少し機嫌を直した。
「じゃあ、今住んでいる部屋は引き払わなきゃね。このK36区の部屋も」
「引き払わなきゃダメかな。リサたち、なんていうだろ?」
ルナが不安げに言うと、クラウドが「だいじょうぶだよ」と言った。
「リサちゃんは、なんだかんだ言って、今はミシェルとK37区で暮らしてるんだ。ロイドはキラちゃんと、あのおばあちゃんたちと――K06区だっけ? ――で暮らしてるんだし。彼らも承諾すると思うよ」
ミシェルとロイドは、入船時はK31区にいた。だが、K31区は宇宙船の中でもかなり北部に位置し、高速も通っていず、いろいろ不便だったため、すぐにK37区に引っ越した。アズラエルとラガーで出会ったころは、すでにK37区の住民だった。
「そうと決まれば話は早い」
アズラエルが立って、電話をしに行く。
どうしてこんなにL18の人間は行動が早いのだろう。ルナはまだ、いいともなんにも言ってないのに。
文句を言うすきがなくてぼけっと見ていたが、いつのまにかクラウドが、海鮮サラダをテーブルに持ってきて、ドレッシングを回しかけていた。いつのまに。なんて素早いのだろう。
ルナがのんびりすぎるということもあるが。
「うまい。ルナちゃん、最高」
エビとホタテに火を通し、海藻とレタスとタマネギを切って混ぜただけである。ガーリックフレークをすこし乗せている以外は、味はドレッシングだ。
「リサはいいって」
五分と経たないうちにアズラエルがもどってくる。
「ほんとに?」
あまりに話が早く片付きすぎるもので、ミシェルが疑わしげに聞いた。
「ああ。あとはキラだけか。――おい、うまそうなもん食ってンな。一口寄越せ」
アズラエルが、横からつまみ食いする。
「うまい」
「今日って、引越しの話してたの?」
ミシェルが聞くと、男二人は顔を見合わせ、「まあ、それもある」とあいまいな返事をした。
「俺が明日、キラちゃんに聞いてみるよ」
クラウドが、アズラエルにフォークを貸して言った。アズラエルが猛然と食べ始める。
「ちょ、アズ。少し残しといてよ!」
クラウドの抗議は正解だった。アズラエルが食べ始めたら、一気に半分に減っていた。
ルナたちは結局、K36区のアズラエルの部屋に泊まることになった。すでに時刻は、深夜を過ぎている。
「どうせ明日みんなで部屋見に行くんだから、寝てけばいいじゃん」
ミシェルが言ったので、ルナの運転に不安のあるアズラエルはすぐ承知した。ルナはまたぽかぽかアズラエルの腿あたりを叩いたが、アズラエルは痛いと言ってもくれなかった。いつものことである。
風呂に入り、ミシェルのパジャマを借りたルナは、アズラエルのベッドのうえで飛び跳ねた。
「やっぱおっきいね~~! アズのベッド!」
「あの部屋のベッドがどれだけ窮屈か分かるか?」
ベッドだけは買い直したが、やはりこのベッドより小さいのである。
「うん。でも、あの部屋にこのベッド入れたら、ベッドだけでいっぱいになっちゃうよ」
ルナは跳ねるのをやめ、アズラエルがクローゼットを開けて新しいジーンズを取り出しているすきに、ててっとそばへ寄った。
「アズはパジャマとかきないの」
いつもアズラエルは、寝るときもTシャツにジーンズのままか、上半身裸にジーンズだ。
「着ない」
シンプルに答えて、枕を整える。
「アズ、あのね、このあいだレイチェルと買い物行ったらね、ライオン柄のパジャマ見つけたよ」
「俺にそれを着ろってのか」
アズラエルがやっと顔を上げた。
「言うと思った。だから買ってないもん。それに、アズにはちっちゃかったし」
「俺にライオン柄のパジャマなんぞ勧めるのは、おまえくらいだ」
「意外とかわいいと思うんだけど……、」
「アズラエル~! お風呂開いたよ!」
「おう。今行く」
ミシェルが風呂から出てきて、アズラエルに声をかけた。アズラエルは新しいジーンズと下着とTシャツを持って、ベッドから起き上がった。
「寝てていいからな。ルゥ」
「うん」
「おやすみ」
なんだかんだいって、今日は疲れた。ナタリアたちを見送ったあとだし。
ルナは、すぐに目を閉じた。
……ルナがうとうとして、まもなくだ。
ピピピ、ピピピ、と電子音がする。ルナを抱きしめていたアズラエルの腕が外れた。いつのまにいたのだろう。ルナはすっかり寝入っていたらしい。
目覚まし時計の音だろうか、アズラエルが身を起こすのがルナにもわかった。
「アズ……なんか時計なってる」
「ああ、悪い。起こしたか」
それはアズラエルの腕時計からだった。アズラエルはすぐ止めたのだが、横にならず、そのままベッドを降りる。
「仕事だ。行ってくる」
そういって、立ち上がった。
「おしごとって、ムスタファさんのところ?」
深夜二時だ。こんな時間に、ボディガードに行かなきゃいけないのだろうか。
「いや、今日のは違う。いいから寝てろ。明日の朝話す」
「危なくないよね、アズ」
この宇宙船は安全な場所ではあるけれど、急にルナは心配になった。
「大丈夫だ」
ルナを安心させるように、アズラエルはもう一度言い、部屋を出て行った。しばらくして、玄関のドアが静かに開き、閉められる音がした。
ルナは毛布にくるまって横になったが、眠れなかった。




