115話 狙われた孤高のトラ Ⅰ 1
レイチェルたち四人は用があって帰ったが、ルナとリサとミシェルは、久しぶりにリズンでお茶をすることにした。
なんだか、このまま帰る気にはなれなかった。ルナは、ひとりでもお茶をするつもりだったが、ミシェルもリサも、リズンに行きたいと言った。
今日は、旅立ちにはいい日だったかもしれない。
すっきりと晴れ渡った春の空。
彼らが乗るのは、真っ黒な宇宙が景色の、宇宙船だけれど。
「なんか、さみしいね。ともだちが降りちゃうのって」
ミシェルが言った。リサも、
「そうだね。なんか、しんみりしちゃうなあ……」
と言って、ココアを啜った。
ルナもそうだった。また、見送ってしまった。
ケヴィンにつづいて、アンディ親子を見送ったのが、まるで昨日のことのようだ。
リサが、両手を上にあげて背伸びをした。
「この宇宙船の中って楽しすぎて、時間があっという間に過ぎちゃうよね。ていうか、この三人だけっていうのも久々じゃない?」
「そうかも」
「ここにキラがいれば完璧なんだけどさ」
ルナは思い出した。
「あっ! キラ!!」
「な、なによ。どした? ルナ」
キラは、どうしているだろう。結局バーベキューパーティーには来なかったし、電話もない。
「キラ、元気かなあ?」
ミシェルもリサも、顔を見合わせた。
「元気かって、ねえ……」
「うん……」
ふたりとも歯切れの悪い返事をするので、ルナは「なにかあったの?」と思わず聞いた。
「や、しらないよ。だって、キラ、最近遊びに誘っても『今日は行けない』って、そればっかりなんだもん」
ミシェルが困り顔で言った。リサも、
「メールもないじゃん。グループメールでしゃべっても、何も言ってこないし……。前ね、一回電話したんだけど、ほとんど話してないのに、『おばあちゃんたちと出かける時間だから』って、電話切られちゃって。なんか付き合い悪いって言うかさ、……ま、でも、あたしはあんまりキラにはよく思われてないから、しかたないけど」
「リサ、知ってたんだ」
ミシェルが驚いて言う。リサはあははと笑った。
「まあねー、あたしもここ来たばっかのとき、あんたらに彼氏とか押し付けすぎたもんね。あれは失敗した。ウザがられるのは仕方ないって思ったし」
リサはあっけらかんと笑う。キラに疎まれていたのも、承知の上だったらしい。
「でも、あたしはともかく、あんたらふたりとも会わないわけ? それはおかしいよね」
「バーベキューも来なかったしね」
ふたりは結局、来なかったのだ。ルナはずっと待っていたのだが。
「付き合い悪いのって、キラだけじゃなくてロイドもだよ。ミシェル……て、うちの彼氏の方ね、今ちょっといろいろあって忙しくしてるもんだから余計だけど、ロイドとぜんぜん会ってないって」
「……どうなってんの? あのふたり。結婚するんでしょ?」
「ラブラブなのはわかるけどさ、バーベキューパーティーとか、みんなが集まる席にくらい来たっていいじゃない、ねえ」
「そうだよね。年末の、レイチェルたちの結婚パーティーにも来なかったでしょ?」
ルナは、あのときも、ふたりが来ていなかったことを思い出した。
レイチェルたちが、キラとロイドだけ呼ばなかったということはないだろう。一回会っただけの、グレンとセルゲイまで招待したのだから。
リリザにいたときも、誘ったのに彼らは来なかった。ルナが最後にキラとロイドと会ったのは、結婚報告をしに、彼らが帰ってきたときだ。
いくら結婚の準備で忙しいからと言って、まったく会えなくなるほど忙しいのだろうか?
アズラエルは、たびたびロイドから電話をもらっていたようだったが、キラはぜんぜん電話を寄越さない。バーベキューパーティーの招待のために電話をしたのが最後で、そのときも、彼女にしてはずいぶん元気がなかった。
「じゃあ、あたしたちのほうから、会いに行ってみる? もしかしたら、マリッジ・ブルーかもしれないじゃん」
ミシェルが言った。
「そうだね。遊びに来てっていってたしね。行くか。あたし、来週の火曜日ならだいじょうぶ」
リサが、手帳代わりに使っている携帯電話を弄りながら、言った。
「おっけ。来週火曜ね。ルナはだいじょぶ?」
「うん!」
みんなで、キラの様子を見に行こう。
いったい、なにがあったのかは知らないが、どんなときでも元気いっぱいのキラが、元気がなかったのは気にかかる。
もしミシェルの言うとおりマリッジ・ブルーだったりするなら、ぱーっと気晴らしに女四人で遊びに行こう。お茶をしたり、買い物に行ったり。
船内のテーマパークとか、行ってもいいかもしれない。
キラはそういうのが、一番元気が出るって言っていたから。
二人でリサを見送ったあと、ミシェルが腕時計で時間をたしかめた。もう夕刻だ。
「今日、たぶん、クラウド、ルナんちにいると思うんだ」
「へ? そうなの?」
「うん。アズラエルに話あるとかって。長い話になるっていってた。だから、今日はうち来ない? もとはクラウドとアズラエルの部屋だけど。仕事の話みたいだから邪魔できないし。さっきメールしたら、まだ話終わってないって」
「そっかあ。じゃあ、ひさしぶりにふたりで夕ご飯だね!」
「……リクエストあるんだけど、いい?」
「いいよ。何食べたい?」
「鮭のクリームパスタ食べたい! あとこのあいだ食べた海鮮サラダと、」
「このあいだ?」
「このあいだっていったって、四人で暮らしてたころね……、」
ミシェルが、ふっと笑顔を消した。
「ねえ、ルナ、あれ」
「ん?」
ミシェルに突かれ、ルナは後ろを振り向いた。リズンの外のテーブルには、ルナたちのほかにも二、三組、客がいた。
その中に、イマリがいたのだ。しかも、たったひとりで。
ずっといたのだろうか。今まで気づかなかった。
「マジで、宇宙船に残ってたんだね」
ミシェルは、ジュースの氷をストローでつつきながら言った。
いつも一緒にいた仲間たちは、みんな宇宙船を降ろされたはずだ。イマリはひとりだった。ひとりで、ぼうっと遠くを眺めて座っている。なんだか、すごくやつれた顔だった。髪もぼさぼさで、目つきもどこか危なげに見える。
イマリのほうは、こちらに気づいていないようだ。
「ね、ルナ。……イマリもブレアも、なんで降ろされなかったんだろ」
ルナは、じっとイマリを見るのは悪い気がして、ミシェルのほうを向いた。
「……あたしは、ちゃんとしたことは分かんないけど、アンジェリカさんのZOOカードに、あのふたりのカードが現れたからなのかな」
「ああ! やっぱルナもそう思う? なんかそゆこと言ってたもんね。魂がカードに表れたらなんとか、」
「うん」
「さっきのナタリアの伝言もそんな感じじゃなかった? イマリのカードがどうだとか」
「そうだね……。なんだかへんな感じ。あたし、ZOOカードの占いなんかできっこないのに」
アンジェリカは、ルナが奇妙な夢を見ることは知っている。椿の宿でも散々見た。アンジェリカは、ルナの夢に二人が出てくると思って、あんな伝言を寄越したのだろうか。
でも、あの夢は、ルナが見ようと思って見られる夢ではない。
それに、さっきの伝言は、意味の分かる部分と分からない部分が半々だ。遊園地の夢はよく見るから、もしかしたらまた見るかもしれないが。
ウサギ・コンペってなんだろう?
「あのさ」
ミシェルが言った。
「アンジェリカさんがさ、あたしのカードの意味、――“ガラスで遊ぶ子ネコ”っていうんだけど、その意味は、ルナと考えなっていったの」
ルナはびっくりして、ぴょこんと顔を上げる。
「ええ? あたしわかんないよ」
「うん。でも、考えてよ一緒に。あたしもルナのカードの意味一緒に考えるからさ。ルナのカードはなんていうの? 聞いてるんでしょ?」
「あ、あたしのカードはね、“月を眺める子ウサギ”」
「ウサギね~。ルナらしいっていうか。やっぱウサギだよルナは」
「そりゃウサギは好きだけど」
「……あ。イマリが帰る」
ミシェルが言うので、ルナもまた思わず振り返ってしまう。イマリは、ルナたちには気づかず、のろのろと立ち上がり、まるで幽霊のように力のない足取りで、去って行った。
ミシェルは、「……なんかあの様子じゃ、宇宙船に残してもらっても、自分で降りちゃうかもしんないね」と言った。
ルナも、そうかもしれないとなんとなく思ったが、ただその姿を見送った。
イマリにも、ブレアにも、いい思いはない。相手だってそうだろうと思う。だから、声をかけたくもなかったけれど、あんなに消沈しているのを見ると、ちょっぴり気の毒には思う。
だがルナは、すこしイマリのカードには興味がわいていた。
ルナが知っている仲間のカードはネコ科が多い。ミシェルもリサもキラもネコ。エレナやジュリもだ。
ルナだけはなぜかウサギ。周りがみんなネコばかりなのに、ルナはウサギ。ウサギはルナ以外いないのだろうか。夢の中で黒ウサギを見たことがあるが、だれか分からない。
アンジェリカの伝言によると、イマリのカードもウサギらしいのだ。
反抗的なウサギ、というのが彼女らしい気もするが、ルナとしては、身近に現れた、はじめてのウサギ仲間なのだ。
仲良くなれそうな気はしないが、ルナは、なんとなく、イマリのカードのウサギを、知りたいと思った。
さて、そのころ。アズラエルとクラウドは。
ふたりは、もう十五杯目を数えるコーヒーを飲み干しつつ、カサンドラの「予言」について話をしていたのだった。
互いに知っている情報はバラバラだ。そのバラバラな情報を、ここでぜんぶまとめようと提案したのはアズラエルのほうだった。なにしろ、それらの予言はルナに関わるものだからだ。
最近、ルナの周辺には厄介ごとが多い。一度まとめてみようといったアズラエルに、クラウドは、否とは言わなかった。
彼は、朝からノートパソコンを持ってこの部屋を訪れ、自分でまとめた今までの経緯を開示した。
あっという間に時間は過ぎた。
「アズ、ここでいったん総括しよう」
クラウドが手を挙げた。
「総括! 総括! 総括!」
アズラエルは煮詰まった顔で悲鳴らしき悪態を吐いた。
「さっきから何回、それをやった!?」
「俺は別に、総括しなくてもいい。混乱してるのはアズだろ」
クラウドは新たにコーヒーを淹れようとしてやめた――気を利かせようとしたちこたんも、制止した。
「ダメだ! 最初が分からなくなった!!」
「落ち着きなよアズ。整理が難しいのは分かる。えーっと……要はさ、アズ。ルナちゃんになにかあったときのために、最大限の用意をしておきたい、そういうことなんだろ」
「そうだ」
「なぜか、ルナちゃんはL03の予言に関わっている。バグムントの話によると、ルナちゃんとミシェルの担当役員はカザマさん。彼女は特別派遣役員で、じつのとこ、ルナちゃんとミシェルは、極秘中の極秘、VIP船客だったと」
「そうだ」
「で、ルナちゃんは、L03の高等予言師の予言に記された人物、であるかもしれないと。それはまた、ミシェルにも当てはまるかもしれない」
「そ・う・だ」
朝から、何度となく続けてきた話に、アズラエルは痛むこめかみを押さえながら相槌をうった。
「アントニオも怪しい人物のひとりだと――いうわけで。そうだな。まず、整理しよう」
「おまえ、今日何回整理した!?」
「だから、俺は整理できてるけど、アズのためにやってるの。こんがらがってるのはアズでしょ」
クラウドが言うと、アズラエルは髪をかきむしって唸った。
「まずは、ZOOカードと、それを生み出したアンジェリカという人物のこと」
「……そこはいいだろ」
「アズはだまって聞く。……いいかい? 俺が調べたところによると、サルディオーネというのは、L03の占い師の中で、特に、新しい占いを生み出したものが授かる称号だそうだ」
クラウドはネットの画面を、アズラエルのほうへ向けた。
「ZOOカードを生み出したのはこの子、アンジェリカ・D・エルバ。時期サルーディーバの血縁関係で、妹らしい」
「ああ。俺は、もしかしたらガルダ砂漠でコイツを見たことがあるかもな」
「かもね。このあいだ、バーベキューに来てたコだ。アズは話した?」
「いや……。グレンとなにか話してたのは見たがな」
「俺もだ。聞きたいことはあったが、あの場で話せる内容じゃなかった」
そして、カサンドラの予言――。
カサンドラは、ルナである「月を眺める子ウサギ」と、サルーディーバを会わせてはならないと言った。彼らを会わせれば、L系惑星群に大規模な戦争が起こると。
「だけど、ルナちゃんとサルーディーバは、すでに会ってしまった……」
クラウドは、新聞の切り抜きをスクラップしたファイルを持ち出した。これもさっき、アズラエルはすべて目を通した。
「アズも知ってるだろうけど、最近、L4系での戦争が激化してきてる。L18の対応がまったく追いついていない」
「ああ」
「急にこういった記事が目立つようになってきたのは、ルナちゃんがK05区、つまり真砂名神社に行った時期と一致する」
「なあクラウド」アズラエルは放り投げた。「ぜんぶ偶然てことは」
「これが偶然なら、俺たちの話していることはすべて無駄だ」
アズラエルは降参、というように手を挙げた。
「悪かった。つづけてくれ」
「ルナちゃんは、K05区で、サルーディーバだけでなく、アンジェリカとアントニオにも会った。でも、ルナちゃんのカード、“月を眺める子ウサギ”を、サルディオーネ――つまり、アンジェリカは知っていながら、カサンドラと同じことは、ルナちゃんには言わなかった。ということは、その時点で、アンジェリカはその予言を知らなかったということになる。アンジェリカがその予言を知ったのは、カサンドラが亡くなってからだ。その予言の内容を書いた彼女の手紙を、ヴィアンカから渡されて」
「ああ」
「サルーディーバがこの宇宙船に乗ったのは、ルナちゃんが自分を助けてくれると予言を受けたからだそうだね。サルーディーバは、ルナちゃんに会いたくてこの宇宙船に乗った。だのに、カサンドラの予言では、二人が出会えば世界の破滅――まあおおげさに言えば――になるっていう。この二つの予言は別物なのか、それとも関わりがあるのか――分からないところだ」
「頭がパンクしそうだぜ……」
アズラエルは、イライラしてふたたびコーヒーを飲んだ。十六杯目。
「だけど、ルナちゃんとサルーディーバの関わりだけじゃない。カサンドラの言葉によると、そこにおそらく、“孤高のトラ”のカードを持つ人物が関わってくる」
「孤高のトラ? ――ちょっと待てよ。見たぞそれ」
「グレンだよ、グレン」
「ああ、グレンか」




