14話 再会 Ⅱ 1
その日、ルナは図書館にいた。
K27区内にある小さな図書館ではなく、中央区の南隣、K14区にある、船内最大の図書館だ。
K14区は、カルチャースクールや専門学校など、「学び」をテーマに構成された区画――カフェやイベントホールも併設された広大な図書館は、学生や、子ども連れの女性たちであふれていた。
ルナは朝からひとり、ウサギのジニーのショルダーバッグをたずさえて、図書館に出かけた。アズラエルはいない。彼はボディガードの仕事で、石油王の屋敷だ。
(すごくおっきなところです!)
宇宙船に乗ったときから、一度は行ってみたい場所のひとつだった。
夏には芝生と青々と茂った木々、季節の花々に彩られていた広い敷地は、すでに冬支度が始まっている。
すっかりクリスマスだ――あちこちに、サンタやトナカイのマスコットが置いてあり、夜になれば光り輝くはずのイルミネーションが、枯れた木々を着飾っていた。
「ミシェルがいないのはさみしいけど、しかたないよね」
ルームシェアのみんなが帰ってこなくなって二週間。
アズラエルが隣の部屋に暮らすようになって、一週間がたっていた。
オシャレなカフェで、大好きなチョコドリンクに無料のオレンジピールとミルク、シナモンを注ぎ足しながら、ルナは「べつに、悪くない」とつぶやいた。
「悪くは、ない……」
そうだった。悪くはなかった。アズラエルが隣で暮らし始めたことで、何かが極端に変わったわけではなかった。ミシェルの存在がアズラエルに入れ替わったくらいのことで、ルナの日常は特に変化はなかった。
「ふつうだね」
朝起きて、いっしょにごはんを食べ、いっしょにでかけることもあれば、アズラエルはボディガードの仕事に行くか、ジムに行く。K36区のヘインズ・クラブというレストランで、ウェイターをすることもあった。
ルナがレイチェルたちとお茶をするのを邪魔するわけでもなく――最初は、ボディガードだといってついてこられたらどうしようかと思ったときもあったが、べつについてこなかった――気づけば部屋で本や新聞を読んでいるか、筋トレをしているし――それから、ふたりで夕食。
アズラエルがつくったり、ルナがつくったり、ふたりでつくったり――部屋は別々だし、アズラエルは夕食のあと、いっしょにすごして就寝することもあれば、ラガーという行きつけのバーに行ったりする。
ラガーは区画的に危ない場所にあるし、ヘインズ・クラブはドレスコードがあるらしく、「行きたいなら今度連れていく」と言ってはもらったが、ドレスかスーツ姿でないといけない場所だ。
ふたりでマタドール・カフェにも行ったし、K35区のレストランにも連れていってもらった。
「うん」
今日はボディガードの仕事の日だったが、ルナの船内周遊計画のことを話すと、「おもしろそうだな」と言い、今度、K07区の高原に連れて行ってくれる約束もしたのだ。
(平穏無事です)
番犬とウサギのおだやかな暮らしが営まれていた。いや、アズラエルは番犬というより、犬どころか、もっと凶暴で怖そうな動物に見えるわけだが。
(ライオンとか?)
ルナは宙を見てアホ面をし、ひとりで納得して、チョコドリンクをズズズと啜った。
(ライオンとウサギのていねいな暮らし)
絵本のタイトルにでもなりそうだった。
(毎日が、平和です)
ルナは、ウサ耳をぴこぴこさせた。
サイファーや、イマリとかいうヤンキーたちに脅されることはもうないし――彼らは降ろされたのだろうか? ルナは分からない。すくなくとも、K27区で彼らの姿を見ることはない。
アズラエルが怖くて、ルナに近づいてこないというのもじゅうぶんあり得た。
ルナが、アズラエルに感じていた怖さも、すっかり薄れていた。アズラエルの体格の大きさも、あまり脅威にはならなかった。ルナはとりあえず、大柄な男性が苦手なわけではない。父親がずいぶん大きい方だからだ。
アズラエルは、醸し出す雰囲気が怖かったのだが、いっしょに過ごし始めた今となっては、それもあまり気にならなくなってきた。
むしろ。
(すごく、気をつかってもらっている方だと思う……)
部屋は狭いし、好きな食べ物はぜんぜんちがうし、生活のペースもまったくちがう。
共通する趣味があるとすれば、読書、といったところだろうか。
アズラエルはよく本を読む。ルナの部屋にある本を、「これ読んでいいか?」と聞いては片っ端から借りて読んでいる。
意外も意外だが、アズラエルは幼いころから読書家らしい。
しかし、それ以外の共通項は、ほぼ、ない。
なのに、アズラエルは一向にルナとの共同生活――借りている部屋は別々だが――を解消しようとはしなかった。
それに、誤解も解こうとはしなかった。
周囲に恋人同士と思われているのに、実際はまったくちがったとしてもだ。
もちろんリサとキラは、アズラエルとルナがつきあっているのだと思いこんでいるし、隣人のレイチェルたちにも、恋人同士と思われている。
アズラエルは特に否定することはなかったが、べつに恋人同士らしきことは一切ない。
ただのライオンとウサギのスローライフである。
でも、この距離感が、互いに居心地がいいことはたしかなのだ。
「……今日の夕ご飯は、アズがおいしいっていった、生姜焼きにしよう」
ルナはカップをリサイクル・ボックスに捨て、図書館のほうにぽてぽて、歩いて行った。
「ふわー……っ」
ルナが住んでいたL77の図書館とは、比べ物にならない規模だった。館内は縦にも横にもどこまでも広く、星の数ほどの書棚で埋められていた。
静謐な空間に流れる、時折鳥の声が混じる密やかな音楽。
乗船証明パスカードをかざし、館内の電子ゲートをくぐると、ルナの携帯電話にアプリが浮かび上がった。自動で入る仕組みになっているらしい。
『ようこそ! サンダリオ図書館へ!』
ベレー帽をかぶったペンギンが、両手を広げてあいさつした。
『どんな本をお求めですか』
ペンギンのまわりには、最近発売された新刊や、人気の本、マンガや雑誌の新刊案内がずらりと並んだ。
「とりあえず、一番大きな動物図鑑はどこですか?」
ルナは大きなテーブルを独占して、五十センチ四方もありそうな、分厚い動物図鑑を開いていた。
もちろん図鑑のアプリもあるし、電子媒体の図鑑も図書館にはある――この図書館では、ZOOセクト、という、丸ごと動物図鑑でできている部屋があるのだが――ルナは知らなかった。
ルナは本が好きだった。そして、ルナがさがしたいのは、今朝の夢で見た、不思議なくらい耳の長いウサギの正体だった。
索引からウサギを探し、写真が並ぶページを一枚一枚、めくっていく。
やがて、ルナが夢で見た不思議なウサギの姿が目にとまった。
「パルキオンミミナガウサギ!!」
ルナは思わず叫び、あわてて口を押さえた。しかしこの図書館は広すぎて、周囲にはだれもいなかったので、ルナの叫びをとがめる人間はいなかった。
ルナはあらためて、写真に見入った。
図鑑のウサギは真っ白で、耳が、鳥の羽みたいに鋭く長く、体長の二倍はあるのだ。
「形はおんなじだけども、夢で見たのはピンク色でした……」
時速百キロで走る、たいそうな脚力を持つパルキオンミミナガウサギ。ルナが夢で見たものとそっくりだ。
夢の主人公は、「怪盗ルシヤ」だったが、映像は、このウサギをピンク色にしたものだった。
「パルキオンミミナガウサギL23(ラグバダ名:マリタニトゥ・アラ)のパルキオン地区で発見された、ウサギ科ウサギ目の生物。地球から移住したユキウサギとL23にもとから生存していたマリタニ・ネズミとの交配説も」
ルナは解説を読み上げた。そして、ネズミのページを開いた。マリタニ・ネズミは、たしかに鳥の羽のような耳を持っている。
「地球から移住した、ユキウサギとの交配……」
L23からL29ナンバーは警察星群に当たる。
L23は未開の星で、新生惑星を研究する科学者たちの研究所となっている、ほとんど火山地帯ばかりの――一部には、ウサギが生息できるような土地があるということだろうか。
ルナはパルキオンミミナガウサギなんて生物は、知らなかった。名前も聞いたことがない。今日、夢で見るまで、そんなウサギが存在することも知らなかった。
「あの夢は、なんなんだろ」
ルナは椅子の上で脱力した。
「……ルシヤが生まれたのは、警察星で、死んだのは、L42のスラム……」
ルシヤは、ルナも知っている実在の人物である。
何百年くらいまえだろう。警察星の人物で、盗賊ルシヤ、スパイ・ルシヤとも言われて、歴史に残っている。
彼女はサバットの達人で、悪い悪党たちから宝石や宝物を奪い、華麗に消える、かっこいい盗賊だ。脚色された彼女の物語は、アニメや映画、マンガにもなっている。
サバットというのは、格闘技の一種で、地球時代、中世フランスが発祥のキックボクシングである。
こちらは、図書館に来る前に、ネットで調べた。
ルシヤの足技は華麗で強く、その動きは舞にも似て、美しいという話だ。
活動時期はたったの二年ほどだというのに、彼女は有名だった。ルナも昔、アニメで見て知っているくらい。
(ルシヤは、L23生まれとか?)
しかし、L23という惑星は、現在人類が移住した形跡はない。研究者が出入りしてはいるが。
ルナは、コクリと息をのんだ。
まるで、自分のことのように、まだ背中に痛みが残っている気がする。腹部をうしろから撃たれて、まっさかさまにビルの屋上から落ちるところだった。どうやって敵をまいたのか、どうやって階段を降りて小路に入ったのか、覚えていない。
(アズ)
雨が染みて、冷たくなっていく身体。抜け落ちていく生命力と赤い血。
もう動けなくなったルナのまえに現れたのは、アズラエルだった。
(“アズ”が撃ったんじゃ、なかったんだ……)
最初の一発も、アズラエルだと思っていた。逃げようとしたのがバレて、撃たれたのだと。
だが、撃ったのは、孔雀の雇ったスナイパーで、もと夫のピューマ。
アズラエルではなかった。アズラエルは、苦しんでいるルシヤを見かねて、とどめを刺したのだ。
持っていた銃で、心臓を、一発。
(どのみちあたしは、助からなかった)
ルナは、なぜか静かにそう思い、パルキオンミミナガウサギの写真を見つめた。
(“ルシヤ”を撃ったのは、“ピューマ”)
それは、アニメでは出てこなかったくだりだ。ルシヤのもと夫の存在なんて、歴史にも残っていない。
ルシヤという盗賊がいたのは事実だが、あまりに謎が多いため、ほとんど脚色化されて物語になっているのだ。
ルナがアニメで見たのは、娘の難病を治すために盗賊になったルシヤの伝説だ。黒幕がマフィアのボスで、最後は、マフィアのボスも倒して、娘たちと三人、しあわせに暮らすラスト。もちろん、下の子の病気も治る。
(あれが、ルシヤの“ほんとうの物語”?)
ルナが夢で見た物語が、ルシヤのほんとうの人生だったのだろうか。
(新しい動物が出てきた。ベージュのウサギ二羽と、ピューマに孔雀、グリズリー……)
ルナは日記帳に書いたメモを見返した。
ライオンとパンダと銀色のトラは、このあいだも出てきた。今回、キリンは出てこなかった。
こっそりと立ったルナは、サバットの真似事をしてみようと思い、思い切り足を振り上げた――。
「いだ!!!!!」
ごっちんと、脛をテーブルの下にぶつけ、悶絶しただけだった。
(あたしがルシヤなんて大ウソだ)
ルナは、足の痛みが治まるまで、口をとがらせ、ウサ耳をすっかりヘタレさせてぶつくさ言っていた。
やがて、動物図鑑を閉じて立った。




