110話 遠い記憶の宴 Ⅲ 3
アンジェリカはさらに、ずい、と前へ進み出た。メリッサとSPが制止したが、彼女はかまわず、イマリたちの前まで来ると、言った。
「おろかな、――ことだ。あなたがたは、ZOOカードにすら、その魂魄が表れぬ。なにかに苦しみ惑うでもなく、あがくわけでもなく、かといって、日々を心豊かに過ごしているわけでもない。あんたがたには、なにひとつ象徴するものがない。だからZOOカードも、あんたがたが見えんと言っている」
「な――なにこのひと。意味わかんない」
イマリが言った。
男が「ぶっ殺すぞ!」とわめいたが、SPのひとりが腹を殴った。男は気絶して動かなくなった。
おまけに、全員に向かって銃が突きつけられた――そこでようやく、彼らは自分たちの置かれた立場に気付いたようだった。
女も男も、十人組の全員が急におとなしくなった。
「これはご忠告ですぞ」
アンジェリカが告げた。
「ZOOカードにその魂魄があらわれぬということは、生きていても死んでいるのと同じこと。この宇宙船に乗るという――大きなチャンスが現れたというに、あなたがたはそれをまったく無にして、今、不本意ながらも宇宙船を降ろされようとなさっている。あなたがたは、今降りれば、二度とこの宇宙船に乗ることは叶いますまい。資格を永久剥奪されようがされなかろうが、もう一度この宇宙船に乗るだけの運は、あなたがたにはない。チケットを買うだけの資産を、これから先持てる可能性もない。
――宇宙船を降りるまでに一週間の猶予を与えよう。あんたがたの魂魄がZOOカードに現れたならば、私がすべてをおさめて、降船処分をとりなそう。だが、現れなければ、あんたがたは宇宙船を降ろされる。――そのあいだ、よくお考えなさることだ」
言葉を失ったイマリの横で、顔を火傷した女が泣きはじめた。
「泣かずともよい。あんたの火傷はちゃんと治療すれば跡は残らん」
アンジェリカは、そのまま、泣いているブレアのところへ行った。
「――いつまで、ぐるぐる回っていなさるおつもりか」
ブレアは、泣きながらアンジェリカを睨みつけた。
「あんたは、まるで遊園地のコーヒーカップに乗って、ぐるぐると回っておるネコだ」
それを聞いて、ルナははっとした。
いつか、遊園地の夢を見たとき、たしかコーヒーカップに乗ってぐるぐる回りながら、ルナや周りを威嚇しているネコがいた。そのネコを離れたところから見ているカップルのネコ。
ルナは、その意味が分かって、驚いた。
まさか、――ナタリアたちのことだったとは。
カップに乗っていたネコがおそらくブレアで、見ていたネコたちがナタリアとアルフレッド?
「なに言ってんのよ。意味わかんない。わけわかんない」
ブレアがぐずりながら吐き捨てたが、アンジェリカは続けた。
「意味が分からんと。それをこまかに説明してやるほど私は親切ではない。だが、おまえさんは、これ以上回り続けたままではすべてを失う。家族も、恋人すらも生涯できん」
「ナターシャがいるからいいわ!」
「おまえさんはもう、彼女をも失っておられる」
ブレアは絶句して、ナタリアを見た。ナタリアは目を反らした。ブレアはそれを見てまたわめいた。
「あんた! あたしからナターシャを取り上げるのね! 許さない! 許さないから!」
「そう思うなら、勝手にそう思うがよろしい。……分からぬか。ぐるぐる回り続けるということは、自分の周囲から、すべてを弾き飛ばしているということだ。コーヒーカップに乗ったあんたには、だれも近づけない」
ブレアは、目を見張った。
「あんたは近づけるのか? 全力で回転しているコーヒーカップに。そんなものに、だれも近づく者などいない。弾き飛ばされるだけだ」
アンジェリカは背を向けた。
「だれもナタリアを取り上げたりなどしていない。ナタリアを、自分のそばから弾き飛ばしたのは、おまえさんだ」
それだけ言って、アンジェリカは小さな手を挙げた。それがおしまい、の合図だ。
今度は、だれも騒ぐものはいなかった。イマリたちもブレアも、銃を突きつけられたまま、青ざめた顔でSPに連行され、役員とともにタクシーに押し込まれていく。
ナタリアは、「あたしの妹のことだから」とタクシーのほうへ向かいかけたが、アンジェリカに止められた。
「“パティシエのネコ”どの」
「――え?」
「あんたは、もう二度と妹さんを追ってはならぬ。心配してはならぬ。コーヒーカップを眺めてはならぬ」
ナタリアは、困ったようにタクシーとアンジェリカを交互に見、やがて、タクシーが公園を離れていくのを見て、悲しげにたたずんだ。
「これもご縁ですからひとつだけ」
アンジェリカはナタリアの手を取って言った。
「……あんたも近々、宇宙船を降りねばならぬ」
「――え?」
寄ってきたアルフレッドが、それを聞いて固まった。
「あんたもまた、ここまでだ。今世では、もうこの宇宙船に乗ることはない。あんたが二度、宇宙船に乗れたことは、まさに奇跡だった。それをご承知なさい。宇宙船を降りたのちも決して、妹さんと連絡を取ってはなりません。……、そこの、“図書館のネコ”どの」
「え? ぼ、ぼく!?」
「そう。あんたは、もう少しこの宇宙船に乗っていれるだけの運はあるが、このパティシエのネコどのと添い遂げる気持ちがあるならば、彼女と一緒に降りた方がよいと思う。……これはあくまで私のアドバイスだ。そうしなければならんということではない」
「え、えーと、う~ん……、」
添い遂げる、という言葉に顔を真っ赤にして、アルフレッドは返事を濁した。
「“文豪のネコ”が、あんたの支えを必要としている」
それを言われて、アルフレッドは目を丸くした。
「文豪って……、それケヴィンのこと!? ケヴィン小説家になれるの!?」
「あんたの支え次第だ。……あんたには意味が分かるだろう? 彼はあんたの支えを必要としている」
アルフレッドは、今度は真剣にこくこくとうなずいた。
「よろしいか。パティシエのネコどのとともに、宇宙船を降りたら、まっすぐ文豪のネコどののところへ向かうのがよろしい。決して、パティシエのネコどのは、ご実家に連絡をなさっても、居場所は教えないように。妹さんに知らせてはならぬ。……必ず打ち解けられるときが来る。この宇宙船でなくても、L5系であれば、あなたの眠りたる才能も開くでしょう」
ナタリアは、複雑な顔でアンジェリカを見つめた。アルフレッドも、「どうしてケヴィンがL5系にいることを知ってるの!?」と驚いた。
「おいしいお菓子を、つくってください」
「……はい」
「それから」
アンジェリカは、微笑んでいった。
「あんたがこの宇宙船に乗ったのは、ルナと出会うため。ルナとの縁を大切に。文豪のネコどのを、図書館のネコどのとともにお支えください。やがて、文豪のネコどのが、ルナの助けになるときがくるでしょう」
「はい……!」
ナタリアは、今度は複雑な顔でなく、はっきりと笑顔でうなずいた。
「あんたらふたりの子どもが、やがてこの宇宙船に乗ってルナの世話になるときが……、」
「アンジェリカ様、サービスのしすぎです」
メリッサが、厳しい声で制した。そしてアルフレッドとナタリアに向かって言った。
「この方は、L55の政府高官や、この宇宙船を運営しているE.S.Cの株主の方の専属占術師ですよ? 本来なら何億と積んでも占ってもらえない方が多く、第一、このようなところにおられる方ではないのです。そもそもZOOカードというものは、星の運行や、重要な政治の流れなど、広範囲のものを占う占術で、ちっぽけな個人の人生など占うものでは……、」
「メリッサ。メリッサ、もういいから」
縮んでしまったナタリアとアルフレッドを見て、アンジェリカがあわてた。自分でもいいすぎたと思ったらしい。アンジェリカの悪いクセだった。
「アンジェ! やっぱ来たね」
「……あんたのせいでね」
アンジェリカが、じっとりとアントニオを睨む。
「これは、アントニオさま」
メリッサが深々と礼をし、今度はアントニオをあわてさせた。この、SPを引き連れた怖そうでえらそうな役員が、深々と礼をするアントニオは、いったい何様なのか。リズンの店長ではないのか。アルフレッドもナタリアも、困惑して見つめるだけだった。
「いや、あいさつは簡単でいいからさ。……ふたりともバーベキューに来たんだろ? いろいろあったけど、気を取り直してもう一度始めようや!」
アントニオの一声に、アンジェリカが、ごそごそと懐からハートのカードを取り出して、ルナに向かって手渡した。
それを見て、役員たちは、あのチャンでさえも、驚いた。
アンジェリカを招待したのは、ルナだったのか。
「ルナ。あらためて、招待ありがとう。ともだち連れてきてもいいって言ったから、メリッサを連れてきたよ」
「ともだちだなんて畏れ多い。わたしはサルーディーバ様とアンジェリカ様の担当役員で、メリッサと申します。このたびは、お招き有り難く」
「あ、ど、どうも! いらっしゃいませ!」
メリッサは、ルナにも深々と礼をするので、ルナも頭が地面に着くくらい、深々と頭を下げた。謙虚な人ではあるらしい。だが、さっきの厳しい声は、まだルナの耳にも残っている。
とっても、怖かった。
「メリッサはこのとおり融通きかないの。でも、あたしのストッパーだからさ、」
「アンジェリカ様。わたしは、株主様方に事情をご説明してまいります」
「うん。もう帰っていいって言って――あ」
丘の上では、リムジンが動き始めていた。もめごとが済んだのを見計らって、出発したようだった。
「……出発してしまいましたね。では、お電話で、ララ様にだけでもご報告を」
メリッサは、少し離れたところで、携帯で電話をかけ始めた。
「ウーサちゃん!」
「うひゃ!!」
ルナは、ラガーの店長に担ぎ上げられ、肩の上に乗せられた。まごうことなき肩車だ。ほぼ二メートルの彼に肩車をされると、地面があまりにも遠い。恐ろしく遠くが見渡せる。小高い丘の上にあるリズンの全体が見えて、ルナは歓声を上げた。
「すごい! たかい! リズンが見える!!」
「よぉくがんばったな~、うさこちゃん。おじさん、ハラハラしちゃったぜえ」
「おまえのツラでビビらねえんだから、あんなガキどもなんて怖くねえだろうよ」
バーガスのツッコミに、みんなが笑った。
「あんたら、ひょろい見かけのわりにやるじゃないか!」
レオナとエレナに賛辞されたナタリアも顔を赤らめ――彼女は、まだ興奮が抜けきっていなかったせいもあった。
なにしろ、ブレアに向かって、――いや、他人に向かってあんな大声をあげたのは、生まれて初めてのことだったから。普段は、普通の話し声が店内のおだやかなBGMにかき消される彼女の、一生に一度の大声だった。
レディ・ミシェルに、「かっこよかったよ!」と言われて、アルフレッドは言葉も失うほど感激していた。すっかり舞い上がってしまった。
ルナは、続けてセルゲイに肩車され、最終的にアズラエルに引き渡された。さっきまで失神していたアズラエルは、やっと目覚めた。気絶している間にすべてが終わっていた。いつぞやのグレンと同じパターンだ。
アズラエルに肩車されてもまだリズンが見える。ルナは楽しそうに、見えないウサ耳をぴこぴこさせ、クラウドに「――カオス」と呟かせた。
「ただいま~~!」
デレクが老マスターを背負って、走ってきた。いなくなっていたのは、病院にマスターを迎えに行っていたからか。
「あそこにリムジンが停まってたけど、なに? なにかあったの?」
「おまえらがいねえあいだに大事件がだな」
「大事件ってなんだい?」
老マスターが、ラガーの店長に聞く。
男たちは、イマリたちが蹴倒していったテーブルやコンロを元にもどして、みんなが待っている方へ運び直した。グレンは、受付のテーブルとイス、名簿やらを片付けてくれていた。メリッサが連絡を終えて、もどってくる。
メンバーは、これでそろったようだった。
みんなにビールやジュースが行きわたり、椅子が足りなかったので、ルナはアズラエルの膝上に乗せられたまま。
「さ、みんな、仕切り直しだ」
アントニオのひとこえで、「かんぱーい!」と口々に歓声が上がり、缶やコップが鳴った。




