110話 遠い記憶の宴 Ⅲ 2
「いいかげんにして!! ブレア!!」
ナタリアは怒鳴った。涙目で怒鳴った。
「あんたがいくらわめいても、あたしはもうあんたのわがままは聞かないからね! 言うなりにもならない!!」
ブレアが奇声を上げて、カレーの入った皿を、ナタリアに投げつけた。アルフレッドが思わず前に出てかばった。
ルナも、ぎゅっと目を瞑った。
べちゃっと、嫌な、音がした。
ルナが恐る恐る目を開けた先には――とんでもない光景があった。
ナタリアも、アルフレッドにも、カレーはぶつかっていなかった。
そのかわり、しなやかなシフォンのフードを被り、アクセサリーをじゃらじゃらとつけた、L03の民族衣装の人物――背はかなり低く、子どもにしか見えない身長の主――。
サルディオーネ。
彼女の胸元に、べったりとカレーの皿が引っ付いていた。
アンジェリカは、無表情で、その様子を見つめている。
皿が、重力に耐えかねて、どろっと地面に落ちた。
「その女を捕らえなさいっ!!」
厳しい声がアンジェリカの後方からした。その声と同時に、黒服の男たちが現れて、瞬く間にブレアを拘束した。興奮状態のブレアは、ますますひどくわめきだした。SPは、イマリたちをもむりやり立たせ、拘束する。
手錠をはめられたイマリは叫んだ。
「な、なんなのよっ! あたしなにもしてない、」
「名前はっ!」
厳しい声の主――男のような声だ。だが、正体は、黒髪を三つ編みに束ねた、声と同じく厳しい顔の女性だった。
彼女――アンジェリカの担当役員であるメリッサは、拘束されてわめくブレアの横っ面を、一度、強烈に引っぱたいた。ビシイとか、バシっとか、ものすごい音がして、ルナは肩をビクッとさせた。
ブレアは、呆然として自分を殴った女を見上げた。それから、「訴えてやる」とか「役員にいいつける」と騒ぎ、また殴られた。
「おだまりなさい! 見たところ、L7系あたりの小娘でしょうが、そこまで分別がないのか! 名前を言え! 今自分がなにをしたのかわかっているのか!!」
「メリッサ――」
ヴィアンカとカザマが、あわてて間に入った。
同時に、乗用車が、この騒ぎの場所に横付けされた。中から出てきたのは、メンズ・ミシェルと、おそらく派遣役員であろう、数人の、スーツ姿の男性たちだった。
「間に合った、……わけでもなさそうだな」
ミシェルは、この状況を見て、肩をすくめた。
彼は、役所に、イマリたちの担当役員を呼びに行ったのだった。
ミシェルは、とっくにイマリたち十人組に話しかけていた。それもかなり穏便に。
「コンロふたつも持って行かれると困るんだよ。みんな一緒にバーベキューしよう」と声をかけたが、あっさり無視された。
なかに見覚えのある顔があったので、「ああ、マタドール・カフェの……」と思いだし、この分では、ひと悶着はありそうだと見据えたので、担当役員を呼んで引き取ってもらおうと考えたのだ。
だが、もどってきたら、コトはひと悶着どころではなくなっていたようだ。
彼が連れてきた役員たちは、カレーがべっとりついたVIP船客、SPたちに拘束されている自分の担当客、メリッサにヴィアンカにカザマと、特別派遣役員――つまり、自分たちより地位が上の役員が三人もいることに、蒼白になった。
「も、申し訳ありませんっ!!」
「いますぐ、帰らせますので……!」
イマリたちの担当役員は、蒼白のまま、駆け寄ってきたが、
「帰ってもらうわけにはいかなくなりました」
カザマが、気の毒そうに彼らに告げた。
「……VIP船客のアンジェリカ様にカレーを投げつけてしまったのです」
役員たちの顔色は、いっそうひどくなった。
「まいったわね。とんでもないことしてくれたわ。……宇宙船降ろすだけじゃすまない話になってきそう」
ヴィアンカも困惑顔で言った。
ルナはててっとアンジェリカに駆け寄っていた。
アンジェリカが来てくれると思わなくて、それだけでもびっくりしていたのに、まさかブレアの投げたカレーが、べっとり。
あわててカレーだけでも拭こうとそばに寄ったのだが、SPに遮られた。
アンジェリカが手を挙げて制したので、そばに寄ることができた。
「あ、あの――その、アンジェリカ、さん……。来てくれてありがとう」
ルナは、アンジェリカの警護の物々しさに、アンジェリカが本当にVIP船客なのだと――要人なのだと、思い知らされた。このところ、いろいろあっても、自分と同じ年の女の子という感覚のほうが強かった。アンジェリカがあんまり気さくだったから。
本来なら、こんなふうにたくさんのSPにガードされていて、自分は気軽に話しかけられる相手ではない、ということを実感していなかった。
(あんなカードなんか送って、軽くバーベキューに誘ったあたしがばかでした……)
だがアンジェリカ自身は、ルナを見て、
「うん。真砂名神社ぶり。招待ありがとう。行けないって言ったけど、来ちゃった」
と親しげに笑った。
ルナは、変わらないアンジェリカに、少しほっとした。
「ルナと話したかったんだよ~」
「え? う、うん」
「いやまあ、ふつうに来ようと思ってたんだ。ひとりで。でも、面倒なことになっちゃった。ユハラムが聞かなくってさ」
「ユハラムさんって、こないだいっしょに来てた人?」
「そうそう」
周りのだれにも聞こえないような、ぽそぽそとした会話だった。
「メリッサ連れてくることで、なんとか来れた感じ」
「と、とにかくアンジェリカさん、このカレー拭かなきゃ、」
ルナが、エプロンのポケットに入れていたミニタオルを取り出したが。
「アンジェ、でいいってば。……ああ、この服はもういいよ。もうダメだし」
「ご、ごめんね、」
「なんでルナがあやまるのさ。だいじょうぶ」
アンジェリカは、椿の宿でルナに見せた、歯を全開にしたニカッという笑いで、
「ちゃーんと下に、ジャージ着てきた」
「おまえたちがこの小娘の役員か」
メリッサは、冷たい声音で言い放った。
「この連中の名は! 事と次第によっては特別派遣役員の権限を持って、宇宙船への搭乗資格を永久に剥奪する!」
イマリたちにはずいぶん難解なメリッサの言葉を、理解したのは、彼らの担当役員だけだった。イマリたちのだれもが、その意味がよく分からなかった。
「メリッサ、あの、ちょっと待って」
アンジェリカ様にカレーがぶつかってしまったのは事故と言えば事故だし、とヴィアンカがメリッサをなだめたが、カザマが首を振った。
「いいえ。ヴィアンカ。ここで厳しくしておいた方がいいです。ここで収めて、彼らに早く宇宙船を降りていただく。その方が一番無難です。メリッサのやり方は理にかなっています」
「え?」
「……あちら、アンジェリカ様を乗せていらしたリムジン、ララ様をはじめ、筆頭株主の方が三人もいらっしゃるのですよ」
メリッサは無表情のままだ。否定も肯定もしなかった。
ヴィアンカと、イマリたちの担当役員は思わず、丘の上の道路に横付けされたリムジンを見た。
役員のひとりは、絶望のために、腰が抜けた。ひとりはガタガタ震えだした。
「ど――どうしましょう」
なんということだ。VIP船客に害を及ぼしただけでなく、宇宙船の、会社の株主までここにいるなどとは。
株主が関わってくれば、船客だけの問題ではない。その担当役員にも累が及ぶ。
まだ、彼らが車から降りてきていないことが、救いだった。だが、コトが長引けば、彼らがここへ顔を出してしまうかもしれない。
「アンジェリカ様にこのような侮辱、本来なら、L03に直接彼らの身柄が引き渡されます。そうなれば、首が飛ぶのは目に見えてあきらかですが」
メリッサは冷静に言った。首が飛ぶ、というのはそのままの意味に他ならなかった。
真っ正直な死刑宣告に、役員たちは、「そこをなんとか」としか言いようがなかった。
「さいわい、今L03は混乱していて、彼らを送ったところで迷惑になるか、戦乱に巻き込まれて、ゆくえがわからなくなるだけでしょう。……まあ、こちらのアンジェリカ様はお若いだけあってそこまで手厳しいお方ではない。ですが、株主の方々は別です。アンジェリカ様は、E.S.Cの株主の方々にご昵懇の方が多いのです。彼らがだまってはいないでしょう」
「ちょっとォ! あんた役員でしょ!! なんとかしてよっ! あたしたち、ここでバーベキューしてただけなのに、なんでこんなふうに捕まえらんなきゃなんないのよっ!」
「顔火傷してんだからね!」
「ブレアは殴られたのよっ!」
「早く救急車呼べよ!」
殴られただけですんでよかったとは、彼らは思わないだろう。メリッサの言うとおり、カレーをぶつけられたのがアンジェリカ以外のサルディオーネだったら、彼らはまっすぐL03で処刑だった。それでなくても、一番重い侮辱罪で、L11の刑務所行きは免れない。
イマリたちの文句が飛び交う中、役員たちはとにかく、この物の分からない連中を黙らせたくて仕方なかった。
ブレアはさすがに暴れすぎてくたびれたのか、やがてしくしく泣き出した。
「てめえっ! 役員、なんとかしろっ!」
イマリの彼氏である顎がしゃくれた大男が怒鳴った。
役員の三人は、SPに拘束されたままのイマリたちの前へ行き、重々しく言った。
「では、なんとかさせていただきます。いますぐ、宇宙船をお降りください。あなたがたのお荷物は後程まとめてご自宅のほうへお送りします。一番早い便は」
「午後三時半だな。宇宙船から近くの惑星――D544、L系行きの一番早いやつは、」
「なんで俺たちが降りなきゃいけねえんだよ!!」
「――L03で処刑されたいんですかっ!?」
たまりかねた役員の一人が怒鳴ったが、気の毒に、イマリたちは、まだ状況を把握できていなかった。
「――は?」
「L03に送られなくても、侮辱罪で相応の裁判は待っています。ご心配なく。ご自宅までの旅費は当方で全額負担します。SPの皆さん、この方々を連行してください」
「いたいいたい、いたーい! 引っ張らないでよ!」
イマリたちは引きずられていく。
「お待ち」
アンジェリカが進み出ていた。さすがにカレーで汚れた服は脱いでいたが、マントは被ったまま。
「そんなに急がずともよいだろう。私から、株主の方々にはご説明しよう。とにかく、彼らはいったん居住区のアパートに引き取らせ、このたびの事情を――自分たちがいったいなにをしたのかを――とくと説明の上、一週間後に宇宙船を降ろすがよろしい」
「は、はいっ……!」
役員は、上ずった声で返事をした。
「……なにやら勘違いをしているようだから言っておくが、私にカレーをぶつけたことだの、私がVIP船客だからだの、そういうことをいっておるのではありませんぞ。彼らが勝手に人のパーティーへ乱入して、好き放題暴れたことに対する注意と、礼儀というものを教えてやってくださいと、そういう意味です」
役員はぎくりと固まり、それから目を伏せた。
「ちゃんと、今回のことは事情聴取なさって、相応の裁きを与えてしかるべきと存じます」
「は――はい」




