110話 遠い記憶の宴 Ⅲ 1
「イマリさん!」
ルナは、バカ騒ぎしている十人のところまで来て、叫んだ。
近くまで来てみればすぐわかった。この十人は知らない顔ではない。リリザでイマリと一緒にいた仲間たちだ。
それに、イマリはサイファーの手下だったときは、真っ赤なギザギザのボブヘアだったが、今は黒髪ストレート。一緒にいる仲間も、マタドール・カフェに乱入してきたときとちがう。リサがなかなか気づかなかったのも、無理はなかった。
イマリは一度ルナをちらりと見たが、無視した。バカ騒ぎしている十人のだれもが、ルナたちのほうを見ない。
「イマリさん!」
ルナはもう一度呼んだが、イマリもほかの人間も、だれも返事をしない。まるで無反応だ。
「今日はあたしたちのパーティーで、イマリさんたちは呼んでないんですけど!」
彼らはわざと無視しているのだ。腹が立って、ルナはついに剣呑な声で怒鳴った。
「だれに断ってここでバーベキューしてるの!? 今日のはリズンのイベントじゃないよ! あたしたちがパーティーしてるの。あんたたち呼んだ覚えないよっ!!」
「おいっ!! おまえらいいかげんにしろよっ!!」
無視し続ける彼らに、アルフレッドが、もう我慢できない、といわんばかりに怒鳴った。
「ブレア! ブレア、話を聞いて!!」
ナタリアも叫ぶが、ブレアもビール缶に口をつけたままこちらを見なかった。
アルフレッドが、「おいっ!!」と叫んで、ヤンキーの男のひとりの胸ぐらをつかんだが、弾き飛ばされた。小柄な方の彼は、簡単に飛ばされて尻もちをついた。あわててナタリアが駆け寄る。
彼は以前リリザでイハナの金を奪い、九庵にこてんぱんにされたヤツだ。もしかしたらまだナイフを持っているかもしれないと思ってちょっと怖くなったが、ルナはきっと顔をしかめて、最後通牒を突き付けた。
「わかりました! 警察呼びます」
ルナが携帯電話を取り出したとたんに、やっと女の一人がこっちを向いて、「うざいよあんた」と、空き缶を投げつけてきた。タバコの吸い殻と、ビールの飲み残しが入った空き缶がルナにぶつかって、エプロンが汚れた。
ルシヤが跳ね飛ぼうとしたのをアズラエルが止めたが、そのまま自分が殴りこもうとしたので、カレンとルートヴィヒがあわてて止めた。
「アズラエル! おまえなにもしねえっていったろ!」
レディ・ミシェルとリサは、クラウドが持ち上げていたので、彼女らは足をバタバタさせるしかなかった。リサが串を奴らのほうへ投げようとしたので、クラウドは、一度彼女らを降ろして串を取り上げねばならなかった。
レオナを止めているのはバーガスで、エレナとジュリはラガーの店長が両腕でわしづかみにしていた。二人の男は言った。「妊婦はおとなしくしてろ!」
「帰って!」
ルナが怯まず叫ぶ。
「お前らなんか呼んでない! 早く帰れ!!」
とアルフレッドも怒鳴り、
「そうよ、帰って!」
ナタリアも精いっぱいの大声で叫んだ。
「……ンだよ」
やっと男たちがルナたちのほうを向く。
「おいブレア! これリズンのイベントなんだろ!! バーベキューしていいんだろ!」
「あたしはそう聞いたけどー? 姉さんに」
ナタリアは、驚いて叫んだ。
「あたし、そんなこと言ってないわ!!」
「言ったー」
「ウソよ!! 言ってない!!」
「言ったよバーカ」
「じゃあ金払えよ! いくらリズンのイベントだからって、金払わずに食っていく気かよ!」
「えー? 姉さん払っといてくれるでしょ?」
「ふざけんなよブレアおまえ……!!」
アルフレッドの血管は今にも切れそうだった。
「だって俺たち金持ってきてねえぞ? そこの女の招待だっていうから」
「……こじれてますね。私が行きましょうか」
チャンが眼鏡を押し上げたが、「せっかくルナちゃんたちが勇気出してんだ。もうちょい待ってみろ」とバグムントが止めた。
「それより……、」
ヴィアンカが、空を見上げて言った。
「なんだか、雲行きがすごく怪しいんだけど」
言われて、みんなも空を見上げた。さっきまでバーベキュー日和だった晴天が、一気に翳って、ゴゴ、と遠くの方から雷鳴の音さえ聞こえてくる。
「いやねえ。せっかく晴れてたのに」
「あ、……あ、まずい……!」
アントニオが、あわててルナたちのほうへ駆けて行った。
だれも、アントニオのつぶやきは聞いていなかった。
「うざいんだよ、ムカつくんだよあんた。最近調子乗り過ぎなんじゃない?」
イマリと数人の女が、ルナを囲んでいた。
「チョーシこいてんじゃねえよ。ブスのくせに」
ルナは、どつかれても、きっと睨みあげるだけだ。
「お金払ってとっとと帰って!」
「うるせーよ!」
「やめなさい」
ルナを突き飛ばすイマリの腕が、大きな手につかみあげられていた。
「ルナちゃんの言うとおり、お金を払って帰りなさい」
「な、なにすんのよっ!!」
イマリの腕をつかんでいたのは、セルゲイだった。
「なにすんだ、てめえ!」
イマリの彼氏だという男がセルゲイにつかみかかったが、イマリごとセルゲイは、男を跳ね除けた。驚くほどの力だった。
荒々しい音がして、バーベキューコンロがひっくり返り、「あちいっ!」と男が悲鳴を上げる。
ルナはびっくりして、セルゲイを見上げた。セルゲイがこんな乱暴なことをするとは思ってもみなかったからだ。跳ね除け方もぞんざいで、わざと、彼らをバーベキューコンロのほうに投げ飛ばしたように見えた。
「いたいじゃないっ! 役所に言いつけるからね!!」
イマリは男が下敷きになったおかげで、コンロにはぶつからなかったが、キイキイ声で、わめく。
「勝手にすればいい」
いつものセルゲイより、重々しく、低い声が――まるで、セルゲイの声ではない声が、口からこぼれる。
ルナも怖くなるような――。
そんなセルゲイに対して、恐怖にかられたのか、ついに金髪がナイフを取り出した。だが、振り上げる間もなく、いきなり強烈な音がして、コンロの火が爆ぜた。
「いってえ! 火傷した!!」
「きゃあ! だいじょうぶ!?」
「信じらんない! なにすんのよあんたっ!!」
十人組は一時騒然となったが、女たちはわめき散らし、男たちは威嚇をするばかりで、一向に動かない。セルゲイの迫力に気圧されているのはあきらかだ。
「……はやく帰れ」
セルゲイが告げる。だが、イマリは興奮気味に騒いだ。
「やだ、ケガしてる! 服焦げてる! サイアク!! 役所にいってやるから! 絶対言ってやるから!!」
「だまれ」
「きゃあっ!」
パアンっ! と、もう一つのコンロの炭が弾けた。炭は爆ぜるときがあるから、偶然と言えば偶然だ。
だがルナにはそれが奇妙に感ぜられた。まるでコンロ内で小爆発でも起こったような激しい爆ぜ方だった。
弾けた炭は、さっき、ルナを「ブス」と罵った女の顔を直撃した。飛び散った炭は、彼女だけではない、周囲の連中にもぶつかった。むろん、ブレアにも。
「いたい! いたい、いたい! なんなのよ急に!」
「――帰りなさい」
セルゲイはもう一度言った。
そして、ルナに向かってはこっそりと、優しく言った。まるで、兄妹の、内緒話でもするかのように――。
「ルナを罵った女は、ふた目と見られない顔にしてあげる」
不敵に笑った。アズラエルをさっき大魔王とか言ったが、大魔王が本当にいるなら、こういう顔だ。
セルゲイじゃない。こんなの、いつものセルゲイじゃない。
ルナが青ざめて、首を振ったとき――。
「夜の神さん、夜の神さん、これはルナちゃんの危機ではないですよ」
アントニオが、セルゲイの耳元でぼそっと言った。とたんにセルゲイが、目をぱちくりとさせた。すっかり表情が、いつもの彼にもどっている。
「セ、セルゲイ……!」
元にもどった。ルナは、なんだかわからないがそう思って、思わずセルゲイの腰元に抱きついた。アズラエルが別の意味で突進しかけたのを、カレンとルートヴィヒが全力で止める。
ついにルシヤの手刀が出て、アズラエルが沈んだ。カレンとルートヴィヒは目を丸くしてその光景を見た。
「……あっ。君たち、早く帰りなさい!」
セルゲイは、思いだしでもしたかのように、目の前の連中に向かって言った。それは、おとなが聞き分けのない子どもを叱る口調で、いつもの彼そのままだ。
ルナはほっとして、――へなへなと、腰から力が抜けた。
「あ、あ、ルナちゃん、だいじょうぶ?」
セルゲイとアントニオがあわてて、しゃがみこみそうになったルナを両側から支えた。
不思議と、セルゲイが元にもどったとたんに、曇りかけていた空も日光が差し始めた。
びっくりした。本当にびっくりした。なんだったんだろう、さっきのは。
さっきのセルゲイは怖かった。
別人みたいだった。
――大魔王だった。
「言ったろ! 早く金払って帰れ!!」
アルフレッドが、セルゲイに続いて怒鳴った。
アルフレッドとナタリアには、セルゲイとアントニオのやり取りは聞こえていない。セルゲイの変化は知る由もなかったし、コンロが弾けたのも偶然の産物で、ざまあみろとは思ったが、異変とは、受け取っていないようだった。
でも、ルナには分かった。
さっき、コンロが弾けたのは、セルゲイの仕業だ。
彼が「だまれ」と言った途端に炭が弾けた。ものすごい勢いで。
セルゲイ自身は、さっきのことをなにひとつ覚えていないのか――気にかけていないのか、ルナを支えたまま、「早く帰らないと、役所に通報しますよ!」ときわめて常識的な脅し文句を口にした。
一体、なにをしたんだろう? セルゲイは――。
イマリたちは、セルゲイやルナを気味悪そうに睨んだが、「……帰ろ」と口々に言い合い、立ち始めた。顔に炭が当たった女の子は泣いている。
「救急車呼んでよっ!」とだれかが叫んでいるが、アルフレッドが「勝手に行けよ!」と叫び返す。
「――ナターシャ! 帰るよっ!!」
ブレアが叫んだ。苛立ちが頂点に達したときの、裏返った声だった。だが、いつもその声を聞けば怯むナタリアは、今度は怯まなかった。
「帰ればいいわ!!」
「――は!?」
「帰ればいい! 宇宙船から降りるならそれでもいいわ! あたしは帰らない! あんたの好きにすればいい!! でも、あたしはあんたの言うことは聞かない!!」
ブレアが、わなわなと震えた。
「ふざけんな……っ!!」
絶叫したかと思うと、わけの分からないことをわめきだし、手当たり次第にナタリアへ投げつけはじめた。紙皿や紙コップ、ビールの缶からなにから。周りにあるもの、ぜんぶ。
テーブルも蹴り倒し、食べ物があたりに散らかり、草むらの上にべっとりとカレーがこぼれ、カレーの匂いが漂った。
ブレアの剣幕を、イマリたちまで呆気にとられて眺めている。ともだちだと言っていつも一緒にいても、ブレアの暴れようは初めて見たのか。
「あ、あれはまずいわ。止めなきゃ」
ヴィアンカがあわてて言った。
「しかたないから救急車呼んであげなさいよ、チャン」
「ほんとにしかたないですね……」
チャンが携帯電話を手にしたが。
後ろを向いたとたんに、見覚えのある人物を見かけて、反射的にお辞儀をした。後ろにいたバグムントやラガーの店長も、軽く会釈の体勢で固まっている。
特別派遣役員と、SPを引き連れたVIP船客が、なぜこんなところに。
役員は、だれもがそう思った。




