表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
キヴォトス  作者: ととこなつ
第三部 ~遠い記憶の宴篇~
250/943

107話 赤い糸とZOOカード 2


「うわあ、壮観だねえ」


 こちらは、K05区のサルーディーバ邸である。

 アントニオが、部屋に入ってきて目を丸くした。


 アンジェリカが、部屋いっぱいにZOOカードを並べて占っているのだった。広い部屋の家具をぜんぶすみに寄せて、絨毯一面にカードを並べている。そのカードの間を、まるで赤外線のような赤い線がいくつも交差しながら、つながっているのだ。


 これは――たしか。


「赤い糸の占いだね。いったい、だれのを占ってるの」

「だれのって、訳じゃないんだけど」


 アンジェリカは、赤いクモの巣みたいになったカードたちのど真ん中で、途方に暮れたようにぺたりと腰を下ろした。


「あ~あ、さっぱり、分かんないや」


 アントニオも、少し離れたところでしゃがんだ。座る隙間はこの部屋にはない。


「何の用?」


 アンジェリカが、くたびれた顔でアントニオに聞いた。


「ああ、……ルナちゃんたちが開くバーベキューパーティーなんだけど、やっぱり来ない?」


 言うなり、アンジェリカが、小さな三白眼(さんぱくがん)を見開く。


「なにいってンのさ! あたしはともかく、姉さんが行ったりなんかしたら、大問題になっちゃうよ!」

「うん。だけど、サルちゃんがフツーの服着てさ、名前も別の名前つけて、アンジェリカも参加すればいいじゃない。そりゃ、L5系あたりまでの人はサルーディーバの顔は知ってるだろうけど、ごまかせば何とかなるし。意外とフツーの服着ちゃえば、サルちゃんもフツーの美人な女のコよ?」


「アントニオ……」


 アンジェリカが、アントニオを睨めつけた。横目で見ただけなのだが、目つきが悪いので、そう見えるのだ。ただでさえ、アンジェリカは最近ピリピリしていて機嫌が悪い。

 今日は、輪をかけてひどい。

 仕事で忙しいはずなのに、まるで目的を見失ったようなぼんやりとした顔で、ZOOカードを眺めているのもおかしかった。

 これは、長老会から手紙が来たなとアントニオは察した。


「……去年から気になってたんだけどさ。アントニオって、姉さんを、普通の人にしようとしてない?」

「あ? バレちゃった?」


 あっさりと認め、ニカッと満面の笑みで笑うアントニオに、サルディオネはZOOカードを踏まないようにとんできて、つかみかかった。


「バレちゃった!? じゃないよ!! どういうつもりなの!?」

「どういうつもりもなにも、言葉そのままだよ」

「姉さんはね! サルーディーバなんだよ!? 分かってるの!?」


 偉大なもの――サルーディーバ。

 L03を治める主と、生まれる前から予言されている、マ・アース・ジャ・ハーナの神の子。


「アントニオはなんでも簡単に言いすぎだよ! 姉さんに名前を付けるのだって、それがどんなに重大なことか分かってるの!? サルーディーバは、」

「サルーディーバの名しか持ってはならない。知ってるよ」


 サルーディーバはあくまで神の子。神の代理人であり、普通の人間と同じであってはならない。生まれた時から、サルーディーバ以外の名は持つことができない。


 親や家族でさえ、「サルーディーバ様」と赤子のうちから敬称を付けて呼ぶ。


 アンジェリカが「姉さん」と呼んでいることすら特別なのだ。サルーディーバ本人がそれを望むから、アンジェリカも彼女を姉さんと呼び、敬語は使わず、なるべく普通の姉妹として接している。サルーディーバの意向で、長老会も、アンジェリカの「無礼」を許しているのだ。


 そもそも、別の名をつけるだの、民族衣装ではない洋服を着せるだの、L03にいたら、そんなことを口にするだけで何回裁判が起きて、何回処刑されていることやら。


 アンジェリカも、サルーディーバが洋服を着るところまでは許せた。


 さまざまな星の住民がいるこの宇宙船の中、あの民族衣装では、道を歩いていてもすぐサルーディーバとバレてしまうし、静かに行動していたい今の自分たちでは、姉が洋服でいた方が目立たない。そのくらいの許容はできた。アンジェリカは、母星のガチガチ頭の長老会の連中とはちがう。


 けれど、サルーディーバに別の名をつけるという話は、別だ。

 名とは、その人物の「証明」だ。

 それゆえに、「名」というものは、L03でも大切に扱われる。


 サルーディーバに別の名をつけるということは。

 生まれたときからサルーディーバである彼女に、それ以外の生き方を知らない彼女に、サルーディーバとしてではない人生を歩めということにほかならない。


 おおげさな、と言われようが、L03ではそういうことになる。

 少なくとも、姉はそう受け取ることだろう。

 アントニオは、ことの大きさが分かっていない。アンジェリカはそれが腹立たしかった。


「じゃあ、なんでそんな無責任なこと言うの!!」

「無責任なことを言ったつもりはないよ。アンジェ」

「姉さんが、今どんなにL03のことで苦しんで、力のない自分を責めて、なにもできない自分に苦しんでるか分からないの!? そんなかんたんに済む話じゃないよ! 別の名をつけるとか、――そんな簡単に済むことじゃない! 姉さんは、L03を追い出されたんだよ!? サルーディーバなのに! あんなにL03のことを考えてるのに! マリーだって、なんであんな死に方をしなきゃならなかったの!? あたしは、あたしは、今ZOOカードもおかしくて――マ・アース・ジャ・ハーナの神が何を望まれてるのかさっぱりわからない!! そんなときになにがバーベキューだよっ!!」

「……」


 アントニオは悲しげに、わめき散らすアンジェリカを見上げた。アンジェリカの小さな拳が二、三度、アントニオの肩を叩く。が、L20で鍛えあげてきた彼の肩は案外じょうぶで、アンジェリカの拳をなんなく受け止めるだけだった。


 アンジェリカも、もういっぱいいっぱいなのだろう。

 彼女の、メルーヴァへの想いを押さえていたのは、ほかならぬ使命感だった。


 サルディオーネとして、L03の「星を読むもの」として、大義のために、姉であるサルーディーバを支えていく。メルーヴァが革命者としての道をゆくならば、いつか、衝突せねばならない日も来るかもしれない。アンジェリカは、メルーヴァへの愛情や、心配や、その他もろもろを使命感で押し殺し、耐えてきた。


 気丈な彼女は、クリスマスも年末も、明るく振る舞っていたが、大晦日、サルーディーバがアントニオに連れられて泣きながらもどってきたときに、張りつめていた糸が一度、切れた。


 姉が、グレンという軍人に恋をしていた。

 その事実が、アンジェリカを混乱に(おちい)らせた。


 L03のことも、マリアンヌのことも、婚約者のメルーヴァのことも、必死で耐えぬいてきた彼女の糸をプツンと切らせたのは、ほかならぬ偉大な姉の、密やかな、恋だった。


 ガルダ砂漠で一度見ただけの、しかも大けがをして口もきけなかった男に、なぜ恋をしたのか、アンジェリカは分からなかった。

 しかも、そのことを今まで気づけなかった自分に、アンジェリカは相当ショックを受けていた。


 アンジェリカにとってサルーディーバは、姉である以前に、主だった。

 L03を束ねる運命のある、偉大なるもの。


 今のアンジェリカの「大義」を支える、偉大なるサルーディーバが。

 その姉が、ひとならぬ神の子が、恋をして、恋の相手に出会えたことを泣いて、喜んでいる。


 しかも相手は、一軍人だ。

 神の子である、偉大なるサルーディーバが、たかが一軍人に恋焦がれていたなど、あっていいことではない。


 それでも、仕事が彼女を支えていた。

 サルディオーネとしての、彼女の仕事が。

 そこへ来たのが、メルーヴァの全星指名手配犯のしらせ。

 そして、長老会からの、あの手紙。

 もう一度、彼女をノックアウトさせるには、おあつらえ向きのシナリオだ。

  

「……長老会か、サルーディーバさまから手紙が来た?」


 アントニオの言葉に、さあっとアンジェリカの顔から血の気が引いた。


「これだけはどうか正直に答えて。君に来た? それとも、サルちゃんに? 両方?」

「……あたしに来た。サルーディーバさまから。姉さんには来てないはず」

「どうしてそう思う?」

「あんな手紙が姉さんに来てたら――あたしよりもっと動揺するはず」

「……なるほどね」


 アントニオは、ここでうろたえて頭を抱えなかった自分をほめたかった。

 なんてことをしてくれたのだ、サルーディーバさま。あなたともあろう方が、一番してはいけないことをした。


「アンジェ」


 アントニオは、アンジェリカの肩を抱きしめたまま、言った。


「君たちは、いつかL03にもどれると、本気で思ってるの?」


 アンジェリカはがばっと面を上げ、アントニオを睨んだ。


「――どういうこと? それ」

「君は、ZOOカードでL03の運命を占った?」


 アンジェリカは涙を拭いながら、首を振った。


「君は見るべきだ。“サルディオーネ”の名を自負するのなら」


 小さすぎる肩をビクリと揺らし、アンジェリカは、沈黙した。

 アントニオには分かっていた。怯えているのだ。

 彼女はやがて、だいぶたってから、口を開いた。


「……L03は滅びるの? L18同様?」

「それは君が見ることだ。アンジェ。メルーヴァというのは、真砂名の神の、裁きの働き。革命者メルーヴァが生まれるということは、真砂名の神が、L03とL系惑星群を正そうとしているあかしだ。L03は間違っている。真砂名の神の本意ではない道を歩んでいる。だからこそメルーヴァが生まれ、それを是正しようとしている。君も、長老会がおかしいことには気づいていた。だからこそ、姉さんの味方をして、一緒に宇宙船に乗ったんだろう?」


 アンジェリカは、うなずいた。


「アンジェ。――どうして、サルちゃんが恋をしちゃいけないの?」


 アントニオに、おだやかに聞かれ、アンジェリカは動揺した。いつも己の意思がはっきりしていて、毅然(きぜん)とした彼女にしては、めずらしい動揺だった。


「そ、それは――サルーディーバだから」

「なぜ? 彼女は君と同じ普通の女の子だよ? 少し感受性が強いだけの、普通の少女だ」

「やめてよアントニオ! 姉さんを(おとし)めないで!」

「俺はむしろ、彼女をサルーディーバとして縛りつける思想のほうが、彼女を貶める行為だと思うよ。――分からない? アンジェリカ。真砂名の神は、そんなもの望んじゃいない」

「……やめてよ」

「真砂名の神は、サルちゃんが、サルーディーバとして生きることなんて、望んじゃいない」


 アンジェリカは、呆然と、目を見開いた。


「そもそも、真砂名の神は、サルーディーバなんてものを「つくれ」とはひとことも言っていない」


 アンジェリカは、わずかに震えた。「それは――冒涜(ぼうとく)だ、アントニオ」


「そうかな? サルディオーネは、真砂名の神のはたらきを読むもの、メルーヴァは裁きの働き、イシュメルはメルーヴァのはたらきが終わった合図だ。それは、真砂名の神のはたらきに、人間が勝手に名をつけたものだ。だけど、サルーディーバというのは、ただのマ・アース・ジャ・ハーナの神話に出てくる爺さんだ。それがL03の主になれなんて、真砂名の神はひとことも言っていない。ましてや、進化を放棄した星に、進化と発展を望む真砂名の神がいると、本気で思ってるのか」


「やめて、アントニオ」


 アントニオの言葉は、冒涜どころの騒ぎではない。

 その言葉が本当なら、それはL03のすべてを否定することになる。


「サルちゃんも、きっと、ぼんやりとだけど、それに気付いている。――認めたくないだけで」


「メルーヴァも――」アンジェリカはつぶやいた。「メルーヴァも、そう思ってるの」


 アントニオは「たぶんね」と言った。


「君が、そのL03仕込みの頑なな思考から抜け出られないかぎり、“姉さんのカード”は見つからないよ」


 アントニオは、微笑んで、アンジェリカの頭を撫でた。


「知ってたの……。知ってるの……? 姉さんのカード……」

「知ってるよ」

「なんで? アントニオは“ZOOの支配者”じゃないのに」

「俺には、サルちゃんの本当の姿が見えるからさ。“サルーディーバ”じゃない、本当の彼女の姿が」


 アンジェリカは、ZOOカードに向き直った。


「見て」


 アンジェリカが、自分の近くにある「月を眺める子ウサギ」のカードを示した。そのカードからもいくつか赤い糸が出て、別のカードと結ばれている。

 その赤い線は、それぞれ色もちがい、太さも鮮やかさも違う。


「ルナのカードが結ばれている赤い糸は、やっぱり“傭兵のライオン”と、“孤高のトラ”、“パンダのお医者さん”が一番色が濃くて太い。アントニオともつながっている。ほら」


 たしかに、アントニオの“高僧のトラ”とも、ルナのカードは繋がっていた。どちらかというと、紫にちかい赤だ。


「傭兵のライオンと、孤高のトラは、運命の相手が三人もかぶってる。めずらしいな」

「本当だ。めずらしいね」

「兄弟星だからかもしれない。この二人も縁が濃いよ」


 一番ルナとの糸が、太く赤くて目立つのだが、ライオンとトラは、「真っ白な子ウサギ」と、「色町の黒いネコ」とも糸がつながっていた。


「“真っ白な子ウサギ”は、もう死んでるんだね……」


 沈黙し、答えのないカードを痛ましげにアンジェリカは眺め、別のカードに目を移す。 “孤高のトラ”からまっすぐに伸びる、四本目の、宛先のない糸を眺めた。糸は、たどり着くカードを見失い、途中で霞むように切れている。

 この赤い糸は、ルナとグレンを結ぶものと同じくらい太いが、ルナとアントニオを結ぶものと同じ色、つまり紫に近い赤。


「紫に近い赤は、崇高な任務、志で結ばれる相性。魂が焦げるような恋というよりかは、互いを尊敬し、敬いあう恋だ」


 アンジェリカは、グレンから伸びる行方知れずの糸の先に、「サルーディーバ」のカードを置くが、糸はカードをすり抜けて、よそへ行く。


「……これを見たときちょっとほっとした。ちがうんだ。姉さんが、グレンさんの相手じゃない」

「……」

「……って、最初は思った。でも、そう思うよりかは、」


 アンジェリカは、「サルーディーバ」のカードを箱にしまった。


「姉さんのカードは、別にあるって」

「そうだね」

「姉さんのカードは“サルーディーバ”じゃなかった。やっぱり、グレンのカードの先にあるのは姉さんなんだね」


 アンジェリカが紫の小箱を一度、指先で叩くと、赤い糸はたちどころに消えた。


「あたしが、姉さんのカードを見つけ出せないかぎり、正確な占いはできない。マリーが言った、月を眺める子ウサギと、サルーディーバを会わせちゃいけない、という意味も分からない。ルナと姉さんは会ってしまったし、……姉さんは、グレンさんに恋してることを知られたくなかったのかな。だから、あのときあたしに、替え玉カードつかって、占わせたの?」

「……だろうね。彼女も、悩んでいたと思うよ」


 アントニオは、「アンジェ、バーベキューにおいで」と再度言った。


「……あたしは、行けないよ」

「行く気にしてあげる。もう一度、ZOOカードでルナちゃんを占ってごらん。配置が変わっているはずだから」



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ