106話 サルーディーバからの手紙
拝啓、アントニオさま。
ご無沙汰いたしております。息災でございましょうか。
あなたはもとより、わたしの跡継ぎたる姉と、若くしてサルディオーネとなった、賢い妹は、心安らかに生活できておりますでしょうか。
突然このような手紙をさしあげて、と言いたいところですが、あなたさまには、わたしが手紙を差し上げた理由も、すべてお分かりでございましょう。
すでに、長老会のほうからいくつか手紙が届いていると思います。
アントニオさま、このおいぼれが、恥を忍んで長老会と同じことを申し上げますことを、お許しください。
この手紙を最後まで読まず、お捨てになることもあろうかと存じます。けれど、伏してこのサルーディーバ、あなたさまにお願い申し上げます。
なにとぞ、アンジェリカを、あなたの妻としてお迎えください。
長老会は、おそらく、あなたに姉のほうをお勧めしたと思います。
けれど、わたしは、あなたにアンジェリカを、妹を娶っていただきたいのです。
すでにご存じかとは思われますが、いよいよメルーヴァが、L系惑星群全土において指名手配の、テロリストとなってしまいました。
あの子がL03を変えるため、長老会の要人たちを成敗しようとした。けれどそれは叶わず、要人たちは星外へと亡命いたしました。
L03の古く悪しき因習は、長老会の何人かが消えたとて、なにもかもがすっかり変わるはずはありません。
けれど、メルーヴァたちが成し遂げた革命は、L03を大きく変えました。そして、長い時間をかけて、ゆっくりと、水が岩を穿つように変わっていくのだと、だれもが信じて疑いませんでした。
L03の民は、メルーヴァが次世代の長となることを望んだ。きっとメルーヴァはL03を変えていってくれるだろうと、皆が思っていたのです。
しかし、ちがった。
メルーヴァはL03を出、世界の争いに火をつけて回るようになってしまった。
あの子がいったい、どうして変わってしまったのか。だれもが分かりません。
ですが、王宮のサルディオーネたちは申しました。
あれは、ラグ・ヴァダの武神の依り代となったのだと。
あなたもご存知でしょう。あの悪名高き武神です。
一度はこのL03を、アストロスを、滅亡寸前まで追いやった悪神。
今が、おおよそ“三千年目”であることを、あなたも存じているはず。
まさかあの子がと思いましたが、サルディオーネたちの申すことが真実なら、われわれは、用心せねばならぬ。
姉妹を、ラグ・ヴァダの武神の手に渡してはなりませぬ。
姉のほうはサルーディーバとして己を律する心も強く、誘いには乗らぬでしょう。
けれど、アンジェリカは、あれは、メルーヴァを愛しています。親の決めた婚約者同士なれど、メルーヴァもまた、アンジェリカを愛しています。
もし誘いがあれば、アンジェリカは揺れるでしょう。
あの子は賢い子ではありますが、恋は人を変える。
不躾にもほどがあるお願いであることは重々承知しています。
この願いは、あなたがもっとも忌み嫌う願いでありましょう。けれどあえて申し上げます。
夫婦の契りをもって、アンジェリカをメルーヴァたちから遠ざけてくださいませ。
どうか、どうか、お願いいたしまする。
あなたの友人、サルーディーバ 敬具
アントニオは、くしゃりと紙の束を握りしめた。
よほど途中で引き裂いてやろうかと思ったが、彼は最後まで読んだ。ちなみに、これ以前に来た長老会のクズどもからの手紙も、一応は最後まで読んだ。
読んだあと、ぜんぶ庭先で燃やしたが。
メルーヴァの革命で多少クズが減ったところで、クズのDNAは健在だ。クズのほうが圧倒的多数すぎるのだ。革命前後でなにか変わったかと言えば、べつのクズが台頭してきただけ。
どうしてメルーヴァがL03を離れたのだとアントニオも当時は思った。彼がいれば、もう少しマシな状況であったのではないかと思う部分はある。
それが“ならなかった”理由も、アントニオはすでに知っている。
サルーディーバが知る内容は、なにもかもが、とっくの昔にアントニオが得ていた情報だ。
アントニオは顔を覆い、それから一度顔を洗うために席を立った。
今日が休日でよかった。店内はだれもいない。アントニオは気を落ち着かせるために顔を洗い、それからコーヒーを淹れた。ことさらに丁寧に。かぐわしい香りをかぐと、すこし落ち着いてきた。
サルーディーバの言わんとすることも分かる。
おそらくメルーヴァは、アンジェリカを――いや、おそらくは姉のサルーディーバともども、姉妹ごと呼び寄せるだろう。その想像は、杞憂とは言えない。なぜなら、手紙にあった通り、メルーヴァはアンジェリカを愛しているからだ。
腐ったL03を立て直すために協力してくれといわれたら、姉妹はメルーヴァのもとに赴くだろう。それは間違いない。
そしてもし、メルーヴァの間違いを知ったとしても、あのふたりはおそらく説得しようとする。
たとえ、ふたりがメルーヴァの誘いに乗らなかったとしても。
姉妹のそばに使える王宮護衛官らや侍女たちにとって、メルーヴァは英雄だ。彼らが手先となる可能性も存分に考えられる。王宮護衛官の一部は、メルーヴァがL03だけでなく、世界を変えると信じて行動を共にしている者もいる。
頼まれれば、姉妹を誘拐するくらいはするだろう。
彼らは、メルーヴァのすることは、絶対と信じて疑わない。
サルーディーバのいうことも、長老会のいうことも、下卑てはいるが、正解なのだ。
あの姉妹のどちらかが、アントニオの妻となれば、直接“太陽の神”の保護下、そして“本物”のマ・アース・ジャ・ハーナの神の保護下に入る。
そうなれば、メルーヴァもおいそれと手は出せない。
アンジェリカは、夜の神の守護があるZOOの支配者だが、ZOOカードは不完全だ。それに、アンジェリカもまだ、正式なZOOの支配者とは言えない。守りは万全とはいえない。
アントニオは頭を抱えた。
それにしたって、こんな乱暴なやり方はない。
メルーヴァから守るためにアンジェリカを妻に娶れ?
L03なら上役命令でそれが可能かもしれないが、ここは地球行き宇宙船である。人々は自由恋愛主義。政略結婚は軽蔑の対象である。
たとえ“生まれ”がどうであれ、アントニオだってそういう価値観で生きてきた。人の心をなんだと思っているのか。木石ではないのだ。
婚約者が危険人物になってしまったからあきらめて、ほかの男と結婚しろなどと。
いいや、そういう単純な答えでもない。
もちろん、アンジェリカとサルーディーバ姉妹の安全のためでもあることは分かっている。
けれど、それをサルーディーバと長老会が命じるのはちがう。願いであっても、ほとんど彼女たちにとっては命令に等しい。
なんのためにアンジェリカたちをこの宇宙船に乗せたのだ。L03の教義から離れさせるためではないのか。アントニオの気持ちだってどうなる。
「好きな男がいる子を、妻にしろって……」
ふざけるなよと千回くらいいいたい。
人の気持ちはそんなに簡単なものではない。
――アントニオが、たとえ本心からあの姉妹を憎からず思っていても、これでは、サルーディーバの願いだから愛したのだと取られるに決まっていた。
一生独身であることを強いられるサルーディーバと違い、おそらくアンジェリカは、アントニオの「願い」なら、妻になることを了承するだろう。
そのかわり、アントニオの本当の気持ちは、おそらく一生信じてくれないだろう。
たとえ本当に、彼女を愛していたのだとしても。
アントニオは、サルーディーバとアンジェリカのもとにも、長老会の手紙が来ていないことを願った。
きっと、その願いは叶わないだろうが。




