105話 その後のさまざまな話と、さまざまな密約 3
――惑星リリザにある、女神の顔の形につくられたセレブ保養地。
ラッカ・グリシャというリリザの神話の女神をモチーフにつくられた島で、島の名前も女神の名だ――その高級ホテルのロビーで、ふたりの男が眼前にひろがるエメラルドの海を見ながら、たいそう物騒な話をしていた。
片方はスーツ姿の背の高い色男。隣の一人がけソファにゆったり座っているのは、ラグバダの民族衣装を着た、大柄な男だった。髪の毛はライオンのたてがみみたいにぼうぼうで、くすんだ金髪。
「どう考えても、夜の神が黙っちゃいねえよそれは、ペリドット」
オールバックの黒一色の色男が軽い口調でいった。口調は軽いが、内容は深刻だった。それが分からない相手ではない。
「アンジェラがペナルティなしだって? あのまま宇宙船に置いておけって? さすがにララだって、今度ばかりは無理だってなにもしなかったのにさ」
「“羽ばたきたい孔雀”は、“偉大なる青いネコ”の覚醒に必要なんだ。今、宇宙船から追い出すわけにゃいかねえ――なぁ、タキ」
ラグバダの男もまた、軽い口調でいった。こっちは完全に軽かった。
「ううん……」
困り顔でタツキが腕を組み、唸る。
「宇宙船を追い出されやしねえものの、あれが積んだ罪は、かならず清算しなきゃならん日が来る。それは、夜の神様だってわかってるさ」
「そうはいってもな」
夜の神が、妹神である月の女神に関しては、それはそれは狭量になるのを、おまえもわかっているだろうと言いたげな含みだった。
「だが、真砂名の神の指示だ。夜の神様も従わざるを得ない」
「まぁ――なぁ」
「おまえも納得してないんだろう」
「当然だ」
タツキはおもしろくなさそうにいった。
「俺たちは、夜の神の子孫だ。夜の神がかかりやすい。おまえの首をねじ切りたいくらい怒ってるのがわかるか?」
「ああ、もうじゅうぶん分かるよ」
龍の牙がのどに食らいついたような威圧を、ペリドットはずっと感じている。だが、それに怯むようなレベルでは、タキと相対してなどいられない。
「アンジェラのさだめは話したはずだ。安穏な人生じゃない。これが良かったことなのか、到底分かるもんじゃないだろう」
「降りたほうがマシな人生だって?」
「さあ。あれがアンジェラにとっての幸せなんだとしたら」
「ひとの幸せなんて分からねえなあ……。罪と幸運、業と徳、陰と陽、表裏一体だろうが……さだめねえ」
タツキは腿に肘を、頬杖をつき、なんともいえない顔で海を眺めた。
「仏の顔も三度まで、なんて、だれがいったんだっけ」
ペリドットも海を見た。返事の代わりに。
「月の女神ァ、意地でも夜の神に抱かれたくねえんだな……あーあ。ルナが俺のものになってたら、よっぽどみんなそろってハッピーだったとは思わねえか。アンジェラは手出しする理由もなかったろうし、このホテルはルナのもんになってたはずだった」
「真砂名の神のお考えは奥深い」
「わかった。わかったよ……」
タキは体全体でためいきをついた。
「そのかわり、条件がある」
「なんだ」
龍の目が、ギラリと光った。
「おまえの目を寄こせと、夜の神が言ってる」
「目ェ?」
ペリドットは苦笑いした。
「今ここで抉りだせって?」
「そんなかわいそうなことはしねえよ」
タキは眉尻を下げた。
「おまえ、時期が来たら地球行き宇宙船にもどるんだろう? おまえの目を夜の神に渡して、おまえが見る光景を見させろといっている。どうだ。寄こすか、寄こさないか」
「寄こさなきゃ、強引に持ってくんだろう」
「おまえの意志は大切にするさ」
「そんなに妹御が心配かねえ」
「夜の神の生まれ変わりの依り代は、まだ覚醒してねえし、覚醒しても、あれは夜の神があまり前面に出ないよう真砂名の神にコントロールされてる。すこしでも“目”が欲しいらしい」
「わかった。痛いのはイヤだぞ」
「痛くないよ? 優しくする♡」
「気持ち悪ィな」
ペリドットが嫌そうな顔をした――と同時に、ペリドットの、ペリドット色の宝石のような美しい両目は、薄い紫色に変化していた。きらびやかなグリーンが、ほんのり葡萄色に。
手あかのひとつもついていないガラスに映った自分の瞳の色を見て、ペリドットは瞬きした。
「真っ黒になるかと思いきや、こんな色か」
夜の神の目が重なるなら、黒になると思っていたが。
「おまえに黒い目は似合わん」
夜の神はあれでいて、色彩の組み合わせにはうるさい、とタキはいった。そのタキの目を見て、ペリドットは首を傾げた。
「それで、どうしておまえも“太陽の神の目”を持ってる?」
「交換ってやつだ。おまえにも、俺が見る光景を見せてやる」
「おまえが見る光景は、あんま見たくねえなあ……」
「そういうなよ」
タキの目の色は変わっていない。黒曜石のままだ。
「黒は、どんな色も吸収しちまうからな」
「ぴきゅっ。ぴっぺくちゃん!!」
ルナはくしゃみをした。厨房にいたシュナイクルは、聞いたことのない音を聞きつけ、「何の音だ?」と顔を出した。
なんのことはない、ルナのくしゃみだ。
「ルナはまた風邪を引いたか?」
ルシヤがティッシュの箱を取ってくれた。
「だれかがうわさをしてるんだと思うのね」
ルナはいった。
鼻をかんでいると、ピロリン♪ とメールの着信音が鳴る。携帯電話を見たルナは、「あ」と口を開けた。
「そろそろ帰るぞ」
アズラエルは立った。時刻は午後五時近かった。今から帰っても、帰宅は午後十時過ぎになってしまうだろう。
「も、もう、帰っちゃうのか……」
ルシヤは残念そうに顔を伏せたが、次のルナの台詞で、満面の笑顔になった。
「るーちゃんたち、今度、うちの近くでバーベキューやるから来ない?」
「えっ!? バーベキューか? いくいく!!」
首を傾げたのはアズラエルだった。そんな予定を立てた覚えはない。しかしルナの携帯電話を見せてもらうと、彼も「あ」と口を開けた。
「ハンシック、いつまで休業だったっけ」
アズラエルもシュナイクルに聞いた。
「まだ、二週間たっぷりあるが」
「二週間のうちにできるよう手配するか」
「そうだね」
ルナとアズラエルの間だけで納得済みの会話に、クラウドとミシェルが不貞腐れた。彼らはなにも聞いていない。
「いつそんな話になったんだ? バーベキューだって?」
「あたしに内緒なんて、水くさいよルナってば」
今度こそ、イベントに乗り遅れる気はなかった。ミシェルは口をとがらせてそういった。
「内緒とかではないのね?」
ルナは困り顔でいった。
「あたしも忘れてたの」
「なんだ。そういうことだったのか」
クラウドが運転する自家用車に乗って帰り道、クラウドとミシェルは、先ほどルナに来たメールの相手と、バーベキューの計画のことを知った。
覚えているだろうか。アルフレッドとナタリアの存在を。
ルナたちは一月の半ば、あのふたりとバーベキューパーティーをする約束をした。
暖かくなったらやろうといっていたが、いつのまにか三月もなかばである。K27区はすっかり雪が解け、そろそろ桜も咲こうというころだ。頃合いだ。
というわけで、「いつにする?」とアルフレッドからメールが入っていたのだった。
「ナタリアさんってひとは会ったことないけど、アルフレッドには会ったよね」
「うん。いつだったかリズンでいたとき声をかけられた――」
ルナは言いかけてからしまったと口に封をした。クラウドを大層気にしたが、クラウドは「今さらだよ」と肩をすくめるのみだった。
今日は散々だ。ルシヤからの評価もアレだったし。
「もちろん、そのバーべキューには俺たちも参加していいんだよね?」
「ああ。ハンシックの連中も呼ぶし、あちこち声をかけてみるつもりなんだが」
ルナはこの時点で、“あの”人数になるとは、まるで思っていなかった。
「ところで、ギォックには会えたの」
クラウドが話題を変えた。
「それが、会えなかった」
アズラエルは正直にいった。
あのあと、ルナとアズラエルはもう一度ギォックの見舞いに行ったが、なんとギォックは、すでに宇宙船を降りていた。
ギォックは、任務のためにこの宇宙船に乗った。
もともと彼の故郷のノス島は、敵国からの侵略が多い。そんな中、ノス島の最強戦士と、二番目に強いギォックが宇宙船に乗り、島を離れてしまったので、島の住民はとても心細い思いをしていたそうだ。
だから、任務に出られなくなったと聞いたら、帰ってこいコールがすさまじくなったのである。島の皆のため、ギォックは医療用宇宙船で、治療しながら故郷にもどることになった。
ちなみに九庵も、アズラエル手製のアップルパイをもって尋ねたのだが、やはり寺では会えなかった。
「そうだったのか。アンディたちより先に降りていたんだね」
クラウドはうなずき、
「ギォックが参加するはずだった任務の内容って、結局なにか分かったの」
「それがなァ、そのことについては、なんの書き置きもないもんだから、」
そのうち、K33区に行かなきゃだめだな、とアズラエルは言った。ギォックの相方は、まだ宇宙船に残っているのだ。
そして、ここまでの話は、すべて前置きだった。
「……じつは、アズたちに言っておきたいことがあって」
とクラウドはいった。




