番外編 ムスタファ邸にて
「ジルドさぁん! ジルドさんいた! なんで電話に出てくんないんですか!」
廊下を歩いていたジルドは振り返って、「ゲッ!」という顔をした。口に出してしまったかもしれない。おかげで、隣にいたロビンとアズラエルも振り返ってしまった。
ここはムスタファ邸である。アンジェラの屋敷なら、多少のもめごとも大目に見てもらえるが、ムスタファ邸はそうはいかない。そう――ジルドが「ゲッ」と思った相手は、そう思わざるを得ない相手――つまり、会いたくないヤツだった。
「ジルドさん、ジルドさん! 助けてください!!」
息を切らして汗がほとばしるのもかまわず、サイファーはジルドに詰め寄った。
「おまえなんでここにいるんだよ!」
ジルドの疑問は正しい。ここはムスタファ邸で、だいたいムスタファの知己か、招かれた者しか入れないのが通常だ。ジルドだって、ここにはアズラエルと一緒じゃなきゃ入れないのだ。
なのに、サイファーが、どうやって。
「アンジーさんの名刺いただいてて」
へへっと照れたように笑みを浮かべる顔は、今のジルドには鬱陶しいだけだった。
コイツ、いつのまにアンジーの名刺を? いや、名刺なんかどこで手に入れ――あ。
「……これ、名刺じゃなくて、アンジーの作品についてるただのネームカードじゃねえか」
ロビンがボソッとつぶやき、一瞬だけ眉をひそめた。ばかやろう。ロビンにそんな顔させやがって――ジルドは焦った。SPはなにやってんだ。ちゃんと確認しろよ。だまされてんじゃねえよ。こんな詐欺師を、ムスタファさんの屋敷に入れるな。
「おい、おま、すぐ出ていけ」
ジルドはすぐさま追い返そうとした。ロビンが不快な顔を見せるのは、よほどのことだ。でないとジルドまで巻き添えを食って、ここにいられなくなるかもしれない。
「そんなこと言わないでください。オレいま、マジでやべえンスよ。留守電聞きました? 宇宙船降りなきゃいけなくなってて」
サイファーは、ジルドが聞いていようがいまいが、おかまいなしにまくし立てた。
10月のイベントやってから、警察に三回も入られた――たぶんK27区のガキがやりすぎたせいだ――ホントにお金返すだけだったのに、女の子を誘拐しようとしたと思われた――なんでか知らねえけど、店の出納帳が――パーティーの稼ぎの裏帳簿ッス、ハイ――パソコンから抜かれてて、警察が持ってた――だれかが裏切った――タレコミやがった――だの。
「知らねえよ。つか、もう連絡してくんな」
ジルドは途中で遮って、そういった。サイファーはすっかり青ざめた。
「なんで……」
「なんでもクソもあるか。おまえ、やりすぎたんだよ。自分でもわかってんだろ」
「オレ、けっこうあんたに尽くしましたよね!?」
「金のこと言ってんのか。あんなもん、パーティーの参加費にしかならねえよ。おまえ、どんなパーティーに出席したかちゃんとわかってんのか」
「女だって……」
「女? バカかおまえ。そのへんはクリーンだぞ俺は。おまえが差し出してきた女の子は、全員ちゃんとプレゼント渡して、なにもせずにお帰りいただいたよ!」
オウチまでのタクシー代も俺持ちだ、無駄なカネつかわせやがって! とジルドが吠え、サイファーはいっそう青くなった。
「ウソでしょ!?」
「ウソなもんか! ガキばっか連れてきやがって。泣いてたぞかわいそうに! 俺は、アンジーひと筋なんだよ。そういっただろ!」
「お願いしますよなんとかしてくださいジルドさん!」
いよいよ追い詰められたサイファーは、涙を流してジルドの膝に縋りついた。
「無理」
ジルドはすげなくサイファーを押しやった――足で。
「俺はおまえの金に手は付けてねえし。なんなら返すよ。いますぐ。おまえの自業自得だ」
そもそもジルドに、宇宙船を降りる降りないをどうこうする権力もないし、サイファーをかばう義理もない。
「――てやる」
「あ?」
「ぶっ殺してやる」
涙と鼻水まみれの顔で、サイファーはジルドを睨み上げた。
「傭兵に知り合いがいるんだ。ジルド、てめえなんかぶっ殺してやるからな」
傭兵たちは、顔を見合わせた。
「知り合いの傭兵って?」
サイファーは、やっとふたりの男に気づいた。なにせふたりは背が高くて、サイファーは、見上げないと、ふたりの顔が目に入らないのだった。さらにふたりともイケメンだった。つくられたイケメン――自分でそう信じているイケメン――であるサイファーは、天然のイケメンを目の敵にしている。
サイファーは威勢を張るように、胸を張った。
「グレン・J・ドーソンとかいう――」
傭兵二人は、口を開けた。
「かなりの腕前だ。オレの部下を半殺しにしやがった! しかも、気づかねえうちにな――傭兵ってのは、カネを積めば殺しもやるってハナシだ! いいか、眠れない夜を過ごせよジルド! オレがおまえを暗殺してやる――」
そうはいっているが、傭兵に依頼するところを見ると、自分でやるわけではないらしい。
つか、知り合いじゃないだろどう考えても。
「グレン・J・ドーソンってのは、傭兵じゃねえぞ」
ロビンが親切に教えてやった。
「へ?」
サイファーはマヌケな声を上げた。
「同姓同名の傭兵なんかいやしねえ。ヤツと同じ名前をつける傭兵もな。いたら即刻改名だ」
アズラエルが笑顔でそう言ったが、こめかみには青筋が立っていた。
「やめとけ。おまえの依頼を受ける傭兵なんぞ、この世にゃいねえ」
ロビンの不快指数も限界を突破していた。すごく笑顔だったが。
「軍人と傭兵の区別もつかねえうえに、“ドーソンの御曹司”と傭兵を一緒にしてくれるとはな……」
サイファーは、反射的に両手を上げた。まるで、ふたりに銃かナイフでも突きつけられた感覚がしたからだった。ロビンの腰元にある銃も、アズラエルのナイフも、カバーから一ミリも抜かれていなかったが。
サイファーは気づいた。なぜかしらないが、この迫力あるイケメンたちの地雷を踏んだのだ。
彼らはもしかしたら本物の傭兵なのかもしれない。そのくらいの判断力はあった。
そして、「す、すみません……」と蚊の鳴くようなつぶやきを漏らして、四つん這いで逃げだしていった。腰が抜けたのか、立ってはつまづき、這い、転げ、何度も振り返りながら、逃げ去った。
「あいつだれ?」
ロビンが聞いた。ジルドは渋々、打ち明けた。
「サイファーっていってな。ルシアンで知り合って、最初はいいヤツだと思って仲良くしてたんだ。でもアイツ、詐欺まがいのこと始めちまってさ」
「詐欺?」
アズラエルは、どこかであの顔見たことあるなあと思っていたのだが、本人の名と、グレンの名で思い出した。
「アイツ、クラウドの女に手を出しかけたヤツか」
「えっ」
アズラエルの言葉に、ロビンは身震いして見せたあと、
「知らないって怖いねえ。心理作戦部の副隊長の女に手を出すなんざ、そんな恐ろしいコト、俺でもしねえよ」
何のフラグだ。ロビンは、自分がその「恐ろしいコト」をする羽目になるとは、当然だがまだ、知る由もなかった。
「そういや、クラウドの女も興味あるけど、おまえの女はどんなコなの?」
「……俺は、ただのボディガードだよ」
「またまたぁ。おまえのことだから、とっくに手は出してるだろ」
「出してねえよ」
ロビンはアズラエルのセリフを、まったく信用していなかった。ジルドが驚いて聞いた。
「え? おまえ、ほかに女いたの? マジでアンジー戦線から外れる気?」
「もともと、おまえとアンジェラを争う気なんかねえよ」
アズラエルは呆れ声で言った。ロビンが興味津々だ。どうやら機嫌は直ったようだ。ジルドは両方の意味でほっとした。
「や、サイファーはな、ルシアンで知り合って、まぁ仲良くなったときに、アンジーのパーティーに呼んだりしたことはあったんだ。私的な方じゃなくて、芸能人とか来るほうの」
「ああ……」
ロビンは気がなさそうにうなずいた。興味があるのは、アズラエルの「新しい女」のほうだ。
「でも、三回くらいだ。アイツ、知らねえうちに、詐欺まがいのパーティーあちこちで開催して、試験の情報を元手に女に手出しまくったり、金を儲けたりしたんだよ。止めたんだけどな。巻きこまれたくねえし。でも、カネはたしかに多少はよこしたな。女もさぁ……」
「ホントに手を付けなかったのか」
ロビンは聞いたが、ジルドは鼻を鳴らした。
「ガッコ出たばっかみたいなガキを何人もよこされてもな? アンジーから流れてきたブランドバッグいくつかやったら、急にご機嫌になってはしゃぐような子ばっかだぞ?」
ロビンは肩をすくめた。
「正解だ」
「きっと今ごろ、バッグ売った金でリリザで遊んでるだろうさ――試験も何も、リリザで遊ぶのがメインだろ。あのくらいの子は」
「試験ってホントにあるのか?」
「いや、ねえだろ。そんなもん。わざわざ試験なんか受けて地球に行って、なんになるんだ?」
ジルドは笑い飛ばした。
どうやら、このままムスタファ邸のパーティーには出席できるらしい。もめごとは、一目散に逃げた。
そのうち、三人の頭から、すっかりサイファーの存在は消えた。
数日後、ジルドの耳に入ってきた情報によると、サイファーは降船、さらに詐欺罪メインで警察星直行らしい。弁護士がついても、たぶん流刑星行きはまちがいないという話だった。
ジルドは「ふぅん」と言って、それで終わった。ロビンとアズラエルもその後の彼の話を聞きたがるわけでもなかったし、ジルドも話さなかった。




