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キヴォトス  作者: ととこなつ
第三部 ~ハン=シィク篇~
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103話 布被りのペガサス Ⅰ 2


 真砂名神社の空は薄曇りだ。

 ルナたちは、階段の中央あたりで、ふたたび膠着(こうちゃく)状態に陥っていた。

 三人は階段の中ほどまで上がったのだ。


 吹雪が弱まり、燃え盛る火が氷の大地を溶かしていき、道をつくってくれた。光が拝殿の位置を知らせてくれる。さらに、だれかが重みを半分肩代わりしてくれたかのように軽くなった。


 そのすきに、ルナとジェイクはなるべく先に進んだ。階段が消え失せてしまったので、もはや手探りで前に進むしかない。


 しばらく進んだところで、今度はまばゆいばかりの金の光が降りてきて、すべての光景を元通りにしてくれた。


 視界は一面の白い階段。真砂名神社の階段だ。風は多少吹いているものの、背後の断崖絶壁はなく、大路の住人たちの姿も見える。

 拝殿も、はっきり見えた。広がるのは青空だ。


 急にどうしたのだろう。


 ルナは、自分の化身のピンクウサギが、ブエナ・スエルテ・ビジェーテ(幸運の黄金切符)をつかったことなど知る由もない。


 階下のアンジェリカが、「さすがブエナ・スエルテ・ビジェーテ。徳の塊だ」と呆れかえっていることも知らなかった。


 カンテンウサギが何者かは知らないが、かのウサギからもらった切符は、過酷なゴーカートの状況を一気に消し去った。


 罪が消えたとは言い難いが、通常の階段にもどしただけでも相当なことだった。


 ふと、ルナは、彼方の拝殿のほうを見て、黒い塔の横の銀色の塔に、火が灯っているのに気づいた。

 ルナは知らなかったが、ぼんやり、あれは月の女神の塔ではないかと思ったのだった。


「ルナちゃん、今のうちに行こう!」


 ジェイクの言葉にハッとして、「うん!」とうなずき、ルシヤを背負ったまま駆けあがった。ルシヤはふつうの子どもの重さにもどっている。重いことは重いが、背負って上がれないほどではない。


 急がなければ。


 肌を突き刺すほどの寒さが消え、今度は汗が噴き出てきた。ジェイクが後ろからルシヤを支え、ふたりで、青空があるうちにと階段を駆け上がる――だが。


 だいぶ近づいた、と思ったあたり――階下から見れば階段半ばあたりで、また吹雪が吹きはじめてしまった。


「くそっ!」

 氷の世界に逆もどりだ。


「わっ!!」


 先ほどより強い向かい風に、ルナの身体が傾いだ。ジェイクがあわてて支え、「伏せて!」と怒鳴った。晴れる前は、猛吹雪だったものの、ルナたちを助けるような追い風だったが、今度は向かい風だ。


 周囲はすっかりホワイトアウトと化し、一寸先も見えない。氷の大地は雪深くなり、ルナたちの進路を阻んだ。


「もぶ!!」


 ルナのマヌケな悲鳴は、顔面が雪の壁に激突したからだった――雪の壁。ルナの身長を超える積雪に、さすがに絶句する。


「もうっ!!」


 ルナは雪をかき分けた。キリがない。ジェイクの胸元ほどもある雪の壁に、立ち尽くした。

 これ以上、先に進めない。




 バンビの研究所(ラボ)では、ようやくアンディが電子装甲帯除去装置に入ったところだった。


 バンビは何度も涙をぬぐい、装置を動かす。


 アンディの体がスキャンされ、ほとんど燃え尽きて、身体にくっついていた衣服が消去(デリート)された。そして、体内の電子腺をしめす光の線が、アンディの体表に浮き上がった。


「ほんとうに、まるで、血管だな……」

 セルゲイが目を見張った。


 バンビからある程度説明は受けていたが、アンディの体内に張り巡らされた電子腺は、血管の形と配置が、まったく同じだった。つくりもなりも、血管そのものだ。静脈、動脈――リンパ管と思われるものも電子腺化されている。


「血管よりもっと強靭だ。すくなくとも、これが実用化されれば、血管の病が世界からなくなるって話だったから」

「血管の研究は昔からされているし、だいぶ強化は進んでいるけど、やっぱり段違いだな」


 セルゲイは資料を手に、複雑な顔でいった。


「ああ。だからヒューマノイド法に引っかかった」


 バンビの操作する手元を注意深く観察しながら、クラウドは苦笑した。


「電子装甲兵となると、もう、サイボーグレベルだからね」


 宙に映し出された黒板ほどの画面では、アンディの全身図と、電子腺の故障個所がしめされている。

 点滅した赤い線の箇所が、修復が必要な部分だろう。全身真っ赤だったのが、すさまじいスピードで青色に変化していく。

 この装置は、電子腺を消去もするが、修復も可能らしい。


 しかし、心電図モニターが映し出すのは、あまりも弱々しい線だった。波がぷつりと途切れ、まっすぐな線を表示しはじめても、バンビはそちらを向かなかった。セルゲイでさえ、いたましい顔をしかけたというのに。


「お願い、お願い、どうか、お願い……」


 バンビは、祈るように繰り返した。




 こんな雪を、どう超えて行けというのだ。

 ルナが絶望しかける一方で、ジェイクがひょいと雪壁によじ登った。そして、手を出す。


「ルシヤちゃんを!」


 重たいが、最初ほどではないルシヤをなんとか雪の上に乗せ、ジェイクに託す。ルナも必死でよじ登った。ジェイクがなんとか、引き上げてくれた。

 背後に暗い底なし断崖はなく、けれど、大路も見えなかった。ただ、真っ白な吹雪にかき消されている。


「進もう」


 膝まで雪に埋まり、足を取られながら、ルナとジェイクはまた、這うように進んでいった。


「あたしの黄金切符ははじかれてしまう……どうしたら」


 いくらブエナ・スエルテ・ビジェーテでも、一枚では、ふたりの罪を消し去ることはできなかったようだ。

 ふたたび吹雪に覆われた階段を見上げ、ゴーカートコースに目を移し、アンジェリカは焦ったようにあちこちを探した。


「聞こえる!? 月を眺める子ウサギ! 一枚じゃ足りないみたいなの。なんとかして!」


 ゴールにいたはずの、月を眺める子ウサギの姿はなかった。

 いつのまにか、親子二人の車はゴール手前で転倒し、カラカラと無残に車輪を回していた。

 ピューマとウサギは、放り出されたままピクリとも動かない。


「月を眺める子ウサギ!」


 アンジェリカは必死でさがし、名を呼んだ。


「どこにいるの!? 月を眺める子ウサギ! 月を――あっ」

 

 ゴーカートコースの入り口に、ほんのかすかに、銀色の光が漏れている。上空から、まっすぐ降り落ちるように――雪の結晶が。


 月の光が、こぼれ落ちるように。


「――召喚(インボカシオン)


 アンジェリカの口から、呪文がこぼれた。ほとんど反射で、なんの考えもなく落ちた言葉だった。


 その言葉を合図に、ゴーカートの門が開け放たれ、一頭の馬がふわりと舞い降りた。


 馬――いいや、翼がある。ペガサスだ。そのペガサスは、最初は黒曜の光をまとっていたのだが、地上に降り立つときには、白銀の光に変化していた。


 不思議なことに、そのペガサスは、自身を覆ってしまうほどの、大きな布を被っていたのだった。


 ざわめきに目をあげれば、大路が騒がしい。階段を見守っていた人波が、まっぷたつに割れていく。


 大路の向こうから――鳥居のある方から、一頭のペガサスが駆けてきたのだった。


 布をマントのように羽織ったペガサスが。


 ゴーカートコースを駆けるペガサスと同じだ。それが今、大路を走ってくる。階段めがけて――。


「アラン・B・ルチヤンベル……」


 白銀の翼をもつ馬の正体を、アンジェリカだけが悟った。


 ペガサスの(ひづめ)が地面を蹴るたび、そこから草花が萌え出ずる。


 灰の雲が去り、雪はやみ、青空が現れ、階段が白い壁面を取りもどしていく。


 ざぁ、と爽やかな風が吹き、白い鉱石の石段が、果てしない草原を映し出した。


 新緑の丘陵を、ペガサスが駆けていく。ハンの樹に向かって。


 大路に集う者たちも、アンジェリカも、たしかに見た。彼方にあるハンの樹を。


 これはハン=シィクだ。

 アンジェリカはわかった。


 ペガサスが、ひときわ大きくいなないた。


 ルナたちは、進んでいた豪雪地帯がふっと消え、思わず悲鳴を上げた。地面に落下するかと思ったが、三人はペガサスの背にいたのだった。大きな暖かい布に包みこまれ、身体は驚くほど軽かった。


 気づけば、周囲は一面の草原だ。


「ハン=シィク……」


 ルナがつぶやいた。ハンの樹が見える。風が吹いている。ハン=シィクの風が。


 ペガサスは駆けた。ハンの樹に向かって。

 ハンの樹に吸い込まれるように、ペガサスは大樹の幹に飛び込んだ。


 ――気づいたら、真砂名神社の拝殿まえの敷地に、三人、あおむけに寝転がっていた。


 ルナは思わず飛び起きた。ルシヤは無事だ。隣に横たわっていた。

 ジェイクが立ち上がった。周囲を見回す。さっきまで起こったことが信じられないように目を瞬いていたが、ペガサスの姿はどこにもなかった。


「ルシヤ、ルシヤ!」

「――ママ?」


 ルシヤは目をこすりながら起きた。ルナとジェイクはほっとして、顔を見合わせた。


「ペガサスは、どこ?」


 ルシヤは驚くほど幼い表情で、辺りを見回した。ルナは微笑んだ。


「ペガサスは行っちゃったわ」

「そうなの……」

「俺たちを助けに来てくれたんだな」


 真砂名神社は、いつもの風景にもどっていた。雨も風も雪もなく、青空が広がっている。


 ルナたちは、泥だらけだったけれど。

 階段は、上がり切っていた。


 罪は消えたのだ。終わったのだ。


「なんだか、とっても長い夢を見ていた気がするの」

 ルシヤは寝ぼけ眼でつぶやいた。

「とっても悲しい夢だったけど、ペガサスがきたら消えちゃった……なんにも覚えてないの」


「覚えてなくていいさ」

 ジェイクが、目を潤ませながら、ルナとルシヤを抱きしめた。


 ルナがポケットからアンディのカードを出すと、銀色の光に包まれていた。そこに、ゴーカートコースはなかった。


「運のいいピューマ」のカードには、傭兵らしき姿の、強そうでかっこいいピューマが一頭、立っているだけだった。腕に巻き付いている青い炎にも見える電磁波は、電子腺だろうか。いっしょに車に乗っていたウサギの姿はない。


 でも、もうピューマの顔に、悲壮はない。


 ルナの後ろから、ルシヤとジェイクもカードを覗き込んだ。ふたりが考えたことも同じのようだった。


 ほっとした笑顔を向けあっていると、金色の星屑がらせんにカードを取り巻き、徐々に薄くなって、シュンと消えた。


「消えちゃった……」

 ルシヤがつぶやく。


「もう、なにを見ても驚かねえぞ」


 つかれたようなジェイクのぼやきに、ルナとルシヤは、やっと声を上げて笑った。


 階段のほうからたくさんの声がする。ナキジンやカンタロウ、大路のみんながルナたちの名を呼び、こちらに向かっているのだった。


 アンジェリカは、ZOOカードの中のゴーカートコースが、終了を告げたのを見届けていた。


 ペガサスの背に乗せられて、ピューマとウサギの親子はゴールした。過酷なコースと横転した車も消え、あとは静かなものだ。


 だれもいない。


 アンジェリカが「運のいいピューマ」と「賢いアナウサギ」のカードを出すと、名前こそ変わっていないものの、絵柄は変化していた。

 運のいいピューマのほうは、傭兵の姿に。カードの中にまで現れていたゴーカートコースは跡形もなくなっていた。

 賢いアナウサギは、白衣を着た科学者の格好をしている。これが、ルシヤの未来の姿だろう。

 互いのカードに現れていた姿も消えていた。一心同体だった運命も、これから少しずつ変わっていくことだろう。


 アンジェリカはもう一枚、カードを出した。「布被りのペガサス」のカードだ。

 カードの中のペガサスは、大きな布を被っていて、顔さえ伺えない。けれど、キラキラと銀色の光をまとい、きらめいている。


 ペガサスの運命もまた、はじまる予兆を見せていた。


「ありがとう、アラン・B・ルチヤンベル……」


 月の女神の石板(タブラ)にルシヤの顔が現れたというのは、ルシヤの“リハビリ”が終了した証拠だった。


 ハン=シィク地区が、夜の神から、月の女神に全権が移行された。


 それを象徴するように、L46では、ハンの樹が枯れ、ケトゥイン帝国の桜の木々が満開になった。


 そして、ここで、アラン・B・ルチヤンベルの魂である「布被りのペガサス」が現れた。


 祖であるアランが、ハン=シィクの子どもたちを助けるために現れたと見ていいのか。


 ペガサスは、階段を上がった。つまり、アランの“リハビリ”も終了した。

 転生後の人間ではなく、まさか、魂のほうが現れて階段を上がるなんて。

 おそらくルシヤにまつわる前世の魂たちも、ことごとく“リハビリ”されているだろう。


 この先、ハン=シィク地区は大きく変容する。


 きっと、DLは消えるかもしれない。戦の神である夜の神が退いて、平和をもたらす月の女神が栄えれば。


 アンジェリカは、ペガサスのまとうきらめきが、黒から白銀に変わったのも見ていた。


「布被りのペガサス」の守護神が、夜の神から月の女神に変わった証だ。

 

(アラン・B・ルチヤンベルの生まれ変わりが、もしかしたら、ルナの人生に大きく影響を及ぼしてくるのかもしれない……)


 ルナの運命の(ライース)――それも(ソンブラ)に存在した、「布被りのペガサス」のカードを、アンジェリカは忘れてはいなかった。


 調べたいことは山ほどあったし、ルナと話したいこともずいぶんあったが、今はさすがに限界だった。

 ZOOカードの術をずいぶんつかい、とんでもない罪の持ち主を肩代わりしたおかげで、くたくただった。


「ルナと話はあと。ごめん、寝る」

「おおっと」


 アンジェリカがひっくり返ったのをあわてて抱きとめてくれたのは、オニチヨだった。





 布を被った――布というには、豪勢な。

 輝くマントを翻して、一頭のペガサスが階段を駆け上がった瞬間。


 遠く、L18で、ひとりの女性が目を覚ましていた。


「はぉあ!!」


 出したこともない大声を上げて飛び起きたので、隣室の母親を叩き起こした。


「どうしたんだい!?」


 何時だろう。まだ外は暗かった。


「ご、ごめん……変な夢、見ただけ……」


 彼女はあわてて言った。母親は、鼻を鳴らすと、自分のベッドに戻っていった。

 それにしても、不思議な夢だった。

 なんだかとてつもなく美しい階段――いや、草原か? 真っ白な石畳だったような気もする。自分は大きなペガサスになって、駆け抜けていったような――。

 途中で、だれかを乗せた?

 ほとんど覚えていない。


「はあぁ……」


 フライヤは、大きなため息をひとつ吐くと、再び毛布に潜り込んだ。

 まだ、夜明けだ。





 電子腺装甲帯除去装置が、「処置完了」のブザーを鳴らしたそのときだった。

 セルゲイが気づいた。

 研究所はほとんどあきらめの空気に包まれていた。すでに空気は通夜だったというのに。


「バ、バンビ! バンビ!! ちょっと、これ――」


 揺さぶられ、半分意識を失いかけた顔で心電図モニターを見れば、電子の波が蘇っている。


 バンビは、装置の寝台に横たわったアンディの姿を見た。厚い胸板が、かすかに上下しているように見える。指先が、かすかに動いた。


 セルゲイはクラウドを叩き起こした。文字通り。元軍人の張り手はなかなか強烈だ。一発で目が覚めた。


 三人はアンディを凝視した。しばらく、目が血走るほど見つめて、もう一度動いたときは、目の錯覚ではないと確信した。


「セ、セセセルゲイ! クラウド!!」

「生き返った!?」

「やった! やったぞ――ダック!! ダック!」


 たしかに、さっきまで心臓が止まっていたのだ。

 アンディの心臓が停止したとき、号泣しながら研究所を出ていったダックを、セルゲイは一目散に呼びに走った。


「アンディ――アンディさん!! がんばって!!」


 ダック、シュナイクルにアズラエル、グレン、ルシヤと飛び込んできたときには、バンビは装置の前で気絶していた。




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