102話 パルキオンミミナガウサギ 1
「なにやってんだおまえら!!」
ジルドは怒鳴り散らしたが、後の祭りだった。
すべてアンジェラの気まぐれで行った、計画性もない誘拐劇だ。この屋敷の人間すべてが、アンジェラの計画に加担しているわけではない。人質がいたということさえ知らない者もある。
アレニスが指摘したように、この計画はあまりに杜撰で、ジルドをはじめ周囲には戸惑いと迷いも多く、そのせいで迂闊なことが起こりがちだった。
アレニスがルシヤのいる倉庫にぶちこまれたところで、不運というしかなかった。アンジェラ方にとっては。
ルシヤにとっては幸運だったが。
「まずったぜ……どうしたらいいんだ」
アンジェラに連絡するのが先か。この際、洗いざらいシグルスにぶちまけるか。
ジルドの決断より、アレニスの行動のほうが早かったということになる。
屋敷を、本物の警察車両が囲んだ時点で、ジルドは観念した。
ルナとルシヤ、そしてジェイクは、シャイン・システムに乗り込むと、すぐさま真砂名神社の端に出た。鳥居側――駄菓子店ハッカ堂と、町内会集会場のあいだにあるシャイン・システムだ。
扉が開いて外に出たとたん、猛烈な横殴りの風を食らって、吹っ飛ぶところだった。
「きゃあ!」
ルシヤは転びかけたし、ルナが「ルシヤ」でなかったなら、いつも通りコロリンと転がっていただろう。ルナはめずらしく踏ん張り、慌ててルシヤを抱きしめ、ジェイクがふたりの風よけになった。
「なんだこの風――ひでえな」
自分のジャンパーをルナたちにかぶせるようにしてジェイクが唸る。
まさか、こんな悪天候だとは。
小雨のまじった暴風が、バチバチと頬に打ち付ける。
この宇宙船は、区画によって多少天候が変わるが、それでも今日は各地で晴天だったはず。どうして、ここだけこんな暴風――。
こんな状況で、階段を上がれるのだろうか。
ジェイク自身はどうということもない。警察官だったころは、これ以上の過酷な環境下で訓練してきたのだから。だが、ルナやルシヤはどうだ。
しかし、今日はやめた方がよくないか、とはいえない状況なのだった。
階段のほうから、ルナの名を呼ぶ声が聞こえた気がした。ルナのウサ耳がぴょこんと立つ。なにやら今日のルナは、ジェイクから見てもいつものルナとは違う――どこか勇ましい気がしていたので、いつものルナが垣間見えて、なぜだか安心した。
「ルナぁ!!」
空耳ではなかったようだ。声の主――ウェアラブルハードのレインコートを着たアンジェリカが走ってきた。彼女の周囲だけ、くっきり空気の膜が張られ、雨が弾かれている。
「アンジェ!!」
ルナも大きく手を振って名を呼んだが、ひさしぶり、という挨拶をする時間すら惜しい状況であるのは、ふたりとも分かっていた。
「この雨と風、なんなの?」
「今朝からこうだったみたい。あたし、さっきやっとここに着いたんだけどさ」
アンジェリカは、三人分のレインガートを手渡した。バンビがつかっていた、目に見えないレインコートだ。ガムケースサイズの機械のボタンを押すだけ。あとは見えない膜が体表を覆い、雨から守ってくれる。
多少の風も感じなくなるはずだが、今日は風の勢いがすごすぎて、レインガードでも防ぎきれない。
アンジェがこちらへ来るまで、向かい風のせいで何度か立ち止まったのを、ルナも見ていた。
ルナは、つかいかたが分からないルシヤの分を先に起動させてやりながら、アンジェリカと話をした。
それにしても、風が強くて、まともに話せない。
「アンジェ、えっとね、あたしたち、」
「うん。真砂名神社の階段を上がるんだ」
風を背にしたアンジェリカは言った。それでもバサバサとコートの裾がひるがえっている。
「とりあえず、紅葉庵に行こう――ついてきて。あ、あたし、ルナの友達で、アンジェリカっていいます」
「ドモ。ジェイクです」
「ル、ルシヤ・L・ソルテです」
ルナ以外に自己紹介を済ませたアンジェリカは、ルシヤの名を聞いて、真顔にもどった。
「あなたがルシヤ」
「は、はい……」
「パパのために、――自分のためでもあるけど、これからちょっと頑張ってもらわなきゃならない。過酷だけど、がんばれる?」
ルシヤにはまだ、なんのことか分からない。でも、父親のためと言われて、「はい」と答えるほかはなかった。
「おお、ルナちゃん!」
「ナキジンさん!」
紅葉庵には、L03の衣装を着た女性がひとりと、ナキジンとその母で看板娘のヒメノ、茶飲み友達のカンタロウがそろっていて、向かいの店からも店主たちが顔をのぞかせている。
ルナのほうへ猛然と手を振っているヨシノがいたので、ルナは手を振り返した。
風雨をしのげる店内に入れてもらったところで、ようやくひといきつけた。
外はびょうびょうと風の音が響いて、恐ろしいくらいだった。
「朝からこんな天候じゃ。なにやらあるとは思っとったんじゃがな……見てみい、あそこ」
ルナたちは閉めきったガラス戸の内側から、神社のほうを見た。真砂名神社のてっぺん――森のほうに見える四柱の塔に目をやると、黒い柱だけが、炎を灯していた。
こんな暴風と雨の中、どうして火が消えないでいるのか分からない。それほどの猛々しい炎だった。
「夜の神の塔じゃ」
ナキジンは言った。
「あの塔に火がともると、こんな天候になるんや。そろそろ雷も鳴るぞ」
カンタロウの言葉とともに、ピカッと大路が真白くなり、時間をおいて、ゴロゴロと空が鳴った。
「雨がやむのを待っているわけにいかない。今上がってもらわなきゃ。ルナ、いける?」
「うん!」
ルナは勇ましく返事をした。
「いいかい、ルシヤ」
アンジェリカは、ルシヤに向き直った。
「今、長い説明をすることはできない。そんな時間はない。ZOOカードのことは、ルナから聞いてる?」
「ZOOカード?」
「そ、そこからか……」
アンジェリカの口元がヒクつく。
「う、うん、まぁいいや。……えっとね、ルシヤ。この階段は、真砂名神社の階段は、前世の罪を許してくれる階段なんだ」
「前世の……罪を、許してくれる……階段」
ルシヤもまた、アンジェリカ以上に、真剣な顔で聞いていた。
「あの階段を、上まで上がると、マ・アース・ジャ・ハーナの神が、罪を消してくださる。でもそれは、かなり過酷な道だ」
「う、うん」
「あなたは、あなたの罪を背負って、階段を上がらなければならない」
ルシヤは、うなずいた。
「あなたのパパ――アンディの罪は、ルナが背負って、上がる」
「えっ……!?」
ルシヤの大きな目が、これでもかと見開かれた。
「残念なことを――非情なことをいうようだけれど、あなたのパパは、おそらく今日中に、寿命が尽きる」
それを聞いて顔色が変わったのは、ルシヤだけではない。ルナとジェイクもだった。
「でも、この階段を、あなたと、ルナが上がり切れば、パパは」
アンジェリカは、ルシヤから目をそらさず告げた。
「パパの命は、助かるかもしれない」
――ルシヤの目が潤んでいくのを、皆がハラハラと見守っていた。けれどルシヤは、大声で泣いたりはしなかった。ただ眉を吊り上げ、ぐっとこらえる顔をして、唇を引き結んだ。
アンジェリカは無言で、ルシヤに一枚のカードを渡した。
“運のいいピューマ”
カードを見つめて、ルシヤがつぶやいた。
「これがパパなの?」
「そう、そしてこれが、あなた」
ルシヤの“賢いアナウサギ”のカードも見せてやった。ルシヤはカードを交互に見つめ――それから、二枚のカードを抱きしめた。
「パパって……ほんとうに運がいいのね」
その言葉は、ルシヤが父親の生を、もはやあきらめかけていたことを示していた。
「パパが死ぬ前に会えたらいいなって、ちょっぴり、そう思っていたから……」
ルシヤの言葉に、ユハラムは眉を寄せ、ナキジンとカンタロウは痛ましい顔をして、ジェイクは鼻をすすった。
ルシヤは決意を表情に秘めて、いった。
「パパが生きていられるかもしれないなら、わたし、がんばる」
アンジェリカは今、ややこしいことをいうつもりはなかったが、今朝からのこの状況といい、夜の神が、アンディの命運を変えるために現れているのは違いなかった。
そして、月の女神の生まれ変わりであるルナが、アンディのカードを持って階段を上がる。
夜の神の助力は、おそらくルナを助けるためだ。
“地獄の審判”までいかずとも、過酷な試練になるだろうことは見えていたから、こうして“お人好しのオオカミ”も連れてこられたのだろう。
だが。
アンジェリカには一抹の不安があった。
月の女神の石板に、ルナの前世である「ルシヤ」が現れ、その前世がよみがえったことは事実だが、ルナはまだ、月の女神として覚醒していない。自覚もない。
この時点で、どのくらい月の女神の力を引き出せるのかは未知だった。
他人の、しかも過酷な生を生き抜く人間の人生を、階段を上がるあいだだけでも肩代わりするなんて、ふつうの人間にはできないことだ。
神か、およそ神に近いほど輪廻転生を繰り返した魂でなければ、不可能。
けれどルナはまだ、月の女神の魂である自覚がない。この様子を見ていると、「ルシヤ」の前世は蘇っているようだが。
夜の神の助力だけで、どこまでいけるか。いくら夜の神の力が強くても、彼の神の上役である、マ・アース・ジャ・ハーナの神の火が、まだ灯っていない。
つまり、すべての人間の運命をつかさどる真砂名の神が、許していないということだ。
ZOOカードにはまだ、なんの象意も現れていない。
月の女神の塔も、火が灯っていない。
アンジェリカにも、どうなるか、分からないままなのだった。
ただ、これだけは確かだ。
ルナはかつて、「レペティール」にいた。
とても果てしない、レペティールに。
夜の神もだ。
「この階段、ルシヤちゃんに死の危険はないんだよな?」
ZOOカードが何なのかはこのあいだ知ったが、階段のことはまったく知らないジェイクが、アンジェリカに聞いた。
「死の危険なんかないよ。彼女が自分の罪を背負って上がりきれば、それで終了だ。今世はすべてがうまくいくようになるよ」
「……逃げる生活をしなくてもよくなる?」
ルシヤが不安そうに聞いた。大人たちはふたたび、いたわしげな顔でルシヤを見たが、アンジェリカは強くうなずいた。
「うん、そうだよ」
「……わたし、がんばるわ」
ルシヤはぎゅっと、二枚のカードを胸のあたりで抱きしめた。




