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キヴォトス  作者: ととこなつ
第三部 ~ハン=シィク篇~
233/943

101話 賢いアナウサギ 1


 ――ドアの開閉音に、ルシヤはビクリ! と全身を震わせた。


 どさりと、なにかが運び込まれる音がする。ひとのうめき声。舌打ち。ルシヤは見つからないように、倉庫の奥へ奥へと逃げた。


 あれから、何日すぎただろう。ルシヤは、二回ほど眠った。いままでに、食事は六度ほど運ばれてきた――飢えてはいない。


 何日か、経っている気がした。


 真っ暗な倉庫には窓がないし、時間がわからない。携帯電話は取り上げられてしまった。


 腕も足も縛られている。パンを放り込まれたときだけは、這ってそれを食べた。水も、犬みたいに皿の中身を舐めるしかなかった。


 だいたい、黒服の男たちはルシヤを原住民だと見下していたし、食事のあつかいが、まさに人間に対するそれではなかった。学校の同級生となにも変わりがない。暴力を振るわれないだけマシだ。


(パパ、大丈夫かな……)


 ルシヤは、それだけが心配だった。

 アンディの具合は、バンビのおかげで一時的にはよくなったけれど、治ったわけではないのだ。


(パパ、死んじゃったらどうしよう……)


 考えているだけで涙が出てくる。心細さが増した。ルシヤは必死で我慢して、涙をぬぐった。


 黒服たちに、ハンシックに連れて行かれた日。


 ルシヤはわんわん泣いた。アンディが、ルシヤを人質にとられて、本当は傷つけたくないひとを傷つけなければならなくなったあの日、めいっぱい泣いた。

 だからもう、泣かない。

 今はただ、どうやってここを脱出するか。考えるのはそれだけだ。


 もう、ルシヤもシュナイクルも、アズラエルも――みんなは、許してはくれないだろう。

 パパを。

 ルシヤもだ。

 自分たちがDLの出だと知っても、許してくれたあの優しい人たちを、裏切ってしまったのだ。

 パパを助けてくれようとしたバンビをも。


 ルナに嫌われると考えたら、せつなさで心臓がつぶれそうだった。


(ママは、わたしやパパの話を、聞いてくれるかな……)


 ほんとうは、傷つけたくはなかったんだって。


 それを考えると切なくて悲しくて、ますます涙がこぼれたが、泣くのはもうおしまいだ。


 今、ルシヤの嘆きを止めているのは、激しい怒りだった。


 なぜかは知らないけれど、自分を捕まえて、父親を脅し、ルナを捕らえようとしている女への怒りと憎しみが――。

 

 ルシヤは不思議だった。

 なぜかずっと、あの女に憎しみを抱いていたような気がするのが、不思議だった。

 初めて会ったはずなのに。

 なぜか、積年の恨み、という言葉が口をついて出る。

 そんなむずかしい言葉を、なぜ知っているのかも知らない。


 親父が失敗したら、おまえが外におびき出せといわれていたが、ルシヤはそれをする気はなかった。


 胸元のペンダントを、きゅっと握りしめる。

 中にあるのは、爆弾だ。


 ルシヤはあのとき、ハンシックの中にルナをおびき出しに行けと言われたら、みんなを逃がして、車のほうに爆弾を投げるつもりだった。


 もしかしたら、ハンシックもすこし燃えるかもしれないけれど。

 自分たちは降船かもしれないけれど。


 ――もう二度と、ママや、ルシヤや、ハンシックの人たちに会えなくなっても。


 あの日、アンディの具合がよさそうで、めずらしく彼のほうから、「図書館にでも行って、メシでも食って帰ろうか」といったのだ。


 ルシヤは嬉しかった。ものすごく嬉しかった。

 父が自分から、外に出たいといったのだ。


 それで、pi=poが運転するタクシーに乗って出かけた。

 K12区のサンダリオ図書館の入り口で降ろしてもらった。サンダリオ図書館は広い。図書館の建物だけでなく、敷地内にはガーデンや遊歩道、公園が整備されている。いい天気だった。


 公園を散歩がてら歩いていたら、いきなり黒い高級車が横付けされて、ルシヤとアンディはさらわれたのだ。


 朝も早い方だったので、ひと気はなかった。


 ルシヤに拳銃を突きつけた男は、アンディに、「いっしょに来ていただけますか」といった。言葉はていねいだったが、命令だった。アンディは乗らざるを得なかった。

 ルシヤは携帯電話の入ったバッグを取り上げられた。アンディもだ。


 目隠しをして大きな屋敷に連れてこられ、ルシヤは腕と足を縛られたまま、どこかの部屋にいた。父親だけが別室に連れていかれた。その時間はとてつもなく長く、短くも感じられた。


 そのあと、青い髪の女に引き合わされ、「ルナをここに連れてこい」といわれたのだった。


 理由を聞いても答えなかったし、ルシヤが口答えをするとアンディが殴られた。


 そのままハンシックに車で連れていかれ――アンディは。


 アンディは、ルシヤが人質に取られていたせいで、ふたりを――九庵とギォックを、傷つけてしまった。


 アズラエルと対峙したとき、ルシヤはついに号泣した。

 アズラエルには、アンディと友達になってほしかったのに。

 どうして、こんなことに。


 九庵がルシヤに気づいた時点で、黒服たちは車を発進させてしまった――アンディを、置いて。

 そのあと、ふたたび屋敷に連れてこられて、それからずっとルシヤは、ここにいる。


 パパはどうなったのだろう。

 つかまったのだろうか。

 この宇宙船はとても犯罪に厳しいところだ。もう、降ろされてしまっていたら。


(パパと離れ離れになったら)


 パパの病状が悪化して――死んでしまったら。

 ルシヤは震えた。それがなにより、怖かった。


 あの女は知らないのだろう。考えてみたこともないのだろう。

 追いつめられた人間が、いったい何をするか。


 ルシヤは幼子ながら、自分の命が拾い物であることは知っていた。

 いままで生きながらえてこられたのは運が良かったから。


 ルシヤの命を守り、救い上げてくれたのは、産んでくれた母親と父親と、今まで会った優しい人たちと、この宇宙船だ。

 命があることが僥倖(ぎょうこう)なのだ。

 大好きな人のためなら、惜しくはない。


 震えながら、悲しみながら、絶望しながら。

 ギラリと、子どもとは思えないほどの激情の炎を大きな目に宿らせて、ルシヤは誓った。

 爆弾を小さな手に握りしめて。


(あの女は、わたしが倒す)


 わたしの前世はルシヤだ。

 だれよりも強い女。運命を切り開き、生き切った強い女。

 だから負けない。

 パパは、わたしが守る。


 涙をぬぐい、腕のロープに噛みついた。さっきはやっと外したと思ったら、黒服たちがやってきて、結び直されてしまったのだ。


(見つかる前に、外さないと)


「……っくそ、」


 入り口のほうから聞こえた声に、ルシヤはビクリと跳ねたが、ドアは開いていない。


「だ、だれか、いるの……」


 おそるおそる上げた声に、「あなたこそ、だれですか」と返答があった。人がいる。ルシヤは味方かどうか分からなくて、とっさに返事をしなかった。


 先に、相手が動く気配がした。


 やがて足音が近づいてきて、すぐに手がルシヤの腕のロープにかかった。大人の手だ。その手はいとも簡単にルシヤの拘束をほどき、呆れたためいきを吐いた。


「まったく……やることが杜撰(ずさん)なんですよ。人質を隠す場所と同じ場所に放り込むとは……。このロープの結び目といい、やり口が単純にすぎる」


 さっき、ドアが開いたとき、放り込まれたのか。この人も人質なのだろうか。


「そのバカな連中に油断した私もバカですが……ああいう手合いがどんな行動に走るか見抜けなかった、私の失態ですね」


 ルシヤは、彼の独り言に、答えていいものかどうか迷った。

 でも、彼はルシヤを、助けようとしているのか。


「あの、」

「はい」


 暗闇で、すぐには気づかなかったが、ルシヤは、めのまえの大人の頭から血が出ているのに気づいた。


「ケ、ケガしてるの……?」


 大人はようやく、ルシヤに向かって話しかけた。


「わたしは平気です。すぐ病院に行きますから――それより、ルシヤ・L・ソルテさん?」

「はっ、はい!」

「あなたの名前ですね。お父様は、アンディ・F・ソルテさん?」


 ルシヤは再度うなずいた。


「私はアレニス・O・セターといいます。地球行き宇宙船の役員です。ご心配なく」


 アレニスは、ちらりとドアのほうを見て、ルシヤに言った。


「ここを、脱出しますよ」





 グレンは自分の役目を果たすため、すでに動き出していた。


 自前の銀髪と、ブルーグレーの目が際立つ、光沢のある深い紺の生地でできたオーダーメイドのスーツを着て、彼は戦場に(おもむ)いていた。


 K10区にあるムスタファ邸では、三日とあけずパーティーが開催されているわけだが、その日は伝説になった。


 なにせ、ずっと以前から招いていたのに、いい返事をくれなかった軍事惑星L18のドーソン家のご嫡男が、突如として単身、現れたからだった。


「おお、これは、グレンさん……!」


 ムスタファはもちろん、クラウドから織り込み済みだったが、知らぬふりをして自ら出迎えた。

 もともと、グレンの存在は、彼らにとって貴賓(きひん)に当たるのだ。


「どうも」

 グレンは鷹揚に微笑んだ。


「いままでこういう場を避けておられたあなたが来られたということは、また相当のことがあったようですな?」


 ムスタファも苦笑半分、探るような視線で問うた。


「いいえ。断る文句が浮かんでこなくなっただけですよ。それに、一度はあなたにお会いしてみたかったもので」

「それは光栄だ」


 ムスタファの案内でパーティー会場に現れたグレンは、あからさまなどよめきと密かな歓声によって迎えられた。


 なにせ、軍事惑星のドーソン家といったら名門中の名門。人類がL系惑星群に移住してきて以来、ずっと続いてきた名門である。L系惑星群の治安を担っている、軍事惑星の頂点ともいえる一族。


 名家の中でも別格なことに変わりはなかった――さらに、その後継者ときたら、代々目を見張るような美形ばかり。

 グレンの容姿も、ご婦人方の想像を外れなかったというわけだ。


「ムスタファ、ご紹介して」

「あら、あたくしが先に」

「家柄ではうちが先ですわ」

「家柄って――何時代の人間なのあなた」

「なんですって」

「軍服を着てらっしゃるのかと――スーツもお似合いね」

「これは参った! まずはお嬢様がた、グレンさんを席につかせてくださらないか」


 一斉に群がってきた女性陣に、ムスタファが呆れるほどだった。


 グレンが慣れた視線で一瞥(いちべつ)する。方々から、ためいきがこぼれた。


 整えられた容姿に加え、これほど隙のない男は見たことがない。ここに氾濫(はんらん)するモデルや芸能人も美しいことに変わりはないが、軽薄さと底の浅さが透けて見えるし、鍛えられた体形はつくられすぎて見飽きてくる。


 実用的に鍛え抜かれた身体と、生来の長身。

 冷やりとした空気の膜でも、グレンの周りにあるかのような。


 たやすく触れることなどできない冷たさと怖さと迫力を持ち合わせ、ついでに隠しきれない品が同居した男になど、そうそうお目にかかる機会などないのだ。


「ムスタファ様」

「うん?」


 執事が耳打ちした。ムスタファは短い報告を聞くと、「みなさん!」と手を叩いた。


「パーティーのさなかだが、多少模様替えを――いや、失敬」


 ムスタファの合図で、執事たちが、絢爛豪華(けんらんごうか)なフラワーアレンジメントを運んできた――フラワーアレンジメントというには、あまりに派手でゴージャスで、巨大だった。いったいどうやってここまで運んだかと思わせるような――広大なパーティールームの天井まで届く力作である。


 ますます高くなる歓声とざわめき。それを割るように、豪華な料理群と、きらびやかなスイーツの山、あふれる高級シャンパンの瓶が追加された。


 即席の用意にしては、上出来といっていいだろう。


「すべて、グレンさんがご用意されました。皆様へと」


 グレンはニコリと微笑むだけでよかった。主賓(しゅひん)はそれでよし。


 ご婦人たちの中には、感極まって倒れそうなものもいた。だがグレンは、殺到する香水瓶のような体臭と賞賛と謝辞にかまってはいなかった。


 ターゲットはあくまでも、ひとりだけ。


 パーティーの隅にいたアンジェラが立った。豪勢な人工花畑につかわれているのは、アンジェラがつくった器である。子ども用プールほどもある、波打った独特の形状の器は、派手な色彩の花々と、見事競演していた。


 まっすぐグレンの元へやってくる高慢な女に、婦人たちはいきなり目が覚めた顔をし、自分をグレンとの夢の世界から追い出さなければならなかった。


「あたしの作品をつかってくださったの」


 当然のように、グレンの隣に座った女に、突き刺さるような視線が浴びせられる。


「ご本人のように、お綺麗だと伺ったものですから」

「口がうまいのね」


 うっすら微笑みながら、グレンはめのまえに広がる貢物の宛先を考えていた。有象無象(うぞうむぞう)と、隣の女のためではない。もともと全部グレンの自腹である。

 ルナのためにと考えなければやっていられないが、本当なら首をねじ切りたい女に向かって微笑みを向けるのは、グレンにとってはもっとたやすいことだった。





 同時刻。

 グレンがアンジェラの動きを止めているあいだ――ジェイクとクラウド、ルナはアンジェラ邸に近づいていた。


 グレンはシュナイクルのシャイン・カードをつかったが、こちらはハンシックのポンコツワゴンにペイントを施したもので、ちゃんと道路を走ってきた。

 警察車両を模したペイントは、あとでちゃんと洗い流せるものだ。


「ルナちゃんが車運転できるってのは、助かったな」


 地球行き宇宙船の警察官衣装も、クラウドが手に入れた。

 ジェイクはそのままの容姿にサングラス、警察官の衣装だが、面が割れているクラウドは、髪を黒く染め、ペイントタトゥまで施していた。

 ルナも髪をひとつに結び、サングラスをした。ちょっとブカブカだが、警察官の服装。オプションに、やっぱり見えないはずの、ウサ耳。


「危険だから、ルナちゃんはここにいてくれ」

「うん。気を付けてね」


 ジェイクは、クラウドとともにまっすぐアンジェラ邸の門へ歩いて行った。


『だれだ?』


 門のインターフォン画面に、むさくるしく厳ついサングラス顔が映る。


「警察です」


 クラウドがつくったニセ警察手帳をチラつかせれば、あっさりボディガードは門を開けた。門の内側にいた警備員が出てくる。


 このあいだハンシックに来た連中と同じ、アズラエルたちに勝るとも劣らない、屈強な体躯だ。もと警察か、傭兵か。アンジェラの周囲だったら、チンピラもありうる。取っ組み合いになったら敵わないなとクラウドは思った。


「何の用ですか」

「すこし、館内を調べさせていただけますか」


 ジェイクがいった。やはり昔取った杵柄(きねづか)はめちゃくちゃ馴染んでいた。


「どうして」

「室内に、爆発物の存在が確認されてます」

「――は?」


 想定外の言葉に、ボディガードは間抜けな声を上げた。


「ほら、見て」


 ジェイクが、クラウドから借りた探査機の画面を見せた。画面の中央で、赤いランプが点滅している。


「心当たり、ありますか」

「い、いや――?」


 本気で戸惑っていた。無理もない。


「この宇宙船は、許可がなければ武器弾薬、爆発物の保管と持ち込みは禁止されてます。このあたり、高級住宅街なんでね。そういうのは格別厳しい――」

「ああ! わかった、わかった。調べてくれ」


 最近、いろいろなことがあって、警察の出入りも激しかったのだろう。ボディガードはあわてていって、ジェイクの言葉が終わる前に、門をすっかり開けた。


「おい、アレを別の部屋に移せ」

『了解』


 聞こえないとでも思ったのだろうか。少し離れたところでしている、トランシーバー越しの会話内容は、クラウドもジェイクもしっかり聞いていた。

 


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