100話 アンディ親子救出大作戦 Ⅱ 3
そのころ、ハンシックでは、シャイン・システムに想定外の来客ランプがついた。
ルナとアズラエルだったら、ストレートに入ってくるはず。
シュナイクルが、厨房にあるシャインの内部を確認する画面を見ると、ダックだ。
すぐにロックを外すと、猛烈な勢いで飛び出し、あっという間に店のほうへ来た。彼の来訪は、シュナイクルには想定外だったが、クラウドは想定内だった。
「来るのが遅かったな」
ホワイトボードのまえで、クラウドはルシヤとアンディの担当役員を出迎えた。
「アンディがいねえ!!」
ダックは、店のほうに駆け込むなり叫んだ。
「ルシヤもだ――帰ってこねえし、連絡がつかねえ!! ここに来てんのか? もう、電子腺の手術台に乗っかったか!?」
「落ち着いて、ダック」
バンビが、なだめるようにダックに寄り添い、椅子に座らせた。セルゲイが水を持ってくる。ダックはひったくるようにして、ごくごくと飲んだ。
「ふたりはここにはいない。そろそろ、君に連絡しようとしていたところだったんだ」
「え?」
クラウドの台詞に、ダックは口を開けた。
「いいかい? 落ち着いて聞いてくれ。ルシヤの居場所は分かってる――君は、役所に、ふたりの行方不明届を出したかい?」
「い、いや、まだだ……そんなのがあんのか?」
ダックの言葉を聞いて、全員がほっとしたように肩を落とした。
「よかった。まだで。内々に解決しようとしたところに、役員が動かれちゃたまんないからな」
「いったいなにがどうなってんだ!? ふたりはどこに!?」
「今から説明する。ダック、ふたりが消えたのを知っているのは、今のところ君だけかい? 奥さんは?」
ダックはようやく、何事かが起きているのに気づいたようだ。もう一杯水を所望し、飲んでから、やっと冷静な顔で言った。
「まだ、知らねえよ……朝アパートにいったら、ふたりともいなくて……電話も出ねえし、図書館やら、モジャバーガーやら、行きそうなとこを片っ端から回ってきたんだ」
「それで、ここへ」
「ああ……どこ行ったんだろう。薬をもらったって、アンディはまだ、治ったわけじゃねえのに」
クラウドとバンビは交互に、ここ最近起こった出来事――ルナがアンディに誘拐されそうになったこと、ルシヤがすでに、この事件の黒幕に誘拐されていること。警察に知らせると、アンディの降船がたちどころに決まってしまうことから、自分たちだけでルシヤを奪還し、アンディを電子腺装置に入れて完治させる計画などを、なるべくわかりやすく、話した。
ダックはそれを聞き、青くなったり白くなったり、椅子の上で飛び跳ねて一脚壊してみたり、汗をふきふき、水をもう一杯飲んだりとせわしなかった。
だが、しまいにはいった。
「つまり、俺はどうすりゃいい」
「君は、黙っていてくれればいい――アンディの治療がすむまで」
「そうか。わかった。わかったよ」
あっさり、ダックはうなずいた。
「アンディとルシヤを助けてくれんなら、なんでもいいよ」
宇宙船には黙っている。それがバレてクビになったとしても、べつにいいとまでダックは言った。
「女房も、特にこの宇宙船に未練はねえから。同族だしな。この宇宙船でも友人はできたけど、俺たちに故郷はある。もどったほうが、そんなに忙しくねえから子どもも持てるかもしんねえし――アンディたちが助からねえほうが、俺はイヤだよ」
「……ふたりの降船は、やっぱり、」
バンビは言いかけ、ダックがしゅんと肩を落としているのを見て聞くのをやめた。
「大怪我をさせちまったんだろう。だったら、きっと無理だ」
それはダックにもわかっている。九庵は役員だし、ギォックは船客。ふたりに、生死をさまようような大怪我をさせてしまった以上、降船はどうあっても免れない。
「そうだ。おまえらの言う通りだよ。アンディが今捕まったら、牢屋に入って、一週間後にゃ強制降船だ。どうあっても、治療なんか受けてる時間はねえ」
バンビのつくった電子装甲帯除去装置は違法である。違法でない治療だったら、人道的側面から降船を遅らせられたかもしれないが、今回の場合、それも不可能なのだった。
「でも、アンディの命だけは、助けてくれ」
ダックは、バンビに向かって頭を下げた。
バンビは涙ぐみながら、「ぜったい助けるわ」といった。
絶対もなにも、作戦がうまくいかなければ、どうなるかさえわからないけれども。
昨夜、アンディの吐いた血の量と、顔色の悪さを見て、いよいよ危ないとバンビは思っていた。
あんな状態で電子腺をつかうなど、命を縮めるだけだ。
クラウドの作戦がうまくいくかより、どこかで野垂れ死んでいないかということのほうが心配だった。
もう、生命が尽きているのではないかと――。
「アンディの居場所が分かったなら、俺も説得するよ。ルシヤはおまえらが助けてくれるんだろ」
「ああ」
「いったい、アンディは、どこにいるんだ……」
ダックは言いかけて、考え込むように首を傾げた。
昨夜から、行方知れずになっている。アパートに帰っていないということは、どこにいるのだろう。アンジェラの屋敷とは考えにくいし、いったいどこへ。
クラウドはまだ、彼のゆくえを装置で追っていない。彼はまだ何も言わない。
昨夜は「まだ生きている」と言ったが、ひと晩経って、無事かどうかはまだ分からない。
話しているうちに、アズラエルとルナがもどってきた。
「九庵は、元気だったぞ」
「ギォックさんも、全治半年だけども、起きてお話ができました」
ふたりはダックの姿を見て、「おはよう」とあいさつをした。ダックはあいさつを返す前に、「あっ!」と叫んだ。思い出したのだ。
「まだ、行ってねえところがある」
ハンシックの車を借りて、雪原を走った。運転手はアズラエルだ。クラウドとバンビ、ルナ、ダックが同乗して、ダックの案内通りに、なにもない雪原を走った。
西のほうへまっすぐ――K26区の境界に近いほうへ。
やがて、雪原にひっそり建つ一軒家が見えてきた。
「あそこだ!」
ダックが叫んだ。
「あんなところに、家があったの」
あまりに辺鄙な場所である。二、三本の木が立っているだけで、周りは一面雪原だ。
ハンシックも雪原の一軒家といえばそうだが、周囲に何棟かのコテージや、駐車場もある。
ここは小さな庭だけで、周囲には何もない。
あまりに頼りない、年季の入ったボロボロの木の塀で囲まれた、平屋の一戸建て。
「ここは昔、有名な小説家が建てた別荘だ。もう持ち主は死んじまって、宇宙船の管理になってる」
車から降り、周囲を見回せば、雪が吹きあがって視界をなくした。
「天気が良ければ、ここからハンの樹も見えるんだ」
ダックは言った。
K16区はアンディ親子にとって居心地がいい場所ではなかった。さらに、アンディの病状もあって、住宅街に住むのは危険だと、以前から医者にも言われていたのだ。
ダックは引っ越し先を探していたが、病院は入院の一点張り。しかたがなかった。アンディの症状は、通常の病とは違う。
「だけどよ……地下の防火シェルターみてえなとこに閉じ込められちまうなんて、あんまりだと思ってよ……」
入院したが最後、ルシヤとはもう会えない。地下の防火シェルターで燃え尽きるのを待つだけの入院なんて、あまりに哀れでならなかったダックは、必死でこの物件を探し当てたのだった。
「ここだったら……すくなくとも、ほかに迷惑はかけねえだろ……」
ダックは小さな家を見上げた。
ハンの樹も見える家。ハンシックも近い。ダックは好物件を探し当てたと思っていた。
しかし、もうそのころには、アンディは自力で外に出るのが不可能になっていて、引っ越しができないでいた。
バンビのくれた薬や装置のおかげでなんとか持ち直し、すぐにでも引っ越そうと計画を立てていた矢先にこれだ。
ダックが持っていた合鍵でドアを開けると、玄関先に消し炭が転がっていた。だれも、それがなにか分からなかったのだが、クラウドがやっと、「靴か?」とつぶやいた。消し炭になったスニーカー。
クラウドが触れると、ボロリ、と崩れて割れた。
ルナは昨夜、アンディの足元だけ、雪が消えて黒い土が見えていたのを思い出した。
部屋の中に点々と続く、血の跡。壁にべっとりついた、指の血痕は、さながらホラーだ。
窓が多く、室内が明るいことが救いだった。ルナはアズラエルにしがみつきながら入室した。
「あっ!!」
思わずダックは土足で奥まで行ってしまった――血まみれのシーツがぐちゃぐちゃになって、絨毯の上にあった。ソファも血まみれ。事件でもあったような光景だ。
「アンディ! ルシヤ!!」
叫んだが、答えはなかった。
「すくなくとも、昨夜まで、アンディはここにいたってことだな」
アズラエルの前からこつ然と消えたそのあと――アンディはきっとここに来て身を休めた。
「シャワーブースをつかった形跡がある」
浴室を覗いてクラウドが叫んだ。
「服がねえよ」
ダックがいった。クローゼットが開けっ放しで、中の衣類が外に出されていた。血まみれの服を着替えて、外に出たか。
クラウドは、探査機で、はじめてアンディの居場所を捜し、確認した。思案しているあいだに、一通のメールが届く。グレンからだった。
「準備完了」とある。クラウドはそれを見て、皆に告げた。
「一度ハンシックにもどろう。作戦開始だ」
外に出ると、吹雪はやんでいた。
遠く、東のほうにハンの樹が見える。
ルナもまた、アンジェリカからのメールを読んで、自分の想像が間違っていなかったことを確信した。
アンディのカードを手に入れて、どうしたらいいかずっと考えていたのだが、なんとなく、真砂名神社に行ったほうがいい気がしていたのだった。
もう、そんなのんびりした余裕はないけれども。一刻も早く、それをしなければならないけれども。
不思議なもので、ルナはまったく、怖くはなかった。
昨夜は震えが止まらないほど怖かったが、今はなにも恐怖はなく、自然に心が凪いでいるのだった。
胸に、ハン=シィクの風が吹いている。
パルキオンミミナガウサギは、ルナの中にいる。
ルナはきゅ、とアンディのカード――「運のいいピューマ」のカードを握った。
ルナがすべきことは、たったひとつだ。
ハンシックにもどったルナは、ルシヤの部屋を借りて、着替えた。
この日のために用意していた服装だ。
黒いTシャツにジーンズにブーツ。黒のロングコートで現れたルナに、シュナイクルたちはわずかに目を見開いた。
「ルシヤだ!」
ルシヤだけは盛大に、「い、いいな。かっこいいぞルナ!」と叫んだ。
「ありがとう!」
ルナも鼻息荒く叫んだ。
「じいちゃん、わたしもこの格好したい!!」
いつも通りいったが、同じ服の持ち合わせは、今のところなかった。なので、その意見は却下されたが、めずらしくじいちゃんは、服は間に合ってるだろとは言わなかった。
全部が終わったら、買ってやると約束をした。
「グレンの用意が整った」
クラウドは宣言した。
「はじめるぞ」
全員から、「おう!」の掛け声が上がった。




