100話 アンディ親子救出大作戦 Ⅱ 2
「もう庇いきれません。このことをシグルスさまにご報告させていただきます」
すっくと立ちあがったアレニスのほうを、アンジェラはもう見てさえいなかった――「ジルド」そっけないほどの口調で愛人の名を呼ぶ。
ジルドがアレニスの前に立ちはだかった。だがその顔にはまだ迷いがある。
「おどきなさい!」
アレニスの鋭い叱咤――アンジェラと、アレニスと、ジルドにとってどちらが怖いかといったらアレニスのほうだ。
彼はアンジェラのお目付け役。
地球行き宇宙船が、アンジェラにつけた見張り役だ。
アレニスが怒る理由も、ジルドは分かっている。
彼は、アンジェラが勝手に屋敷のボディガードと愛人を動かして、ハンシックとかいう店の子どもを誘拐しかけたことを怒っている。
当然だった。アレニスは相当の金を動かして、その危機を救ったのだ。未遂だったし、子どもにもケガはなかったから、警察も厳重注意ですんだ。でも、それは、すべてアレニスの尽力のおかげだ。
アンジェラは、すでに何度か騒動を起こしている。
軍事惑星L20の首相の娘を狙ったこと、金を積んで船客を勝手に降ろさせたこと、ルナに対する脅し――乗船禁止になっていないのが不思議なくらいだ。
ララがどう手配をして、アンジェラの降船を取り下げたのかは、ジルドは知らない。
アレニスも、すくなくとも地球行き宇宙船の役員として、大事になる前にコトをおさめた。
ララに報告が行く前に。
そして、今回のことは――。
「まあ、待ってくれよ、頼むよ、俺からも。子どもはケガがなかったって言ったじゃないか」
ジルドはいつもの調子で軽く、両手を広げた。
「いつの話をしてらっしゃるんです?」
アレニスは、バカを見る目でジルドを見ていた。
「そんな話をまだしていらっしゃるってことは、あなたはご存じないんですね」
「ど、どういうこと?」
「このお屋敷に、誘拐された子どもがすでにいるってことですよ!」
「ジルド!!」
アンジェラが苛立ったように叫んだ。ジルドは焦った。
「あんた、この宇宙船降りたいの!? あたしのそばから離れたいって?」
「そ、そんなわけねえじゃねえか、アンジー」
「おどきなさい、あなたにかまっているヒマは――」
アンジェラが、自分でつくった見事なガラス細工の花瓶を――両手で持って振り上げたのを、ジルドはぼうっと見ていた。
派手な音を立ててガラスが割れ、アレニスはひっくり返った。
「ひいぃ」
ジルドは尻もちをついた。
「さっさと片付けなさいよ。このバカ」
片付けるというのは、花瓶の破片ではないだろう。絨毯の上に、頭から血を流して倒れている役員のほうだ。
ジルドは、数日前のことを思い出していた。
この部屋に、見たことのないイケメンがいたのだ。金髪で、眼鏡をかけていて、手にグローブを付けている。ガタイはずいぶんしっかりしていてアズラエルくらいもあるのに、なんだか自信なさそうに背を丸めている。震えてさえいたかもしれない。まぁそうだ。だれだって、アンジェラの前に出れば多少は怖気づくし、その綺麗な足を舐めたいってきっと思うはずだ。
ジルドはその男を、アンジェラの新しい愛人だと思っていた。K34区あたりで拾ってきたのかもしれない。顔と身体はいいけど、浮浪者みたいに擦り切れたトレーナー、薄汚れたスニーカー。
なにもかもがアンジェラの好みだ。ジルドは嫉妬した。アズラエルがいなくなってから、ジルドが一番のお気に入りだったから。
「娘を返してほしかったら、あの女をここへ連れてきて」
アンジェラのその台詞で、どうやら愛人ではなく刺客を雇ったのだとわかった。子持ちの刺客か。ジルドは安心半面、ちょっと不安になった。このあいだ、女の子を誘拐しかけたとかで、アレニスとひと悶着あったばかりだ。
アンジェラは男にしか興味なかったはずなのに。
「“でんしそうこうへい”なんだって? あんた」
金髪の男がひときわ大きく震えた気がした。アンジェラの笑みがとても美しくなった。ジルドが好きな顔だ。悪だくみしているときの、女王の顔。
「そんな顔しなくても、黙っててあげるわよ……ね、うまくいったら、ご褒美に、あんたと寝てあげるから」
アンジェラの誘いなんて、ご褒美以外の何物でもないのに、男はもっと怯えて椅子から立ち上がり、距離を取った。
「可愛いのねえ……ますます気に入ったわ」
「やめてください! あ、あんたが、燃えちまう……!」
アンジェラもだが、ジルドも、彼がなにをいっているのか分からなかった。アンジェラは吹き出し、
「いいわねえ。燃やしてもらおうじゃないの」
「頼むから、近づかないで!」
男は完全に怯えきっていた。ジルドは呆れた。殺し屋にすら見える荒み切った風貌なのに、女ひとりにあそこまで怯えるなんて――。
ほんとうに、役に立つのか?
「あたし、いつだって燃えてるのよ? ベッドでだって、ここでだって……」
それは、ジルドたち下僕に対してではなく、ララに対する恋の火だということは、ジルドには分かっていた。アンジェラはいつだって、ジルドたちの向こうにララを見ている。
すぐにでもドレスの裾を上げて、下着を脱ごうとするアンジェラを邪魔したのは、ジルドではなくボディガードのひとりだった。
「アンジェラさま、用意ができました」
「なにそれつまんない」
アンジェラは裾を降ろした。男はずるずると頭を抱えてうずくまったし、ジルドはすこし残念な気もした。
ボディガードも、割って入ったのはわざとだろう。なにせ、この屋敷のボディガードすべてと、アンジェラは寝ているのだ。
アンジェラの無法は分かっているのに、ララがこれを放っておくのが、ジルドには不思議でならなかった。
「さ、いっといで」
アンジェラは、まるで犬にフリスビーでも取らせるように、金髪に言った。
「首尾よくやったら、褒美をあげる。失敗したら、娘の命はないよ」
そういって出て行ってから、イケメンは帰ってこなかった。
おそらくルナの奪還は失敗した。帰ってきたのはおそらく娘だろう少女だけだったし、あの子はどこかの部屋に閉じ込められている。
あの男が帰ってこないということは、次の機会を狙っているのか。
どちらにしろ、成功しなければ、娘は返してもらえないのだろう。
一連のことがアレニスにバレたのは、ジルドの失策ではない。
ジルドだって、まずいと止めたのだ。だが、ジルドが止めてアンジェラがやめるようなら、今までだって事件なんか起こっていない。
ジルドは、ただひたすらにアズラエルたちを恨んだ。
ロッテ・コスカーテの滝なんかで、遊んでいた奴らを恨んだ。
「あんたが悪いのよジルド。あいつらがいると知って、あたしをあそこに連れて行ったあんたが」
冗談ではない。ジルドは知らなかったのだ。
運が悪かっただけだ。
ジルドは、電子装甲兵がなんなのかは知らない。おそらくアンジェラもだろう。電子装甲兵がどんなものかは関係ない。どうでもいい。
――ルナを捕らえられれば。
でもわかった。やっとわかった。
アンジェラは、やはりまだ、ルナを降ろすことをあきらめてはいなかったのだ。
あのときロッテ・コスカーテの滝で見た、ルナと一緒にいた連中を、ボディガードのだれかに命じて調べさせた。
彼女が見たのは、川で遊ぶ、ルナとふたりの子どもだけ。
その片方の誘拐に失敗して、もう片方に目を付けた。電子装甲兵という元テロリストの娘のほう。
ジルドは止めた。ちゃんと止めた。
前回、あれだけララに仕置きを食らったのに、懲りないアンジェラが悪いのだ。
――いや。
アンジェラは、味を占めたのかもしれない。
ジルドはふと思った。
ララを怒らせれば、自分だけを向いてくれるからと――。
作戦部隊がそれぞれ行動を開始する――まえに、やるべきことがあった。
シュナイクルたちは、長期休業へ向けての手配。クラウドは作戦の最終的なまとめ。バンビは電子腺装置の最終メンテナンスと、アンディ救助の用意。
グレンは、スーツと身だしなみを整えた。
そしてアズラエルとルナは、中央区の病院にいた。
「おまえは不死身なのか?」
アズラエルが呆れるのも無理はない。九庵は、腕に多少の包帯を巻いていたものの、ほぼ完治していたからだった。焼けただれていたはずの左まぶたでさえ、すっかり治って開いている。
ギォックのベッドのそばの椅子に腰かけて、棒アイスなぞ食っているものだから、心配して損したとアズラエルが思うのは無理もない。
「具合はどうだ」
ギォックは、顔も身体も包帯だらけで、横たわったままだが起きていた。ルナが持ってきた花束は、九庵が受け取った。「花瓶を借りてきますわ」といって席を外した。
「昨夜は礼を言いそびれた。ルナを助けてくれてありがとう」
「……ありがとうございましゅ」
アズラエルは、ギォックに聞こえるように、耳元で。ルナは半泣きになりながら、いった。
ギォックはかすかに微笑み、乾いた口元を動かした。
「ルナさんが……無事で、よかった、でしょう……」
アズラエルは、ギォックの包帯だらけの手を握った。ルナもだ。
「……キュウアン、から、聞きました」
アズラエルが言葉を選んでいるあいだに、ギォックが先にいった。
「警察にはいわないでおこうと思います。なにせわたしは、この調子なので……警察は、キュウアンから話を聞くだけです……」
「本当にすまない」
「いいんです……バンビが、この日のためにがんばってきたのでしょう……あの男も、アンディという男でしたか。心底怯えていました……おそらく、だれも傷つけたくなかった……分かります。だが、手負いの獣は、怯えて攻撃を仕掛けてくるものです……あのものも、おそらく、そうでしょう」
九庵が、花瓶に花を挿して持ってきた。
「心残りといえば、わたしは、任務で宇宙船に乗りましたから……その任務を果たせなくなることが、困ります……」
「俺は、おまえの代わりになれるか?」
「アーズラエルならば、なれるでしょう。あなた、立派な戦士です。あの男に怯まなかった……」
「わかった。なら、どんな任務か知らんが、俺がおまえの代わりをやる」
「ありがとう。わたしは、全治六ヶ月、といわれました。ある程度良くなったら、故郷に帰らねばなりません……パコはいなくなっても、故郷に戦士は少ないのです……」
ギォックは、ルナを見た。
「心を病まないように」
「ギォックさん……!」
「わたしは、あなたを守れたことが誇りです。わたしのケガは、気にしなくていい。助かったことを、喜んでください……女を守れないことは、アノールの男にとっては屈辱なのです。それを忘れないで……」
「……ほんとにありがとうございました」
「少し、眠りましょう……見舞いを、ありがとう……」
ギォックはスッと目を閉じた。ふたりは一瞬焦ったが、すぐさまいびきが聞こえたので、あからさまに肩を落とした。
ゆっくりはしていられない。
すぐ病室から出たふたりに、九庵がついてきた。
「いやあ、わしもルナさんのボディガード失格で。今日中には退院できませんでしたわ」
頭をかきかき言っている横で、ヨボヨボのじいさんが何もないところで蹴躓き、九庵はさっと手を貸した。
「いや、すいませんな」
「なんのなんの――とまあ、こんな具合で。病院内で人助けは終わってしまいそうで」
「クラウドの計画で行けば、今日中に始末がつくはずだ」
アズラエルは言った。
「なら、わしの出番はありませんな。なんとなく、今回はそんな予感がします」
「……前々から聞きたかったが、おまえの雇い主はだれなんだ?」
「う~ん。知らん方がいいと思いますな」
九庵は苦笑いしてそういった。
「あんたも傭兵でしょうから、多少は調べとるんでしょうけども。わしの昔話は、そのうちしますよ。知らん人間じゃ、ボディガードなんていわれても、薄気味悪いだけでしょうから。それで、昨夜のことなんですが」
「ああ」
「わしらのケガは、K33区の祭りでってことで始末がつきました。ギォックの仲間にも口裏合わせてもらってます。ギォックはなにも覚えていないで通すそうですし、こちらは心配いらんでしょう」
「そうか。助かった」
「なにやらギォックさんはお仕事で乗ったようで――そちらは、アズラエルさんが肩代わりするんですよね? 先方もそのつもりでおったようで、それで納得してもらいましたから」
「仕方ねえよな。ま、ふつうなら、任務内容もきかねえで仕事請け負うことはねえんだが、今回は特殊だ」
「傭兵が、ただ働きしていいんですか」
「よくねえよ。今回は特別っていっただろ――まあ、俺でできることならいいんだが――それより、すまなかった。手間をかけさせたな。ぜんぶ終わったら、礼はする」
「あまり気にせんでいいですよ。こっちも仕事ですから。でもなにかもらえるなら、甘いモンがいいな」
「わかったよ」
アズラエルはニヤリと笑って、ルナの背を押した。
「ルナさん、アズラエルさん」
九庵が真面目な口調でいった。
「お気をつけて」
「おう」
アズラエルは短い返事を――ルナもぴょこんとうなずき、病院をあとにした。




