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キヴォトス  作者: ととこなつ
第三部 ~ハン=シィク篇~
231/943

100話 アンディ親子救出大作戦 Ⅱ 2


「もう(かば)いきれません。このことをシグルスさまにご報告させていただきます」


 すっくと立ちあがったアレニスのほうを、アンジェラはもう見てさえいなかった――「ジルド」そっけないほどの口調で愛人の名を呼ぶ。


 ジルドがアレニスの前に立ちはだかった。だがその顔にはまだ迷いがある。


「おどきなさい!」


 アレニスの鋭い叱咤――アンジェラと、アレニスと、ジルドにとってどちらが怖いかといったらアレニスのほうだ。


 彼はアンジェラのお目付け役。

 地球行き宇宙船が、アンジェラにつけた見張り役だ。


 アレニスが怒る理由も、ジルドは分かっている。

 彼は、アンジェラが勝手に屋敷のボディガードと愛人を動かして、ハンシックとかいう店の子どもを誘拐しかけたことを怒っている。


 当然だった。アレニスは相当の金を動かして、その危機を救ったのだ。未遂だったし、子どもにもケガはなかったから、警察も厳重注意ですんだ。でも、それは、すべてアレニスの尽力のおかげだ。


 アンジェラは、すでに何度か騒動を起こしている。

 軍事惑星L20の首相の娘を狙ったこと、金を積んで船客を勝手に降ろさせたこと、ルナに対する脅し――乗船禁止になっていないのが不思議なくらいだ。


 ララがどう手配をして、アンジェラの降船を取り下げたのかは、ジルドは知らない。

 アレニスも、すくなくとも地球行き宇宙船の役員として、大事になる前にコトをおさめた。

 ララに報告が行く前に。


 そして、今回のことは――。


「まあ、待ってくれよ、頼むよ、俺からも。子どもはケガがなかったって言ったじゃないか」


 ジルドはいつもの調子で軽く、両手を広げた。


「いつの話をしてらっしゃるんです?」

 アレニスは、バカを見る目でジルドを見ていた。

「そんな話をまだしていらっしゃるってことは、あなたはご存じないんですね」

「ど、どういうこと?」

「このお屋敷に、誘拐された子どもがすでにいるってことですよ!」


「ジルド!!」


 アンジェラが苛立ったように叫んだ。ジルドは焦った。


「あんた、この宇宙船降りたいの!? あたしのそばから離れたいって?」

「そ、そんなわけねえじゃねえか、アンジー」


「おどきなさい、あなたにかまっているヒマは――」


 アンジェラが、自分でつくった見事なガラス細工の花瓶を――両手で持って振り上げたのを、ジルドはぼうっと見ていた。

 派手な音を立ててガラスが割れ、アレニスはひっくり返った。


「ひいぃ」


 ジルドは尻もちをついた。


「さっさと片付けなさいよ。このバカ」


 片付けるというのは、花瓶の破片ではないだろう。絨毯の上に、頭から血を流して倒れている役員のほうだ。


 ジルドは、数日前のことを思い出していた。


 この部屋に、見たことのないイケメンがいたのだ。金髪で、眼鏡をかけていて、手にグローブを付けている。ガタイはずいぶんしっかりしていてアズラエルくらいもあるのに、なんだか自信なさそうに背を丸めている。震えてさえいたかもしれない。まぁそうだ。だれだって、アンジェラの前に出れば多少は怖気づくし、その綺麗な足を舐めたいってきっと思うはずだ。


 ジルドはその男を、アンジェラの新しい愛人だと思っていた。K34区あたりで拾ってきたのかもしれない。顔と身体はいいけど、浮浪者みたいに擦り切れたトレーナー、薄汚れたスニーカー。


 なにもかもがアンジェラの好みだ。ジルドは嫉妬した。アズラエルがいなくなってから、ジルドが一番のお気に入りだったから。


「娘を返してほしかったら、あの女をここへ連れてきて」


 アンジェラのその台詞で、どうやら愛人ではなく刺客を雇ったのだとわかった。子持ちの刺客か。ジルドは安心半面、ちょっと不安になった。このあいだ、女の子を誘拐しかけたとかで、アレニスとひと悶着あったばかりだ。

 アンジェラは男にしか興味なかったはずなのに。


「“でんしそうこうへい”なんだって? あんた」


 金髪の男がひときわ大きく震えた気がした。アンジェラの笑みがとても美しくなった。ジルドが好きな顔だ。悪だくみしているときの、女王の顔。


「そんな顔しなくても、黙っててあげるわよ……ね、うまくいったら、ご褒美に、あんたと寝てあげるから」


 アンジェラの誘いなんて、ご褒美以外の何物でもないのに、男はもっと怯えて椅子から立ち上がり、距離を取った。


「可愛いのねえ……ますます気に入ったわ」

「やめてください! あ、あんたが、燃えちまう……!」


 アンジェラもだが、ジルドも、彼がなにをいっているのか分からなかった。アンジェラは吹き出し、


「いいわねえ。燃やしてもらおうじゃないの」

「頼むから、近づかないで!」


 男は完全に怯えきっていた。ジルドは呆れた。殺し屋にすら見える荒み切った風貌なのに、女ひとりにあそこまで怯えるなんて――。

 ほんとうに、役に立つのか?


「あたし、いつだって燃えてるのよ? ベッドでだって、ここでだって……」


 それは、ジルドたち下僕に対してではなく、ララに対する恋の火だということは、ジルドには分かっていた。アンジェラはいつだって、ジルドたちの向こうにララを見ている。

 すぐにでもドレスの裾を上げて、下着を脱ごうとするアンジェラを邪魔したのは、ジルドではなくボディガードのひとりだった。


「アンジェラさま、用意ができました」

「なにそれつまんない」


 アンジェラは裾を降ろした。男はずるずると頭を抱えてうずくまったし、ジルドはすこし残念な気もした。

 ボディガードも、割って入ったのはわざとだろう。なにせ、この屋敷のボディガードすべてと、アンジェラは寝ているのだ。

 アンジェラの無法は分かっているのに、ララがこれを放っておくのが、ジルドには不思議でならなかった。


「さ、いっといで」

 アンジェラは、まるで犬にフリスビーでも取らせるように、金髪に言った。

「首尾よくやったら、褒美をあげる。失敗したら、娘の命はないよ」


 そういって出て行ってから、イケメンは帰ってこなかった。

 おそらくルナの奪還は失敗した。帰ってきたのはおそらく娘だろう少女だけだったし、あの子はどこかの部屋に閉じ込められている。

 あの男が帰ってこないということは、次の機会を狙っているのか。

 どちらにしろ、成功しなければ、娘は返してもらえないのだろう。


 一連のことがアレニスにバレたのは、ジルドの失策ではない。

 ジルドだって、まずいと止めたのだ。だが、ジルドが止めてアンジェラがやめるようなら、今までだって事件なんか起こっていない。


 ジルドは、ただひたすらにアズラエルたちを恨んだ。

 ロッテ・コスカーテの滝なんかで、遊んでいた奴らを恨んだ。


「あんたが悪いのよジルド。あいつらがいると知って、あたしをあそこに連れて行ったあんたが」


 冗談ではない。ジルドは知らなかったのだ。

 運が悪かっただけだ。


 ジルドは、電子装甲兵がなんなのかは知らない。おそらくアンジェラもだろう。電子装甲兵がどんなものかは関係ない。どうでもいい。


 ――ルナを捕らえられれば。


 でもわかった。やっとわかった。

 アンジェラは、やはりまだ、ルナを降ろすことをあきらめてはいなかったのだ。


 あのときロッテ・コスカーテの滝で見た、ルナと一緒にいた連中を、ボディガードのだれかに命じて調べさせた。

 彼女が見たのは、川で遊ぶ、ルナとふたりの子どもだけ。

 その片方の誘拐に失敗して、もう片方に目を付けた。電子装甲兵という元テロリストの娘のほう。


 ジルドは止めた。ちゃんと止めた。

 前回、あれだけララに仕置きを食らったのに、懲りないアンジェラが悪いのだ。


 ――いや。

 アンジェラは、味を占めたのかもしれない。

 ジルドはふと思った。

 ララを怒らせれば、自分だけを向いてくれるからと――。




 作戦部隊がそれぞれ行動を開始する――まえに、やるべきことがあった。

 シュナイクルたちは、長期休業へ向けての手配。クラウドは作戦の最終的なまとめ。バンビは電子腺装置の最終メンテナンスと、アンディ救助の用意。


 グレンは、スーツと身だしなみを整えた。

 そしてアズラエルとルナは、中央区の病院にいた。


「おまえは不死身なのか?」


 アズラエルが呆れるのも無理はない。九庵は、腕に多少の包帯を巻いていたものの、ほぼ完治していたからだった。焼けただれていたはずの左まぶたでさえ、すっかり治って開いている。

 ギォックのベッドのそばの椅子に腰かけて、棒アイスなぞ食っているものだから、心配して損したとアズラエルが思うのは無理もない。


「具合はどうだ」


 ギォックは、顔も身体も包帯だらけで、横たわったままだが起きていた。ルナが持ってきた花束は、九庵が受け取った。「花瓶を借りてきますわ」といって席を外した。


「昨夜は礼を言いそびれた。ルナを助けてくれてありがとう」

「……ありがとうございましゅ」


 アズラエルは、ギォックに聞こえるように、耳元で。ルナは半泣きになりながら、いった。

 ギォックはかすかに微笑み、乾いた口元を動かした。


「ルナさんが……無事で、よかった、でしょう……」


 アズラエルは、ギォックの包帯だらけの手を握った。ルナもだ。


「……キュウアン、から、聞きました」


 アズラエルが言葉を選んでいるあいだに、ギォックが先にいった。


「警察にはいわないでおこうと思います。なにせわたしは、この調子なので……警察は、キュウアンから話を聞くだけです……」


「本当にすまない」

「いいんです……バンビが、この日のためにがんばってきたのでしょう……あの男も、アンディという男でしたか。心底怯えていました……おそらく、だれも傷つけたくなかった……分かります。だが、手負いの獣は、怯えて攻撃を仕掛けてくるものです……あのものも、おそらく、そうでしょう」


 九庵が、花瓶に花を挿して持ってきた。


「心残りといえば、わたしは、任務で宇宙船に乗りましたから……その任務を果たせなくなることが、困ります……」

「俺は、おまえの代わりになれるか?」

「アーズラエルならば、なれるでしょう。あなた、立派な戦士です。あの男に怯まなかった……」

「わかった。なら、どんな任務か知らんが、俺がおまえの代わりをやる」

「ありがとう。わたしは、全治六ヶ月、といわれました。ある程度良くなったら、故郷に帰らねばなりません……パコはいなくなっても、故郷に戦士は少ないのです……」


 ギォックは、ルナを見た。


「心を病まないように」

「ギォックさん……!」

「わたしは、あなたを守れたことが誇りです。わたしのケガは、気にしなくていい。助かったことを、喜んでください……女を守れないことは、アノールの男にとっては屈辱なのです。それを忘れないで……」

「……ほんとにありがとうございました」

「少し、眠りましょう……見舞いを、ありがとう……」


 ギォックはスッと目を閉じた。ふたりは一瞬焦ったが、すぐさまいびきが聞こえたので、あからさまに肩を落とした。

 ゆっくりはしていられない。

 すぐ病室から出たふたりに、九庵がついてきた。


「いやあ、わしもルナさんのボディガード失格で。今日中には退院できませんでしたわ」


 頭をかきかき言っている横で、ヨボヨボのじいさんが何もないところで蹴躓(けつまづ)き、九庵はさっと手を貸した。


「いや、すいませんな」

「なんのなんの――とまあ、こんな具合で。病院内で人助けは終わってしまいそうで」


「クラウドの計画で行けば、今日中に始末がつくはずだ」

 アズラエルは言った。


「なら、わしの出番はありませんな。なんとなく、今回はそんな予感がします」

「……前々から聞きたかったが、おまえの雇い主はだれなんだ?」

「う~ん。知らん方がいいと思いますな」


 九庵は苦笑いしてそういった。


「あんたも傭兵でしょうから、多少は調べとるんでしょうけども。わしの昔話は、そのうちしますよ。知らん人間じゃ、ボディガードなんていわれても、薄気味悪いだけでしょうから。それで、昨夜のことなんですが」

「ああ」

「わしらのケガは、K33区の祭りでってことで始末がつきました。ギォックの仲間にも口裏合わせてもらってます。ギォックはなにも覚えていないで通すそうですし、こちらは心配いらんでしょう」

「そうか。助かった」

「なにやらギォックさんはお仕事で乗ったようで――そちらは、アズラエルさんが肩代わりするんですよね? 先方もそのつもりでおったようで、それで納得してもらいましたから」

「仕方ねえよな。ま、ふつうなら、任務内容もきかねえで仕事請け負うことはねえんだが、今回は特殊だ」

「傭兵が、ただ働きしていいんですか」

「よくねえよ。今回は特別っていっただろ――まあ、俺でできることならいいんだが――それより、すまなかった。手間をかけさせたな。ぜんぶ終わったら、礼はする」

「あまり気にせんでいいですよ。こっちも仕事ですから。でもなにかもらえるなら、甘いモンがいいな」

「わかったよ」


 アズラエルはニヤリと笑って、ルナの背を押した。


「ルナさん、アズラエルさん」

 九庵が真面目な口調でいった。

「お気をつけて」


「おう」


 アズラエルは短い返事を――ルナもぴょこんとうなずき、病院をあとにした。



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