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キヴォトス  作者: ととこなつ
第三部 ~ハン=シィク篇~
228/944

98話 危機 2


 午後零時まえには、客がひけた。


 シュナイクルが厨房の明かりを落とし、バンビが札をクローズに裏返し、ジェイクとルシヤが、自分たちの(まかな)いを運んでくる。


 これも、日常と変わらない。


 昨夜のこともあって、今日はルシヤの代わりに、ジェイクが何度も外へ出た。見張りの役目も兼ねて。


「この様子だと、大丈夫ですかねえ……」


 九庵はつぶやきとともに立った。ギォックも、「そろそろ帰ります」といって腰にぶら下げた布袋から、お金を取り出した。


「なんだ。帰るのか」

「ええ。ルシヤさんも病み上がりですし、早く休んでください」


 シュナイクルの言葉に、九庵は笑ってそういった。自分たちがいつまでも居座っていては、店も閉めるに閉められないだろうと。

 今日はルナたちも、そろそろ帰ろうと思っていたところだ。


 ふたりを送るために外に出たルナは、満天の星空を目の当たりにして、「うわあ……!」と感激の声を漏らした。

 昨夜同様、冷え切った外気は、あまりにも美しい星空を映し出していた。


「天体観測にはもってこいの日和ですねえ」


 白く息を吐きながら、九庵とギォックとルナは、しばし星を見上げた。


「これだけ満天の星空で、知ってる星座がないってンですから、不思議ですよね」

「バトルジャーヤから見えていた星は、ここでは見えません」

「そういえばそうだ」


 ルナはウサ耳をピーン! と立たせた。

 この宇宙船は、宇宙をゆっくり進んでいるのだ。ものすごく遅い彗星のように。


「じゃ、わしたちはここで」

「おやすみなさい」


 そういって、九庵とギォックが、駐車場に向かおうとしたときだった。


「おやすみなさーい!」


 ルナもぶんぶんと手を振って、ふたりを見送ってから、店にもどろうとした。


「危ない!!」


 ――叫んだのが、ギォックだと、ルナはだいぶ遅れて気が付いた。


「がああああっ!!!!!」


 振り向いたそのときには、めのまえでギォックが、火だるまになっていた。


「か――は、」


 大やけどを負ったギォックが、放り投げられるように、真横に倒れた。


「ルナ!!」


 アズラエルの怒声を、遠いものに聞いた。

 みんなそろって店から飛び出してくるのを、ルナは見ていなかった。


 ルナをかばって倒れ伏したギォックの向こうにたたずんでいるのは――アンディだった。


 紛れもなくアンディだ。

 厚い前髪とゴーグルで、表情はまったく伺えなかったけれども。


「アンディさん!?」


 バンビの絶叫が、この場に現れた男の正体を明かした。アズラエルもシュナイクルも――クラウドでさえ、この状況をにわかに理解しがたかった。

 窓の向こうで火柱が上がったので、驚いて店から飛び出してきたのだ。


 そこには信じられない光景があった。

 倒れているギォック。――そして、さっきまでいなかった男。

 知らない男。

 ルナとアズラエルと、バンビしか、顔を知らない男。


「電子装甲兵……」


 シュナイクルのつぶやきがすべてだった。


 火柱は、アンディのしわざか。


 アンディは、バンビの施術を受けるはずだった。ルチヤンベル・レジスタンスを、敵視していないといっていたはず。


 どうして、こんな状況になっているか分からなかった。

 衣服がほとんど焼け焦げ、重傷の大やけどを負って倒れているギォック。

 ギォックは、アンディに攻撃されたのだ――おそらくは。


「ギォックさん、」


 ルナが怯えながらしゃがみこんだ。大やけどはしているが、息はある。ぜいぜいと、苦しそうな呼吸だ。

 はやく病院に連れて行かないと。


「おとなしくしてくれ」


 アンディは泣きそうな声でいった。


「傷つけはしない。ついてきてほしいだけだから」


 手が伸ばされる。ルナのほうへ――距離は、公園であったときと、変わりはしなかった。


「バンビのグローブがあるから、あんたのことを火傷させたりはしない」


「ど、」

 ――どうして。

 言葉にならなかった。


 どうしてアンディが、こんなことを?


 アズラエルたちがルナに追いつくまえに、アンディの後ろで大きな炎の羽根が舞った――舞った、ように見えた。あれは、不死鳥の羽根か。真っ黒な夜空に広がったものは――鳥の羽根に見えた。


 九庵だった。広がった僧衣が、そう見えたのか。

 まだ、燃えてはいなかったのに、炎に見えた。

 九庵が、アンディの真後ろから飛び掛かろうとしていた。


 シュナイクルの叫び。


「九庵、ダメだ! そいつには触れるな――」


 あまりにも(まばゆ)い閃光が、ルナの目を射抜いた。だれもが一度は目をつむった――アンディの腕が、強烈な光と熱をもって、繰り出されたのだ。


 青い光の尾をもつ彗星だ――。


 目を閉じて、開き、ルナははじめて、アンディの足元だけ雪が消えているのに気づいた。

 溶けて、消えて、地面の黒い土が出ている。

 電子装甲兵は、全身火の塊だとシュナイクルは語っていたが、ルナにもそれが今初めてわかった。

 それを目にして、はじめて――。


 バチイ! と火花が散って、九庵は一度、その両腕で防いだ。だが、次の攻撃は無理だった。


 ドン! とビルでも爆発するような音がして、九庵自身が炎につつまれていた。


「わあああああっ!!」


 絶叫がとどろく。九庵はもんどりうって、雪が深い場所に飛び込んでいった。


「九庵っ!!」


 シュナイクルの脳裏に、あの熱光線と、ひとが瞬時に燃え上がる光景があざやかに蘇った。

 彼にはあまりにいまわしく、トラウマでもある過去。


 ――なんの悪夢だ。

 あのときと同じ光景が、繰り返されようとしているなんて。


 アンディの拳からは、ゆらりと煙が上がっている。


 ふたたび彼がルナのほうを向いた瞬間に、アズラエルが正面に飛び出していた。コンバットナイフを手にして――。


 アズラエルも、今までにない恐怖を感じていた。

 未知の、電子装甲兵という名の兵器に。

 指先が震える。足が引く。無理もない。アズラエルは恐怖を真正面から見据えた。


 一度深呼吸をして、気を鎮めると、震えが止まった。


 あれはサイボーグだが人だ。電子腺は人工血管。つまり、心臓を止まらせれば動きも止まる。心臓を抉る。


 ――迷いはない。

 触れれば一巻の終わりだ。

 あれの手が動くまえに、一撃で仕留めなければ。


「ま、待って……」


 バンビの弱々しい声が聞こえたが、アズラエルは待つ気はなかった。次にアンディがわずかでも動いたら、攻撃を仕掛ける。


「アンディさん、どういうこと? いったい、なにがあったの?」


 バンビが必死で話しかけるが、アンディは答えようとしなかった。

 ぎゅ、と握られた拳が、ふたたび青い炎を灯しはじめた。


 ルナの身体が跳ね、セルゲイがルナをかばって抱き寄せた。


 アズラエルが左足を引く。構えを取る。攻撃のために。


 ――アズラエルが動こうとした刹那、いきなりアンディが膝をついた。


「げほ」


 ボトボトと、血の塊が雪の上に落ちた。

 ――攻撃は、なかった。拳の炎は消えていた。


 血が落ちたのは、アンディの口からだ。両手で口を押さえるが、ふさぎ切れず、血の塊が大量にあふれかえる。

 アズラエルも、戦慄するほど。


「ゲホ! かっ……ゴホ、ご、かはっ……!」


「なんてことを――今電子腺をつかうなんて、寿命を縮めるだけなのに!」


 バンビが駆け寄ろうとするのを、ジェイクが全身で羽交い絞めにして、止めた。


 九庵が、寄せられた雪の山のほうで、ゆらりと起き上がった。

 ふと、そちらに気を取られたアズラエルも皆も――アンディから目を離した隙に。


 ――アンディの姿は、こつ然と消えていた。


 地面に、大量の血だまりを残して。

 足跡すらない。


 アズラエルは三百六十度、ぐるりと見まわした。極限まで研ぎ澄まされた感覚でも、気配を追えない。姿を消した。ひろがる雪原に、アンディの姿はない。

 いったいどうやってヤツは、ここから消えた?


「ルナ! ――ルナ、だいじょうぶか!?」


 震えて立ち尽くすルナに、自分のコートをかぶせて背を撫でているのは、ルシヤだった。


「アズ、追うな」

「――おう」


 クラウドの厳寒の声に答えるアズラエルの声もまた、緊張が解けていなかった。周囲をぎらついた目で見回し、ルナがルシヤとセルゲイに抱え込まれているのを確認して、ギォックの首筋に手を当てた。


「生きてる……」


 ほっとして息をついた。

 とりあえず自分のジャケットをかけておく。意識はないが、脈はある。


「いやあ、とんでもないモンに遭遇しました」


 九庵が大股でやってきた。


「あれは兵器ですか。なんでしょう――腕がそのままマグマみたいでした。前情報なしに接するのは危険ですな。彼は無事ですか」


 片目が火傷でつぶれ、全身大やけど。僧衣も焦げて肌が見えている。本人も満身創痍(まんしんそうい)だというのに、他人の心配ができるらしい。九庵は自力でスタスタここまで歩いてきて、健常な声で問いかける。


 やはりこいつも、ただものではない。

 アズラエルは思った。


「無事だ――とは言えんが、生きてる。あんたはどうだ」

「わしは平気ですよ。ひと晩寝りゃ治ります」

「大口叩くのもその辺にしておけよ」

「ほんとですよ。わしは、寝てるわけにいかないんで。仏さんが治してくれる」


 九庵はどうかしているが、ギォックはこのままでは危ない。


「救急車……」といいかけたアズラエルの眼前に、ハゲ頭があった。九庵のものではない。バンビが、九庵とギォックに向かって土下座をしていたのだった。


「……ごめんなさい。本当に。救急車は待って。お願いします」

「おい」


 さすがにアズラエルは声を荒げた。だが、バンビは鼻水まで垂らした泣き顔で、懇願した。


「病院にいくなっていうんじゃないの。でも――でもどうか――この件は、警察にいわないでください。お願いしますから、」


 警察沙汰になれば、アンディに降船指令が下る。ルシヤにもだ。それはアズラエルにもわかった。


「――なんぞ、訳ありってことですかね」


 九庵が呑気ともとれる口調で聞いた。大怪我をしているのに、ずいぶんと余裕がある。


「意味は分かります。アンディさん――でいいんですかね? 彼はたぶん、人質を取られていたんじゃないですか」

「なんだと?」


 アズラエルが唸り、バンビは顔を上げた。


「ハンシックの陰に、黒塗りの高級車が止まっていたんですよ。男どもがちいさな女の子に拳銃を突きつけているのを、わしもですが、ギォックさんも見たはずです。それで、アンディさんがルナさんを連れて行こうと手を伸ばしたので、ギォックさんが助けようとした――このあいだのやつらと同じだと思って」


「そいつらはどうした?」


 もはや、高級車は影も形もない。


「アンディさんがルナさんの奪還に失敗し、わしに気づかれたところで、アンディさんを置いてさっさと逃げていきましたよ」


 九庵は、高級車のほうが黒幕だとすぐに見抜いた。黒服たちのほうからルシヤ――おそらくは――を救出しようとしたら、逃げられた。

 そんなところだ。


 途中から、クラウドがいっしょに聞いていた。

 彼はなにか言おうとしたが、ジェイクに呼ばれ、もどっていく。


「ええと、あなた、アズラエルさん、ルナさん、ギォック、シュナイクル、ジェイク、ルシヤお嬢さん、……」


 九庵が指折り数えているのを見て、アズラエルは付け足した。


「さっきのアンディと、その娘のルシヤで九人」


 セルゲイとグレンを勘定に入れようとしていた九庵は、首を傾げた。


「まぁ、ここにいる全員が、電子装甲兵の攻撃から守ってもらったってことにはなるだろうが――あんなもん、だれもかないやしねえよ。あんたが黙っててくれれば、アンディと娘の命が助かる。おそらくはな」


「電子装甲兵――なるほど――そうですか。――おや、一気に片付きましたね」

 九庵は肩をすくめた。

「あと三十分もないってのに、なにもなくて、ちょっぴり焦ってたんですよねえ。今日のノルマは片付きました。これも縁でしょう。わかりました。ギォックさんはなんて言うかわかりませんが――わしはなんも言いませんよ」


「九庵さん……!」

 バンビは踏み固められた雪の上に額をぶつけて感謝した。


 九庵は、その小柄な身体で、ギォックの巨体を担ぎ上げていった。


「シャイン貸してくださいね。一度K33区に飛んで、そこから病院に行きます。K33区だったら、荒っぽい祭りで大やけど負ったっていっても信じてもらえますから」




 ――アンディは仲間に、「おまえはパルキオンミミナガウサギみたいだな」といわれたことがある。


 パルキオンミミナガウサギは、足の速さだけがよく特徴としてあげられるが、特筆すべきはほかにもある。


 恐ろしいまでの跳躍力。

 アンディの跳躍力は並外れていた。


 電子装甲兵化してからは、それが人外レベルになった。およそ、人間とは思えない跳躍力で跳ねることができる――パルキオンミミナガウサギが足音もなく跳躍して、姿を消し、足跡を残さないように。


 「ルシヤ」も、その脚力と足の速さで、「パルキオンミミナガウサギのよう」と評される。


 パルキオンミミナガウサギは滅多に姿を現さないし、いつのまにか足跡なく消えているから、神の使いとも言われてきた。


 アンディは、その賞賛が嬉しかった。

 好きな「ルシヤ」に近づけたようで。


「ふーっ、ふーっ、――が、かはっ」


 雪原に点々と落ちていく血の跡を見つめながら、アンディはパルキオンミミナガウサギ失格だなと思った。足跡を残さないことが自慢だったのに。


 広大な雪原は、すぐにハンシックの建物を見えなくした。

 けれど、満天の星空を背景に、厳然と立つハンの樹は見える。


 まるで、アンディの死に場所はここだとでもいうように――。


「ルシヤ、ごめんな」


 バンビからもらった錠剤を口に放り込む。残り少なくなってきた。


「ルナさん……バンビ、ごめんな」


 でも、命に代えても、娘は助けなきゃいけない。

 アンディが原住民に気づかれたとたん、あいつらはすぐに車を発進させた。


 ――ルシヤは、無事だろうか。

 娘を助けにもどるのが先か。ルナを連れて行くのが先か。


 アンディは迷ったが、どうやら、今はもう、動けそうになかった。





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