98話 危機 1
その日、ルナたちはすぐ帰った。
今夜はルシヤの病状次第で、店も早く閉めるという。さいわい平日で、混むといっても休日前夜ほどではない。
ルナはルシヤの代わりに手伝おうと思ったが、シュナイクルはめずらしく、「今日はいい。俺も少し考えたいことがある」といって、ルナの手伝いを断った。
グリーン・ガーデンに帰ってすぐ、クラウドは部屋にこもりきりになったし、グレンとセルゲイ、アズラエルは、日ごろの寝不足を解消するといって寝た。
ひとり解放されたルナは、一度家に帰ることにした。
しばらく留守にした我が家では、やることがずいぶんあった。
ルナは窓を全部開けて空気を入れ替えたり、pi=poにあいさつをしたり、布団を乾燥させたり、ぬか床を冷蔵庫に入れたり、pi=poと喧嘩をしたり、大量の新聞をまとめたり、風呂掃除をしたり、pi=poの愚痴を聞いてあげたりした。
だいたい、これらのことはほとんどpi=poがやってくれるものなのだが、ルナは自分でも家事をする。
どちらかというと、考えの整理と、ひらめきのために。
しかし今日は、ほとんど考えごとはできなかった。ちこたんが文句を言いっぱなしだったからだ。
ルナのpi=poの「ちこたん」は、クラウドのpi=po「キック」が、勝手に合いかぎで入ってきて、ルナの書籍類を大量に運んでいったのが許せなかったらしい。防犯用pi=poのプライドを、ずいぶんと傷つけられたわけだ。
「あたしがちこたんにいっておかなかったのが悪かったのです。ごめんね」
『ルナさんは悪くありません。悪いのは、あのイカれたポンコツです。改造のしすぎで良識まで失いました』
ちこたんは、アズラエルが一緒に住むようになってから口が悪くなった。というより悪口のバリエーションが増えてしまった。
『それからルナさん。ちこたんは、不審者の撃退に成功しました。ごらんください』
「えっ!?」
ディスプレイに映し出された画像に、ルナは思わず大声を上げた。
荷物ですといって、土足で部屋に上がりこもうとする男に向けて、ちこたんが発砲していた――三度の警告音ののちに、発砲。これはたいそうな緊急事態だった。
腕を撃たれて、悲鳴を上げ、背を向ける宅配業者。ドアの向こうにぼやけて映る、彼を回収していく者たちは――。
「黒服やろうだ!!」
『ちこたんは、“黒服やろう”を撃退しました』
先日、ルシヤを誘拐しかけた男たちかもしれない。まさか、ルナのアパートにまでやってくるなんて。
彼らは宅配業者の身なりをしていて、黒服ではなかったが、なんだかこのあいだのやつらと同じのような気がした。なにせ、宅配業者にしてはムキムキすぎるのだ。アズラエルとかグレンみたいに。
日付をたしかめれば、おとついだ。
昨夜ルシヤが誘拐されかけたのだから、その前の晩になる。
『この宇宙船はすべての荷物がpi=poによって配達されます。人間型の配達業者は存在しません』
「よくやったよちこたん!!」
『ちこたんはよくやりました』
「……でも、これ、ピストル? 音がないけども」
そんなのpi=poについてたっけ? と首を傾げるルナに、ちこたんはいった。
『サイレント式拳銃L18型PGET-95です。アズラエルさんがちこたんに設置しました』
「なにをやっているんだアズは!!!!!」
『血液はちこたんが採取し、そののち、処理しました。アンプルがあります。警察に届けますか?』
「アンプル!? なにをやっているんだアズは!!」
『L25式血液採取アンプルB453型です。アズラエルさんが設置しました』
「この宇宙船はあんぜんなはず……」
『防犯用犯人特定型アンプルをpi=poに設置するのは、地球行き宇宙船では36%、軍事惑星では97%、警察星では85%が実施しています』
「L77は?」
『8%です。平和ですね』
ルナは頭を抱えてうずくまった。
『これらの画像を消去しますか?』
「ま、待って……」
ルナはあわてて止めた。
「アズやクラウドに見せよう」
『アズラエルさんはいいですが、クラウドさんは承知しかねます』
「なんで!?」
『クラウドさんは、あのポンコツ野郎の飼い主です。ちこたんは、奥歯をガタガタいわせてやろうと思っています』
「アズのバカーーー!!!!!」
『アズラエルさんの知能指数は標準です』
ちこたんと甘酒のタッパーを抱えて、ルナはリズン前の公園のシャインから、グリーン・ガーデンに飛んだ。
『ルナさんは、用がすんだら、ちこたんをすぐに家に帰さなくてはなりません。ちこたんには、家を守るという責務があります』
「うんわかった!」
ぺっぺっぺっと最速で走るルナはやっぱり、パルキオンミミナガウサギとは程遠い速度だった。ほんとうにルナはパルキオンミミナガウサギ化したのだろうか。あれはただの夢で、意味はないものなのだろうか。足くらい速くなったっていいのに。
ルナは不貞腐れながらグリーン・ガーデンの部屋にもどり、アズラエルとグレンとセルゲイを叩き起こし、クラウドの部屋に突撃した。
「どうしたのルナちゃ――」
ドアを開けたとたん、バリバリと強烈な青緑の電磁波をまとった、まあるいpi=poが眼前にあった。
クラウドは当然だが、驚いた。
これは――怒っている?
pi=poに感情を付けることは禁止されている――しかしクラウドには、このpi=poが、怒っているように見えてしかたがなかった。
「ちこたん、ちこたん、お手柔らかに……あんまりものすごいのはだめです」
ルナが必死に止めているのはクラウドにもわかった。
やっとのことで、これはルナが所持しているpi=po「ちこたん」だと分かり――なぜ怒っているんだ? と疑問符を飛ばしたところまで、数秒。
次の瞬間、クラウドは全身に衝撃を感じて吹っ飛んだ。むかし、L8系で大規模な戦闘に巻き込まれて爆撃に吹っ飛ばされたときとよく似ている――身体が頑丈で、よかった。
クラウドは数分ほど白目をむいて失神した。
ルナもあんまりびっくりして、白目を剥きかけた。
ちこたんは容赦なくイケメンの白目むきのご面相を写真に収めたあと、満足げにピピピポパ♪ と機動音を鳴らせてゲストルームを出て行った。
さすがに心配で、ルナはクラウドの目が覚めるまで部屋にいた。数分後、起き上がったクラウドは、髪の毛が爆発していた。まるで、キラがよくする日輪ヘアーのようだった。ルナはこれを写真に撮ってミシェルに送ったら、仲直りできるんじゃないかとなんとなく思った。
クラウドは、静電気でパリパリいうセーターをつまみながら、情けない声でいった。
「ルナちゃんがいってた付喪神の概念がわかるような気がしてきたよ……あのpi=poには絶対、“ちこたん”がいるって」
リビングルームでちこたんは、ルナの指示通り、四人の男に先ほどの映像を見せた。その反応は四通りだ。
純粋に驚いた者、苦虫をかみつぶした顔になる者、蒼白になる者、眉をしかめただけの者。
「――この顔」
クラウドは、記憶力がずば抜けていい。そのひとつに、顔認識能力もある。
「入ってきたヤツと、奥の右の男――こいつら、このあいだ来てたな」
撃たれた男と、彼に腕を伸ばして連れて行こうとする男。画像を停止して、クラウドはいった。
「おまえの能力、ホントに便利だな」
苦虫をかんだアズラエルは呆れ半分、口笛を吹いた。
「重宝してくれよ。さて、なるほど、これは、事態が変わってきたぞ……」
クラウドは、どこか高揚した顔をしている。
「この映像、カザマにも送っておくか」
アズラエルが言った。
「ルナにボディガードをつけたって件も――ああ、このあいだ、九庵に聞いとくんだった。せめて、あいつをやとった人間の正体だけは知っておくべきだったな。うちがこんなふうに不法侵入されそうになったってことを、地球行き宇宙船側は知ってンのか」
「知らないだろうね。この映像はおとついだ。ミヒャエルのことだから、こんなことが発覚していたらすぐに動いているはず。ルナちゃんにも連絡はなさそうだし」
クラウドが、指を顎に当てて考え込んだ。
「どうして、ルナちゃんの家にまで――」
「ルナとルシヤが知り合いだってことを、すくなくとも、敵側は知ってるってことだろ」
蒼白になったセルゲイのつぶやきに、眉をしかめたグレンが返答した。
「ルナとルシヤが、映画館やカフェでも一緒にいるところを目撃されたのかもしれない」
「でも、肝心の、ルシヤとアンディが住むアパートに来てねえのはおかしいよな?」
その疑問には、クラウドが答えた。
「あのあたりは家族連れの区画で、昼日中も夜も、人が多い。アンディのアパートの真正面は公園だし、街中をいつもだれかしら歩いてるし、交番も近くにあって、警察官が巡回する。おかしな様子があればすぐ通報されるだろう――無理じゃないか」
「なるほどな……」
「K27区のルナちゃんが住んでるあたりは、昼日中は住人が学校に行ったり、カフェだのイベントだの、留守にしていることが多いからね。宅配業者を装えば、違和感はない――家の主が留守だったことと、pi=poに特別な防犯装置がつけられていたことは、相手にも想定外だったろうけどね」
クラウドは、ちこたんから取り出した血液アンプルをながめていった。
「こいつは、いざってときの切り札だ」
『ミヒャエル・D・カザマ担当役員に、映像を送りますか?』
ちこたんの問いに、「ちょっと待ってくれ」といったのはクラウドだった。
「今回のことは、通報してすむような話じゃない」
「裏があるのは、ここにいる全員がわかっているよ」
セルゲイが嘆息して、ソファに沈んだ。
「いったい全体、狙われてるのはだれなの。ルシヤちゃんなの? それともルナちゃん」
セルゲイはさりげなくルナをかばうように、膝に乗せた。アズラエルには大いに言いたいことがあったが、とりあえず忍耐に努めた。
「この問題は、もっと複雑なんだ」
クラウドは言い、リビングに積んでいた本の一冊を手に取った。
「それはなんの本?」
セルゲイの顔がどんどん不穏寄りになっていく。ルナに危機があるとなればこうだ。この男が不穏寄りになると、なにかとてつもない不吉な感じがするのだ。
「これはルナちゃんが購入した本で、俺はこれを読むためにルナちゃんのアパートから持ち出して、さっき、ちこたんに電撃というオシオキを食らったわけさ」
『クラウドさんはキックの主人ですから』
「部下の粗相は、上司の管理不行き届きだな……間違いない。ところでこれは、なんの本かというと、前置きが長くなったが、怪盗ルシヤの“その後”の話だ」
「“その後”?」
グレンが尋ねて、クラウドから本を受け取った。
「ルシヤを殺した元夫の末路、所属していたマフィアの衰勢、それからルシヤのふたりの娘の話」
ルナのウサ耳がビコーン! と立った。
「キーワードは、“この本”と“くりかえし”と、“なぜアンディの娘のルシヤが誘拐されたか”だ」
男たちは顔を見合わせた。
ルナだけは、ウサ耳をせわしなくぴこぴこさせたまま、なにか言いたげな顔をした。
「この中で、状況が分かってるのはルナちゃんだけってことだな」
今度は全員が、ルナを見た。ルナのウサ耳が止まる。クラウドは「カオス」と言いそうになったのを、ギリギリで我慢した。
「俺の考えが正しければ、この問題は根深い。“レペティール”を断ち切らなければ解決しない」
「その、レペティールってのは?」
さすがにグレンが問うた。セルゲイも同じ顔をした。
クラウドは、それには答えず、さらにいった。
「作戦はある。今俺が悩んでいるのは、ハンシックの連中をこちら側に引き込むか否かだ」
「シュナイクルたちを?」
さすがにアズラエルは反対を唱えたが、セルゲイが考え込むような顔をしていった。
「――でも、アンディさんとルシヤちゃんが関わるなら、バンビ君も関わらざるを得ないことが、でてくるだろうね」
「そうなんだ」
クラウドは深くうなずいたが、アズラエルは反対した。
「どう話すつもりだ。ルナの夢の話を? 頭がイカレてると思われるのがオチだぞ」
「シュナイクルたちが信仰するのはハン=シィクの神とマ・アース・ジャ・ハーナの神だ。アズよりよほど、神秘的な話に寛容だと俺は思うけど」
「だからって、……じゃあ、バンビとジェイクにはどう説明する?」
「バンビなら、俺が懐柔済みだ」
「なんだと!?」
手を挙げたグレンに、全員がもれなく、目と顎が外れるほど驚いた。
もちろんルナもだ。
「どうやって!?」
ルナは叫んだ。アズラエルも青ざめた顔でいった。
「まさかおまえ――身体で」
「バカ抜かせ。ちゃんと“お話し”をしたんだよ。あいつ、信じたぞ。ルナが“愛と癒しと革命と縁をもたらす神様”だってな」
「……!?」
信じられなくて、クラウドはにわかに返事ができなかった――一番の最難関は、バンビだと思っていた。しかしそれはクラウドにとってであって、グレンにとってはそうでもなかったらしい。
「バンビが大丈夫となると」
セルゲイがいった。
「ジェイクは、ハンシックのみんながやろうとすることなら、参加してくれるんじゃないかな」
その言葉が、決定打だった。だが、アズラエルは納得しきれない顔で、いつまでもうんといわなかった。
翌日、男たちが作戦を煮詰めているあいだ、ルナは「運のいいピューマ」のカードを取り出してはしまい、取り出してはしまうということを繰り返していた。そして、部屋中をウロウロしはじめたので、アズラエルはウサギをケージに放り込むか、散歩に連れて行ってやらなければならないと考えた。昨日はクラウドの小難しい説明を聞きすぎて、ストレスがたまったのだろう。
だがその心配はなくなった。
一本のメールが、ルナのウサ耳をピコーン! と立たせたのだ。
「ルーちゃんのお熱が下がったって!」
喜色満面でリビングにやってきたルナに、セルゲイは微笑んだ。
「よかったね。じゃあ、今日の夜はハンシックにする?」
「うん!」
「なあ、ほんとうに話すのか」
アズラエルはやっぱり渋っていたし、セルゲイはクラウドに聞いた。
「この話はいつする気なの」
多数決によって、アズラエルの意見は反映されなかった。
「今夜は無理だ。時間がかかるからな。ルシヤも病み上がりだし、できればハンシックの休日に、時間をもらいたい。彼らは休日でもさまざまな仕事があるからね。なるべく手伝って、時間が取れるように……」
「シュナイクルさんがいいってゆったから、あたしこれからいって、手伝ってくる!」
言葉が終わらないうちに、ルナは消えていた。
「ルナちゃん、あとでちゃんと、迎えに来てくれるかな」
セルゲイがぼやいた。シャインのカードは一枚しかないのである。
ルナはシャインでハンシックの倉庫に飛んだ。
相変わらず、パルキオンミミナガウサギになったかも疑わしい、ぴこたんぴこぴこと低速で店のほうに行くと、シュナイクルとルシヤが、店のテーブルでじゃがいもの皮をむいていた。
「るーちゃん!!」
「あっ、ルナ」
ルシヤは嬉しげな顔で立ち上がった。ずいぶん元気そうだ。
「だいじょうぶなの? お熱は下がった?」
「うん。平気だよ」
「心配させたな」
シュナイクルが苦笑気味に、ルナの頭を撫でる。
「あたしも手伝うね! おじゃがをむきます!」
ルナは昼日中からハンシックを手伝った。
じゃがいもをむき、掃除をし、お昼の賄いにカレーをつくって歓迎の大歓声をいただいた。大きな鍋はすっからかんになった。主にルシヤとジェイクの壮大なる食欲によって。
コーンを入れたポテトサラダはバンビにも好評だったし、シュナイクルは、「じいちゃん! カレーうまい!!」の言葉によって、メニューにカレーを入れることを考え始めた。
手があくと、ルシヤとハンの樹のほうまで散歩に行ったりもした。
今日も澄み渡るほどに晴れた青空。夜は冷え込むだろう。
店にもどると、はちみつ入りのエラド・ワインが用意されていた。
暖炉の前で並んで、おしゃべりをしながら飲んだ。
そうして、すっかりアズラエルたちを迎えに行くことを忘れていたわけだが、シュナイクルが「アズラエルたちはどうした?」といったので、あわてて迎えにもどったのだった。
皆を連れて店にもどると、もう開店していた。
「お手伝いはいいから、座ってゆっくり食べて」
バンビにいわれて、ルナたちは空いている席に着いた。開店してすぐなのに、客はぞくぞく入ってくる。
いつも通りのハンシックだ。
ルナたちが注文をすませたあたりに、ギォックと九庵がいっしょに入ってきた。ルナたちの席に合流し、彼らが帰ったあとの話をクラウドから聞き、ともに夕食となった。
ふたりは元気なルシヤの顔を見てからは、安心したようにたくさんの注文をはじめた。
あとは酒とメシを食らい、陽気に騒ぐ。昨夜とほぼ同じ光景だ。
違うのは、アンディのルシヤが、来ないということだけ。
「もう、リリザに行っちゃったかなあ」
ルシヤは、注文した品を運んできたときに、そういって肩を落とした。
「あたしもメールしたんだけど、めずらしく返ってこないんだ」
「きっと、リリザだよ。わたしも、リリザに、行きたいな」
ルシヤが口をとがらせてそういうので、ルナはさりげなく聞いた。
「シュナイクルさんに聞いてみた?」
「……今年は、マルカ、に着くからいいだろって」
ルシヤのぷうとふくらんだ頬っぺたは、真ん丸だった。
「マルカとリリザはちがうよ!」




