97話 親分肌のグリズリー Ⅱ 1
「ルシヤ!!」
ルシヤは自分のコートにくるまれ、シュナイクルに抱きかかえられてもどってきた。
意識を失っている。ストーブの近くで、孫娘を抱いたまま椅子に腰かけたシュナイクルに、ルナとルシヤは駆け寄った。
「ルシヤ、いったいどうしたの?」
多少雪にまみれてはいたが、ケガは負っていないようだ。
「――あれは、誘拐されかけたと思っていいのか?」
グレンが尋ねる。
「誘拐?」
ルナが聞いた。
シュナイクルは険しい顔のまま、ストーブの火を睨み据えている。
「ごめんね、ちょっといい?」
セルゲイがそっとルシヤに触れた。携帯電話のような機械をかざし、カチリとスイッチを押して表示をたしかめる。匂いを嗅ぐように顔を少し近づけた。
「眠り薬を嗅がされたのではないかな。気絶しているだけだ。明日になれば目覚めるよ。この薬は、後遺症はない。安心して。でも、念のため、明日は病院に行ったほうがいいね」
「……わかった」
シュナイクルの顔に、やっとほっとした表情がもどった。
「ジェイク、今のうちに警察」
「ああ」
アズラエルの言葉に、ハッとした顔でジェイクが固定電話に走った。クラウドとギォックが、もどってくる。
「現場保存はすんだよ。シュナイクルが吹っ飛ばした車のドアがあるからね。証拠は確実だな」
「シュナイクルの――あの足は、大丈夫なのか」
あんなものを蹴飛ばした足だ。ふつうは、無事とは言えないはずだが、シュナイクルは足を引きずっている様子も、痛がっている様子もない。
はいている長靴が、傷んですらいない。
「ルチヤンベル・レジスタンスの成人の戦士は、その足で岩を粉砕するそうだ」
アズラエルのボヤキをひろったジェイクがいった。高揚をため息ひとつで抑え込んで。
「粉砕だと?」
「ああ。割るんじゃなくて、粉砕だとさ。そうでなきゃ、一人前じゃねえって――ま、俺も聞いた話で。見たのは今日が初めてだ」
アズラエルは、言葉がなかった。
「シューナイクル」
ギォックが、シュナイクルの前にひざまずいていた。
「わたしとあなたは、同じ星の出です。ルーチヤンベル・レージスタンスの足の力は有名でした。はじめて見ました。戦士として、敬意を表します」
ギォックは、額をシュナイクルの脛に五度あてて、深々と礼をした。
「今日は去ります。ここに人は多くないほうがいいでしょう。聞きたいことがあればギォックの家に来なさいと、警察に伝えなさい」
「いっしょにルシヤを探してくれてありがとう」
「あなたは、たいせつなひとです」
ギォックはお金をレジのそばに置き、みんなにおやすみを言って出て行った。
「ルナさんに、危機が来るという感じではなかったですねえ」
九庵もまた、頭をかきかき、レジにお金を置いた。
「また来ます。大事にしてください」
ギォックのあとを追うように出て行った。
「お嬢が誘拐なんて――まさか、あたしのせいじゃ、」
さきほどからずっと顔色が真っ白だったバンビは、耐えかねたように叫んだ。シュナイクルは首を振る。
「まだ理由が、はっきり分かったわけじゃないだろう」
「でも――」
「電子腺の機械が原因なら、ルシヤじゃなくおまえを連れて行くはずだろう」
もっともだった。バンビは口をつぐんだ。
「こんなことは、今回がはじめて?」
「……ああ。いったい、なにがなんだか」
クラウドの言葉に、シュナイクルは混乱を隠せずうなずいた。ルシヤを抱きしめたまま、ストーブから離れようとしなかった。
「心当たりはまったくないんだね」
「……俺たちと同じルチヤンベル・レジスタンスの末裔だっていうなら、分かるような気もするが……」
志を異にする自分たちを消しに来たといっても疑いはしないだろう。だが。
「黒服に高級車、じゃな」
グレンも思案顔で嘆息する。
時計が日付をまたいだとほぼ同時に、警察車両が店のまえに止まった。
ルシヤを迎えに来たら、店内は警察で渋滞だ。いったいなにがあったのかとうろたえたダックは、ルナから説明を受けて仰天した。
「お嬢が誘拐されかけたって!?」
「うん。とりあえず、るっちゃんは、今日は帰ろうね」
ルナは、ダックと一緒に、ルシヤを公園まで送っていくつもりでいた。ルシヤは、もうひとりのルシヤを心配そうに見ていたが、自分がここに残っても、できることはないと感じたようだ。
「パパもきっと心配しているから」
後ろ髪をひかれるように、店のほうを何度も振り返るルシヤをなだめ、ルナはダックといっしょにシャイン・システムに乗り込んだ。シャインのボックス内に入って、K06区の公園の位置を示すボタンを押せば、すぐに向かいの扉が開いた。
「るーちゃんはだいじょうぶ。セルゲイはお医者さんだから。お医者さんがだいじょうぶってゆったから、だいじょうぶだよきっと。あした、病院にも行くし。ケガはなかったし」
ルナは自分にも言い聞かせるように、ルシヤに告げる。
ルシヤはずっと浮かない顔をしていたが、公園の出入り口に思いもかけない人影を見つけて、思わず叫んだ。
「――パパ!」
ルナも驚いた。
公園の入り口の石塔に寄りかかり、アンディが立っていたのだ。何度かルシヤを公園まで送ってきていたが、出会ったのは今日が初めてだった。彼は電灯の下で本を広げていた。
アンディのほうも、ルナの姿を見つけて、目を見開いた。
「――っ、」
「こんばんは!」
彼が口を開きかけたところで、ルナは威勢よくあいさつをしてしまった。公園は広く、声が響かないのは幸いだった。なにせ深夜である。
「こ――こん、ばんは」
アンディはぎこちない笑みを浮かべて、ちいさく会釈をした。駆け寄ったルシヤを受け止めはしたものの、ルナが一歩進むと、ビクリ! と激しく動揺して固まった。
「す、す――すいません。あの、」
「アンディ、だいじょうぶだ。ルナちゃんは、みんな知ってるよ」
ダックもアンディに寄り添い、励ますが、ルナは極力近づかないようにして、一歩下がった。
アンディの顔に安堵が浮かぶ。
「すいません……いつも……あの、ルシヤが、世話になって」
「こ、こっちこそ!」
二メートルくらい離れているが、深夜のこともあって周辺は静かで、声を張り上げねば聞こえないということはなかった。
アンディと話したのは、最初のモジャバーガーで出会った以来だ。あれだって、会話とは言えなかった。アンディが一方的に謝って、逃げていっただけだ。
「すいません……オレは、あの、まだ、怖くて……」
ルナは、アンディが口を開くのを、辛抱強く待った。
「ひとに、近づくのは、まだちょっと……。バン、ビ、が、グローブ、を、くれたんだけど、」
「うん」
ルナは大きくうなずいた。
おそらく、深夜であっても、アンディがここまで出てくるのも、相当勇気のいったことだろう。ずっと、アンディは外に出られなかったのだ。自分の身体がだれかを傷つけることを恐れて。それでも、バンビが渡したグローブや薬のおかげで、すこしずつ、外に出られるようになった。
来週いくリリザも、人込みを避けて遊んでくるとルシヤは言っていた。なるべくすいている遊園地を選んで。ジニー・キャッスルは、ダックの妻が一緒に行ってくれるのだと。
紙でできた本を持って読めるということが、アンディにとってどれほどの僥倖か。ルナはそこまで思い及ばなかったが――アンディが、ルナにも礼を言いたくて、ここで待っていたということもまた、知る由もない。
「こ、これでも、かなり良くなったんだ……だけど……まだ怖い」
「うん」
ルナは身を乗り出しかけて、近づいちゃいけないと言い聞かせて踏ん張った。
「い、いつも、ありがとう……あんたのことは、ルシヤから聞いてる……その、ほんとうにありがとう。お、おやすみ……」
カタコトのヒューマノイドのようにいって、アンディはギクシャクと背を向けた。
「ママ! おやすみ」
「じゃあ、またあした」
ルシヤとダックにも手を振られ、ルナは大きく振り返した。
「手術がちゃんと終わったら」
ルナは叫ばなかったが、アンディはびっくりして振り返った。
「いっしょに、バーベキューしましょうね。アンディさん!」
ルナは精一杯の笑顔でばいばいをし、「おやすみなさい!」といった。それからまっしぐらにシャイン・システムのあるほうへ駆けていった。
アンディはしばらく呆然と、ルナの後ろ姿を見ていたが――やがて、ポトリと涙を落とした。
「おい、おい。泣くんじゃねえよ。俺まで泣けてくるじゃねえか」
ダックが目を真っ赤にしはじめ、ルシヤが、「パパ……」とその腕にしがみつく。
「早く手術して、ちゃんと直してもらおうね」
「――ああ」
不思議だった。涙が次から次へあふれてくる。止まらない。なぜかは知らなかった。こんなのは、病院でダックにすがりついたとき以来だった。アンディはあのとき初めて、「泣く」という行為をしたのだ。それが今また、なぜ。
アンディには分からない。泣く理由も。涙がこぼれる理由も。
涙は、悲しいときか、ものすごくうれしいときに出るものだと知った。
だとすれば今は、どちらなのだろうか。
シャインでハンシックにもどったルナは、まだ警察であふれている店内を覗きながら、先に帰ろうか思案していた。しかし、シャインをつかえるカードは一枚だけ。今はルナが持っているものだけだ。
「今夜は、とりあえず解散だ」
ぴょこぴょこ揺れる栗色の頭を発見したアズラエルは、警察の波をくぐってルナのほうへ来た。
それを追うようにクラウドたちもこちらへ来る。シュナイクルが、疲れた笑顔をルナに向けた。聞こえなかったが、「おやすみ」と言っていた気がした。
「おやすみなさい」とルナの小声。届いたかどうかはわからないが。
「今から病院に行くって」
セルゲイの言葉に、ルナはあからさまにほっとした顔を見せた。
「なあ、ルナ」
「ぷ?」
アズラエルが思案気味の顔でいった。
「おまえたしか、ルシヤが誘拐される夢を見たっていってなかったか?」
「あっ!」
男たちの視線が、全員、ルナに集中する。ルナはそのことを思い出したが。
「でもそれは、アンディのほうのルシヤだろう?」
クラウドが訂正する。
「うっ――うん。そうなの」
すこしまえに見た夢だ。
中央広場――月の女神のメルカドに入る門の付近で、ルシヤは、アンディのめのまえで、黒い高級車に連れ去られてしまったのだ。
ルナはあのあと、目覚めてすぐルシヤに電話をしたが、無事だった。ダックと図書館にいたのだった。
「黒い高級車、なあ」
だれもが、そこに違和感を覚えているのに違いなかった。
ルシヤの誘拐される心当たりが、シュナイクルにもジェイクにもない。バンビはしきりに自分のせいかと悩んでいたが、それにしたって、ルシヤを誘拐する動機がわからないのだった。
シュナイクルの言う通り、電子腺の装置が目的なら、バンビに対してなにかアクションがあるはず――それがまったくない。
「あっ、あのね」
みんなが気難しい顔をしているので、ルナはなるべく明るい声でいった。
「さっき、はじめてアンディさんとちゃんとお話をしたよ」
「外に出ていたのかい」
やはり反応が一番早かったのは、クラウドだ。
「うん。ルシヤちゃんを公園で待っていたのね。でも、うん――ダックさんのいうこと、すごくわかったよ。アンディさんはひとに近づくのがとっても怖くて、あたしとも、二メートル以上離れてお話をしたの」
ダックはかつて言った。ハンシックにアンディを連れてこられないか聞いたバンビに、彼は今、何もかもに怯えていて、それどころではないと。
ルナは今日接して、初めて分かった気がした。
「うん。あれじゃ、ここに連れてくるのは無理だったかも」
バンビが渡した薬やらグローブのおかげでやっと持ち直し、夜遅くでひとがいないから、ひとりで公園にも出られた。
それが、今の彼にとっては精一杯のことだった。
リリザ行きも、移動用宇宙船がシーズン外れで、ほとんどルシヤたちの貸し切りになるし、なるべく人込みを避けて行動する。それでも、アンディにとっては大変な挑戦だろう。
「そうか……」
医者であるセルゲイは、バンビと専門の話をすることも多い。そういえば、彼はカウンセラーの資格もあったのだった。
「彼が電子腺装置に入るとき、バンビは私にそばにいて、緊張をほぐしてくれっていっていたんだけど、ルナちゃんでもよさそうだな」
「え? あたしなんかだめだよ」
「一度でも、会った人のほうがいいんじゃないかと思って。まぁ、助手は人数が必要らしいから、私もそばにはいるけど」
四人でシャイン・システムに入り、登録してあったナンバーを押せば、向かいはすぐグリーン・ガーデンの別荘内だ。
「今日は寝よう。明日は、調査が必要になるな」
クラウドがいった。
「明日の夜も店は開けるそうだから、そのときルシヤの様子を見に行こう」
「黒い高級車の正体をたしかめるぞ」
男たちは全員その気でいた。
胸騒ぎがおさまらないのは、ルナだけだった。




