95話 ヨモツヒラサカ 3
ずいぶん賑やかで、きらびやかで、目がチカチカするような光の集まりだ。ルナが目を凝らしても、果てが見えないほど向こうまで、商店街が続いている。たくさんの人――いいや、動物でにぎわっていた。
「おっと、ごめんよ」
ラクダの親子連れが、ルナをよけて商店街へ入っていった。たっぷりの電飾でかざられた門構えには、「メルカド」と大きく書かれている。
ルナはふたたび、メルカドの夢を見ていた。
不思議なことに、今度は鳳凰のバッグを持っている。中身をたしかめれば、そこにはフサノスケが用意してくれた、ワインと桃缶と、櫛が入っていた。
「ぷ?」
いきなり暗がりになったので、バッグから顔を上げた。メルカドが暗くなったのではない。光を遮って、だれかが立っていたのだ。
とても大きなパンダだった。黒いスーツを着て、長いコートを羽織っている。
パンダというものは、基本的に愛らしい生き物だ。だが、めのまえのパンダはまったく可愛らしくはなかった――というより、なにかとても恐ろしいものが、パンダの着ぐるみを被っているせいで、なんとか周囲になじんでいる、そんな感じだ。
ルナは、これが「兄」だと分かっているから特に恐ろしくはないが、パンダの皮を被っていなかったら、恐ろしくて誰も近づけないだろう――そんな迫力があった。
「ぷ?」
ルナが顔を上げると、パンダの無表情は、すこしやわらいだ気がした。
「おいで」
パンダはルナを手招きし、近くのベンチに腰掛けた。そして、ルナの膝に、小さな紙袋を置いた。
「つかいかたは、分かるな?」
出てくる声も、かわいいパンダとは思えないほどの野太い声だ。ズシリと重く深く、地の底から響いてくるような声。
「うん」
ルナはさっそく紙袋を開けた。中にはラッピングを施された小ぶりなマフィンがひとつ。リボンを解いて透明な袋から出し、ルナはぱくりと頬張った。なかなかおいしい。チーズのコクと、レモンの酸味。
味わう余裕もなく、ごっくんと飲み下す。
そして叫んだ。
「パルキオンミミナガウサギ!!」
ボンっと小爆発が起こってルナの姿を煙が包み――煙が立ち消えるころ、ルナはパルキオンミミナガウサギになっていた。
ピンクのウサギだったはずのルナは、真っ白なウサギになった。ちょっぴり背も高くなった気がするし、地面まで届きそうな七色の長い耳がふわふわと揺れている。ファンシーなワンピース姿が、黒いTシャツとスキニーなパンツスタイルになっていた。
身体の隅々まで、力がみなぎるようだ。ルナはなんでもできそうな気がした。
「今のおまえなら、だれが襲ってきても蹴散らせるだろうが」
パンダがおごそかに言った。
「あとが面倒だから、やめておけ。この街で目立とうとするな。まっすぐ、月のメルカドへお行き」
「うん」
ルナはこっくりうなずいて、中央広場に向かって走り出した。
「あっ! このあいだのやつだ」
「ウサギだぞ」
「銀のビジェーテ! 銀のビジェーテ!!」
パルキオンミミナガウサギに変身したというのに、あっというまに見つかってしまった。
先日見た、気味の悪い動物たちが、ルナの姿を見かけて襲ってくる。
パンダが言った通り、今のルナなら蹴散らせそうな気がしたが、かまってなどいられない。
ただひたすら、中央広場を目指して走る。
ルナはびゅんびゅん走った。ものすごい脚力とスピードだ。ルナはルシヤになった気がした。壁を駆けあがって、屋根を走れそう。――実行しそうになってやめる。
兄が、目立つなといったのだ。
「待て待てーっ!」
「銀のビジェーテを寄こせ!!」
気味の悪い動物は、どんどん増えてくる。ルナだって速いはずなのに、信じられないスピードで追いついてくると思ったら、オープンカーに乗っていたり、バイクに乗っていたりするのだった。
「ずるい!!」
ルナは叫び、スピードを上げた。前方に、黒い漆塗りの鳥居型をした大手門が見えてくる。あの向こうが中央広場だ。
ルナは今だと思って、次々とバッグから櫛やらワインやら桃缶やらを出して、後方に放り投げた。
「わあーっ!!!」
雄たけびとともに、動物たちが品物に群がるのが、声だけでわかった。
「酒だ!」
「ビジェーテ! ビジェーテ! ビジェーテはどこだ」
「銀だ銀、金も寄こせ!!」
ワインや桃缶を奪い合うにとどまらず、まだ追いかけてくる――ルナはいよいよ、最後に残った櫛を投げた。
――投げようとした。
ルナが櫛を手に取ったとたん、それはキラキラと輝きだし、ルナの手を離れ、門の近くで動物の姿を映しだした。
パンダに負けず劣らずの、大きな動物たちだ。
ドォン!!
腹に響くような太鼓の音。
「オルフェウスにゃ負けるが、三羽烏とウワバミの演奏もなかなかのもんだぜ。聞いていけ!!」
続いて、鳥の鳴き声みたいな甲高い笛の音。追って、三味線がジャランとかき鳴らされる。
門の手前で、大きなカラスが三羽と、でっかいヘビが、祭囃子を奏でているではないか。
「うわばみさん!!」
「ウサギさん、ここは俺らに任せてまっすぐ進め!!」
「うん、ありがとう!!」
ルナが礼を言うがいなや、バッグが真っ赤に燃え始めた。
「わわわ!!!」
あわてて手から離すと、鳳凰の姿になって、不気味な亡者たちのほうへ飛んでいく。
「わあ! 鳳凰だ」
「なんでメルカドに鳳凰が、」
「うわあっちいけ! もう追いかけたりしねえよ」
鳳凰の、火をともなった羽ばたきを浴びて、動物たちは四散する。
「ビジェーテをよこせ!!」
それでも、まだ追いかけてくる凶悪な獣どもを振り切り――ルナはまっすぐ駆けて――門から飛び出た。
「わああ」
あまりのスピードだったので、自分の足に追いつけず、ルナはつまずいてひっくり返り、コロンと転がって噴水に激突した。せっかくかっこいいルシヤになったのに、オチはやっぱりルナだった。
門の外に出て、やっと後ろを見ることができた。
門の奥でウワバミとカラスがVサインをしている。向こうは、すさまじい有様になっていた――鳳凰に追い払われ、ぎゃあぎゃあわめく動物たちと、ビジェーテのことなどすっかり忘れて、ワインを浴びて、桃を食い、祭囃子にあわせて踊りだす動物たち。
ルナが息を呑んでいると、どこからか現れた巨大な岩が、ゴーン――と世界に響くような音をさせて鳥居をふさいだ。
ふっと、岩は消えた。
夜のメルカドの門が、閉じていた。
ルナは呆気に取られてそれを見ていたが、やがて立ち上がって砂ぼこりを払った。
鳳凰のバッグはなくなってしまった。
夜のメルカドに背を向けると、まっすぐ前方に、大きな満月が見えた。あれは、ハンシックのある大通りだ。ウワバミが、中央広場に行けばすぐ分かるといっていたが、ほんとうにすぐわかった。
噴水を中央に、左右の門はかたく閉じられている。あちらは、昼しか開かない、太陽と昼のメルカドか。
ルナは、月のメルカドに向かって、また走った。
「無事、脱出されたようです」
真っ黒な――いや、どことなく青みがかった黒龍が、パンダにかしずいていた。サイズ的には少々ちいさく、パンダとほぼ同サイズ。でも二メートル強。
「ご苦労」
葉巻を取り出したパンダに、すぐさまジッポーを寄せる。
「ウワバミどもめ。あんな真似をせずとも、“もう終わったのだから”いつでも出してやったのに」
「いえ、どうやら“レペティール”が働いているようでしたので」
「“レペティール”?」
パンダはすこし顔をしかめた。覚えがある。自分も妹も、ほとんど果てしないレペティールにいたのだ。でもパンダは幸せだった。妹といっしょだったから。
長くレペティールで転生し続けた妹だ。レペティールにいる者を放っておけないのは分かるが――。
「回り道が多すぎる」
「マ・アース・ジャ・ハーナの神さまのご意向です」
「あちこち助けて回るのはいいが、自分の役割を逸脱すれば、あれの身に危険が及ぶ」
「はい」
「ルシヤのときは“直接”私が守ったが、今はあれよりさらにか弱い身なのだぞ」
「存じております」
「おまえを付ければ、真砂名の神には却下されるし」
「私の不徳といたすところでございます」
「あれに危険が及んだら、アストロスもラグ・ヴァダも吹っ飛ばすぞとそう申しておけ」
「どうか、穏便に」
「フン」
半分ほど吸った葉巻を革靴でひねりつぶすと、金色のビジェーテを四枚、龍に預けた。
「ウワバミどもにやれ。手柄は手柄だ」
「ありがたきしあわせにございます。奴らも喜ぶことでしょう」
龍は消えた。
パンダは、いつまでも心配そうに中央広場のほうを見ていたが、やがて小路に消えていった。
ルナは月のメルカドをまっすぐ進んだ。スキップしながら。
以前は気が付かなったが、こちらは夜のメルカドとはいえ、月の光がとても明るいし、大きな動物はあまりいない。どちらかというと小鳥や小動物が多く、大きくても草食のヤギやヒツジばかり。それに、ウサギがとても多い。だから、なんとなく安心するのだろうか。
ハンシックにつながる小路を横目で見ながら通りすぎた先に、やっと、屋台を見つけた――鮭とシャチの、サンドイッチ・トラックだ。
「みつけたあああああ!!!」
思わず絶叫した。ずっと探していたのだ。そんなルナウサギを、怯えながら避けていくネズミやリスたち。
店舗の前に行くと、鮭が「ひさしぶり」とルナを旧知のように歓迎した。シャチはいなかった。
「寒天のウサギさん!!」
ルナが言うと、鮭はキョトンとしたあと、大爆笑した。腹を抱えて笑った。
「わたしは“乾為天機神之兎”――“機を見るはこれ、神なり”」
「ぷ?」
「待っていたよ。でも、今会えたのは決して偶然じゃないんだ。すべてには“機”がある。あなたがわたしを一生懸命探したことも無駄ではないし、わたしが月のメルカドに移動したのも意味がある」
鮭は、ルナに紙切れを手渡した。よく見ると、それはZOOカードだった。
アンディの、「運のいいピューマ」のカードだ。
「これ……」
「“真実をもたらすトラ”さんから預かっていたんだ。はやくあなたに渡したかった」
鮭は香ばしい匂いを漂わせながら、ルナウサギのもふもふの手を握った。
「ごめんね。あちこち移動して。でも、どうしてもこのカードを持っていることを、周囲に知られてはならなかったの」
ZOOカードは魂の“証明書”だ。
これを、ZOOの支配者や本人以外が持つということは、とても危険なことだった。厄介な者の手に渡ったら、魂を支配されてしまう。
「わたしがもっと強い動物だったら、もう少しあそこにいられたんだけど……」
“彼女”は鮭に変身して、男のふりをしてまで、あの危険な夜のメルカドに潜んでいた。太陽の神の眷属であるシャチと組んで、夜のメルカドで店を開いたのも、「わざと」繁盛しないようにするため――目立たないようにしていたからだ。
ルナにカードを渡して、マフィンを買ってあげたら、それでおしまいのはずだった。けれども、銀のトラが店を探しはじめたことで、店は急に注目を浴びだしてしまった。
彼女にとってもルナにとっても、夜のメルカドは危険だった。店が目立ち始めたことで、彼女も気持ち悪い奴らに目を付けられはじめ――ついに、あそこを出たのだった。
「チーズ・マフィンは“賞味期限”がとても短くて、夜のメルカドの外には持ち出せないの」
「そうだったんだ……」
さっきルナが食べたマフィンはまさしく「出来立て」だったのだろう。彼女は、危険を承知で、ずっと夜のメルカドにいてくれた。カードを渡し、チーズ・マフィンをルナに食べさせるために、ずっとあの恐ろしい場所に。
ルナはごくりと息を呑んだ。
「あたしこそごめんなさい。なかなか受け取りに行けなくて……」
「いいの。こうして、無事に渡せたから」
鮭はにっこり笑った。
「“ウワバミ”も“カラス”も、あの子たち大きいじゃない。しかもイケメンすぎて逆に目立つし。夜のメルカドのボディガードには最適なんだけど。――なかなかうまくいかないものね」
鮭は嘆息した。ますます美味しそうな匂いがあたりに漂った。
「でもこれで、ようやくなんとかなるわ。ピューマ君はだいじょうぶだろうけど、もっと大変なことが起きそうだ」
「え!? なに?」
「あなたは、もうすこしお兄さんの機嫌を取った方がいい」
兄? ルナに兄はいないが――そう思って、やっとさっきのパンダのことを思い出した。
「お兄さんが不機嫌になったら、アストロスとかラグ・ヴァダ惑星群がぜんぶなくなってしまうからね。やつあたりで壊されちゃう」
「ぷえ!?」
アストロスが壊されたら、地球行き宇宙船が立ち寄れなくなってしまうではないか。それに、ラグ・ヴァダ惑星群が壊されたら、帰るおうちがなくなってしまう。
「うーんと……それどころじゃないね。すべての“計画”が台無しになるし、」
「計画?」
「なんていうか、わたしの場合は眷属がそうだけど、もう、ああいう過保護なのって、ホントめんどくさいよね」
「うん! めんどくさい!!」
ルナはなんだか、この寒天ウサギとはとても気が合う気がしてならなかった。
「少々お兄ちゃんに甘えて、ご機嫌取っておいた方がいいよ。惑星のために」
ずいぶん大規模な話だと思ったが、ルナはとりあえずうなずいておいた。
「あとね、あなた、助けてばっかりだから、ちょっと補充しておいた方がいい」
そういって、銀のビジェーテを三枚と、金のビジェーテを五枚くれた。
「えっ!?」
ルナはまだあまり価値がわからないが、とても貴重なもののはずだった。今回、おそらく、マフィンはパンダおにいちゃんが買ってくれたし、ルナはまったく懐をいためていないというのに。
「いいんだよ。情けは人の為ならずって。ちゃんと返ってくるものよ」
「あ、ありがとう……」
「こういうビジェーテは、持ってたって宝の持ち腐れみたいなやつはけっこういるけれど、あなたの場合有益に使ってくれるから」
「ほんとうにいいの?」
「うん。わたしも貯めてばっかりでね、つかいどころがない」
鮭は困り顔で言った。
「ホントに、ありがとう。大切につかう」
「あなたなら、思ったようにつかってくれていいのよ。――じゃあまた! きっといつか。次に会うのは、おそらくずっと、もっとあとになるだろうけれど」
鮭はいつしか、チャイナドレスを着た、とても綺麗な――というか愛らしい顔立ちをしたウサギになっていた。
ルナはふと気になって聞いてみた。
「シャチさんは、あなたの正体を知っていたの?」
だってぜったい、あのシャチは、鮭を好きだったと思うのだ。食欲的な意味でなく。
ウサギは首を振った。
彼女は、シャチにも本当の目的を告げていなかった。
「彼にはとっても悪いことをしたわ。サンドイッチはとても美味しいのに、なかなか売れない、なんて目に遭わせてしまって」
ウサギは気の毒そうな顔をした。
「でも、もうお役目は終わったから、これからは大繁盛よ。あなたもいつか買いに行ってあげて。K12区の屋台街にいるわ」
「うん!!」
あのサンドイッチはとてもおいしかったのだ。
「ばいばい! またね!!」
ウサギの姿は、どんどん遠くなっていく――手を大きく振り返したところで、ルナは目が覚めた。




