95話 ヨモツヒラサカ 2
シャインで真砂名神社の階段下に出たルナは、大路を突っ切り、紅葉庵の裏に入る小路を抜け、キョロキョロしながら「シオミ酒造」を探した。
キキョウマルの店の前を過ぎ、すし店や、カフェ、美容室などを横目にまっすぐ――やがて、広い駐車場を併設した、シオミ酒造の大きな蔵が見えてくる。
ルナはあっと叫びかけた。シオミ酒造の駐車場に、シャインの建物があるではないか。しかも、ここは鳥居側から来たほうが、近かった。
熱でフラフラだっていうのに、余分に時間をつかってしまった。
「こ、こんにちは……フサノスケくんは、いらっしゃいますか」
開け放たれた扉から蔵に入ると、ひやりとした空気がルナの汗ばんだ皮膚を冷やした。すでにヘロヘロのルナは、いつもよりだいぶ小さな声であいさつをした。
「あれま、ルナちゃんだべ!」
ルナは知らない――フサノスケそっくりの、背の高い美人が、店舗のほうから顔を出した。
「おめ、知らねえべ。あたし、フサノスケの母ちゃん! フサ! フサ坊! ルナちゃんだよ!!」
ドスドスと、店舗奥の廊下から、だれかが大股でやってくる気配がした。
「おっ、来たが!」
作務衣を着たフサノスケが、身をかがめて暖簾を上げ、顔を出す。成人の姿だった。廊下から店舗に出てくるうちに、みるみる、幼児の姿になる。
ルナは相変わらず口を開けることで、驚きを表現した。
「ちょっとででくる」
「あいよ。父ちゃん帰ってくるまえに、帰ってくんだよ!」
母親の声も半分に、フサノスケはルナの手を握って、店を飛び出た。
「ガキの姿じゃねえと、カラスどもになにいわれっか、わがんねえからよ……ずいぶんあっぢいな!?」
店を出て数歩――ルナの手の熱さに、フサノスケは驚いた顔でルナを見上げた。
「じつは、お熱が出ちゃったんです……」
ルナはウサギ口をした。「ええっ」とフサノスケは怒鳴り、それからふたたび、大人の姿になった。服はどうなってるんだろう。伸び縮み自由か。
「最初に言えよう」
そういって、ルナをおんぶしてくれた。
「寒ぐはねえが? ……つらぐなっだら、すぐ言えよ?」
「うん、ありがとう」
フサノスケの足は迷いなく、大路のほうに出た。鳥居から入って、「和菓子屋・爽」と看板を掲げた店舗にまっすぐ入っていく。
「いだが?」
「おう、フサ坊」
ここは和菓子屋さんだ――冷蔵ケースにお団子や練り切り、籠におまんじゅうがたくさん積まれている。しかし店のもう半分は、なんと新鮮なフルーツが山積みになっているのだった。
和菓子屋兼、くだものやさん? ルナは首を傾げた。看板には、くだものとは書いていなかった。
店の名と家紋がついた作務衣を着たおじいさんは、ルナを見て破顔した。
「ルナちゃんじゃねえか。久しぶりだな!」
「こんにちはです」
ルナは知らなかったが、ここで宴会をしたときにいた人なのだろう。なぜか、大路の人たちは、どこへいってもルナのことを知っている。
「いちご大福食うか。みかん大福もうめえぞ。茶ァ出そうか」
新鮮なフルーツ店のくだもの大福はおいしそうだった。だが今日のルナは、まったく食欲がない。
「爽さん、今日は時間ねえんだ――桃ねえか? あと、ぶどう」
フサノスケの言葉に、和菓子屋の主人は目を丸くして、「バカいうない」と怒鳴った。
「おめえ、今何月だと思ってる。桃は夏、ぶどうは秋だ。大路に住んでてそんなこともわかんねえのか」
今は二月、冬である。ルナもびっくりした。
「今はハウスもんで、冬だろうがなんだろうがあるとこにはあるだろ……」
フサノスケは不貞腐れ、チッと舌打ちした。
「ねえのか」
「うちは季節ものしか置かねえの!!」
主人は怒鳴ったあと、口をとがらせているフサノスケに向かって呆れ声を放った。
「なんでえ。桃にぶどうって。黄泉の国から逃げ出す算段でもしてンのかい」
よみ?
ルナは首を傾げた。
よみってなんだ?
聞き直そうとしたが、だんだん熱が上がってきているのか、口を開くのもだるかった。
「似たようなモンだ――ああ、櫛買ってこなきゃ」
その言葉で、からかい気味だった店主は、真剣な面差しになった。
「桃缶ならあるぞ」
「それでいい! くれ!」
店主は店内でなく、母屋の方に行って、桃缶を持ってきた。
「お金……」
ルナが財布を出そうとするのを止めて、
「いい。うちのもんだから。賞味期限切れてるけど、亡者どもに投げてやんのはこれでちょうどよかろ――フサ坊。生のぶどうはこの辺じゃ見当たらんが、おまえさんとこにワインあんじゃねえのか」
「――あ」
フサノスケは、そうだったという顔をした。灯台下暗し。
「爽さん、あんがとな!」
「おう、無事に脱出しろよ!」
ルナがお礼をいうまえに、フサノスケの足は店の外に出ていた。
「フシャノシュケくん……よみって、なに?」
「あとで説明すっから」
向かいの土産物屋で櫛を買い――それも、フサノスケが「加護を付ける」という理由で買ってくれ、いつのまにかオニチヨとキスケが合流していて、フサノスケがなにかブツブツ怒鳴っていた。
シオミ酒造にもどるまえにキキョウマルに見つかり、フサノスケが「ついてくんなカラスども!」と怒鳴っていたのだけは聞こえた。
シオミ酒造にもどるなり、ルナをキスケの膝に預け、店舗の棚からワインを選んで持ってきたフサノスケは、さっき買った櫛と桃缶、ワインを、ルナの持っていた鳳凰バッグにつめこんだ。
そしていった。
「いいが? ルナちゃん、ちゃあんと覚えろよ?」
ルナはうなずくのがいっぱいいっぱいだった。
「今夜、メルカドの夢を見たら、たぶん夜の神――が待ちかまえでる。チーズ・マフィンは、夜の神が買ってくれるべ。んで、チーズ・マフィンを食ったら、なりたい動物を叫ぶんだ。なんだっけ?」
「パルキオンミミナガウサギ」
「んだ。んで、パルキオンミミナガウサギになったら、まっすぐ、中央広場にむがって走れ。気味の悪ィやづらが、銀のビジェーテ狙って追ってきたら、桃缶と、ワインと、櫛を投げろ。後ろは振り向いちゃいけねえ。中央広場につくまで、全力で走れ」
ルナは、目があいてきた。真剣な顔で聞き――「うん」といった。
「月の女神のメルカドは?」
「無事に中央広場まで抜けきれば、すぐわがる」
「わ、わかった――ありがとう、フサノスケくん」
「いいが? ぜったい、振り返っちゃいげねえぞ?」
「うん」
よみ――よみとは、黄泉の国のことか。
むかし、ツキヨおばあちゃんがしてくれたお話に、そんな話があったのをルナは思い出した。
神様が、黄泉の国から逃げるとき、亡者に追いかけられて、持っていた櫛を投げたら桃になり、ぶどうになったりした、大昔のお話し。
ルナはやっと、キスケとオニチヨと、キキョウマルがいたのに気づいた。
「こんにちは!」
ルナは無駄に元気よくあいさつをした。そして立った。
「さようなら! ――ぴぎっ!」
バッグを持ち、よろよろと店を出て行き――段差でつまずいて、べしょっと顔面から倒れ込んだ。
「ルナちゃーん!!!」
野太い男たちの声がこだました。
アズラエルとクラウドは、ルナが時間通りに帰ってきたことにはほっとしたが――そのルナを背負ったウワバミさまと、カラス三羽の存在は、予想外だった。
「おうおうでっかいニャンコが二匹もおるー!!」
「俺ニャンコ大好きじゃけえ」
「撫でたろかい」
「――!?」
図体のでかい男三人にもみくちゃにされる経験は、アズラエルにもクラウドにもなかった。ウワバミさまが勝手にルナをベッドに運んでいるあいだ、素性の知らない男たちは、アズラエルとクラウドの頭をぐりぐり撫で、去っていった。
嵐のようだった。
「あの鳳凰のカバンのことだけどよ」
最後に残ったウワバミさまが言った。
「ルナちゃんのそばに置いでおぐんだ。なにがあっても、取り上げちゃいげねえぞ。あれはルナちゃんの命綱だ」
そう忠告して帰っていった。
あとには呆然とするでかニャンコ二頭と、こんこんと眠るウサギ一羽が残された。




