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キヴォトス  作者: ととこなつ
第一部 ~再会篇~
22/918

12話 傭兵は試験のパートナー 1


 リサたちは驚くほどうまくいっていた。まるで「運命の相手」とやらを見つけたようだった。ルナの杞憂などどこへやら、三人は、蜜月(みつげつ)をたっぷり満喫(まんきつ)していた。

 当然のように、ハロウィン・パーティーの翌日から、だれもアパートに帰ってこなくなった。


「……」


 ふたたび盛大な寝坊をし、午後一時という時間に目覚めたルナは、ぺとぺと起きてきて、ウサ耳をペったり垂らしたまま、ソファにぽて、と座った。


「……」


 ルナはしばらくボケーとしたあと、突如(とつじょ)垂らしていたウサ耳をピーン! と立て、「ひとりだー!!!」と歓声を上げた。

 ひとり。

 ひとりである。

 宇宙船に乗って、初めてのひとり暮らし、である。


「やった♪ やった♪ ヤッター!!」


 ぴょんこぴょんこと、ウサギは足取りも軽くそのへんを駆け回り、「ひとりだ!」と感激のおたけびを上げてから深呼吸をして落ち着いて、じつにいい笑顔で、めずらしく優雅に足を組んでソファに座り、ちこたんに「モーニング・セットひとつ!」と要求してみたりなんかした。


 そのうち、ハムエッグにサラダ、ごはんとお味噌汁、ひじきの煮物にコーヒーとイチゴ入りヨーグルト(ルナ監修(かんしゅう))が付いた朝食なんかが用意されて、ルナはテレビをつけて天気予報なんかを確認しながら、ごはんとひとり暮らしを嚙み締めた。


 ともだちと暮らすのも楽しいし、イヤではないが、たまにはひとりになりたいときもある。

 こんな形で、念願のひとり暮らしが叶えられるなんて。


「今日は、なにをしようかな……」


 天気はいいけど、引きこもって、映画やドラマ、アニメを連続で見続けるのもいいし、本や漫画を読み漁ろうかな。今日は家事もやらないんだ。ぜんぶちこたんにおまかせだ、とひとりでつぶやいていると、ちこたんが、『家事はちこたんにおまかせください』といった。

 ルナは「お願いします!」と叫んで、歯磨きをしに洗面所に向かった。


 そういうわけで、この一週間は、とってものんきに楽しく暮らしたルナだった。

 一度だけ、レイチェルとシナモンと、リズンでお茶をしたくらいで、ずっとひとりで、好きなことをしていた。

 そろそろ食材が尽きかけてきたので、自分が食べたいものを買いにスーパーに出かけた。

 お菓子だのレトルト食品だのを買いこんで、外の出店でたこ焼きなんかを買って、今日はなんのアニメを見ようかな、なんてウキウキワクワク、足早にアパートにもどろうとして――。


「ん?」


 なんだか人の気配を感じて振り返ったが、だれもいない。

 このあたりはカラフルなアパートが立ち並んでいる住宅街。さっきリズンから離れて小路(こみち)に入ったときは、ルナ以外だれもいないはずだった。


「……」


 気のせいかと思ってまた歩き始めたが、なんだか気になって、ちらりと後ろを振り向くと、やっぱりひとがいた。スーツ姿の女性だ。

 通りの真ん中――に、いきなり現れた?


(さっきまで、だれもいなかったはず?)


 このあたりのひとだろうか。スーツ姿だから、役員さん?

 なんだか怖くなって、足早に右へ曲がる。その人もついてきた。


「ぴ!」

 ルナはジグザグに走った。自宅を通り抜け、裏手の駐車場まで。


(やっぱりついてきてる……!)


 スーツ姿の女性は、まるでルナの進路を読むかのように、反対側の道から歩いてきた。





 アズラエルは、眉をしかめた。階下から聞こえる賑やかな音楽は、ひと晩じゅう鳴りっぱなしだ。

 結局、いつもどおり一睡(いっすい)もできなかった。

 彼は、隣にだれかがいると、眠れないのだ。たとえ恋人であっても。親でも家族でも無理だ。


 背中に感じるやわらかい女のぬくもり。励んでいるときはただの女なので、アズラエルにはほとんど区別がついていない。つく必要もない。最中の女の名前はどうでもいい。終わったあととはじまるまえに、名前で認識するだけだ。


 階下からの派手な騒音と、豪奢(ごうしゃ)な調度品が並ぶ、だだっ広い部屋のせいで、うしろの女の正体を思い出す。

 ここはアンジェラの屋敷だ。


「ン……」


 素っ裸の女がアズラエルの腹に手を回し、たくましい背に顔を埋めて寝ている。彼女が昨夜望んだのは、アズラエルひとりだった。

 この旺盛(おうせい)な女がひとりだけを相手にするのはめずらしかったが、不足はなかったはずだ。アンジェラはそう思ってはいないだろうが、これも、最後の記念ということになるのだろうか。


「アンジー、そろそろ起きて」


 ドアを開け、爆音を部屋中に響かせたのは、ジルドという男だ。アンジェラの愛人の一人。昨夜選ばれなかったアンジェラの愛人たちは、階下のリビングで、夜通しふてくされパーティーをした。


「俺の相手をしてよ」


 猫なで声で寄り添うジルドにアンジェラを押し付け、アズラエルはベッドを降りた。

 さっさと下着をはき、ジーンズに足を通す。なかなか鎮まらない性欲過剰女が失神するまで奮闘したのだから、いっさいの文句はないはずだった。

 アズラエルの頭の中はひと晩じゅう――いつになく、夜の運動以外のことで埋め尽くされていたとしてもだ。

 昨夜のアズラエルは、たしかに集中力がなかった。


(う~ん)


 アズラエルは一番遠くに放られていたTシャツを拾い、つまみ上げて迷った。


「うふふ……ジルド」


 目覚めたアンジェラは、今度はジルドと一戦だ。さすがアンジェラとアズラエルは無意識に口笛を吹き、彼女に感謝した。

 この数ヶ月、楽しませてもらった。


「じゃあな、アンジェラ」


 返事はない。だがかまわない。アズラエルも、一度も彼女を「アンジー」と呼ばなかった。

 きしみ始めたベッドと彼女のロックにも勝るあえぎ声に挨拶をし、アズラエルは去った。

 もう、ここに来ることはないだろう。


 アズラエルが別れを告げなければならないのは、あとひとり。もうひとりはラガーで会った商売女で、会わなければそれでおしまい。

 アズラエルは頑丈(がんじょう)なセキュリティに守られた屋敷の門を抜けてから、関係があった女をもう一人清算した。

 電話の向こうから聞こえてくる悪態を容赦なく断ち切りながら、彼女の連絡先を消し――未練がましくアンジェラの番号も消した。


(よし――降りるか)


 アズラエルは、すべてから解放されたかのように伸びをした。一睡(いっすい)もできなかった軽い眠気は、解放感とともに吹っ飛んだ。

 せいせいした――女たちとの関係も切ったし、クラウドには恋人ができそうだ。

 つまり、ようやく自分は、この宇宙船を降りられるというわけだ。


 この数ヶ月、自分は何をやっていたのだろう。退屈に加え、踏んだり蹴ったりの日々だった。


 船内は射撃場もジムもあるし、石油王のボディガードはやっているが、ボディガードというのは、身辺警護だ。ようするに危険があるからボディをガードするわけだ。彼には正規のボディガードが十分すぎるほどついていて、しかも特に大きな危険もない。安全なのはいいことだが、つまりヒマすぎて話にならない。

 退屈すぎて、女と寝るしかヒマつぶしはなく、そのヒマつぶしのほうがボディガードの任務より、よほど危険だった。


 この宇宙船は、どうも多くの人間が運命の恋人さがしに夢中になっていて、下手をするとどこまでも食いつかれる恐れがあった。

 宇宙船に乗りたてのころ、いつものとおりに軽い気持ちでナンパして寝たら、次の日から運命の恋人扱いで部屋に住みつかれ、逃げるために宇宙船を降りかけたことがある。


(怖かった)


 アズラエルは思い出してちょっと身震いした。あんな目に遭うのはもうごめんだ。彼女に宇宙船を降りてもらうために、クラウドに借りを作ることになってしまったし――。

 ますます、宇宙船を降りにくくなってしまった。


 この宇宙船に乗ったのは、クラウドにかなり強引に誘われたせいだった。仕事盛りの忙しい時期に行く気はなかった。四年もかけて、のんびり地球に行くなんて、退職後の慰安(いあん)旅行でいいだろう、そんなものは――と思っていた。

 

 ――運命の、恋人か。


 アズラエルは嘆息を重ねた。

 いつもなら、遊びで済むような男女すら、どうも目がハンターと化している。


(恐ろしいな。集団心理ってやつは)


 運命の恋人が、この宇宙船内で見つかるという噂。

 眉つばであろうがなかろうが、噂というものはある程度信憑(しんぴょう)性があるからこそ広まるものだ。

 噂というのはねじ曲がって伝わるモノだから、本来は、そういう意味ではなかったかもしれない。だが、それほどまでにひとは、真実の愛、とか運命の相手、だとか、そういったものや、言葉に()えているのだな、とアズラエルは思った。


 この宇宙船の中は、そういったことが平然と口にできる、いわゆる特殊な環境なのだ。そして、旅先という高揚感が、錯覚を起こし恋愛感情をたかめるのだろう。

 いわゆるつり橋効果、というやつだ。この宇宙船を出たら、運命の恋人なんて称号も、泡のように消え去る。


 アズラエルはそう思っていた。クラウドは運命の恋人を信じていたし、アズラエルとはちがう考えを持っていたが、アズラエルはくだらないと思っていた。

 運命だろうがなんだろうが、人の好き嫌いは、嫌いは嫌いで、好きは好きだ。

 そんな言葉に縛られるのもイヤだし、運命、という語句がそもそもアズラエルは嫌いだ。

 嫌いだったが、それはひとそれぞれというもので。アズラエルは自分の考えを他人に押し付ける気はなかったし、押し付けられたくもなかった。

 アズラエルは、そんなものがあるなら、できるなら出会いたくないと思っていた。運命の相手と出会いたいと、躍起(やっき)になるヤツの気が知れなかった。


(とにかく、これでおしまいだ。俺は降りられる)


 アズラエルは鼻歌でも歌いそうなほど上機嫌だった。思いもよらず、クラウドには彼女ができそうだし、うまくいってくれれば、アズラエルより女のほうを試験のパートナーに選んでくれるだろう。


 そもそも、地球へ行く試験などあまりに未知数で不明な点が多いし、地球到達している人間は、傭兵以外がほとんどだ。傭兵なんてとくに試験の役には立たないのではないか。


 とにかく降りる。俺はもう、この船を降りるぞ。

 だが、最後に、ひとつだけ気にかかっていることがある。

 これだけは知らせてやってから、降りよう。


 アズラエルの頑強(がんきょう)な決意は、その数時間後に砕かれることになる。


 アズラエルは、自家用車をアパートの駐車場につけた。助手席には紙袋、紙袋にはエルバサンタヴァの材料が入っていた。


(そういえば)

 縁の糸をひっかけたのは、このめずらしい料理の名だった。

(ルナはいったい、どこで料理を知った?)


 これを知っているのは、地球生まれの、アズラエルの祖母だけだ。


「ルナ?」


 車を持っていないはずのルナが、アパート裏手の駐車場にいたのだから、アズラエルは素直に驚いた。


「ぴ!」


 ルナも声をかけられて驚き――アズラエルの顔を見ると、てててててーっと走ってきて、うしろに隠れた。

 スーツ姿の女が、通り過ぎていく。


「どうしたんだ?」


 アズラエルは聞いた。ルナは、過ぎ行く女を(にら)んでいるようにも見えた。

 女はそのまま道路を左手に曲がり、いなくなった。ようやくルナが息をついた。


「なんかね、つけられてるような気がして」

 さっきの、スーツの女か。

「勘違いだったかな? サイファーの手先とかには見えないもんね。役員さんみたいだったし……」

 ルナは眉をへの字にして、ひとりごとをいった。


 サイファー。

 聞いたことがある気がする。だれだっけ。


「アズラエルさんは何しに来たの?」


 アズラエルがサイファーのことを口にする前に、ルナが質問してきたので、アズラエルは詰まった。


「ああ――」

 会いに来た。最後に。大切なことを教えてから、食事でもしないかと。

「……おまえに、会いに来たんだが」


 それ以外に言いようがなかったので、そういった。ルナのウサ耳が、また驚いたように、ビーン! と立った。


「今日は、その、時間はあるか?」


 アズラエルは、初任務に出たときより緊張していた。断わられたら先がないのだ。おしまいなのだ。これほどの緊張は、いままでになかった。どんな女に声をかけたときも。

 彼女に拒絶されたら、確実にダメージを負うだろう自分がいることを、アズラエルはまだ信じてさえいなかった。


 そう問われたルナは、しばらく意味が理解できないように、ウサ耳をゆらゆらさせていたが、やがて「ええ!?」と叫んで、ウサ耳をビコビコーン!! と立たせた。


「あるよ!!」

 すかさず言った。


 まさか、アズラエルが遊びに来てくれるとは思わなかったのだ。

 そして、こっちも「まさか」。

 緊張しすぎのアズラエルは、まさか肯定の返事と思わず、ルナの絶叫は耳から耳へとなっていて、あらためて「部屋に入っていいか」と聞いてしまった。


 ルナは、「どうぞ!」と叫んで、アズラエルをリビングへ招き入れた。

 部屋に入る前、アズラエルはやっぱり周囲を見回していた。傭兵の習性だろうか?


「……ホントにせまいな」


 アズラエルはこのあいだもそう言った。ここでホームパーティーをしたとき。玄関から部屋を覗き込むなり、そういって顔をしかめた。

 ルナは無理もないと思った。まるで小人の部屋に迷い込んだ巨人だ。アズラエルが少しジャンプしたら、天井に頭が激突しそうだ。


「冷蔵庫貸してくれ」


 エルバサンタヴァの材料を冷蔵庫にしまったあと、アズラエルは居心地が悪そうに、ちいさなソファに座った。


「つけられてる気がしたって?」

「――うん」

 勘違いだったかも、とルナは付け足した。

「……いや、勘違いでもないさ」

「え?」

 アズラエルが否定しなかったので、ルナは聞き返してしまった。


「今日は一日フリー?」

「うん」


 そろそろ、ひとりも退屈してきた頃合いだった。アズラエルは少し考える顔をしてから、

「ちょっと遠いが、連れていきたいところがあるんだが」

 といった。


 やっぱりルナは、ちこたんにコーヒーを淹れてもらった。アズラエルがコーヒーを一杯喫するあいだに、ルナは顔を洗い、歯磨きをした。ルナにしては念入りにお化粧をし、お気に入りのワンピースを着た。

 だって、一応デートだもん。


 そうして、アズラエルの車に乗った。



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