12話 傭兵は試験のパートナー 1
リサたちは驚くほどうまくいっていた。まるで「運命の相手」とやらを見つけたようだった。ルナの杞憂などどこへやら、三人は、蜜月をたっぷり満喫していた。
当然のように、ハロウィン・パーティーの翌日から、だれもアパートに帰ってこなくなった。
「……」
ふたたび盛大な寝坊をし、午後一時という時間に目覚めたルナは、ぺとぺと起きてきて、ウサ耳をペったり垂らしたまま、ソファにぽて、と座った。
「……」
ルナはしばらくボケーとしたあと、突如垂らしていたウサ耳をピーン! と立て、「ひとりだー!!!」と歓声を上げた。
ひとり。
ひとりである。
宇宙船に乗って、初めてのひとり暮らし、である。
「やった♪ やった♪ ヤッター!!」
ぴょんこぴょんこと、ウサギは足取りも軽くそのへんを駆け回り、「ひとりだ!」と感激のおたけびを上げてから深呼吸をして落ち着いて、じつにいい笑顔で、めずらしく優雅に足を組んでソファに座り、ちこたんに「モーニング・セットひとつ!」と要求してみたりなんかした。
そのうち、ハムエッグにサラダ、ごはんとお味噌汁、ひじきの煮物にコーヒーとイチゴ入りヨーグルト(ルナ監修)が付いた朝食なんかが用意されて、ルナはテレビをつけて天気予報なんかを確認しながら、ごはんとひとり暮らしを嚙み締めた。
ともだちと暮らすのも楽しいし、イヤではないが、たまにはひとりになりたいときもある。
こんな形で、念願のひとり暮らしが叶えられるなんて。
「今日は、なにをしようかな……」
天気はいいけど、引きこもって、映画やドラマ、アニメを連続で見続けるのもいいし、本や漫画を読み漁ろうかな。今日は家事もやらないんだ。ぜんぶちこたんにおまかせだ、とひとりでつぶやいていると、ちこたんが、『家事はちこたんにおまかせください』といった。
ルナは「お願いします!」と叫んで、歯磨きをしに洗面所に向かった。
そういうわけで、この一週間は、とってものんきに楽しく暮らしたルナだった。
一度だけ、レイチェルとシナモンと、リズンでお茶をしたくらいで、ずっとひとりで、好きなことをしていた。
そろそろ食材が尽きかけてきたので、自分が食べたいものを買いにスーパーに出かけた。
お菓子だのレトルト食品だのを買いこんで、外の出店でたこ焼きなんかを買って、今日はなんのアニメを見ようかな、なんてウキウキワクワク、足早にアパートにもどろうとして――。
「ん?」
なんだか人の気配を感じて振り返ったが、だれもいない。
このあたりはカラフルなアパートが立ち並んでいる住宅街。さっきリズンから離れて小路に入ったときは、ルナ以外だれもいないはずだった。
「……」
気のせいかと思ってまた歩き始めたが、なんだか気になって、ちらりと後ろを振り向くと、やっぱりひとがいた。スーツ姿の女性だ。
通りの真ん中――に、いきなり現れた?
(さっきまで、だれもいなかったはず?)
このあたりのひとだろうか。スーツ姿だから、役員さん?
なんだか怖くなって、足早に右へ曲がる。その人もついてきた。
「ぴ!」
ルナはジグザグに走った。自宅を通り抜け、裏手の駐車場まで。
(やっぱりついてきてる……!)
スーツ姿の女性は、まるでルナの進路を読むかのように、反対側の道から歩いてきた。
アズラエルは、眉をしかめた。階下から聞こえる賑やかな音楽は、ひと晩じゅう鳴りっぱなしだ。
結局、いつもどおり一睡もできなかった。
彼は、隣にだれかがいると、眠れないのだ。たとえ恋人であっても。親でも家族でも無理だ。
背中に感じるやわらかい女のぬくもり。励んでいるときはただの女なので、アズラエルにはほとんど区別がついていない。つく必要もない。最中の女の名前はどうでもいい。終わったあととはじまるまえに、名前で認識するだけだ。
階下からの派手な騒音と、豪奢な調度品が並ぶ、だだっ広い部屋のせいで、うしろの女の正体を思い出す。
ここはアンジェラの屋敷だ。
「ン……」
素っ裸の女がアズラエルの腹に手を回し、たくましい背に顔を埋めて寝ている。彼女が昨夜望んだのは、アズラエルひとりだった。
この旺盛な女がひとりだけを相手にするのはめずらしかったが、不足はなかったはずだ。アンジェラはそう思ってはいないだろうが、これも、最後の記念ということになるのだろうか。
「アンジー、そろそろ起きて」
ドアを開け、爆音を部屋中に響かせたのは、ジルドという男だ。アンジェラの愛人の一人。昨夜選ばれなかったアンジェラの愛人たちは、階下のリビングで、夜通しふてくされパーティーをした。
「俺の相手をしてよ」
猫なで声で寄り添うジルドにアンジェラを押し付け、アズラエルはベッドを降りた。
さっさと下着をはき、ジーンズに足を通す。なかなか鎮まらない性欲過剰女が失神するまで奮闘したのだから、いっさいの文句はないはずだった。
アズラエルの頭の中はひと晩じゅう――いつになく、夜の運動以外のことで埋め尽くされていたとしてもだ。
昨夜のアズラエルは、たしかに集中力がなかった。
(う~ん)
アズラエルは一番遠くに放られていたTシャツを拾い、つまみ上げて迷った。
「うふふ……ジルド」
目覚めたアンジェラは、今度はジルドと一戦だ。さすがアンジェラとアズラエルは無意識に口笛を吹き、彼女に感謝した。
この数ヶ月、楽しませてもらった。
「じゃあな、アンジェラ」
返事はない。だがかまわない。アズラエルも、一度も彼女を「アンジー」と呼ばなかった。
きしみ始めたベッドと彼女のロックにも勝るあえぎ声に挨拶をし、アズラエルは去った。
もう、ここに来ることはないだろう。
アズラエルが別れを告げなければならないのは、あとひとり。もうひとりはラガーで会った商売女で、会わなければそれでおしまい。
アズラエルは頑丈なセキュリティに守られた屋敷の門を抜けてから、関係があった女をもう一人清算した。
電話の向こうから聞こえてくる悪態を容赦なく断ち切りながら、彼女の連絡先を消し――未練がましくアンジェラの番号も消した。
(よし――降りるか)
アズラエルは、すべてから解放されたかのように伸びをした。一睡もできなかった軽い眠気は、解放感とともに吹っ飛んだ。
せいせいした――女たちとの関係も切ったし、クラウドには恋人ができそうだ。
つまり、ようやく自分は、この宇宙船を降りられるというわけだ。
この数ヶ月、自分は何をやっていたのだろう。退屈に加え、踏んだり蹴ったりの日々だった。
船内は射撃場もジムもあるし、石油王のボディガードはやっているが、ボディガードというのは、身辺警護だ。ようするに危険があるからボディをガードするわけだ。彼には正規のボディガードが十分すぎるほどついていて、しかも特に大きな危険もない。安全なのはいいことだが、つまりヒマすぎて話にならない。
退屈すぎて、女と寝るしかヒマつぶしはなく、そのヒマつぶしのほうがボディガードの任務より、よほど危険だった。
この宇宙船は、どうも多くの人間が運命の恋人さがしに夢中になっていて、下手をするとどこまでも食いつかれる恐れがあった。
宇宙船に乗りたてのころ、いつものとおりに軽い気持ちでナンパして寝たら、次の日から運命の恋人扱いで部屋に住みつかれ、逃げるために宇宙船を降りかけたことがある。
(怖かった)
アズラエルは思い出してちょっと身震いした。あんな目に遭うのはもうごめんだ。彼女に宇宙船を降りてもらうために、クラウドに借りを作ることになってしまったし――。
ますます、宇宙船を降りにくくなってしまった。
この宇宙船に乗ったのは、クラウドにかなり強引に誘われたせいだった。仕事盛りの忙しい時期に行く気はなかった。四年もかけて、のんびり地球に行くなんて、退職後の慰安旅行でいいだろう、そんなものは――と思っていた。
――運命の、恋人か。
アズラエルは嘆息を重ねた。
いつもなら、遊びで済むような男女すら、どうも目がハンターと化している。
(恐ろしいな。集団心理ってやつは)
運命の恋人が、この宇宙船内で見つかるという噂。
眉つばであろうがなかろうが、噂というものはある程度信憑性があるからこそ広まるものだ。
噂というのはねじ曲がって伝わるモノだから、本来は、そういう意味ではなかったかもしれない。だが、それほどまでにひとは、真実の愛、とか運命の相手、だとか、そういったものや、言葉に飢えているのだな、とアズラエルは思った。
この宇宙船の中は、そういったことが平然と口にできる、いわゆる特殊な環境なのだ。そして、旅先という高揚感が、錯覚を起こし恋愛感情をたかめるのだろう。
いわゆるつり橋効果、というやつだ。この宇宙船を出たら、運命の恋人なんて称号も、泡のように消え去る。
アズラエルはそう思っていた。クラウドは運命の恋人を信じていたし、アズラエルとはちがう考えを持っていたが、アズラエルはくだらないと思っていた。
運命だろうがなんだろうが、人の好き嫌いは、嫌いは嫌いで、好きは好きだ。
そんな言葉に縛られるのもイヤだし、運命、という語句がそもそもアズラエルは嫌いだ。
嫌いだったが、それはひとそれぞれというもので。アズラエルは自分の考えを他人に押し付ける気はなかったし、押し付けられたくもなかった。
アズラエルは、そんなものがあるなら、できるなら出会いたくないと思っていた。運命の相手と出会いたいと、躍起になるヤツの気が知れなかった。
(とにかく、これでおしまいだ。俺は降りられる)
アズラエルは鼻歌でも歌いそうなほど上機嫌だった。思いもよらず、クラウドには彼女ができそうだし、うまくいってくれれば、アズラエルより女のほうを試験のパートナーに選んでくれるだろう。
そもそも、地球へ行く試験などあまりに未知数で不明な点が多いし、地球到達している人間は、傭兵以外がほとんどだ。傭兵なんてとくに試験の役には立たないのではないか。
とにかく降りる。俺はもう、この船を降りるぞ。
だが、最後に、ひとつだけ気にかかっていることがある。
これだけは知らせてやってから、降りよう。
アズラエルの頑強な決意は、その数時間後に砕かれることになる。
アズラエルは、自家用車をアパートの駐車場につけた。助手席には紙袋、紙袋にはエルバサンタヴァの材料が入っていた。
(そういえば)
縁の糸をひっかけたのは、このめずらしい料理の名だった。
(ルナはいったい、どこで料理を知った?)
これを知っているのは、地球生まれの、アズラエルの祖母だけだ。
「ルナ?」
車を持っていないはずのルナが、アパート裏手の駐車場にいたのだから、アズラエルは素直に驚いた。
「ぴ!」
ルナも声をかけられて驚き――アズラエルの顔を見ると、てててててーっと走ってきて、うしろに隠れた。
スーツ姿の女が、通り過ぎていく。
「どうしたんだ?」
アズラエルは聞いた。ルナは、過ぎ行く女を睨んでいるようにも見えた。
女はそのまま道路を左手に曲がり、いなくなった。ようやくルナが息をついた。
「なんかね、つけられてるような気がして」
さっきの、スーツの女か。
「勘違いだったかな? サイファーの手先とかには見えないもんね。役員さんみたいだったし……」
ルナは眉をへの字にして、ひとりごとをいった。
サイファー。
聞いたことがある気がする。だれだっけ。
「アズラエルさんは何しに来たの?」
アズラエルがサイファーのことを口にする前に、ルナが質問してきたので、アズラエルは詰まった。
「ああ――」
会いに来た。最後に。大切なことを教えてから、食事でもしないかと。
「……おまえに、会いに来たんだが」
それ以外に言いようがなかったので、そういった。ルナのウサ耳が、また驚いたように、ビーン! と立った。
「今日は、その、時間はあるか?」
アズラエルは、初任務に出たときより緊張していた。断わられたら先がないのだ。おしまいなのだ。これほどの緊張は、いままでになかった。どんな女に声をかけたときも。
彼女に拒絶されたら、確実にダメージを負うだろう自分がいることを、アズラエルはまだ信じてさえいなかった。
そう問われたルナは、しばらく意味が理解できないように、ウサ耳をゆらゆらさせていたが、やがて「ええ!?」と叫んで、ウサ耳をビコビコーン!! と立たせた。
「あるよ!!」
すかさず言った。
まさか、アズラエルが遊びに来てくれるとは思わなかったのだ。
そして、こっちも「まさか」。
緊張しすぎのアズラエルは、まさか肯定の返事と思わず、ルナの絶叫は耳から耳へとなっていて、あらためて「部屋に入っていいか」と聞いてしまった。
ルナは、「どうぞ!」と叫んで、アズラエルをリビングへ招き入れた。
部屋に入る前、アズラエルはやっぱり周囲を見回していた。傭兵の習性だろうか?
「……ホントにせまいな」
アズラエルはこのあいだもそう言った。ここでホームパーティーをしたとき。玄関から部屋を覗き込むなり、そういって顔をしかめた。
ルナは無理もないと思った。まるで小人の部屋に迷い込んだ巨人だ。アズラエルが少しジャンプしたら、天井に頭が激突しそうだ。
「冷蔵庫貸してくれ」
エルバサンタヴァの材料を冷蔵庫にしまったあと、アズラエルは居心地が悪そうに、ちいさなソファに座った。
「つけられてる気がしたって?」
「――うん」
勘違いだったかも、とルナは付け足した。
「……いや、勘違いでもないさ」
「え?」
アズラエルが否定しなかったので、ルナは聞き返してしまった。
「今日は一日フリー?」
「うん」
そろそろ、ひとりも退屈してきた頃合いだった。アズラエルは少し考える顔をしてから、
「ちょっと遠いが、連れていきたいところがあるんだが」
といった。
やっぱりルナは、ちこたんにコーヒーを淹れてもらった。アズラエルがコーヒーを一杯喫するあいだに、ルナは顔を洗い、歯磨きをした。ルナにしては念入りにお化粧をし、お気に入りのワンピースを着た。
だって、一応デートだもん。
そうして、アズラエルの車に乗った。




