94話 羽ばたきたい孔雀 Ⅲ 2
「おまえはもう、感激すんじゃねえ」
「あたしだって、毎回好きで気絶してるわけじゃないのよ!!」
バンビは怒鳴ったが、グレンは聞いちゃいなかった。考え込む顔をしていた。それから、ぼそりとつぶやいた。
「サルディオーネ以外に、ZOOカードをつかうヤツがいるとは思わなかったな……」
「え?」
「いや……思い出したんだが、おそらく俺は金を出したな。たしかにサインした。もしかして、アレのことだったか」
「やっと思い出したの」
「ああ。俺のいとこで、クレアってのがいるんだが、一番傭兵の知り合いが多くて……そいつが、俺に金を出せとねだってきたことがある」
「あんたそれで……出したの」
「ろくに内容も見ずにサインした記憶はあるな。執事に頼んで金を下ろさせた。研究への投資だって話は聞いたが。それも白龍グループ経由で、俺もくわしいことはわからない」
「くわしいことが分からないのに、五千万も出したの……」
「三千万以上で、どれだけ出せると聞かれたから、五千万出した。クレアの誕生日プレゼントというか、こづかい代わりにな。あいつはいとこの中でもおねだり上手だ」
「クソセレブが……」
「聞こえてんぞ」
「そんなに金があるなら、あたしにちょうだいよ。今、あの電子腺除去装置を持ち歩き可能にするための研究をしてるの。最小化するための資金につかってあげるから」
「ドーソンを追い出された俺に、もう金はねえよ」
グレンは肩をすくめ、
「ところで、おまえ、“贋作士のオジカ”って言葉の意味を、分かってるのか?」
「……どういう意味?」
あのとき、ペリドットはバンビを「贋作士のオジカ」、そしてマシフ型のヒューマノイドに向かって、「正義のために戦うオジカ」といった。
「あたし、バンビって名に改名はしたけど、贋作士のオジカなんて名に変えた覚えはないのよ」
鹿ちゃんは好きだけど、とバンビはいった。彼のほっぺたのタトゥはアニメの小鹿だ。
「そいつは“ZOOカード”ってやつの名称だ。L03のサルディオーネってのがする占いで、一回受けるのに、それこそ三億だの五億だのかかる」
「ウソでしょ!?」
バンビはベンチを揺らして立った。「ペリドットがサルディオーネだっていうの!?」
「そいつは知らん――だが、地球行き宇宙船にもサルディオーネってのが乗っていて、彼女がする占いだっていうのは聞いた。そのサルディオーネは次期サルーディーバの実の妹で、今、いっしょに船内で暮らしている」
「……なんだか、とんでもない話になってきた気がする」
バンビは頭を抱えた。
「その程度でビビるな。ルナなんか、そのサルディオーネとともだちなんだぞ」
「は!!!????」
グレンが真顔で、バンビを見上げていた。
「ルナが――どうして? あの子、L77の子だって、」
「まあ、ふつうはそう思うよな」
グレンはうなずき、
「おまえ、正直なところ、ルナをどう思う」
「――どう、思うって」
不思議な子だとは思っていた。変わった子ではあるけれど、いい子だ。
「聞き方が悪かった――ルナが来てから、変わったことはないか」
「変わったこと……」
あの日初めてルナがハンシックに来て。
シュナイクルが、過去のことを話すのは二度目だ。あの男は、ペリドットにも、ほかのだれにも、過去の話をしたことがなかった。あの話をもう一度聞くことは、バンビにとっても苦痛だったけれど、それでも、不思議な感じがしたのはたしかだった。
はじめて会う相手に、シュナイクルはずいぶんと心を開いた。
バンビもルナに過去の話をして、なぜか癒されていくと思った。過去の苦しみが、ゆっくりと溶け流されていくような。話すたびに、抉れた心がもとにもどっていくような――癒されていくような。
そんな感じがしたのはたしかだ。だから、シュナイクルもそうだったのではないかと思っている。
そして、ルナは、クラウドとアンディの娘であるルシヤを連れてきた。
最初は、クラウドが来たことを身の破滅レベルに考えていたバンビだったが、たとえクラウドにとって、ヒマな宇宙船旅行の慰みとはいえ、どうやら本気で協力する気だと分かったときには驚いた。
そのクラウドが裏切らないよう、なにか手段を持って、押さえているのもルナだった。
クラウドは憔悴した顔で、「俺は今、ルナちゃんに頭があがらない」とガックリしていたのをバンビも見た。あれは冗談ではなく、ほんとうなのだろう。
しかし、クラウドはただの迷惑客だったわけではない。彼が発明した探索機は、ひどく助かった。これで、船内に電子装甲兵がいれば、すぐ見つけることができる。クラウドは、L系惑星全土を探索できるよう、開発を続けてくれるそうだ。
アンディのこともそう。
いくら装置があったところで、肝心の電子装甲兵が訪れなければ治療ができない。
その電子装甲兵との縁が、娘経由ではあったが、ルナによってもたらされた。
「ルナは――」
バンビが言葉にしかねているのを見て、グレンはなにを思ったか、笑いながらとんでもないことをいった。
「ルナはな、どうやら、愛と縁と、革命と癒しをもたらす神様なんだそうだ」
「……縁」
バンビが笑い飛ばせなかったのは、そう思っていたからである。
ルナはバンビにとって神様みたいだった。宇宙船の奇跡のひとつだったのだ。はじめて電子装甲兵を連れてきてくれた――。
「おまえは地球行き宇宙船そのものだとも。九庵という坊主にそういわれたらしい」
「九庵ですって?」
「なんだ、知り合いか」
「……お嬢が通ってる、寺子屋の住職よ。――あのひとは、」
「ルナのボディガードだそうだ」
「待って」
さすがにバンビはストップをかけた。あまりな情報量が入ってきて、整理しきれない。
「ボディ……え?」
「俺も少しヤツの調査をした。アズラエルには言ってねえが。もと総合格闘技全星大会の優勝者なんだってな。三年連続優勝して、翌年から消えた」
「……」
「なんでも、殺人兵器あつかいされてたらしいじゃねえか。あいつが出ると人が死ぬ。だから、大会を追い出されたって話もある」
「……今は、そんなひとじゃないのよ」
「ああ、そうらしいな」
バンビは思い余って、聞いた。
「ルナは何者なの?」
「そう聞きたくなるよな。でも俺も、ただのカオスなウサギにしか見えねえんだ」
「……」
バンビは困惑の表情のまま、ベンチに腰掛けた。考えを整理しているようにも見えた。
「おまえはなぜ、ルナがハンシックを見つけて、やってきたか聞いたか?」
「……ルシヤの映画を観て、それで、」
「もしかしたら、ルナが“ルシヤ”本人だとしたら」
バンビはグレンの正気をちょっぴり疑った。だが、すぐにはっとした。
――あのとき。
シャインの扉が閉まる前に見た、幻影のことを思いだして。
「ルナは宇宙船に乗った早い時期に、ルシヤの夢を見ていた。あの映画とほとんど変わらないルシヤの人生をな。ハンシックのことも夢で見ていた。夢に出てくる登場人物は、“贋作士のオジカ”に、“お人好しのオオカミ”、“親分肌のグリズリー”」
「“お人好しのオオカミ”って、ジェイクのこと?」
「そうだ。分かってんじゃねえか。ルナはルシヤの映画を観てハンシックに来たんじゃない。夢で見た店舗がほんとうにあるか、さがしに来たんだ」
「――!?」
「まだ聞きたいか? 知ってることなら話すぜ。それで俺がイカレてると思ったら、いさぎよくあきらめてくれ」
だいぶ時間が経ってももどってこないふたりに、ルナが、「バンビさんの運命の相手は、グレンだったかな……」とボヤいたので、ちいさな祝福の乾杯がささげられているところだった。
結論として、ルナのそれは勘違いだった。
もどってきたバンビは、なにかしきりにブツブツいいながら携帯をいじっていて、グレンは土産を手にしていた。もちろん酒だったし、子どもたちにスイーツもあった。
「なんだ。売店に寄ってきたのか」
「ホテル内の散策もな――なかなかいいホテルだった。隠れ家にいいかもな」
「よく知ってるな。あそこ、セレブの隠れ宿なんだ」
ジェイクが地ビールを受け取り、「これも高いのに」といった。
「このクソセレブに値段の話をしても無駄よ」
バンビの吐き捨てるようなセリフに、ジェイクはルナに耳打ちした。
「運命の相手じゃなさそうだな」
「うん」
「買ってくれるものは受け取りましょうよ。財布程度に考えとけばいいわ」
「おまえ、最初とずいぶん態度が違ってきたな」
グレンは呆れ声でいい、買ってきた地ビールをテーブルに置いた。ウサギ三羽には、箱菓子を差し出す。
「わあ! イチゴクリームだ、美味しそう!」
「いただきます!!」
喜んでくれたのは、ウサギ三羽だけだ。
「そいでね、パルキオンミミナガウサギはね……もちっとして、ぷくっとして、どーん! なのです」
「「「もちっとして、ぷくっとして、どーん!」」」
興奮気味のルシヤ二名に、ジェイクのつぶやきが混じった。
「でかっ!?」
ルナが動物辞典アプリから呼びだしたパルキオンミミナガウサギは、3Dカラーで顕現した。等身大である。ルナの言葉どおり、もちっとして、ぷくっとして、どーん! としていた。
子どもたちは歓声を上げ、大人たちはその大きさに呆れた。想定以上に大きい。中型犬くらいはある。真白い毛がもふもふでまんまるで、まるで餅かパン生地だった。
特徴的なのは、つぶらなお目目の上から伸びる、七色に光る長い鳥の羽根みたいな耳。
「これが戦闘バージョン」
「戦闘バージョン」
バンビが復唱――ウサギって、そんな戦闘的だっけ。
ルナがボタンを押すと、姿が切り替わった。
「「「「足!」」」」
シュナイクルとバンビ以外の、すべての野太い声がこだまする。
ホッキョクウサギを検索すると分かるが、とにかくまんまるな見た目から伸びる足が――それはとてつもなく、足が――足が、すごかった。にょきん! とたくましい足が、丸モフの身体から伸びてくるのは、二度見確実だ。
「これは、足が速そうだね……」
セルゲイのつぶやき。
「この動物辞典はいまいちなのです。動物の名前がわかるときはいいんだけど、わからないときは、とっても調べにくいんです」
パルキオンミミナガウサギがどんなウサギか調べたときは、図書館の書籍スタイルの辞典でさがしたとルナは言った。
パルキオンミミナガウサギ鑑賞会が終わったあと、ルナはなぜか必死な顔で「カンテンウサギ! カンテンウサギ! ウサギ寒天!!」などとアプリに呼び掛けていたが、「検索結果はゼロです」という無情な答えが返ってくるばかりだった。
「ルナは……たまに、なんていうか……いいや、なんでもないわ」
バンビの言いたいことを悟ったクラウドは、真剣な顔で言った。
「ああいう状態のルナちゃんを表現するのに、的確な言葉を俺は知ってる――“カオス”、だ」
「カオス」
バンビはやっぱり復唱した。
食事をしたあと、ウサギ三羽はまた盛大に水遊びをした。
楽しい時間はあっという間だ。そろそろ片付けて、宿泊所へ移動しようといったシュナイクルに、ルシヤは「えー!!」と叫んだ。
「チェックインの時間に間に合わなくなる。ほら、あそこのあずまやで、さっさと着替えてこい」
アンディの娘は喜んだが、ルナはワンピースを手渡され、たいそうなウサギ面をした。だが。礼はいった。すべてがアズラエルの予測範囲内だった。
あずまやの、開け放たれた入り口側は、ジェイクがテーブルクロス代わりの布で覆ってくれた。
「そろそろ、写真の一枚でもとろうかな」
着替えてもどってきた三羽を見て、セルゲイはいった。
豪勢な弁当はすっかりなくなり、ギリギリまでクーラーボックスにつめた酒も一滴もなくなっていた。あとは片づけるだけだ。
セルゲイはすこし離れたところから、カメラを向けた。
「オーイ、みんな、こっち見て!」
パシャリ、とカメラのシャッター音が鳴った。
「屋敷にこもりっきりも、身体に悪いぜアンジー」
ロッテ・コスカーテの滝唯一のホテル、ドブルブニク・ホテルはセレブの隠れ家だった。
段々畑のような河川、パムレ川の下流に、第二駐車場があった。そちらから続く道は、レンガで完璧に整備され、牧歌的な雰囲気を出した遊歩道だ。
第二駐車場に車をとめた場合、パムレ川の下から上がって、ホテルのまえを通り、滝を見に行くコースになる。
――先に気づいたのは、先頭を行くジルドだ。
冬なのに、川で遊んでいるやつがいる。めずらしいな。
最初はそう思っただけだった。
冬とはいっても、お湯が流れているから外気もあたたかいし、すぐ着替えたり髪を乾かせば、風邪をひくこともない――温水プールのようなあつかいだというのは知っていた。
ここは穴場だ。
ジルドも最近知った場所で、ひと気も少ないというから、ここならいいだろうとアンジェラを連れてきた。
じつは、下流からは、全体がよく見渡せるが、上流からは、下流がよく見えない。あずまやに隠れればもちろん、騒いでいれば、よけいに――。
「ま、待った!」
気づいたのはジルドだ。あわててストップをかけた。後ろから、のんびりと歩いてくる、アンジェラ御一行さまを――。
「なによ」
アンジェラは鼻を鳴らした。ここに連れてきたのはジルドではないか。
彼女にしては、静かに謹慎していたほうだと思う。でも、やはりこもりきりはよくないから、シグルスに、ここならいいと許可を得た。さすがに、ロッテ・コスカーテの滝みたいな山の奥であいつらと出くわすことなんか――。
焦るジルドを突き飛ばし、「なに? なにかあるの」と、ドレスの裾を持ち上げて、階段を上がったアンジェラは、見た。
見てしまった。
楽しげに、河原ではしゃぐルナたちの姿を。
アズラエルやクラウドもいる。
気づいた周囲の者もあわてたが、アンジェラは踏み込んではいかなかった――ただ、アンジェラが一瞬だけ見せた表情に、ジルドはぞっとした。
面倒なことに、なる予感がした。
「……帰るわよ」
あっさり、アンジェラは身をひるがえした。それを、周囲の男たちがあわてて取り囲み、機嫌を取ろうとする。
ジルドは、湯のせいだけではない汗を拭きながら、アズラエルを恨んだ。
「なんで、こんなとこにいんだよ……!」
しばらく情けない顔でにらみつけたあと、アンジェラのあとを追って走った。




