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キヴォトス  作者: ととこなつ
第三部 ~ハン=シィク篇~
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94話 羽ばたきたい孔雀 Ⅲ 1


 トイレはホテル内にもあるが、売店のそばにも建っている。どちらも綺麗で衛生的だが、グレンはホテルのほうに入った。広いロビーだ。内装も古びてはいるが、ずいぶん由緒正しいホテルのようだ。


 ホテルを出ると、バンビが突っ立っている。


「ちょっと、話があるの」


 グレンは、厄介なことになったと思った。グレンは同性愛者を差別する気持ちはないが――友人にもいたし――自分は完全に女しか興味が持てない。バイではない。


 山道のほうへ招かれ、グレンは、「すまんが俺は、」といったとたん、バンビが振り返った。

 その顔は、色事とは無縁のけわしい顔だった。


「自分が出資した設備を、じかに見た感想はどう?」


 ――グレンは本当に、なにを言われたのか、理解しなかった。


「なんだって?」

「自分が出資した設備を、じかに見た感想はどう? っていったのよ。グレン・J・ドーソン」


 グレンはやっと、ハンシックの隠し扉の先にあった研究所のことをいっているのだと分かった。


「あの設備に? 俺が? 出資した?」


 今度はバンビが絶句する番だった。


「寝ぼけてるの?」

「昨夜は安眠だったよ」


「あたしはいっとくけど寝ぼけてもいないしボケてもいないわ――軍事惑星L18のドーソン家嫡男、グレン・J・ドーソンの出資金額とサインはリストに載ってるし、用紙もある――冗談でしょ?」


 バンビは信じられない顔をした。


「あたし、アレクサンドル・K・フューリッチ。名乗ったわよね? 知らない顔してると思ったけど、まさかホントにあたしの名を――知らないのね?」


「すまん、分からん」


 グレンは真っ正直に答えた。本当に分からなかった。

 バンビの驚愕(きょうがく)と呆れが混在した顔がめのまえにある。


「いや、おまえ、俺がL18の陸軍で仕事してたとき、毎日どれだけの案件にサインしてたと思う? ひとつひとつを覚えてなんかねえよ」

「仕事じゃないはずよ」

「え?」

「これは、おそらくあなたのポケットマネーから出たはずよ。だって、あの設備は公の元には出せないもの。法律にさえ触れてなかったら、寄付を募ることはいくらでもできた。それができなかったから――」


 闇の金。表だって募った寄付ではない。グレンは嘆息した。そんな金を出した覚えはない。


「……軍の金じゃなく、ドーソンの金でもなく、俺の金だって? いくらだ?」

「五千万デル! こんなでかい金をポンと出しといて、忘れたって!?」


 なんだ五千万かといいかけて、グレンはだまった。金の格差はトラブルを生むことがある。エレナ(しか)り。


融資(ゆうし)してくれた人たちの中で五番目にでかい金額なの。それを忘れたなんて……」


 気の毒だが、グレンはほんとうに覚えていなかった。だが、愛の告白でなかったことだけはほっとした。でないと、これからハンシックに行きづらくなる。


 グレンはたいしたことではなかったが、あまりの衝撃によろめいたバンビは、近くのベンチに腰かけ、濡れていることに気づいてレインガードをシュッとやり、電池が切れていたことに気づいて絶望的な顔をした。


「ふ……ふふ、しょせん、あたしの研究なんてその程度よね……」

「あの機械はすごかったと思うぜ」

「感情が(ともな)ってない」


 理解が及ばないほどすごいものに対して、人が表現できる言語などたかが知れている。すごいものはすごいし、すごいのだろう。グレンにはそういうほかない。電子腺装置とか、あんまり興味ないし。サイボーグもヒューマノイドも。


 しかし、どうりで、たいそうな秘密というわりには、グレンにはあっさり部屋を見せた理由が分かった。なにかを探っているようなバンビの視線の意味も。

 セルゲイは完全に巻き込まれた形だろうが。


 グレンはしかたなくバンビの隣に座った。隙間をあけて。


 まあふつうは、疑問に思うだろう。グレンも少し思った。

 クラウドがあの研究所で、電子腺(でんしせん)装甲帯(そうこうたい)除去装置(じょきょそうち)を目にしたとき、一番に思い至ったのは、果たして製造費用をどこからねん出したのか――ということだった。


 アレクサンドルたちが電子腺装置の研究をしていた時期は、当然だったがパトロンである大企業の存在があった。結局、その会社同士の利害関係で、アレクサンドルたちの研究は他に渡ったわけだが、つまり、パトロンがないと、装置をつくる資金が生み出せない。


 今のバンビには、それがない。


 L3系では、すべての研究員、科学者は国家公務員とされ、また住民には一定の生活費が支払われるシステムが定着している。それも裕福な生活ができる十分なものだ。


 さらに、ある程度の金額であればパトロンたる企業なしでも開発、研究できるよう、補助が出る仕組みもある。

 だがそれは、法律に触れない、正当な研究においてのみ有効だ。


 バンビが手掛ける電子腺研究は、すでに違法ということになっている。つまり、表ざたに寄付を求めることもできない。


 いくら地球行き宇宙船が定額の報酬をくれるといっても、装置を開発する資金には遠く及ばない。


 あの装置にかかった金額は、四億五千万デルだった。


 クラウドの一番の疑問は、その莫大(ばくだい)な金を、果たしてどうやって融通(ゆうづう)したのかということだった。


 やはりバンビは口を濁したが、クラウドに勝手に調べられるのも業腹(ごうはら)だ。言葉を選びながらも、説明したのだった。


「刑務所にいたとき、電子腺研究をつづけることは決めたとしても、どうやって実現するかをずっと考えていたわ……」


 あのときクラウドにした話を、今度はグレンに話すことになった。


「ヒューマノイド法がない星に行くことも考えていた。アストロスまでいけば。あるいは、S系の奥地」

「でもそんな遠くじゃ、電子装甲兵なんか来ねえだろ」

「そうなのよ……」


 バンビは苦悩した。

 第一に、電子腺を除去する装置をつくる場所に。

 第二に、電子装甲兵の保護の方法に。


 もともとが違法である。おおっぴらに装置を宣伝できはしないし、バンビ自身の危険もある。しかし、つくったところで、電子装甲兵を保護し、装置に入ってもらわなければ話にならない。


「そもそも、雲をつかむような途方もない話だったの……デイジーに託されたはいいけれど、どうしていいか、分からなかったわ」


 悩んでいたとき、刑務所で、一冊の本を見つけた。それは、地球行き宇宙船の旅行記だった。すでに絶版になっていて、古書としてもない。


「なんでだろうね、地球行き宇宙船の旅行記とかっていまいち売れないのか、数はあるわりに、絶版ばかり。あたしも、刑務所で読んだきりよ。悪いけど、おもしろくはなかった」


 地球に興味を惹かれて買った人間は、その平凡な日々の羅列に飽きる。ドラマチックな展開があるわけでもなく――さらに、素人の日記帳だ。


「でも、地球行き宇宙船が、どうやら、“奇跡が起こる宇宙船”っていわれてることはわかったの」


 グレンはだまって、聞いていた。


「奇跡の具体例なんか、なにも書いてなかったけどね……。そのころのあたしは、とにかく、なにかつかみたい心境だったのね、きっと。いざとなったら、地球行き宇宙船って手も考えた。L55の法律でできてるから、やっぱりヒューマノイドは違法だったけど――」


 バンビの最初の計画は、L46のケトゥイン国と交渉するか、軍事惑星での研究だった。しかし、刑務所を出たとたん、待っていたのは、両親が買ってくれた地球行き宇宙船のチケットだったのだ。


「あまりこういうこといいたくないけど、運命だと思ったの。だから乗った」


 研究費用に、製造場所、どうやって、電子装甲兵を助けるか――問題は山積みだった――だが。


「ちょっぴり、地球行き宇宙船が起こす“奇跡”ってものをアテにしていた気持ちはある。……っていうか、そのころのあたしはもう八方ふさがりで、どうしていいかわからなかったのがホントのとこ」


 バンビはため息まじりにつづけた。


「まさか、宇宙船で、電子装甲兵が滅ぼしたルチヤンベル・レジスタンスの末裔と出会って、さらに、彼が場所を貸してくれて、お金まで集まるなんて……」


 バンビは、今でも信じられない、とつぶやいた。いったい、なにが起こっているのか。


「金はいったい、だれが融通したんだ」

「それをあんたが聞く」

「俺のところに、金とサインを求めにきたヤツがいたってことだろ」

「あたしじゃないわよ」

「おまえだったら門前払いだろ。だれだ――知ってるやつだろうな、確実に」

「あんたのところに行った人間は分からないわ。でも、お金を集めてくれたのは、K33区長のペリドットっていうひとなの」

「K33区の区長?」


 K33区は、この船内で、L系原住民が暮らす集落である。

 ペリドットは区長であり、同時にラグバダ族の長でもあるそうだ。


 まだ、ハンシックが開店直後で、一日にひとりも客が来ないことがあったころ。

 なにしろ店の場所がへき地だし、SNSやチラシで宣伝する術も知らなかったころだ。


 彼はひとりでふらりとハンシックにやってきて、けっこうな量を注文し、うまいうまいと絶賛しながら食った。シュナイクルと酒を飲み、意気投合し、「今度は大勢連れてくる」といって帰った。勘定はデルでなく、自分が持っていた金の腕輪だった。


 翌日、本当にペリドットはたくさんの客を引き連れて来店した。今度はちゃんと、デルで金を払ってくれた。金の腕輪はひと寄せの効果がある宝石がはめこんであるといい、大切にしろと彼は言った。シュナイクルは、それを毎日磨き、店先に飾っている。


 彼のラグバダなまりのせいで、「ハン=シィク」だった店の名が、「ハンシック」に代わったのもこのころだ。

 そのころから、店は繁盛するようになった。

 ペリドットは、数週間に一回、来るか来ないかだった。


 やがて、バンビとジェイクが住むようになり、デイジーとマシフが皿洗いをし始めたころ。

 またふらりと、ペリドットはひとりでやってきた。


 バンビが彼を見たのは、それが最初だ。ラグバダ族の長だと聞かされたが、他の原住民とは一線を画している気がした。威厳がある。


 彼は店に入るなり、「不思議なものがいる」といった。


 そのまままっすぐ厨房へ向かい、あわてるバンビを押しのけ、デイジーとマシフに触れた。


「人間なのに人間じゃない。これはなんだ?」

 バンビは言葉を失って立ち尽くした。万事休すだ。

「どうやって人形に魂を入れた。“つくも”でも精霊でもない。おまえ、とんでもないことしやがったな」


 そのとき、バンビは、ペリドットのいう意味がさっぱりわからなかった。このあいだルナと話をしたとき、ようやく意味が分かったのだ。


 バンビの内心は、違法行為を告発される心配だけだった。とんでもないことといわれた――たしかに、ヒューマノイド製作は、とんでもないことだった。バレれば、降船はまちがいない。しかもまた服役だ。バンビは気絶するかと思った。

 その様子を見たシュナイクルが、なにかいおうとしたとき。


「それに、デイジーとマシフがいるのか?」

 真剣な顔で聞いたのは、ルシヤだった。

「それは、ヒューマノイドというそうだ。デイジーがいるのか?」


「ルシヤさ……っ!」


 ジェイクがあわてて口をふさごうとしたが間に合わない。だがペリドットはニッと笑った。


「いるさ。証明することもできる。だが、こいつらは、役目を終えたらきっと天へ帰るさ」

「帰るのか……」


 ルシヤは寂しそうな顔をした。ペリドットは、周囲をぐるりと見まわし、バンビを射抜くように見た。


「おまえだな? “贋作士(がんさくし)のオジカ”」


「贋作士のオジカ?」

「そう、ペリドットは、あたしをそう呼んだの……」


 ペリドットは、ヒューマノイドのことには言及(げんきゅう)しなかった。


「おまえ、金が要るんだろう。いくら欲しい」


 その言葉に、その場にいただれもが絶句した。しかし、驚くのはここからだ。固まってしまった皆の代わりに――だれかが、いった。


『電子腺除去装置に、二億、培養機器に、三億だ』


 その声が、だれならぬマシフであったことは、バンビだけが気づいた。


「よし、“正義のために戦うオジカ”よ。おまえの壮絶な生に免じて、その金を用意してやる」


 表情のないヒューマノイドの唇が、笑みに弧を描いたのを、だれもが見た。


「信じなくていいわ」

 絶句しているグレンに、バンビは嘆息気味にいった。

「あたしも、今でもあれは、幻だったんじゃないかと思っている」


 ――ペリドットは、本当に金を用意してくれた。キャッシュで五億。


 無造作に木箱に詰め込まれ、荷車で登場した五億は、バンビを卒倒させかけた。しかし耐えた。


 彼の人脈はそら恐ろしいくらいだった――札束の頂点に置かれた出資者のリストは、サインがないものもあれば、名も、金額すら書いていないものもある。

 

 地球行き宇宙船の株主、軍事惑星の重鎮、大企業の社員――そうそうたる顔ぶれだった。バンビが知っている、L3系の科学者の名もある。


「わかっているだろうが、そのリストは隠せ。公開は絶対するな。おまえがこれからつくるものを、生涯隠したければ」

 ペリドットは言った。

「おまえの役目を果たせ、贋作士よ」


 そういって彼が去ったあと、バンビはようやく脳が奇跡を認識した。五億のデル札を認識した。当時は、偽札かどうかもたしかめる余裕がなかった――偽札なんかではなかったが。


 ジェイクが泣いていた。バンビも泣いた。ルシヤが号泣した。シュナイクルがみんなまとめて抱きしめた。


 バンビは、気絶した。



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