92話 仕事中毒のサルディオーネと、見えかけた真実
身を起こしたアンジェリカが、一等先に手を伸ばしたのはZOOカードボックスだった。
どうやら、つかう許可は出たらしい。
アンジェリカの頼りない記憶では、先日まで、ZOOカードの「ズ」の字を出すだけでユハラムに睨みつけられた。ここにあるということは、つかってもいいというお達しか。
入院して一週間。やっと自力で起き上がれたアンジェリカは、ドアのほうを気にしながら箱を展開した。
搬送されながら、侍女のナバに伝言を頼んだことは覚えている。ルナにはちゃんと伝えられたはずだったのだが、あれからルナのカードが変化した様子はない。
なにか変わった様子はないか。ルナの周辺も探ってみたが、なにも変化しているところはなかった。
「う~ん……」
ナバはちゃんとルナに伝えた。それはZOOカードにも証拠が残っている。「気配り上手の黒ネズミ」は「月を眺める子ウサギ」に情報を伝えた――それも直接。
だが、ルナが動かないのはなぜだ。
あのメルカドの夢は、ルナが見ようと思って見られる夢ではないことは承知の上だが、月を眺める子ウサギに伝えられたなら、そろそろ見てもいいはずだ。
(あたしがまだ分かっていない、なんらかの理由があるな)
アンジェリカは目先を変えることにした。今回――ハンの樹を中心に展開される、ルナの縁に引き寄せられたカードを呼びだす。
「賢いアナウサギ」
「パルキオンミミナガウサギ」
「親分肌のグリズリー」
「お人好しのオオカミ」
「贋作士のオジカ」
「運のいいピューマ」
「ルシヤ」を中心とした縁だ。
アンジェリカは、ひとりひとりの前世を、「映画」で見てみることにした。
ルシヤに関わる人物なのだから、ルシヤのシーネを見ればいいと思いがちだが、そう――ルシヤのシーネは、ルシヤが死ぬまでだ。それ以降のことは描かれていない。今公開中の映画でも。
娘たちはどうなったのか。夫であるピューマの末路は。オジカとオオカミは、どんな関わりがあるのか。それらが見えてこない。
アンジェリカは、まず「賢いアナウサギ」のシーネから見ることにした。
――四人分の短い一生を見終わったアンジェリカは、「月を眺める子ウサギ」が、今回リハビリで救おうとしているもの――の正体が、すこし分かった気がした。
「悔い、か」
残っているのは、「悔やみ」かもしれなかった。
娘ふたりを残し、志半ばでたおれたルシヤ。
ルシヤを殺したことをなげき、悔い、酔っぱらって川に転がり落ちて溺死など、あまりな死にざまだったピューマ。どのへんが運がいいのだと思っていたら、敵対する組織につかまって拷問死よりはマシかなあという程度だった。
死なばもろとも――母の敵を巻き添えに、自爆して復讐をとげた長女の、「賢いアナウサギ」。
引き取った子の復讐を止められず、病死したグリズリー。
たったひとり、天寿をまっとうした「ユキウサギ」。
せっかく難病が治った彼女を、アナウサギは巻き添えにする気はなかった。
ひとり、孤独に、生を終えたユキウサギ。
オオカミとオジカは、ルシヤの一生には関わっていないらしい。彼らの関わりは、他の前世か。
職業柄、過酷な生もずいぶん見てきたものだが、今回もためいきしか出てこなかった。気が滅入るのひとことだ。どっと疲れが押し寄せた。
ついでにいえば、銀色のトラは、ルシヤが盗賊になるのを止められなかったことを「後悔」しているし、ライオンは、ルシヤを救えなかったことを「後悔」し、パンダは、ルシヤを守れなかったことを「後悔」している。
「悔いだらけじゃん!」
思わず口からこぼれた言葉に、自分でもうんざりして嘆息した。
過労がぶり返しそうだ。
しばし天井を見上げたアンジェリカは、どこまでも社畜だった。占い師だけど社畜だった。ブラック個人事業者。気を取り直して、気になる箇所はないかチェックしていく。
「“運のいいピューマ”……」
なぜかとても気になった。サルディオーネとしての直感のようなものだったかもしれない。
運がいいというわりには、運がいい人生を歩んでいるとはいえない有様だ。
逆に、運がいいからこれですんでいると考え方もあろうが――しかし。
アンジェリカは「運のいいピューマ」のカードに注目した。「原因!」と唱える。
とたんに、幾重にも交差する鎖がカードを取り巻く。
「封印を施されているな……これは、夜の神の封印か」
まさかの、封印されたカードが出てきた。
今回の、ルシヤを取り巻く縁に訪れている困難の、重要なカギがかくされているかもしれない。
鎖の色が黒い。しかし、艶めく黒曜の色であり、美しいほどのきらめきを放っている。悪いものではない。同じ黒でもくすんでいたり、禍々しかったりするものは、呪いの類だが――これは。
黒は夜の神の色。かの神に封じられているという証だ。
「カードの情報だけでも、見られるだろうか」
アンジェリカは、ほかのピューマのカードを呼び、運のいいピューマについてなにか知っていないか聞いた。しかし、夜の神の鎖を見るなり怯えてしまう者が多く、結局なにも聞き出せなかった。
しかたなく、自分と同じ仲間のネズミ――「生き字引のネズミ」を呼びだす。
彼はあっさり、情報を公開した。
『ああ、このものの今世の名はアンディ・F・ソルテ。娘の名はルシヤ・L・ソルテ。もとDLで、組織を脱出後、軍事惑星へ行き、その後、L4系を転々としておる。特殊な事項といえば、電子装甲兵というやつかの』
「電子装甲兵だって?」
電子装甲兵といえば、一時期世界を騒がせた、サイボーグ技術だ。
「よく宇宙船に乗れたな――そうか、そうだったね。この宇宙船は、凶悪犯罪者以外は、乗ることができる……」
テロリストも、個人名でL系惑星全土に指名手配されていなければ、乗船可能なのだった。アンジェリカは気の毒そうな顔をした。
「この時点では、本人がどういう人間かわからないけれど……まさか、前世もDLで、今世もDL。なんでこんな、同じ人生の“繰り返し”を、」
ふつう、困難で過酷な人生を送ったら、罪が晴れて、来世はおだやかな生涯となるはず。
『このものは、これで三度、DLに生まれ変わっている。今世で終わりである。しかしながら今世もまた、最期はむごたらしいものであろうな』
「……よほどの罪を重ねたってこと?」
アンジェリカもあまり見ないほどの、罪を背負ったカードだ。三度生まれ変わっても、人生が過酷極まりない。これは、「運の良さ」で持ってきているといっても過言ではない。
「運がいい」という表現がつくということは、本来は大きな徳も持っているのだ。
持って生まれた罪に押しつぶされそうになり、何度も死線をくぐり抜ける人生を、どうにか全うさせるほどの強運の持ち主――となると、世に大きな功しを残した人物である場合が多い。
歴史に名を刻む人生など、そのまま、大きな徳も積むが、大きな罪も背負うことが多いからだ。
しかし。
「原因を唱えて鎖が巻き付くということは、夜の神に正体を封じられているな」
このカードは夜の神に縁のあるカードということだ。
『お主が聞けば、応えてくれるであろうよ』
アンジェリカのネズミは、夜の神の眷属だ。さすがの生き字引のネズミも、夜の神の封印下にある状態では、それ以上の情報は分からないらしい。
「う~ん……」
アンジェリカは悩んだ。できるなら、これほどの罪を背負うことになった要因となる、ピューマの前世が見たい。
しかし封印が施されている状態というのは当然ながら理由があって、夜の神が明かすとは思えない。
「ああそうか――繰り返し! ――“レペティール”!」
アンジェリカはあわてて、ZOOカードを展開させた。
「レペティールの作用があるのは、ゴーカートだったな」
ZOOカードの遊園地では、遊具にもそれぞれの意味があり、象意がある。
コースで周回しているゴーカートに乗っている魂は、罪の浄化のため、同じような人生を繰り返しているのだ。一周がひとつの人生とすると、二周、三周、四周と決められた数だけ回らなければならない。そのどれもが、似たような、過酷な人生になる。
アンディが三度も、DLとして生まれ変わったように。
アンジェリカが調べると、やはりゴーカートコースに運のいいピューマがいた。小さなスポーツカーに乗ってコースを周回している。
「あと一周……」
車の液晶画面は、「3/3」と表示されている。つまり彼は、大昔犯した大きな罪を償うために、3回似た人生を歩まねばならない。そのどれもが、山あり谷あり水路ありのコースを見るように、過酷だ。
この「アンディ・F・ソルテ」としての人生が最終コース。ゴールまであとわずかなのを見て、アンジェリカは息をのんだ。
「もうすぐ寿命がくる……」
アンジェリカは運のいいピューマの「映画」を開き、ポップアップメニューで運のいいピューマのすべての前世を並べた。
「これか!」
現在アンディが三度生まれ変わり、似たような環境で罪を償っているのは、アンディの四つ前の前世が原因だ。
彼は、アラン・B・ルチヤンベルと同盟を結んだ、L46に太古から住むアノールの長だった。彼はアノールの長として、アランたちと結んで平和をもたらしたが、そのまえに、ラグバダ一国を全滅させている。女子どもに至るまで容赦なく殲滅した――その罪とがを、今ここで浄化しているのか。
「うわあ……」
アンジェリカは、陰惨な過去にしかめっ面をしたあと、ほかにもルナたちとの関わりがないか調べた。 ルナがL05の砂漠で死んだ前世の折り、アズラエルをバラバラにして殺した蛮族の長でもあった。
「これはアズラエルのやつ、恨みが残っているかもしれないな」
もっとさかのぼれば、まだあるかもしれないが、ゴーカートを周回しなければならなくなった要因は特定できた。
そして、“レペティール”――。
この「繰り返し」の象意は、ゴーカートコースにも適用されているが、周辺に影響を及ぼすことがある。
ルシヤとして、かつてそばにいたルナたちの人生も、「繰り返し」に巻き込まれる可能性があるかもしれないのだ。離れた場所にいればいいが、いまのように、近くにいる状態となると――。
「これは……ナキジンさんのところに行ってみるのも、手かもしれない」
アンジェリカは、ZOOカードをしまって、運のいいピューマのカードだけを残し、考え込んだ。
「アンジェリカさま?」
声が部屋の外にも届いたのか、ナバが顔を出した。
「まあ! おひとりで起き上がれるようになったのですね!」
「うわあ! ちょい待ち、ユハラム呼ばないで。――もしかして、ZOOカード置いてくれたの、ナバ?」
アンジェリカの姿を見るなり、踵を返して人を呼びに行こうとしたナバをあわてて引き留める。
「いいえ。それはサルーディーバさまが」
「姉さん?」
「ええ。そろそろ、いいのではないかとユハラムさまを説得されて――」
「さすが姉さん」
姉はおそらく真砂名神社だろう。答えてすぐ、アンジェリカが止める間もなく、ナバは姿を消してしまった。けれど、すぐにもどってきた彼女は、ユハラムを連れてはいなかった。
盆に白湯と、紙切れが二枚――。
「え? なにこれ」
喉は乾いていたが、白湯よりも、紙切れが気になったのは無理もないことだった。紙切れは新聞の切り抜きだ。
「え!?」
アンジェリカは、大声を上げて咳き込んだ。あわてて、ナバが背をさする。
片方は、L55の「世界新聞」と呼ばれるもので、L01から90まで、いわゆる世界規模のニュースが載っている。
もうひとつは、警察星のローカル新聞。
「L46のケトゥイン国家に、桜があるって!?」
L55の新聞に載っていたのは、L46のケトゥイン国の桜並木のある公園で、星々から王族を呼び、大規模なケトゥイン族の花見が行われるという記事だった。
「知らなかった……」
L46のケトゥイン国には二度ほど行ったことがある。けれど、季節柄もあってか、桜並木など見たことがなかった。公園も、王宮からだいぶ離れている。アンジェリカが気づかなくても無理はない。
「調べたところによりますと、十数年前からありますようで」
ナバは言った。
なんて優秀な侍女だ。
「わたくしの手柄ではありません。侍女一堂と、王宮護衛官さまの一部とで、新聞にはすべて目を通しておりました。ことごとく、ユハラムさまのご指示です」
優秀に加えて、謙虚か。アンジェリカは玉をひろったなあと、ひとりホクホクした。
もうひとつの記事――警察星のローカル新聞の片隅にあったそれは、L23のハンの樹を、L46に持っていけないか、くだんのケトゥイン国家から打診があったという記事だった。
――ハンの樹が、枯れかけている。
ルチヤンベル・レジスタンス、DL、ケトゥイン国家の国境であったハンの樹が、寿命を迎えているのではないかということだった。
ルチヤンベル・レジスタンスの消滅と、なにか関係があるのかといった憶測まで書かれている。
あのハンの樹は、ケトゥインにとっても聖地だ。手当をしたいが、DLの電子装甲兵が怖くて手を出せない。このままハンの樹が枯れゆくのを見守るしかないのかという嘆きに、L23にあるハンの樹を移植してはどうかという話が出た。
しかし、植え替えるとしても、もう境界線には植えられない。ケトゥイン国のどこかという話になるだろう。
「L46のハンの樹が枯れはじめ、ケトゥインに桜並木が現れる……」
L46を守護していた夜の神の権限が、月の女神に移行されようとしているのか。
「まさか」
アンジェリカは悟った。
「ハンの樹のことは、ルシヤには関係がない? ――いや、ハンの樹が関わることは、あまりに広範囲だ。ハンの樹は、そのまま夜の神だもの。これは、L46全体の問題かもしれない。いち人間の過去に関わるだけの話じゃない。これは、もしかしたら」
あわてて、ZOOカードを展開させる。それから、ふと思い立って、ルナの縁のカードを、今回のルナの地球旅行四年間においてのみ、展開させた。それでも圧倒的な量のカードだ。ナバの息をのむ声が聞こえる。
思いもよらないところに、一枚のカードを見つけ、――アンジェリカは愕然とした。
「今回、ルシヤのリハビリが、一番の目的じゃない……」
最初に感じたこと。
月の女神が、ハン=シィクの土地ごと救い上げる。
ウサギたちも、グリズリーも、オオカミもオジカもライオンもパンダも、トラもみんな。
――そして。
「今回のリハビリの、本当の目的は……」
アンジェリカが月の女神の真意を悟ったとたん、ZOOカードの箱が光を失い、閉じた。
「え!?」
そばで見ていたナバの顔色も変わる。
ZOOカードには、頑丈な鎖が巻きつき、アンジェリカがいくら開く呪をとなえようが、ビクともしなくなった。
と同時に、ユハラムがやってきた。怖い顔で。
「まだ、動いていいとは、お医者様も仰っておられませんよ」
こうなったユハラムには、姉のサルーディーバもかなわない。仕事はすでに、ことごとくキャンセルされているのだ。
首をすくめたアンジェリカは、ちいさくなっているナバと、迫力が巨大化したユハラムを見比べて、「……ナバを怒らないであげて」と小さな声で言うのが精いっぱいだった。




