91話 レペティール
アンディは一週間で答えを出すといい、やはり、すこし時間が欲しいといった。どちらにしろ、手術を受けない選択肢ではないらしい。
アンディがその気になってくれたことはありがたかった。バンビは、いざとなったら、アンディを強引に麻酔で眠らせ、治癒させる腹積もりもあった――その必要は、なくなったというわけだ。
まだ手術が本決まりになったわけではないが、その夜のハンシックでは、ちょっとお高めのワインがあけられ、しめやかに、あまり派手ではない祝福の言葉が上がった。
しかし。
なぜ今日店に来たばかりのグレンやセルゲイが、ハンシックになじみ、電子装甲兵関連のことも聞いて、自然になじんでいるのか――アズラエルは首を傾げたかった。
もはやかん口令も形無しだ。
バンビ、おまえ、あの秘密のマイルームは内緒にしなくていいのか。おまえがしなだれかかっているその銀色ハゲは、軍事惑星の重鎮だぞ追い出されてるけど――などなど、アズラエルは何度言おうとしたかしれない。
クラウドも頼りにはならない。ふたりのルシヤから、ルチヤンベル・レジスタンスとDLの歴史を聞くのに夢中だ。
ダックはジャーヤ・ライスの大盛りをひとりで平らげ――それ大盛りのレベルを超えてるだろ。なぜ皿がテーブルの半分もあるんだ。そんな皿が存在したことにまずアズラエルは驚いた。
セルゲイとジェイクは演習中に食ったヘビの種類と味で盛り上がっている。
なんだこの有様は。
この思いを共有しようにも、飼いウサギは鮭のことしかしゃべらず、ゲン担ぎだといって、ルナのその日の注文は鮭のソテーだった。
最近ルナにデレることしかしなくなってきたハンシックのコワモテ親父は、鮭をメニューの写真より特大にし、サラダにパフェにとウサギの周囲を飾り立てていく。
だれも頼りにならない。腑抜けばかりだ。
信じられるのはやはり自分だけだ――アズラエルは達観した。
当然、店を二十一時に出ることなどできはしなかったが、ルナは落ちそうになるまぶたを指で押さえるまでして、K37区に行くと言い張った。
そろそろ日付変更線をまたぎそうだが、K37区は夜の街。盛り上がりは、これからが本番だ。鮭とシャチのサンドイッチ・トラック「イクラ」が出ているなら、一番書き入れどきだろう。
アズラエルは半分酔っていたし(ほぼヤケ酒)、もはやなにをいう気もなくなっていたのでしかたがないが、当然のようにグレンもセルゲイもついてきた。グレンが一番、K37区の土地勘があるのでしかたない。
なにもかもが、しかたがない。
K37区の南入り口に近い、ルシアンの裏口付近のシャインから出た。ルシアンは相も変わらず盛況だったし、すこし大通りを進めば、屋台街もある。いつも通りだ。
一羽でぺっぺけと走っていこうとするウサギの頭をひっつかんで、アズラエルは周囲を見回した。このあたりに、サンドイッチ・トラックは見当たらない。
「イクラが出ているとしたら、もっと奥だ」
グレンがいった。
またK37区じゅうをうろつくわけにもいかない。手分けして探そうかと思った矢先、先日、サンドイッチ・トラックの情報を得ることができたおでん屋を見つけた。
ルナも気づいたようだ。
「あじゅ、あのおでん屋さん、」
「ああ」
聞いた方が早い。そう思ったアズラエルより先に、ルナのほうが先に動いていた。ぺけぺけとおでん屋に走ったルナだったが、店舗のまえで立ち止まってしまった。
無理もない、と男たちは思った。
おでん屋は盛況で、せまい屋台内の椅子がすべて埋まっていた。男がひとりに、あとの五人は派手な格好の女たち。騒がしかった。
だがルナが気圧されたのはそのせいではない。
中央に陣取る男が、異様にでかかったからだ。さらに、ずいぶん変わった格好をしていた。男の服装が着流し、と呼ばれる着物姿だとわかったのはルナだけで、さらに髪の毛も長かった。
頭頂で結わえたつややかな黒髪は、先が地面に着きそうだったし、なにより背がバカ高い。ダックまでとは言わないが、アズラエルたちを超す身の丈だ。二メートルは軽く超えている。
「ン? ――あ、お客さんだべ。そろそろどくか」
ルナに気づいた男が、コップに入っていた日本酒らしき飲み物を一気にあおる。
のれんの隙間からこちらを覗いた顔は、クラウドの容姿の良さに慣れているアズラエルまで、寸時固まるほどの顔の良さだった。
切れ長の瞳と、通った鼻筋に薄い唇は、まるで人外の美しさをたたえている――そう、人の理を超えたような迫力と、美麗さ。
アズラエルたちでさえ、圧倒されたのだ。
「えーっ! もう帰っちゃうの」
「別のお店いこーよ!」
「悪ィなあ。そろそろ帰んねえと、親父がうるせんだ」
「やだぁパパ過保護!!」
「んだよ、おらァまだ洟垂れ小僧だし」
図体のでかい成人男性が嫌味もなくのたまうセリフに、女たちが爆発するように笑った。
「すまねえな。いま席あけっからよ」
でかいのが居座っててごめんなあ、と、勘定を済ませ、女たちに別れを告げて立った男は、やはりとてつもなく大きかった。ルナが口を開けて見ていると、男のほうが先に気づいた。
「ルナちゃんだが!?」
この異様な風体の美形とルナは知り合いらしい――アズラエルたちは当然驚いた。もっと驚いたのはルナだったし、着流しの男も驚いていた。
「オラだ、オラ! ああ――いや、えっと、ボク!!」
ルナはまさかと思った。でも、この奇妙な言葉のなまりと、髪型は覚えがある。着物の模様も――はじめて会ったときも、彼は似たような着物を着ていた。
ただ、あのとき彼は、成人男性ではなかった。
「わかんねえかなあ……わかんねえよなァ」
「まさか――フサノスケくん?」
「んだんだ!!」
ニカっと顔全体で笑ってみせた彼は、真砂名神社のふもとで出会ったとき、五歳くらいの子どもだったはずだ。
だのに、今めのまえにいる彼は、どう見ても成人男性である。
キスケやオニチヨよりも、彼のほうがずっと大きかった。
「ガキの姿じゃねえってえ? んだって、オラ、まだ二十九歳だべ。地元じゃガキんちょだども、まさかこったなどごさ、ガキの姿のまんまで、来られるわけねえべ」
彼はフサノスケ・G・シオミ――真砂名神社ふもとの、シオミ酒造の跡取り息子だ。
ルナがはじめて真砂名神社に行ったとき、出会った彼は五歳児の姿で、もっと小さかった。彼は洟垂れ小僧だと冗談をいったが、それは冗談ではなく、あのあたりの住民はみな百歳超えが通常で、二十九歳であるフサノスケは、まだガキンチョなのだった。
宴会のときも、「一番年が近いから」と積極的に話しかけてくれたのが彼だった。たしかにほかは、一世紀差の連中ばかりなので。
しかしまさか、成人の姿になることもできるとは。
子どもと、成人と、どちらがほんとうの姿なのか。
「ウワバミさん!?」
ルナはようやく気付いて叫んだ。夢の中で、銀のビジェーテを出して気持ち悪い動物たちに囲まれたとき、助けてくれた巨大なヘビさんは、彼か。
フサノスケは一度瞬きをしたあと、
「あのピンクのウサギは、ルナちゃんか!!」
大声で叫んだあと、「ウェーイ」と手を出したので、ルナはフサノスケの両手とハイタッチをした。だいぶ過ごしたのだろう、すっかりいい気分である。
「あのときは、おっかないのから助けてくれてありがとう」
「いんや。でも、あんなあぶねえとこで、銀のビジェーテなんぞチラつかせたらダメだべ。夜のメルカドは危険なんだからよ」
「今度から気を付けます……」
「ルナちゃんも夜遊びかい? ここのおでんはうめえよお。ゆっくりしてきな」
「うっ、うん……」
ルナはもしかしたら、フサノスケが鮭とシャチのサンドイッチ・トラックのことを何か知っているんじゃないかと思って、聞いてみることにした。なにせ、夢の中の話が通じたのだ。
「あ、あのね、フサノスケくん」
「ん?」
「K37区に、鮭とシャチのサンドイッチ・トラック――じゃなくて、えっと、イクラってサンドイッチ・トラックが出てるはずなの。どこに出てるか知らない?」
「……!」
フサノスケの顔色が変わった。
「鮭サンドとか、――カルビサンドが美味しいって評判のお店で! 男の人と女の人がやってるはずなの――」
「……あれを探してたのは、ルナちゃんだったのか」
腑に落ちたようにつぶやくフサノスケ。
知っているのだろうか。
「まったく、銀色のトラがそこら中探しまわるから、厄介なことになっちまって――おまえか!!」
いきなりにらみつけられたグレンは、首を傾げるしかなかった。
「ルナちゃん、ちょっと」
おでん屋の裏にある店の軒先にルナを連れて行こうとするので、アズラエルは思わず「おい……」と威嚇したが、フサノスケの強烈な眼力ににらまれたとたん、足がその場から動かなくなった。グレンも、セルゲイもだ。
蛇に睨まれた蛙――表現するなら、それだ。
ひと気の少ない――しかし、アズラエルたちから見える位置にルナを連れてきたフサノスケは、ふたたびしゃがんで、ルナと目線を合わせた。
「ルナちゃん、その――例の、鮭とシャチのサンドイッチ・トラックは、もうK37区には出てねえ」
「えっ」
ルナとしては、やっぱり、という気持ちだった。探しても探しても見つからない。別の場所に移動してしまったのではないかと思っていたのだ。
「銀色のトラがよぉ、夜の世界を探し回るから、面倒なことになっちまったんだ。用心したあいつらは、月の女神のメルカドに移動しちまったんだべ」
「月の女神のメルカド……」
アズラエルがグレンに、「イクラ」を探してくれと頼んだのは、かえってよくなかったらしい。鮭とシャチは、姿をくらましてしまった。
そんなにも用心しなければならないなにかが、あるのだろうか。
「おまけによ、おめえさん、夜の神につかまっちまったな」
「へっ?」
そちらの言葉は予想外だった。フサノスケは、硬直しているアズラエルたちのほうをちらりと見て、つづけた。
「メルカドは基本、出入り自由なんだがよ、おめえさんは月の女神だ。夜の神に見つかったら、そうそう出してはもらえねえかも」
ルナにはいまいち意味が分からなかったが、クラウドがセルゲイとグレンを呼ぶと言ったとき、まだ早いと、なんとなく思ったのは事実だった。
やはり、さっさと鮭ウサギに会っておくべきだったのだ。なんだかどんどん、面倒なことになっていっている気がする。
「ほかの動物に変身できるチーズ・マフィンは、夜の神の案内で手に入れられるべ。夜の神がいるから、メルカドでの安全は保障されでる。でも、出るときが問題だなこりゃ……」
フサノスケはすこし考えたあと、
「ルナちゃん、おめえ、明日、オラの店に来な」
「えっ」
「なんとかしてやっから。まずルナちゃんは、夜のメルカドから出なきゃダメだ」
「う……うん」
「ルナちゃん、メルカドの夢を見るとき、いっつも入り口から始まるべ?」
「え? うん」
その通りだ。いつも始まりは、「メルカド」の看板がある入り口にルナは立っていて、イワシの運転手のタクシーが通りすぎていく。店の並びも、いつも同じ。
「そりゃあな、ルナちゃん、夜のメルカドから出られなくなってる証拠だ」
「えっ!?」
「毎回入り口から始まる。“くりかえし”が働いてんだ。鮭を見つければ、いっしょに出て行けたけど、今はもう、いねえからな……」
「どうしたら、夜のメルカドから出られるんだろう?」
「それに関しては、アイデアがあるべ」
ルナは、月の女神のメルカドは、宇宙船の中ではどこにあるのと聞いたが、フサノスケは首を振った。
「夢の中で、まず夜のメルカドを出なくちゃ」
そうしないと、よそのメルカドに行けない。
「それで、月のメルカドに入って、“乾為天機神之兎”に会わなきゃダメだべ」
現実の店舗は、夢でウサギが教えてくれるはずだとフサノスケはいう。
「カンイ……?」
「ケンイテンキシンノウサギ、だべ」
「けんい……」
ルナは忘れた。一瞬で忘れた。なぜか、覚えられない。
「それが、鮭のウサギなの?」
「鮭のウサギだべ」
乾為天機神之兎は、ウサギには危険な夜のメルカドで、鮭のすがたになってルナを待っていた。その理由は、ルナに「ほかの動物に変身できるチーズ・マフィン」を食べさせて、「パルキオンミミナガウサギ」に変身させるためだ。
そして、パルキオンミミナガウサギに変身したルナに、「渡したいもの」があった。
「渡したいもの?」
「んだ。もう少し早かったら、乾為天機神之兎がルナちゃんを案内して、チーズ・マフィンを手に入れて、大切なものを渡してって――スムーズに進んでただろうけど。もう遅え。ウサギは移動しちまった」
ルナは息をのんだ。やっぱり手遅れだったのか?
「いんや。手遅れってことはねえよ。でも、急がなきゃならねえことはたしかだ。ルナちゃんたちには大変なことはねえけど、“レペティール”で周回しているやつがいるからな」
「“レペティール”?」
「んだ。ZOOカードでいうと、遊園地のゴーカートに乗ってるやつだ」
「え?」
「わかんなくていい。もしかしたら、オラを案内役にするために、夜のメルカドに呼び寄せたのか? タオのやつ――」
「なに話してんだあいつら」
グレンは足を上げてみた。まるで金縛りにあったように動かなかった足は、ルナのほうに行こうとすると固まるが、それ以外の方向へは、動くようだ。
「なあ」
アズラエルは足の方向をおでん屋の親父に向けた。客が一度引けて、無人になったところで、アズラエルは話しかけた。
「あの大男は、何者だ」
あっさり返答が返ってきた。
「うちに酒を卸してもらってる、K05区のシオミ酒造の若旦那だよ」
「酒屋か」
「兄ちゃん、このあいだも来たな。まあ座んなよ」
親父はさっそく、シオミ酒造の酒を出してみせた。「ウワバミ」。たいした名だ。
アズラエルは「ウワバミ一杯くれ」といって座った。「毎度あり!」威勢の良い掛け声が響く。
「悪いこたいわねえから、若旦那に張り合うのはやめときな」
ZOOカードがタコかもしれないおでん屋の親父は、アズラエルたちとフサノスケが、ルナを取り合っていると思ったらしい。
「人間はどうがんばったって、かないっこねえよ」
「……どういうこと?」
尋ねたのはセルゲイだった。すっかり腰を落ち着けて、たまごと大根とこんにゃくを注文している。
「真砂名神社のひとたちは、みんな人間じゃねえ。神様みてえなもんだからな」
「神様?」
グレンもシオミ酒造の酒とやらを一杯もらった。ウワバミじゃなく白菊ナントカという高いほうを。アズラエルに張り合ったわけではない。
「そうだよぉ。あの若旦那はたまにふらーっとうちに飲みに来て、一時間ほど話をしてくんだが、あの旦那が来るとありがてえことにうちは盛況だ。さっきの女の子たちだってよぉ、旦那に見惚れて入ってきたんだぜ。旦那が来た日は売り上げが五倍になる。福の神だよ」
たしかに、あれほど整った造作の顔は見たことがない。よい客寄せになっているということか。たしかに福の神だ。
「俺もたいてい美形だっていわれるけど、彼の容姿は――なんだか、――うん、人間じゃない気がしたね、わかるよ」
クラウドもうなずき、ちくわとトマトとじゃがいもを注文した。自分で美形だとのたまうクラウドは、たいていの人間に変な顔をされるが、みんな顔を見ると黙る。
親父は商売が長いのだろう――スルースキルも高かった。
「でもよ、あんだけ旦那と楽しそうにしゃべってるやつらも、すぐに旦那のことを忘れるんだぜ」
「は?」
「一度見たら忘れられないような凛々しい顔も、だぁれも覚えてねえんだ。一度来た客は、二度、三度と来てくれるんだが、その全員が、旦那のことを覚えちゃいねえんだ」
「まったく?」
「おお、これっぽっちも」
タコ親父は笑った。
「まったく不思議なお人だぜ。カップルで来た客も、女も男もよぉ、恋人のことも忘れて旦那に夢中になっちまうのに、旦那が消えると、存在すら忘れちまうんだよなぁ」
アズラエルたちは互いに顔を見あわせた。
どうやらあの美形は、「福の神」という形容詞ではなく、マジもんの「神様」らしかった。
鋭い切れ長の目は、戦場を経てきた兵士である彼らをも、震え上がらせるだけの迫力があった。しかも足が動かなくなったのは、恐怖のためではない。頭は冷静なのに、足は動かなかった。
ただの客寄せ福の神ではなさそうだ。
四人は、いまだけ好き嫌いを言わず休戦することにした。すくなくとも、隣に座っているのが人類であったことにすごくほっとしていた。人類皆兄弟だよね。
「S系住民もヒューマノイドも、一生会わねえと思ってたのに。生きてるうちに神様にまで出会っちまったぜ」
げんなり顔の、グレンのつぶやき。
「俺は、カメレオン系のS系住民と仕事をしたことならあるぜ」
風土によって、身体の色が変わる人種だった。アズラエルはあまりに風習が違う彼のことを思い出して嘆息した。お近づきの印に、と得体のしれない緑の生肉を差し出されたときの困惑といったら。
「ヒューマノイドは私も初めて見たなあ……」
病院の介護ロボットはメジャーだけれど。あれほど人に模した人造人間を見たのは初めてのセルゲイだった。
「ヒューマノイドだって? 違法じゃないのかい」
タコ親父のセリフに、セルゲイひとりがあわてた。
「いっいや、大昔の研究資料をね……」
セルゲイのごまかしは中途半端だったが、割り込んできた声のおかげで救われた。
「たまごと、餅きんちゃくと、大根とこんにゃくと、まんまるのはんぺんと、たまごください!」
グレンとアズラエルのあいだに、小さなウサギがいつのまにか座っていた。ウワバミの姿はなかった。
「たまごはひとつにしろ。あと牛スジ追加。グレンが飲んでる高い酒もくれ」
「あいよ!」
タコ親父だけが、元気だった。




