90話 希望 2
夜は予定通りにハンシックへ行き――もちろんセルゲイとグレンもくっついたまま――彼らはアズラエルとルナの友人ということで歓迎され、グレンはバンビにひときわ熱烈な歓迎を受けて固まっていた――ことを抜かせば、楽しい夕食だった。
ルシヤは担当のダックといっしょにハンシックへ来た。大きな進展があったことも聞かされた。
もしかしたら、アンディが、手術を受けてくれるかもしれない――いつのまにそんな話になっていたのか。ルナは素直に驚いた。
バンビが、ダックにつきそってもらって、アンディを見舞ったのが始まりだった。
とにもかくにも、バンビは、黙っていられなかったのである。
病状を娘に知られたくないアンディのために、見舞いのあいだ、ルシヤをハンシックに預けて。
白衣を着て、いかにも医者らしい格好をしたバンビは、とくに治療らしい治療もせず、まず、アンディに自分が電子腺の発明者であることだけを告げた。
アンディがバンビに飛びかかるようなことでもあったら、ダックは身を挺して守るつもりでいた。だが、その心配は不要だった。
バンビの、アンディの身体に負担にならぬよう、短くまとめられた身の上話を、彼は「そうか」とだけいって聞いた。
「あんたも、自分の思ったとおりに研究がつかわれなくて、気の毒だったな」
まさか、アンディからそんな言葉が出るとは思ってもみず、号泣してしまったバンビは、かろうじて気絶することだけは免れた。気絶するためにここにきたわけではない。
「あんたが電子腺を完成させなくても完成させても、電子腺なんてものが、あってもなくても、オレはきっと、似たような機械は身体に入れられてたんじゃないかな。ダイローンは、L43の本隊を敵とみなしていたから。あっちに対抗するためならなんでもよかったんだ。電子装甲兵じゃなくても、サイボーグ技術には手を出していた……と思う」
ダイローンとは、DLの正式名称であり、もともと、地球人に抵抗するため、L系原住民の過激派が集まった組織だった。L43の本隊と利害関係で衝突し、L46に移住した第二の組織が、アンディの生まれ育った場所である。
地球人そのものを憎んでいるDLが、彼らにとって「地球人」に属するワヂとアルベルトを組織内に入れたのが、アンディの言葉のいい証拠だった。L46のDLは、たしかにサイボーグ技術を欲しがっていた。そうでなければ、あのふたりがいくら電子腺の技術を売りたがっていても、売ることも、内部に入って電子装甲兵を完成させることも、できはしなかったに違いない。
――組織内に入った以上、もう二度と、出られなくなったとしても。
「ワヂとアルベルトが偶然目を付けたのがダイローンだったってだけで、やつらが来なくても、きっとオレは別の技術で機械化されていたと思う」
アンディは、こんなにたくさんしゃべるのは久しぶりだなと、少し思った。でも、口から出る言葉は止まらない。少々咳き込んでも、話したかった。
「ルチヤンベル・レジスタンスは強かったからな。対抗するためには、強い兵士をつくりだすしかないと、上は思ってたのさ。オレが十三のとき、一番上が変わって、あのころからサイボーグ化の研究ははじまってたよ。金も不足してたんだろうし、失敗ばっかりだったけどな。あの二人が来て、はじめて成功したんだよ。あれでもな……そうじゃなくても、死んでいたよきっと。……オレもたくさん、殺してしまったし」
淡々と言うアンディは、まるでヒューマノイドのようだとバンビは思った。
アンディは恨んでいない。電子腺の研究者も、電子腺自体も。まるで運命の必然のような話し方だった。あまりに過酷な生のために、すべてをあきらめてしまったのか。感情すら、摩耗してなくしてしまったような。
いや、DLの兵士とは、もともとそういうものだと、デイジーが記録に残していた。
彼らは、まるでヒューマノイドのように育てられる。
感情もなく、思考回路もない殺人兵器に。
まだアンディは、情緒があるほうなのかもしれない。
「あたしはあなたを治せるけれど、無理にとは言わない。でも、これだけは受け取って」
バンビは、真新しい革製のグローブと、携帯電話ほどの大きさの装置、錠剤の入った瓶をテーブルに置いた。
「あなた、今、一番困っているのは体温調節だと思うの」
「どうしてそれを……」
素直に驚くアンディに、バンビは苦笑した。
「電子腺の生みの親だもの……。ワヂたちがつくった電子装甲帯に関しては、知らないことも多かったけど」
これでも随分研究したのよ、と付け加えて、バンビはダックにも見せるように説明した。
「このグローブを付けていれば、触ったものが燃えることはない。ためしてみて」
バンビは、アンディから一メートルも離れた場所で話している。それでも、たいそうな熱気で、バンビの額からは汗が噴き出していた。ベッドや家具は燃えていないが、ところどころ焦げ付いている部分もある。
アンディは恐々、テーブルの上の手袋を取った。そして、いままでつけていたものを外して、それをはめる。
指先まで覆うグローブをつけたとたん、すうっと手の温度が下がるのが分かった。
目を見張る。――わなわなと、アンディは震えだした。そして、手袋とバンビを交互に見つめた。
「手が冷えた」
「うん。これで、ルシヤちゃんに触っても、だいじょうぶよ」
アンディの目にはじめて光が宿ったのを、ダックも見た。思わずダックの、コワモテ顔までほころんだ。
「それからこっちは、冷却装置」
携帯電話のような機械のスイッチを入れると、一気に部屋の湿度が上がり――温度が下がった。
「こりゃあ……」
熱気が充満していた部屋の温度が急激に下がる。バンビの首筋に流れていた汗がすっと引いた。これほどの湿度があるのにだ。水気が満ちた湿度の高まりに、アンディの乾きすぎたのどや目が、楽になってくる。
「これは調節しないとならないから、ちょっと扱いがむずかしいかも。でも慣れればきっと、ちょうどいい状態が見つかると思うわ。あまり湿度を上げすぎるとカビが生えるし――今は快適?」
「あ、ああ……」
「そう、よかった。これで、火事の心配はないわ。それから、これは持ち歩くこともできるから」
バンビがもう一度スイッチを押すと、青い水滴状の膜がアンディを覆う。色はすぐに消えた。アンディに吸い込まれるように。
「楽でしょう?」
身体全体が、常に氷の膜で冷やされている心地がする。猛暑のさなか、シャーベットの中に身体を埋めた感じだ。だが身体は濡れていない。
これだったら。
「またルシヤと、外出できるな!」
ダックの言葉に、アンディの瞳が潤んだ。機器のせいではなく――。
「できれば、この冷却装置を常用してほしいの。こっちの薬は、けっこう強いから」
ちいさな瓶から、バンビは白い錠剤をふたつ取り出した。
「処方箋はこれね。一回二錠まで。次の服用には、五時間はあけてちょうだい。ひとまず、飲んでみて」
バンビは持ってきたミネラルウォーターの瓶と、錠剤をアンディに渡した。この時点で、バンビはアンディに直接触れても火傷しないほどになっていた。微熱ぎみの患者と接している程度だ。
アンディが飲み下した時点で、バンビは冷却装置のスイッチを切った。
「どう?」
「……」
アンディは、信じられない顔でバンビとダックを、両方見た。
錠剤が腹に到達して、一瞬でほどけたあとは、とてつもない現象が起こっていた。
体温がみるみる下がっていく。腹から、腰から、腕に足――熱を持っていた電子腺が、肌が、頭が、冷えていく。
「――っは、」
アンディがおおきく息を吐いたのを見て、ダックとバンビが不安げに腰を浮かせた。
頭がすっきりしていく。どうしようもない身体の苦しさが、ほぐれていく。肌の赤みが薄れていく。身体が軽い、痛いところがない――こんな感覚は、久方ぶりだった。
あまりの爽快ぶりに、涙が出てくる。健常だというのは、こういうことか。痛みがないというのは、どれほど楽なことか。
痛みは慣れていた。むかしから。おさないころから受けさせられた訓練は過酷なもので、傷を負っていない日はなかった。だが、あのころからくらべても、電子腺が不調を訴えだしてからは、地獄だった。
それが、どうだ。
「……これは、時間稼ぎにしかならないの」
数ヶ月ぶりに、人間本来の温度を取りもどした感動にふけるアンディに、沈鬱な声が聞こえた。
「薬でもたせているだけ。いずれ薬も効かなくなるわ」
アンディはふと、思い至って、尋ねた。
「――あんたのつくった機械で俺を治すとき、オレは眠っていることはできるか?」
これほどのものをつくった医者だ。彼なら、それが可能ではないかとアンディは思ったのだった。
バンビは、アンディの質問に対する答えも、用意済みだったようだ。軽くうなずいた。
「ええ。麻酔で眠ってもらうことはできるわ。電子装甲帯除去装置に一日、培養機器三日――施術中、ぜったいに起きないように、眠ってもらうことは可能よ」
「手術って、痛くないか」
「痛くないわ。眠っているだけだし――いい夢が見られるようにするわ」
「なら、オレを治してくれ」
アンディの口から、思わず飛び出た言葉がそれだった。
機械は怖い。妻のルナを壊し、自分も苦痛にあえいだ機械は、見るだけで恐怖心をもよおす。だが、その機械を見ることもなく、起きたら治療が終わっていたならば。
決定的な言葉が出て、バンビとダックは真顔になったあと――破顔した。
「ほんとうに!?」
バンビが身を乗り出してつかみかかった。
「ほんとうに、手術を受けてくれるのね!?」
「あんたこそ――ほんとうにオレを治してくれるのか」
アンディの顔が歪んだ。
「オレは、人間にもどりたい」
アンディの悲痛な声音に、バンビのほうが鼻をぐずぐずにして泣いた。ダックも泣いた。
「おめえは――最初から、人間だよぉ……」
ひとしきり三人――主にふたりが泣いたあと、すぐに装置のメンテナンスをして施術の用意を整えてくるとバンビが意気込んだとき。ダックの放ったひとつの言葉が、アンディに「待った」をかけさせた。
「これでおめえ、ルシヤとふたり、地球でいっしょに暮らせるなァ……!」
ふいに、アンディの顔が固まった。空気が変わったのを、バンビも、さすがに鈍いと有名のダックも感じた。
「ちょっと――待ってくれ」
アンディが制止をかけた。
「すまない。やっぱり、もうすこし、考える時間をくれないか」
せっかくアンディがその気になってくれたのに。
ダックは自分の失言の理由がわからなくてうろたえたが、アンディは怒っても、落ちこんでもいなかった。
ただ純粋に、なにかを考えていた。
ダックがなにか言い募ろうとしたのをバンビは制し、「わかったわ」とだけ言った。
「あたしたちも、ちょっと急がせすぎたと思ってる。焦らなくていいからじっくり考えて――っていえるほど、あなたの病状はよくないんだけど。薬は二週間分おいていくわ。足りなくなったら、ダックにいうか、処方箋にある番号に電話して。あたしの番号よ」
「どれくらい、考える時間はある?」
「ちゃんとした治療をしなかったら、もって一ヶ月」
バンビははっきりといった。
アンディの過熱する体質もあって、中央病院からは、すでに入院の勧告がくだされている。だがそれは、死を待つだけの入院だった。
そもそも、治療法が存在しないのだ。他に害を及ぼさないよう、特殊な部屋に隔離されるその末期は、けっして安穏なものではない。
「ルシヤの養子先を探したいんだ」
「――アンディ!」
ダックは、アンディのその考えをどうしても覆したいようだったが、アンディは頑なだった。
「ルシヤはオレなんかじゃなく、まともな親を持って、しあわせに生きてほしいんだ」
「そいつはルシヤが選ぶことだろ!!」
ダックがはじめて声を荒げた。アンディは、静かに言った。
「……もしルシヤが、オレと暮らすことを選んだなら、オレは電子腺を身体から消すことを選ばない」
「どういうこと?」
バンビが、床に座りなおした。
「たとえ電子腺がなくなっても、オレは生涯おたずねものだ。ルシヤの身も、オレの安全も守らなくてはならない。だとしたら、電子装甲兵のままのほうが、身を守れる。オレはコイツと、ずっと生きてきたから」
アンディは、手袋を外し、刻まれたバーコードを見た。
「電子装甲兵のまま、バーコードだけを消し、メンテナンスをすることもできるわ」
少し考えてから、バンビは答えた。
「えっ」
そっちは本気で予想外だったのだろう。アンディの声が上擦る。
「でも、それには五年ごとのメンテンナンスが必要になる――それもあたしがなんとかする。あんたが、五年ごとにこの宇宙船に乗り、あたしの研究室でメンテンナンスを受けられるよう、あたしが手配する」
ダックが隣で息をのんでいる。
「あんたがどこにいても見つけ出して、メンテナンスをする。電子装甲兵の機動年月は約七十年――そのあいだ、生涯に渡って、あんたの身体はあたしが面倒を見る」
「地球は、安全なところだ! 危険なんかねえよ」
ダックは思わずいったが、アンディだけでなく、バンビまで首を振るのだった。
「ほんとうに安全なところなんて、どこにもないと思うの」
「生きて。人間なら――生きてほしい」
バンビの言葉に、アンディはしばらくの沈黙を持って、それからいった。
「ありがとう」




