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キヴォトス  作者: ととこなつ
第三部 ~ハン=シィク篇~
211/944

90話 希望 1


 ルナは、夢を見ていた。


 ずいぶん賑やかで、きらびやかで、目がチカチカするような光の集まりだ。ルナが目を凝らしても、果てが見えないほど向こうまで、商店街が続いている。たくさんの人――いいや、動物でにぎわっていた。


「おっと、ごめんよ」


 ラクダの親子連れが、ルナをよけて商店街へ入っていった。たっぷりの電飾でかざられた門構えには、「市場(メルカド)」と大きく書かれている。

 ルナがくりかえし、何度も見ている、遊園地のメルカドの夢だ。

 ルナはちいさなモグラの三姉妹を乗せた、イワシが運転手のタクシーを横目に見ながら、メルカドに入った。

 

 先日は真っ暗で、すこし怖かったメルカドだったが、今日はそうでもない。

 通りの電灯はどれもこれも明るくて、最初に来たときと同じようなにぎわいだ。ルナは励まされるようにして、大通りを進んでいった。


『――銀色のトラが』

『なんだって? なんでヤツが』

『昼の動物がどうしてこの辺をウロついているんだ』

『なにを探してるって?』


(ぎんいろのとら?)


 暗がりで、ひそひそ話している声をひろいながら、ルナは鮭とシャチのサンドイッチ店があった場所へ急いだ。


 地下に入っていく階段があるちいさなカフェ。ルナは周囲をキョロキョロ見回した。右手に古書店、その手前に肉の串を売っている屋台、一膳めし屋、おでん屋……ジェラートの屋台、カクテルの屋台、シュレビレハレ・パンケーキだの、変わった品物の屋台が並んでいる――。


 ここに、サンドイッチの屋台がある「はず」だった。


「ない」

 ルナは絶望的な顔でいった。

「お店が、ない」


 別の場所に移動してしまったのだろうか。それとも、もう閉めてしまったか。

 たしかにこの場所だったのに、サンドイッチ・トラックはなかった。鮭とシャチの姿も見当たらない。

 ルナはなんだか、手遅れになった気がして、焦った。

 どうしたらいいのだろう。

 

 迷いながらも、ルナは鮭とシャチのサンドイッチ・トラックをさがし、奥へ奥へと進んだ。

 やがて、中央広場にたどりついてしまった。

 クラウドは来ないだろうか、今日は。クラウドがいたら、相談もできるのに。

 そう思って探すが、眼鏡をかけたライオンの姿はない。


「――ママ!!」


 聞き覚えのある声に振り向くと、西メルカドの入り口に、ピューマとウサギの親子が立っている。


 ああ、アンディとルシヤはいるんだ。――そうだ。そういえば、ハンシックがもう少し行った先にあるんだ。みんなに相談してみよう――。


 そう思って手を振り返し、親子のほうへ行こうとしたルナは、急に親子の前に、黒い車が横付けされたのを見て、立ち止まった。


「パパあ! たすけて」


 ウサギの――娘の悲鳴。


 一瞬のことだった。

 黒い車は発進し、あとには、呆然とたたずむピューマ一頭が、取り残されていた。





「ルシヤ!!!!!」


 ルナは絶叫して飛び起き――リビングのソファでうたたねをしていた男二名を叩き起こした。


「る、るるるるるるしや!!!!!!」


 ウサギが一羽跳ね起きて、寝室からリビングへととたとたとたとた駆けてきて、ぴょこーん! と飛び上がったと思ったら、ふたたび寝室へもどって携帯電話を手にしていた。

 ウサギの奇行を、ライオン二頭は唖然と眺めた。


「ルシヤ、ルシヤ――! ……だいじょうぶ!? いまどこにいる!? え? うんあたしは元気! ――え? 図書館? だれかおとなといっしょにいる? ダックさん? ――あ、ほんとう? そうなの? うん、うん――」


 アンテナのようにピーンと伸び切っていたルナのウサ耳が、徐々に垂れていく。

 クラウドは「カオス……」とつぶやいた。アズラエルは見飽きた光景にあくびをした。


「だいじょうぶ、でした……」


 やがて携帯電話を切ったルナの背は、ほっと肩を落としたこともあって、まんまるだった。


「どうしたんだ? 今度は、どんな夢を見た」


 アズラエルの問いに、ルナは猛然とウサ耳を立て直した。





「ルシヤが誘拐される夢を見たって?」


 積極的な反応を返したのはクラウドだ。自分が聞いたくせに、なにも聞いていないようなツラをして、アズラエルは新聞を広げ、コーヒーを喫していた。


「うん。やっぱり鮭とシャチのサンドイッチ店はなくって、クラウドを探したの。でも来なくって、そしたらルシヤとピューマがいて、黒い車が来たと思ったら、ルシヤがいなくなってた!」


 クラウドは少し考えるそぶりをしたあと、

「ルナちゃん、昨夜、ハンシックから帰るときに、シャイン・システムでいった言葉を覚えてる?」


「ぷ?」


 突然、なにを聞くのかと思ったら――。

 ルナは案の定、覚えていなかった。その質問のときだけは、アズラエルもわずかにルナを見た。


「覚えていないのか。そうか――まあ、いいや。わかった。ルシヤが誘拐された夢を見たといったけど、さっきルシヤの無事は確認されたんだよね」

「うん」

「ならよかった。それで、昨夜アズとも少し話をしたんだけど」

 クラウドはいった。

「グレンとセルゲイもここに呼んで、君の夢の記録を、見てもらおうと思うんだ」

「えっ」


 ルナに反対する理由はない。――ないが、なんだかとても、それは断りたいような気がした。

 セルゲイとグレンに会いたくないというのでなくて。


(まだ、早い?)

 なぜそう思うのかは、わからないけれども。


「あたしはとにかく、K37区に行ってみます。でないと、話が始まらないのです」

「鮭とサンドイッチのトラックかい?」

「そうです」

「わかった。じゃあ、俺がセルゲイとグレンに説明しておくよ。ルナちゃんは、アズとK37区を探してくる」

「そういうことにします」


 ルナのウサ耳が納得した様子で垂れ下がった。


「夜に、だよな?」


 アズラエルが確認する。ルナは、そういえば、夜でないとサンドイッチ・トラックが出ていないかもしれないことを思い出した。


「昼間も見てきます」


 ルナは断固としていった。なんというか、とてつもなく気持ちが焦るのだ。

 夢の中でサンドイッチ・トラックがなかったせいで、もう手遅れになってしまったような、不安で不吉な予感ばかりするのだ。


「じゃあ、こうしよう。どうせ今夜もハンシックに行く。ハンシックを出るのを二十一時くらいにして、その足でK37区に行ってみよう。どうせ出店は深夜なんだろう?」


 クラウドのいうことに、なにひとつ間違いも不満もない。

 けれどもルナは、ソワソワする気持ちが落ち着かなかった。


 ルナは、ほとんどの店が開いていない午前九時ころから、K37区をうろつきはじめた。


 アズラエルがなにかいおうとしても、「アズはだまっていたほうがいいと思います」と座った目でにらみつけられ、足をダンダンされるので、アズラエルはしかたなくだまった。


 ウサギは怒っている。さらに焦っている。そんなウサギにはなにを言っても無駄なのだ。


 しかしやっぱり、サンドイッチ・トラックはなかった。

 ルナは足が棒になるほど歩き回ったが、午前中いっぱい、K37区じゅうを歩き回ったが、鮭とシャチのサンドイッチ・トラック「イクラ」は影も形もなかった。


 飼いウサギの背中があまりにまん丸くしょげていくのを見かねて、アズラエルがルシアンの店長に聞いてくれた。


 情報はすぐ手に入った。最初からそうしておけばよかったくらいだ。

 そのサンドイッチ・トラック、たしかに一週間前あたりまで出ていたが、最近は見かけなくなったという。


「深夜営業だからな。あまり売れないようだ。場所を移したんじゃないか」


 店長はさすがに、どこに移動したかまでは知らなかった。

 ルナの肩の落とし具合ときたら、ウサ耳が地面に着きそうなありさまだった。

 アズラエルは気の毒だと思ったが、ルナが足を引きずり始めているので、一度グリーン・ガーデンに帰ることを提案した。

 探しても探しても見つからない店舗に、ルナが心折れていることは明白だ。


 適当なランチを買って、グリーン・ガーデンに帰還したアズラエルとルナは、シャインの扉が開いたとたん、向こうからクラウドが駆けてくるのを見つけた。


「アズ! アズ! ルナちゃん!」

「……なんですか」


 不機嫌なルナは、いままでにないくらい眉間にしわが寄っていた。しかしクラウドは、興奮のあまり気づかなかった。


「グレンとセルゲイを呼んで正解だったよ! アズ、君の違和感の正体が分かったかもしれない」

「なんだと?」


 リビングのソファには、アズラエルの機嫌まで低下させる要因の男がふたり、向かい合って座っていた。


「やあ、ルナちゃん」

「おかえり」


 お帰りとはなんだ、ここまてめえの家じゃねえ――おとなげない吠え方をしかけたライオンは、彼らの手にあるコピー用紙の束と、テーブルに並べられたルナ手製のZOOカードもどきを見て、いろんな感情が引っ込んだ。

 ルナに関する不思議は受け入れるだろうとクラウドは言っていたが、まさかほんとうに受け入れたのか。

 あの、荒唐無稽どころではない話を?

 イカレたやつらだ。

 アズラエルは思ったが、アズラエル自身もそのイカレた連中の一人であることに気づいていない。自分のことは見えない。


「ルナちゃん」


 イカレた男のひとりが、一枚のZOOカードを手に取って聞いた。


「聞きたいことがあるんだけど、いいかな」

「うん」


 ルナの機嫌はいつのまにかもどっていた。セルゲイに呼ばれるなり、ぺとぺと寄っていった飼いウサギに顔をしかめるだけしかめて、アズラエルはコーヒーを取りに行った。


「このZOOカードに書かれている動物は、同じ動物が複数いると考えてもいいのかな」

「ぷ?」


 セルゲイの質問の意図がわからず、ルナは首を傾げた。


「あ――ええっと、たとえばこの“傭兵のライオン”っていうのは、アズラエルなわけだろう? それで、“真実をもたらすライオン”が、クラウド。ライオンは二頭いるし、ルナちゃんの友達も三人ともネコだ。ということは、すべての人間の、動物の種類がバラバラだってことはないんだね。たとえば、ここに、私以外にパンダはいないけど、パンダは私だけってことは――ない」


 ルナは困った顔をした。


「それは――ちょっとわからないのです。パンダがほかにいるかどうかは。あたし、アンジェに教えてもらった分だけ、書いてみたの。そのほうが分かりやすいかと思って」


 セルゲイは考え込む顔をしたあと、手持ちのカードを見せた。


「じゃあ、孔雀のカードのひとも、ほかにだれかいるかもしれないわけであって、ここに出てくる孔雀が、“アンジェラ”とは、かぎらないわけだ」

「――え?」


 きょとんと目を瞬かせたルナのまえに、グレンがコピー用紙を差し出した。ルナの夢の記録をコピーしたものだ。

 そこにあったのは、ルナが夢で見た「ルシヤの前世」の記録だ。

 読み返そうとしたとたん、うしろからひったくられた。アズラエルだった。


「――そうか!」

 アズラエルはようやく()に落ちたように、紙束を握りしめてうめいた。

「なんか引っかかると思ってたんだよな――こいつか。この、孔雀!!」


 孔雀――ルシヤの夢の記録に出てくる孔雀は、マフィアのボスであるパンダの正妻である。

 パンダが愛したルシヤに嫉妬して、ルシヤの元夫であるピューマを雇い、殺させた人物。

 そして、アンジェラのZOOカードは「羽ばたきたい孔雀」だ。


「でも、孔雀はひとりだけとはかぎらないんだろう? ほかにも孔雀のひとはいるかもしれない。だとしたら、これがアンジェラだと決めつけるのは早いと思うけれど」


「おまえはそう思うのか?」

 セルゲイの言葉に、あろうことか、グレンが言い切った。

「コイツはアンジェラだ。間違いない」


「……どうしてそんなにはっきり言いきれるんだい」


「いや――グレンの肩を持つ気はねえが、俺もそう思う。コイツはアンジェラだ」


 アズラエルまで断定する。セルゲイも、おそらくこの孔雀はアンジェラだと思っているのだろう。だからこそ、ルナに孔雀のことを聞いた。だが、容易に決めつけてはならないという気持ちでいるのか、なかなか「そうだね」の言葉が出てこない。

 というより、すべての事象に、アンジェラというものを関わらせたくないという意志が伺えた。

 名前を口するだけでもイヤらしい。


「セルゲイのいうことも一理あるし、アズの直感も間違っているとは思えない」


 クラウドは、セルゲイの隣に腰かけて、言った。

 アズラエルは今ごろ思い出したが、クラウドはグレンが大嫌いなはずだった。彼がドーソン一族だからという意味だけではなく。

 よく呼ぶ気になったなと思ったが、そういえば、先ほどからセルゲイにしか話しかけていない。


「さっき、セルゲイたちが『もしかしたらこの孔雀はアンジェラではないか?』という結論を出したとき、俺は、アズの感じていた違和感は、もしかしたらこのことだったのではないかと思ったわけだ」


「オイオイ、冗談よせ。またアンジェラがなにかしでかすってのか」

 うんざりという感情を隠しもせず、アズラエルは吐き捨てた。


「ここは、アンジェラの別荘もすぐ近くにある。まさか、もうすでに、俺たちがここにいることを、気づかれていたってことは?」

「俺もそう思って、すぐに調べてみたが、アンジェラは船内にはいるものの、自分の屋敷に入り浸ってる。ここの管理人にも聞いてみたが、アンジェラは昨年の秋以降、この別荘には来ていない。つまり、接触の可能性は極めて低い」

「……」

「それに、ここの管理人は、ムスタファさんからちゃんと言い含められているそうだ。アンジェラがこの別荘に来たらアズに教えること。なるべく、接触しないように取り計らうこと――そこまで徹底してくれているなら、心配はないと思う。彼らがアンジェラに情報を流すこともない。ここの管理人もコックも使用人も、ムスタファさんが直接選んで雇った人間に入れ替えたそうだから」


 情報が筒抜けになるのはよくない。クラウドのさりげないアドバイスによって、グリーン・ガーデンの別荘の従業員は総入れ替えが行われた。ほとんどの使用人はロックをかけられたpi=poになり、近くのホテルからの派遣もなくなったわけだ。


 男性三人が、それぞれ同じように気難しい顔で考えこんだ瞬間、ぴょこーん! と飛び上がったのはルナだった。

 驚きではなく、むしろ、怒りの方向で。


「とにもかくにも、鮭なのです!!!!!」

「鮭――?」


 グレンが、なんともいえない奇妙な顔で、つぶやいた。


「鮭のウサギの子に、会いに行かなきゃいけないんですっ! すべてはそれからなんです!!」


 怒鳴って足をダンダンさせ、ほっぺたをぱんぱんに膨らませたウサギに、男たちはなにもいうことがなかった。

 



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