11話 エルバサンタヴァとふしぎなおばけ 4
味はともあれ、オーブンは無事、黄金色に焼き上げてくれた。
アズラエルはさっそく味見をし、驚いた顔で「うまい」と言った。味は合格のようだ。
「どこで食べたんだ。これを」
「……たぶんね、もしかしたら」
ルナは、ずっとむかし、たしかにこれを食べたことがある。
もしかしたら、つくったのはツキヨおばあちゃんかもしれないと言いかけたが。
「ルナは――地球生まれってわけじゃねえよな?」
アズラエルが、急に突拍子もないことを言った。
「まさか!」
ルナはれっきとした、L77生まれだ。ローズ・タウン総合病院の産婦人科で生まれた。写真もある。
アズラエルはずっと不思議な顔をしていたが、ロイドに呼ばれて、キッチンを後にした。
(あたしが地球生まれ? どうして?)
話は続けられなかった。料理をリビングのテーブルに運んでいると、リサたち、ミシェルたちと、そろって帰ってきてしまったからだ。
「すっごい!」
テーブルを見たとたん、ふたりは歓声を上げた。
「パーティーメニューは無理だっていってたわりに、すごく豪勢じゃないか」
クラウドも口笛を吹いた。
真っ白なスクエア型の大皿に盛りつけられた料理は、「デリみたい。すごくオシャレ!」とキラを感激させた。
「ルナのつくったごはんの味は、絶対保証するよ」
レディ・ミシェルが、そういいながら、買ってきた花束を花瓶に生け、テーブルに置いた。キャンドルが等間隔に置かれ、ベランダから入る光もだんだん薄暗くなってきたころ合いに、火がともされた。
「テーブルセッティングも完璧ね」
「ヘヘ」
めずらしいリサのほめ言葉に、ミシェルは満面の笑顔になった。
八人がテーブルにそろったところで、つぎつぎと、シャンパンやワインのコルクが抜かれる。
「み、みんなと出会えた、この宇宙船に!」
ロイドが乾杯の音頭を取り、頬を紅潮させたキラが、彼の同じくらい赤い頬にキスをした。リサもついでにメンズ・ミシェルにキスをし――クラウドがキスをしようとしたミシェルの頬の位置には、ものすごいタイミングでグラスが現れた。
ルナのほっぺたには、キスは降ってこなかった――反射的にアズラエルの顔を見たが、彼はどこか遠い目をしていた――気がした。この浮かれた光景についていけない、という顔のような気もした。
もちろん――というのもなんだが、ふたりのあいだにキスはなかった。
乾杯がすむやいなや、テーブルの上は取り皿と人の手が交差した。
「わあ! このディップ美味しい! なにでつくったの」
「ゴルゴンゾーラだ」
キラがディップの味に感激し、つくったのがアズラエルだと知ると、ますます驚いた。
「アボカドのディップ、こっちに回してよ」
「パスタ、俺にもちょうだい」
「カルパッチョ美味しいね。この魚、タイかな」
「これ、エルバサンタヴァっていうの? 初めて食べる味!」
エルバサンタヴァも、皆に好評だった。アズラエルがどんどん減らしていくところを見ると、本当に彼の好物らしかった。
「鮭とレンコンとカボチャね……はじめて食う味」
アズラエルが根菜のサラダを口いっぱいに頬張っている。その様子を見ると、嫌いな味ではないらしい。
「うまい」
クラウドもシンプルに言った。こちらも勢いよく咀嚼しながら。
「はじめて食べるものが多いけど、美味しいね。ルナちゃんは料理上手だな」
「あたし、ルナのこのサラダ好きなの!! 味噌マヨ味の鮭さいこう!!!!! こんがり焼いた鮭こうばしい!! お米食べたくなる!」
「ルナのきのこパスタ、やみつきなのよね」
レディ・ミシェルがしあわせそうに叫び、リサもパスタをたっぷり、皿に取り分けた。
「ルナちゃんと結婚した男は、こんなうまいメシが毎日食えるってわけだ」
とメンズ・ミシェルがウィンクしたので、ルナはにへら、と照れ笑いになった――なった――が。
ほめられて浮かれた頭は、次の瞬間にはパーンと弾けた。
何を見て?
リサの左手薬指の、指輪を見て、だ。
「リサ!?」
ルナは思わず立ち上がり、その剣幕に、リサが驚いて引いた。
「な、なに?」
一瞬にして食卓は静まり返ったが――まるで飛び上がったペットウサギを鎮めるように、椅子を引いてぽんぽんと背を叩き、座らせたアズラエルの行動によって、皆の動揺はそれほど長く続かなかった。
「ど、どうしたのよ、ルナ」
リサが、手をナプキンで拭きながら、つぶやいた。
「リ、リサ、その、その指の、指の、」
ルナがわたわたとおおげさな身振りで、自分の薬指とリサの指にはめられたそれを、別の指で往復する。ルナが叫んだ意味が分かった皆が、アズラエルを抜かして全員、爆笑した。
もちろんリサもだ。彼女はひとしきり笑ったあと、見せびらかすように、左手を顔の横でひらめかせた。
「綺麗でしょ」
まさか。リサが。
華麗なる男遍歴についにピリオドを?
まさか、昨日の今日で?
ルナの衝撃は、それだけではなかった。
リサの指輪でやっと気づいたのだが、キラも、ミシェルも――ルナが知らないうちに、左の薬指に、なにかはめている――指にはめるものはひとつしかない――指輪だ。
まちがいなく、あれは指輪だ。
「あたしもありまーす!」
キラも見て見て! とばかりに左手を挙げ、ミシェルは真っ赤になった顔で左手を隠した。
「あんたもあるんでしょ、見せてよ」
リサに強引に、テーブルの下に隠した左手を持ち上げられるまでは。
ルナはミシェルを見た。ミシェルは目をそらした。今朝ははめていなかった。それとも気づかなかっただけだろうか。
横には喜色満面としか言いようのないクラウドの笑顔。
ルナは完全に動揺し、言葉を失った――アズラエルが、絶句しきったルナを気遣ってか、めずらしく冗談を言った。
「俺と結婚すれば、こんなうまいパイとケーキが、毎日食えるってわけだ」
メンズ・ミシェルが、テーブルのど真ん中で存在を誇示しているパイを見て、ワインを噴いた。
「これ、おまえがつくったのかよ!?」
「味わってね、ダーリン」
アズラエルがケーキ・ナイフをドスン! とパイに突き刺した。
あとは大笑いだ。決まっている。引きつった笑いだったのは、ルナとミシェルだけだった。
「えー! バイトできないって、カザマさん、言ってたよ!」
キラの叫びに、ミシェルが苦笑した。
「うん――まあ、ほんとはそうなんだけど」
食事のあとは、ケーキとコーヒーの時間だ。アズラエルがつくったパンプキン・パイが切り分けられ、残りのキャンドルに火がともされた。
何十個あるだろうか。ジャック・オ・ランタンの形のものから、おばけの形、綺麗なまん丸やケーキの形、アロマの芳香のものまで。
(バイトって、できるんだ)
ルナはぼんやりとそう思っただけだった。
バイトの話より、みんなの指輪のほうが衝撃的だった。
(きのう会ったばかりだよ!?)
そう思っているのは、ルナだけのようだった。ルナとアズラエル以外は、すでに長年付き合った恋人同士のような風格さえただよわせている。
(地球行き宇宙船が、運命の相手に出会えるっていうのは、ほんとなんだ……)
一瞬、そのことが頭をよぎったが、ミシェルとキラはともかくも、リサはまた三ヶ月で別れるかもしれないと思い直した。
「どうすれば、船内でバイトできるの?」
なんの話からはじまったのかは知れないが、ミシェルとキラが、バイトのことを話している。
ルナは、まだ三人の指輪から目を離せていない。
「基本的にバイトもできないし、ここでは働けない。宇宙船の役員にとって、俺たちはこの宇宙船に入ってきたお客様だろ。だからバイトしたいっていうのも、きつく断るわけにはいかないし、邪険にもできない。雇うと、トラブルが後を絶たないから、結局禁止にされた」
(ミシェルってなんで、こんなにいろいろくわしいんだろう)
ルナは、ミシェルなら試験のことをなにか知っているのではないかと思ったが、口をはさむ隙間はない。
「ミシェルもルシアンでたまにバーテンダーやってるのよね。それはいいの?」
リサが尋ねた。ミシェルがバーテンダーをしているなんて、ルナは知らなかった。
「俺は金もらってないし。それに、マスターに頼まれたんだ。ヒマしてるときでいいから手伝ってくれって。メシと酒が報酬だ。そうはいいつつも、すこし包んでくれるときもあるけど。問題さえ起こさなきゃね。問題が起こったら、即座にアウト――降船」
「お金もらえないんだったら、バイトじゃないよね」
キラは嘆息した。
「なんだよ、金が必要なのか?」
「そういうわけじゃないんだけど、遊んでばっかりいるのも、退屈になってきて」
「言っとくけど、給金のことにしろ、勤務時間のことにしろ、雇い先と揉めれば、よほどの事情じゃないかぎり、降ろされるのは船客だからな?」
「よほどの事情って」
「店側が、不当に長時間労働をさせたとか、極端な話、四時間バイトして、メシ奢ってもらっただけとか――まァ、店側だって、滅多に船客なんか雇わないし、断わられる可能性のほうが高いぜ」
「ミシェルはいくらもらってるの」
「すくなくとも、L5系のバーのバイト代よりは多い」
「ほんとに!?」
「それにまかないとカクテル一杯つき」
キラが、あたしも紹介してと言おうとしたが、その言葉は予想がついていたのか、さえぎられた。
「俺だって、滅多にないんだ。それに、紹介したって断われると思う」
キラは盛大に口をとがらせて沈黙した。
ルナが、やっと試験のことをミシェルに聞こうとしたとき、今度はレディのほうのミシェルが先に話しだしてしまった。
「それで、ロイドは、保育士なのに、介護士なの? 両方?」
「ぼくは、保育士だったんだ。いま、介護士の勉強をしているところ」
それから、すこし長い、ロイドの話になった。
ロイドが宇宙船に乗ったばかりのころ。
K22区の公園を散歩し、つかれてベンチに座っていたとき、話しかけてきた車椅子のおばあさんがいた。
そのおばあさんはL57の富豪だった。彼女の娘が、地球にいくことが憧れだった母親のために、チケットを落札し、ふたりで宇宙船に乗った。
おばあさんは若いころ事故にあって、早いうちから車椅子生活、娘は母親の面倒を見てついに初老、とよばれる年齢まで結婚はしなかった。だが、ここにきてから、L56の富豪の紳士に見染められた。
貴族だったので、母星にいたころはメイドもいたが、娘はあまり母親を他人に任せたくない性格のようだった。
つまり、紳士と交流を持つ時間を、娘はまったく取れなかった。
おばあさんは、そのことをしきりにロイドにこぼした。
そこでロイドは提案した。毎日、二時間だけぼくとこの公園を散歩しませんかと。そうしたら、彼女にデートの時間を作ってあげられる。
「いまでは、みんなと仲良くなって」
二時間の散歩は、今でも続いているらしい。
それがきっかけで、ロイドに「あんたは介護士が向いているよ」と言ったのは、おばあさんだった。
「へえ……じゃあ、船内の学校に通ってるの」
「うん。通いはじめて、二ヶ月になるかな」
ロイドは微笑んだ。
「じゃあミシェルの仕事はなに?」
キラが聞くと、ミシェルはきょとんとした顔で。
「俺? 言わなかったっけ――俺は、探偵」
「探偵!?」
リサ以外の三人は、声をそろえて叫んだ。
「もとは、公認会計士だったんだ。まあいろいろあって、船に乗るまえは、L25で探偵事務所を開いていた」
「――!?」
会計士から、探偵になった経緯が、まったく想像もできない。
「言っとくけど、詐称じゃないよ。職業を詐称しては、この宇宙船、入れないからね?」
信じてもらえないのはよくあることなのか、ミシェルは苦笑しつつ言った。
「なにか困ったことが言えよ。法律関係なら相談に乗れるぜ」
しかし、映画やドラマではなく、「探偵」という職種の人間を、ルナははじめて見た。
「ミシェルは本当に探偵だよ。ぼくの冤罪を晴らしてくれたんだから」
ロイドはミシェルをかばうように言った。ロイドの口から思わず出た「えん罪」という語句も、聞き返していいものか、聞き流すべきか迷う空気を存分にはらんでいたが、だれかが聞き返すまえに、皆の――主に女子の興味は、クラウドに移っていた。
「じゃあ、クラウドは? クラウドは何の仕事?」
聞いたのはリサだ。
「うん、俺はね……とりあえず今は、ピアニスト」
似合う気もするし、似合わない気もした。クラウドは、顔立ちは美しいが、ピアニストやモデルというには、身体つきががっしりしすぎている。おまけに、所作がキビキビとしすぎていて、まるで――。
(軍人さん)
ルナは、喉から出かかった言葉を飲み込んだ。
「モデルじゃないのね。最初は、モデルだと思ったわ」
リサがため息をつき、クラウドが「まさか」と笑い、レディ・ミシェルが補足した。
「K36区のレストランで、月に一度、ピアノを弾くんだって。夜の本格的なショーじゃなくて、お昼に、クラシックひくの。それは趣味らしくて」
「ピアノを弾ける人は、すごいです」
ルナが感心したところで、
「じゃあ、L18にいたころは?」
リサがさらに聞いた。クラウドは、特にためらう様子も見せず、言った。
「職業は、L18陸軍の心理作戦部の副隊長。……退職したけど」
「し、しんりさくせん、ぶ?」
「そう」
キラの復唱に、クラウドはシンプルに答えた。
「心理作戦部ってどんなところなの」
リサは興味津々だった。クラウドは顎に手を当て、
「そうだな。名前の通りと言えば、名前の通りだ。心理戦を主に研究、立案する部署――まあ、俺のいたところはほとんど諜報部みたいなもんだけど」
「階級は?」
「軍曹」
リサとクラウドの会話は、それで途切れた。
しかたなく、リサはターゲットをアズラエルに移した。
「じゃ、アズラエルは?」
「アズラエルも軍人? 軍曹?」
「クラウドと幼馴染みなのよね?」
「……なんか、絶対ふつうの職業じゃないよね」
「ふつうじゃないってなんだ」
アズラエルは苦笑した。
「軍事惑星で、傭兵っつったらふつうの職業だ」
「傭兵?」
リサは首をかしげた。
「軍事惑星群で、軍人とは別に、戦争に出たりする雇われ兵だ。……まァ、なんでも屋だよ」
ニッと笑うアズラエルの顔はあくどかったので、みんな少し肩を竦めた。
「そういうかんじする」
「アズラエルはバイトしてるの?」
キラが尋ねた。
アズラエルは「う~ん」といったふうに眉間にしわを寄せ、「ああ」と肯定した。
ルナ以外の三人の興味が、いっせいに、アズラエルに向いた。
「なにやってるの?」
「ボディガードとか?」
「あたし、K37区のクラブで、ボディガードやってるって人と話したことがある!」
リサは興奮気味に叫んだ。
「ボディガード――に似たことはやってるな。L85にバカでかい鉱山持ってる社長が乗ってて――あれはまぁ、仕事っていえるのか謎なんだが」
「アズラエルはボディガードなの?」
「いや、傭兵だ。軍部認定の、傭兵」
「軍部認定の傭兵と、そうじゃない傭兵があるの」
キラが聞き、クラウドがうなずいた。
「認定の傭兵っていうのは、軍部が、この傭兵は信頼できる、と外部に向けて示している証明みたいなものだ。認定資格がない傭兵は、特別な理由がないかぎり、チンピラみたいなやつばかりだからね」
「自称、傭兵、なんてのはいくらでもいる」
アズラエルも言った。
「雇われ兵だ。とくに免許なんかなくても、自分が傭兵だと言えばそれで傭兵だからな」
「じゃあ、あのとき、スーツを着ていたのって、ボディガードの仕事?」
とルナが言うと、アズラエルが一瞬沈黙した。
「……ああ」
ちょっと遅れて返事を返す。
ルナとアズラエルがはじめてスーパーで出会った日。あのときアズラエルはたしか、ワインを手にしていたはずだ。二本くらい。ルナにはワインのよしあしは分からないが、箱入りの、すごく高いやつ。その偉い人に買ってこいとでも言われたのだろうか。
「ルナちゃんにあったとき着てたスーツは、たぶん女王様用だ」
ミシェルの暴露に、アズラエルが余計なことを言うなという顔をした。
「女王様用?」
突っ込んだのは、リサだった。
クラウドが言いにくそうに説明したが、社長さん――石油王のところでボディガードのバイトをしていると、その関係で、金とヒマと退屈を持て余しているセレブたちから、声をかけられることが多いらしい。
ルナは、クラウドの件に関しては納得した。クラウドはモテるだろう。
「俺もアズラエルも、それなりに距離を保ってつきあいはしていたことがある。でも、男女の関係にはなってない――俺はね」
クラウドはきっぱりと言い、リサがさらになにか聞こうとしたが、アズラエルは盛大なため息でこれ以上の追及を拒んだ。
それにしても。
(探偵さんに、しんりさくせんぶさんに、傭兵さん……)
昨日の自己紹介より、多少踏み込んだ話をしたところで、ロイド以外のこの三人が、いまいち正体不明だということは、変わりがないのだった。
ルナにとっては、そばでメラメラと溶け燃えている、おばけのキャンドルと変わりがない気がした。
白い布を被ったおばけ。中身が見えない、不気味なおばけ。
菓子を差し出せば、退散してくれるおばけには見えなかった。
ルナは、やはり心配そうに、三人の指輪を見つめた。ロイドとくっついたキラはともかく、リサもミシェルも、おばけにつかまってしまったような錯覚を受けたからだ。
(ちょっと早すぎない?)
アズラエルが新しいワインのコルクを抜くのを横目で見ながら、ルナは思った。彼が酒を飲むペースではない。友人三人が、誓いの指輪を薬指に許した時期が、だ。
となりのおばけとの不思議なつながりは、エルバサンタヴァだった。
ルナは差し出すのではなくて、差し出されたのかもしれない。
どこで食べたか思い出せない、不思議な料理、エルバサンタヴァ。
その料理が、なぜか彼を、おばけの彼を、ルナに縁あるものに、感じさせてしまうのだった。
運命の相手というのは、もしかしたら、ふしぎなおばけなのだろうか。
「ところで、ルナちゃんやリサちゃんたちは、母星でどんな生活をしていたの?」
ロイドが空気を変えるように、聞いてきた。




