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キヴォトス  作者: ととこなつ
第三部 ~ハン=シィク篇~
209/944

89話 運のいいピューマ Ⅱ 1


 バンビの研究室を見に行ったのは、クラウドとアズラエルだけだった。


「ジャーヤ・ライスを食って帰りてえとこだがな、今日は仕事が残ってるんで、帰るよ」


 ダックは、入ってきたときより小さくなっている気がした。


「ルシヤはどうする」

「ルシヤは、わたしが、送っていくから平気。メトの焼きそばを食べてから、帰るんだ」


 ハンシックのルシヤがそう言ったので、ルシヤはうなずいた。


「ダックおじさん、帰っちゃうの」

 さびしげに、スーツの袖を引っ張った。

「食っていけ。三倍盛りにしてやるから」

 シュナイクルも言ったが、ダックは肩を丸めただけだった。


「悪ィなあ。今日は、帰るよ。また来る。悪いなお嬢、ルシヤを頼む」

「まかせて!!」

「どうも、しょんぼりしちまったな。つくづく、自分が情けねえよ……」

「ダックおじさんどうかしたの?」


 ルシヤが眉をひそめる。そして、必死な顔で言った。


「わたしは、ダックおじさんが大好きよ。なにか悲しいことがあったのね。ダックおじさんはいっしょうけんめいやっているわ。わたし、分かるもの」


「ありがとうなあ、ルシヤ」

 ダックが大きな手で、ルシヤの頭を撫でた。


「この宇宙船は、奇跡が起きるっていうけどなあ……」


 ダックは遠い目で、吹雪の向こうに見えるハンの樹を見つめた。


「アンディにも、奇跡が起こってくれねえかな」


 ぽつりとつぶやくダックの言葉を、ルナはだまって聞いていた。


 ダックを外まで見送ったのはシュナイクルだった。シュナイクルの目配せもあって――察したジェイクが、ルシヤを厨房に呼んだ。

 そろそろ夕暮れだ。店の用意を始めないと、開店時間が近づいている。

 シュナイクルはダックのそばにあわただしく近寄ると、いった。


「さっきの養子の話だが」

「うん?」

「俺が引き取るという話は、無理か」


 タクシーに乗りかけていたダックはびっくりして、ドアを開けたままで「ちょっと待ってくれ」とpi=poの運転手にいった。


「おめえがか!?」

「ああ」


 シュナイクルが冗談でこんなことをいうはずもないことは、よく知っている。まして、考えもなしになど。

 今の今で、さっきの話だが。


「訳ありの出自だというなら、俺たちもいっしょだ。それに、うちのルーも喜ぶだろう」


 ダックはにわかに返事ができなくて、つまった。


「ルチヤンベル・レジスタンスの家に預けるというのが不安なら、おまえが見張るということにすればいい」


「おめえは――」

 それでいいのか。言外に、ダックの目がそう語っていた。


「あれは、ハン=シィクの子だ。だとすれば、あれも、俺の家族だ」


 シュナイクルにとっては、それがすべてだった。


 バンビに連れられて装置を見、いくつか話をしたあと、店にもどってきたクラウドは、ルナが真っ先にてててててと寄ってきたことに、構えた。

 なにかが、起こる気がする。


「クラウド、でんしせんそうちのことをだれかにゆったり、報告とかしたりしたら、ミシェルが一生クラウドに笑いかけなくなる呪いをかけます」


 クラウドは戦慄した。さっきバンビと話していたことを聞いていたわけではあるまいに。さっそく突きつけられて、背筋が凍る思いだった。

 ルナならばそれをやってのけるだろう――ミシェルとのメールひとつで。


「もしくは、かなしいお別れが――」

「俺は天に誓って、他言しない。軍にも報告しない!」


 クラウドは半泣きで宣言した。まるで合図のように、ルナのウサ耳がビコビコーン!! と立った。


「カオス!」

「聞きましたよ!」


 クラウドの悲鳴とともに、ルナの容赦ないひとことが振り下ろされた。


 店はいつもどおりの大繁盛だ。


 ルナとアズラエルはもちろん、アンディの娘のルシヤも手伝いたいといったので、今日は看板娘が三人に増えた。アズラエルの睨みひとつで、クラウドも慣れない注文取りなんかをした。


 ルシヤは元気よく動いて、客が引けたころにはくたくただった。シュナイクルは、ルナたちにも、休憩をはさんで(まかな)いを食えといったが、今日はなんだか、全員が徹底的に動きたい気分だったらしい。


 ルシヤがウトウトしながら焼きそばを見つめているのを見て、ルナが抱っこして、背負った。焼きそばは、ルシヤとアンディ二人分、紙パックにつめて、持たされた。


 いつもどおりシャインで、K16区の公園に出て、寝入っていたルシヤを揺り起こす。あまり起こしたくはなかったが、そのまま連れていくこともできないので――。


「またあした」


 目をこすりながら手を振るルシヤを見送りながら、ルナとルシヤも帰路に着いた。

 ハンシックに一度帰ったら、まだ話があるというクラウドを、アズラエルが強引に連れ帰るところだった。


 倉庫のシャイン・システムまで見送りに来てくれたシュナイクル、半分寝ているルシヤ、ジェイクとバンビにいつも通りのおやすみなさいをいったあと。


 なぜか――。

 なぜか、ルナの口から、こんな言葉が口をついて出た。


「アンディさんは、きっと治ると思うんです」


 シャインの扉が閉まる、その寸前で。

 ルナはきっと顔を上げて、シュナイクルたちを見つめた。


「奇跡は、起きます」


 ――その風圧は、シャインの扉が閉まる勢いだと思った。


 しかし違った。

 シュナイクルの背にいたルシヤが目覚めたのだ。彼女は目をこすり――「あれ?」といった。


「どうした」


 いつになくかたい声で聞いたシュナイクルに、ルシヤは、「今、ハン=シィクの風が、吹かなかった?」と聞いてきた。


 ルシヤは、記憶にないはずの、故郷の夢を見ていた。

 シュナイクルも、ジェイクも、バンビも、見た。


 シュナイクル以外は、行ったこともない土地の空気を。感じたこともないハン=シィクの風を。

 ハン=シィクの風を。


 もしかしたら、勘違いではなかったかもしれない。

 シャインの扉の向こうに、ルナではなく、「ルシヤ」が立っていたのは――。





 ――アンディは、汗びっしょりになって身体を起こした。


 最近、ますます体温調節ができなくなっている。まだ、汗をかいて体温を放出できるだけいいのかもしれない。


 ちょうど零時(れいじ)になったところだ。リリザで買ったウサギのジニーの時計が、カチコチと小さな音を鳴らしている。


 いつの間に、帰ってきたのだろう。

 ルシヤが、ちいさなちゃぶ台のそばで転がって寝ていた。


 ルシヤは自分と違って風邪をひく。アンディはルシヤの身体を抱き上げて、敷きっぱなしの布団に入れようとし、あわてて手を引っ込めた。


 ちゃぶ台に触る。焦げない。自分のほっぺたを触ってみる。たぶん、熱くない。体温調節ができないときに、ルシヤを抱き上げて、火傷させてしまったことがある。


 ルシヤが丈夫な子どもでよかった。子育てのことなどなにも知らない自分が、ほぼ乳児のルシヤを連れて脱走してきた――細かい話を聞けば聞くほど、ダックの妻は青くなる。


「よく生きてこれたわね。強い子ね。あなたも運がよかったわ」


 知らぬ原住民から乳をもらったこともある。ルシヤを餓死させかけたこともあった。

 よく生きてくれた。

 ルシヤの運がよかったのだと思うが、だいたい、アンディも運がいいとよく言われる――それが、うれしいと思ったことは、最近ではほとんどないけれど。


 アンディも、妻のルナも物心ついたときにはDLにいた。生まれがどこかなんて知らない。DLに最初からいたのかもしれない。親はいない。


 大昔、電子装甲兵なんて語句のかけらもなかったころ、攻め落としたケトゥインの村で本を見つけた。手のひらに収まるようなちいさな本で、それはルシヤの伝記だった。


 それが、アンディと「ルシヤ」の出会いだ。


 DLでは、おさないころから兵士として育てられ、字は学べるが、徹底的に思想は管理される。よって、娯楽書の類は読ませてもらえなかった。持っているだけで独房入りの厳罰だ。アンディはこっそり、それをポケットに入れて持ち帰った。


 それからも何冊か本を手に入れた。アンディは見つからなかった。ルナと一緒に読んだ。本を持っていることを見つかって、厳罰になった仲間もずいぶんいるのに、アンディは見つからなかった。「運がいい人ね」ルナはいつもそういった。


 あのころは、運がいいことが自慢だった。

 アンディとルナの情緒を育てたのは、その数冊の本だったかもしれない。


 けれど兵士が情緒を持つことが、いいことだったかは知らない。苦しみは増えたのだろう、きっと。

 組織に疑問を持てば、それだけ葛藤(かっとう)も増える。ヴィアンカ同様――。それでも、アンディもルナも、外の世界にあこがれは持っていても、あそこを出ようとは思わなかったのだ。


 兵士として育てられてきた自分たちが、外へ出て、生活できるとも思わなかった。


 たった数冊の本は、生まれたころから仕込まれた思想の壁にわずかな亀裂をもたらしただけで、ビクともしなかった。


 ルナはアンディと結婚してルシヤを産み、その数週間後、電子装甲兵の装置に入って、生きて帰ってこなかった。自分は平気だったのに。


 生まれたばかりのルシヤを取り上げられた時点で、アンディは死ぬ気で逃げることを覚悟した。


 不思議なものだった。

 なぜ、逃げようと思ったのかわからない。


 アンディは愛情を知らなかった。それこそ、ヒューマノイドのように、知らなかった。同様に、ルナがアンディを愛していたかといわれたら、答えられなかったはずだ。アンディは、ただルナが美しかったから、妻に求めた。射止められたのは、「運がよかった」のだろう。  


 そばにいた女と男で、互いに気に入ったから、結ばれた。

 それ以外のことを、考えたこともなかった。

 愛など、口にしたこともない。


 だが、娘が自分から取り上げられようとしたとき、なぜか猛烈な怒りに揺さぶられた。

 その苛烈な揺さぶりは、亀裂をひろげたのだ。 


「ルシヤ」といっしょにDLを逃げ出した男は、こんな気持ちだったのだろうか。

 偶然にも、アンディはルシヤと逃げ出そうとしている。

 本では妻で、いまは赤ん坊だけれど。


 逃げて逃げて、驚くほど運がいいといわれながら逃げて、軍事惑星にたどり着いた。


 ここも運がいいといわれる所以(ゆえん)かもしれないが、DLの証として刻まれるタトゥには、あまり反応されなかった。あとから聞いた話では、ファッションで刻む者もいるのだとか。


 呆れ半分――だがほっとした。アンディのタトゥは消えない。それは事前に言われている。

 電子腺が身体から消えないかぎり、このタトゥも消えない。


 アンディは軍事惑星で、傭兵まがいのことをして生きた。なんでもした。

 ルシヤは育っていく。アンディが育てなくても、育っていく。


 まったく奇異なことに、アンディに情緒をつぎつぎ植え付けていったのは、まぎれもなくルシヤだったのだ。


 アンディは、そのころには、「ルシヤを愛しているか」といわれたら、てらいもなく「愛している」といえるようになっていた――同時に、ルナのことも。

 愛していたのだと、思えるようになった。


 軍事惑星の暮らしは、悪くはなかった。アンディは「運がよかった」し、その日暮らしでも、仕事には恵まれた。多様な人間がいるせいで、あまりアンディの存在も目立たない。

「その趣味の悪いタトゥをやめろよ」と苦言を呈されたことは何回かあっても。


 ある日、仕事で宇宙に放り出され、気づけば病院にいた。蒼白になった。

 電子装甲兵は、たいていのケガは自然に治る。病院には縁がないと思っていたのに――。

 病院にいけば、電子装甲兵であることがバレる。それだけは避けたかった。

 医者から、真剣な顔で問われた。


「身体の一部がサイボーグ化しています。あなたを手術した医者の名前をお聞かせ願えますか」


 これは、地球行き宇宙船に乗り、ダックがいろいろ調べてくれた先で知ったことのひとつだが、軍事惑星では、違法とわかっていても、身体の一部をサイボーグ化することは、ファッションとしてやっているものはいくらでもいた。DLのタトゥをまねること同様――タトゥが繁殖していれば、似たようなものはいくらでもある。何人が、本物のDLのタトゥと見分けることができたろう。


 S系や、L系でも、地球人が生態できない星から来た住民などは、血液型自体がA、B、O、AB型に当てはまらない者もいる。


 だから医者がアンディに聞いたのも、単に、うちでは治療できないから、アンディをサイボーグ化した科学者か医者のところにいったほうがいいですよ、という意味だった。


 けれど、それを知らなかったアンディは、戦慄した。

 その日のうちに病院を抜け出した。

 ルシヤを連れて、また逃亡の旅に出る羽目になった。


 L4系の星を転々としているうちに、おそらくタトゥからだろう――アンディがDLの脱走兵だとうわさが立って、どこかのマフィアが賞金を懸けてアンディをとらえようとした。


 DLに売るつもりだったのだろう。DLからも追っ手がかけられていた。L46のDLではない。L43の大きな組織のほうだ。もしかしたらアンディが電子装甲兵かもしれないと当たりを付けたL43のDLは、彼の身柄を探していた。


 アンディとルシヤは必死で逃げた。

 L8系に渡りたかったが、包囲網が頑丈で、出られない。


 フリーの傭兵崩れのような仕事をしていたアンディは、傭兵グループに属すこともなかったし、親子に味方はいなかった。


 L42――原住民の住む森の中、洞窟に潜んでいたアンディはいよいよ覚悟した。この一週間、水しか飲んでおらず、だいぶルシヤも弱っていた。


 そこへ来たのがダック率いる、地球行き宇宙船の捜索隊だった。


 ――自分はたしかに、ルシヤを手にかけようとしていた。

 もう逃げきれない。心中するしかないと。

 自分の目に殺意を感じたのだろう――ほぼ、本能で、ルシヤはアンディから逃げ出した。

 そして、洞窟の外にいた人間に助けを求めた。


 もうアンディにはそれを悲しいと思う心も、なかった。ルシヤが泣きながら、自分に怯えている――そのことを、つらいと思う気持ちもなくしていた。


 もともと感情のない殺人兵器だ。


 軍事惑星で、DLの兵士をそう呼ぶ軍人たちの言葉を何度も聞いた。アンディは否定できなかった。自分もそうだ。ルナが死んで悲しいと思う気持ちも、なかった。


 もしかしたら、ルシヤも見殺しにしていたかもしれない。

 あの衝動が、なかったなら。


 あのままDLにいたら、自分もルシヤも死んでいた。いまさら、土に帰ることがなんだというのだ。


 そのとき、アンディは、ただの殺人兵器にもどっていた。なにも考えず、ダックを、ルシヤもろとも焼き殺そうと、最大火力の両腕でつかみかかった。


 ――だが、ダックは燃えなかった。


 アンディは呆気にとられた。

 人間が一瞬で消し炭になる高熱と火力である。

 ダックは燃え上がるどころか、炎の塊になったアンディを、泣きながら抱きすくめたのである。


「やっどぉ……やっど、見づげだどぉおおおお……おめえ、ぐろうじだなあ……」


 まさか、そんなささやかな涙の粒が、アンディの火を消したわけではあるまい。だが、たしかに彼は燃えなかった。アンディは、あまりにもはかなく、ダックの腕の中で鎮火したのだ。三メートルクラスの巨人の腕の中で。


 なぜ彼が燃えなかったのかはしらない。自分を遠巻きに見ていたスーツ姿の人間たちは、きっと燃えただろう。あまりに強い火力に、熱波が空気をたゆませて、先に進めない人間もいたのだ。


 ダックは燃えなかった。それがなぜかは、いまだにわからない。


 アンディは気を失った。

 


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