88話 運のいいピューマ Ⅰ 2
もちろん、ダックは遺恨を心配したが、ハンシックの店長家族がいい人間たちだというのは知っている。
ルシヤの口から出てくる彼の姿が、ダックの想像と大差なくて、ほっとしたのはたしかだ。
自分と同じ名のルシヤとその祖父シュナイクルは、電子装甲兵だった父のことを知っても、恨まず、憎まず、ご飯を食べさせてくれたと、ルシヤが涙ながらに語るのを見て、ダックはいっしょに泣いた。
しかしやはり――ルシヤは、父親に、ハンシックのことを話すのをためらった。それで、まずダックに相談を持ち掛けてきたのだ。
「実際、どうなんだい。アンディは、ルシヤの話をちゃんと聞いたのかい」
クラウドはさっそく尋ねた。
「話は、俺がした。俺がルシヤといっしょにな」
「――君がルシヤを連れてここへきたってことは、アンディが許可したってことで、いいのかい」
「許可もなにも……」
ダックは、困ったように首を振った。眉もへの字にして。
「おまえらがアンディをどう思ってるか知らねえが、ひでえことは、ぜったい起きねえよ。アンディは、ルシヤにせっかくできたともだちを取り上げるようなこた、しねえ。そりゃ、俺とルシヤが話をしたら、びっくりはしたさ。でも、俺のことは、あいつ、信用してくれてる。ハンシックの連中が、信じられないくらい気のいいやつらばっかで、ルシヤを傷つけたりなんかしねえってのは、あいつも分かってるよ。――分かってくれたよ。ただ……」
「ただ、なに? アンディの反応は悪くなかったのね」
「――悪いっつうか」
「ねえ、ダック、彼をここに連れてこれる?」
「アンディをか?」
焦るバンビのセリフに、ダックは目を丸くして、それからその広大な肩幅を少しちいさくした。
「そりゃァ、無理だ」
「どうして」
クラウドが聞いた。
「大切な娘を行かせても平気だと、分かったんだろう? 俺が親なら、自分で行ってたしかめるが。本当に安全かどうか――」
「おめえらは、なんも分かっちゃいねえ」
ダックの言葉に、すこし棘が混じった。
「アンディはな、怯えてるんだよ。いろんなことにな」
「そのことは聞いた。でも、ルシヤのメールを読んだなら、もうわかってるわよね? あたしは、電子装甲兵を、救える」
「……」
ハンシックのルシヤは、アンディの娘のルシヤに、長いメールを送った。バンビと一緒に。
バンビは科学者で、アンディの不調を治すことができる――だから、なんとかして、ハンシックに連れてくることはできないか。
もはやダックが宇宙船役員だとか――まず彼に、電子腺装置のかん口令を敷かねばならないとか――バンビが考えていた予定はすべて無に帰した。
バンビは焦っていた。
ダックは沈鬱な顔でうつむいたあと、首を振った。それから、廊下のほうを覗いて、ルシヤたちがいないことをたしかめた。
大人たちだけで、といった理由が、ここにあるようだ。
「ぜったいに、ルシヤの前ではいうなよ」
ダックは念を押した。
「アンディは、もう自分が生きることをあきらめてる」
「なんだって」
バンビの、思わず跳ね返したセリフに、ダックはもごもごと返した。
「あいつは、宇宙船に乗って、だいたいここが安全だと分かったあと、俺に頼みごとをしてきた――なんだと思う? ルシヤを養子にしてやってくれって、そんなことをいうんだ」
いきなりその大柄な肩を震わせて、涙をこぼした。
「ルシヤがよう、近所でも仲間外れにされて遊んでもらえねえのは、俺が担当役員だからってせいもある。親がほとんど部屋から出てこねえで、俺がいっつも一緒にいりゃ、あのへんの親たちにはめずらしいだろうよ! 俺は慣れてる。そういうのは――ルシヤがかわいそうだから、いつもよそへいって遊ぶけどな。それをわかってて、あいつは俺なんかにルシヤを任せようとする。だめなら、ほかにいい親代わりを探してえが、って。そんな話ばっかりだ」
――宇宙船に乗った時点で、アンディの容態はすでに悪かった。
急な高熱が出たり、あるいは体温が下がりすぎたり。火傷のような症状が出たり――それでも、初期のころはいつのまにか治っていたそうだ。今は、治りが遅くなり、常に高熱が出ていて、ほとんど寝ていなくてはならない。
ダックは、電子装甲兵という特殊な船客の担当になったことで、電子装甲兵とはなにか、DLに電子装甲兵が入ったのはいつごろか、電子腺ができた経緯、L46の地理と現状況――基本情報はひととおり学んだ。
科学者でも医者でもない自分が、どうしてこの親子の担当になったのか、いまだ持って、分からなかった。上部からの指令はくつがえらない。
ダックが持っていたのは、医療の知識の代わりに、かぎりない「優しさ」と「誠実さ」、そして「差別の苦しみを分かち合える心」だけだった。
専門外のダックは、できるかぎりのことをした。
宇宙船内にも、血管培養機器をそなえた大病院がある。だが、そこの大病院の医者は、「電子装甲兵は治せない」と苦悶交じりの表情で言った。
病院にあるのは、ヒューマノイド法に引っかからない装置で、もともと人が持っている血管を、長い年月をかけて電子腺に移行していく仕組み。血液型も、その人間が本来持っているもので、変わらない。
電子装甲兵は、そもそも、血液型がE型と呼ばれるもので、従来のものとはまったく違う。さらに、平気化するために、改良が重ねられているのが普通だろう。
病院の血管培養装置では治せないし、その治療装置をつくることもできない。
なぜなら、E型血液自体が、ヒューマノイド法によって禁止されたからだ。もしそんなものがあるとするなら、完全に非合法で、ヒューマノイド法が成立していない星でならばつくることができるかもしれないが――という話だった。
「だから! ここに! あたしのつくった装置があるのよ!!」
バンビまで悲痛に叫んだ。だが、返ってきたのはダックの悲しげな鼻息だった。
「怯えてんだよ――アンディは、自分を電子装甲兵にした機械に。自分の女房を、壊しちまった機械にさあ」
「――!!」
バンビが口をつぐんだ。
「たとえ、治すためだって、俺ァ、似たような機械に、もう一度アンディを入れることはできねえよ。今度こそ、イカレちまうよ」
無駄とはいえ、体調を見てもらうために、アンディをなんとか説得して、ダックは病院を訪れた。しかし、血管培養機器を見たアンディは、叫んで病院を飛び出してしまった。どうも、自分が入った装置の形と似ていたらしい。
医者にすすめられたのは、身体の修復はもとより、心の修復――つまり、カウンセリングだった。
「俺は医者じゃねえし、科学者でもねえ。わかんねえことだらけで、俺のほうがくじけそうだ」
憔悴した声で、そういった。
ダックはL系の中でもへき地にいた、クラウド曰く、マイナーな原住民だった。ルナたちのように、最初から近代的な都市で暮らしてきたわけではない。宇宙船役員になって学んだことも多いが、カウンセリングという言葉を聞くのも、彼ははじめてだった。
「医者だった役員にも、いろんなやつに話を聞いたよ。でも、俺はもともと、知識がねえんだなあ……なぁんにも、力になれねえんだ」
「俺は君でよかったと思うな」
いったのは、クラウドだった。
「専門家だったら、逆に、アンディの心の傷を広げるようなことばかりになっていたかも――君が寄り添うだけで、ともにいてくれることが、かえって救いになることもある」
ダックは鼻をかんで、ぐふっと笑った。
「おまえ、意外とイイヤツそうだ」
「アレク――いや、バンビ、君がアンディのアパートに行って、とにかく体調を見るくらいはできないのか」
「それは、……許されれば、そうしたいけど」
クラウドとバンビの視線に、ダックは困った顔でいった。
「俺とアンディがな、一番気にしてんのは、ルシヤのことなんだ」
アンディは、自分が長くないことを、ルシヤに悟られたくない。だから、ルシヤのまえで体調の話をしたくない。バンビがアンディを診れば、ルシヤにも話をするだろう――ルシヤが、聞きたがるだろう。それはぜったいに嫌がると、ダックはいった。
「それにな……」
アンディは、ほとんど動けない自分の代わりに、ダックに必死に頼み込んで、ルシヤの養子先を探してもらっている。自分が生きているうちに見つかれば、自分で見極めることも、託すこともできる。
ダックでも申し分ないが、ダックが返事を濁すので、アンディは最近、ダックの顔を見れば同じことをいうようになった。
なにせ、電子装甲兵の娘という重荷を、生涯背負っていかねばならない娘である。
「俺も最近は、それが一番のような気がしてるんだ」
「ダック!!」
バンビは思わずつかみかかった。
「ここに! ここに装置があるの――見せるわ、いますぐ!! 絶対に治る! 治るから、そんな簡単にあきらめないで!!」
「俺は無理だ。もう説得する言葉も思い浮かばねえ……」
力なく、巨人は言った。
「おめえは分からねえからだよ。あいつが、どんな過酷な人生を歩んできたか。もういっそ、死んでしまいてえことも山ほどあったろう。現に、俺が駆け付けたときは、アンディはもうすっかり追いつめられてて、ルシヤを殺して自分も死ぬ気だった」
アンディの悲痛な叫びが、耳をついて離れない。
『オレは運がよかったんだろう。電子装甲兵にされても死ななかった。だれも脱走できなかったあそこを出てこれた。ルシヤを連れて――でも、こんなこと、望んでなんかない。生かしてくれと言った覚えなんかない。こんな運なんかいらない。早く死にたい。オレは生きていたくなんかない。ルナも死んだ。俺を治そうとするな。もう死なせてくれ。頼むから死なせてくれ……!!』
ダックは、アンディを抱きしめてやることしかできなかった。
バンビは絶句して、ダックから手を離した。
あとはだれも、なにもいわなかった。ただ、広い倉庫を、静寂だけが満たした。




