88話 運のいいピューマ Ⅰ 1
「ルナ! これ、とってもうまいな!!」
ルシヤが、口の周りをケチャップでベトベトにして叫んだ。目はこれ以上ないくらいまんまるで、大口をあけて頬張っている。
ルナ手製のオムライスは、彼女のお気に召したようだった。
添えてあるのが、残り物のラグバダ・スープ――カリカリに焼いた豚の脂身と、香味野菜が入った激辛スープだ――組み合わせがはたして合うのか分からないけれども、ルシヤはおいしそうにスープを飲んでは、ハムが入ったケチャップライスを口に運んでいる。
「よかった。お口にあって」
おそらくシュナイクルとジェイクも何も食べずに帰ってくるだろうというので、ルナはふたりの分も、せっせとつくっていた。塊のハムは、ルシヤがいいと言ったので、けっこう大ぶりに切った。ハム自体に辛味がついているのか、チリソースでいためたようなにおいがして、アズラエルが好きそうなオムライスになってしまった。
辛そうだけどだいじょうぶかとルシヤに聞いたら、姉妹はそろって辛味が平気らしい。
「あっ! 帰ってきた」
ルシヤが米粒を飛ばして叫び、あわててテーブルに飛んだ米をひろった。
「おかえり! じいちゃん、ジェイク!」
「ただいま――来てたのか」
アズラエルの姿を見るなり、シュナイクルは破顔した。
「よお」ジェイクも片手をあげる。手には、買った総菜が入ったビニール袋が下げられていたが――。
「ルー、そいつはだれに……」
シュナイクルはルシヤががっついているオムライスを見て、驚いたように聞いて、厨房からとたたたたと走ってきたウサギに、ますます顔を緩めた。
「ごっ! ごめんなさい、勝手に厨房つかっちゃって! あの、ごめんね、今片付けるから!」
「かってにじゃないよ! わたしが、つくってって、いったんだ!」
ルシヤのケチャップまみれのほっぺたを拭いてやりながら、シュナイクルは微笑んだ。
「かまわない。すまんな、ルーにメシをつくってくれたのか」
「ほら、じいちゃんは、怒らないっていったろ!」
「え!? あ――俺たちの分もつくってくれたのか」
カウンターに乗っている、ルシヤの分よりはすこし大きめのオムライスを見て、ジェイクが目を見開いた。
「悪いな――うわあ! すげえうまそうだ。――オムライスじゃねえか、久しぶりだな!」
ジェイクまで目を輝かせてオムライスの乗った皿をテーブルに運ぶ。厨房に入ってきたシュナイクルが、スープをふたり分カップに注ぐと、「ありがとう、ルナ」といった。
「いただきます!!」
「――いただきます」
おとなふたりがスプーンを手に取った。シュナイクルがゆっくり匙を運ぶのとは対照的に、ジェイクが豪快にすくって、口へ運ぶ――瞬間、「うごっ!!」とむせた。
吐かなかったのは、見事だった。ジェイクのむせかえりようを見たシュナイクルが一瞬匙を止め、ルナも「えっ!?」という顔をし、アズラエルもそんな顔をした。
ルナは料理が格別にうまいわけではないが、下手でもない。オムライスはアズラエルも食べたことがあるし――そんなにまずいものをつくったとは思えない。
「どうした」
ゲホゲホむせるジェイクにアズラエルは聞いた。ジェイクは瓶から水をカップに注いで一気飲みし、やっとのことでいった。
「ルナちゃん、サバユのハムつかったろ」
「ああ、なるほど」
シュナイクルは、合点がいった顔で笑った。
「サバユのハムは、激辛なんだ」
「マジか」
辛いと聞いて反応したのはアズラエルで、ジェイクの分を一口ねだった。ふだんはそんなこと、滅多にしないのだが――口に入れたとたん、ニンマリ笑った。
「なんだこれ、うめえ」
「え――ご、ごめん、ルシヤちゃんがつかってよいよってゆったから、冷蔵庫にあるハムをつかっちゃって……」
ルナが焦り顔でいいわけをした。たしかに、あのハムは辛そうだった。
「わたしは、これ、とても好きだ」
ルシヤが平然と言うのに、ジェイクはまだ咳き込みながら情けない声を出した。
「ルシヤさんは、辛いの平気ッスからね……」
「いや、ほんとうにうまいぞ」
シュナイクルはひと匙、ふた匙と口に運び、あっという間に皿を空にして立った。そして、厨房へ来た。
「辛くないハムか――あれは、もともと辛い料理じゃないのか。ハムじゃなきゃダメなのか?」
「ううん? あたしはソーセージを切ったりしていれるよ? ベーコンとか。ほんとはね、鶏肉を刻んだりしてチキンライスにしてからたまごで包むことが多いかも」
「ソーセージか」
シュナイクルは、冷蔵庫の下部の奥に手を突っ込み、ルナがよく見るソーセージを取り出した。
「こいつはチーズ入りだな」
「チーズ入りもおいしそうだね!」
「ルナが好きなら、今夜鉄板で焼いてやる」
シュナイクルが、ベーコンにハムに……と燻製肉の在庫を次から次へと出していると、店の前にタクシーが停まった。
店は夜からだ。昼の来客予定は、ないはずだった。
「だれだ」
辛さに唇をたらこにしたジェイクが窓の外をのぞく。
店のドアを開けて姿を見せたのは――スーツ姿の、規格外の大男だった。
よく見れば、タクシーも大型車だ。だいぶ背中を曲げて、斜めになって入ってくる。シュナイクルやアズラエルが余裕を持って入ることができるドアが、彼にはひどく狭い。
ルナがかつてファストフード店で見た、身長が三メートルほどもある、巨大人間だ。
「ダック……!」
「ひさしぶりだなァ、シュナイグル」
ちょっと濁りがある発音。ルナは彼が、ファストフード店の前で会った彼と同じだとわかった。茶色い髪で、髪に隠れてツノがある。八重歯というより牙のような歯が生えていて、顔は怖いが、笑顔は愛嬌がある――彼は、ルナのことは覚えていないようだ。
「こ、こんにちは……」
ダックと呼ばれた彼の後ろから、ちょこんと顔を出したのは、アンディの娘のルシヤだった。
「るっちゃん!!!」
「ルシヤ!!!」
すかさず駆け寄ったルナとルシヤに、ルシヤは抱きすくめられ、自分もふたりに抱き着いた。
「ママ! ルシヤ!!!」
「メールも電話も返ってこないから、心配したんだよ!?」
「わたしがアパートへ押しかけるところだったぞ!!」
ルナたちは口々にいい、アンディの娘は、ポロリと涙をこぼした。
「ごめんなさい。わたしもいろいろ考えてたの――ルシヤのメール見たわ。パパが助かるかもしれないって考えたら」
ルシヤは消え入りそうな声でいった。
「でも、パパになんて言っていいか分からなくて――ずっと考えてたの。考え込んでたら、返事ができなかった――ごめんなさい」
ルナにしがみつき、しばらくグスグスと泣いた。ルシヤは、ひたすら妹の髪をなでていた。
ダックがそんな三人の様子を見、シュナイクルに言った。
「悪ィな。どっか、大人だけで話せるところはねえか」
「あら、ダック」
そこへもどってきたのが、バンビとクラウドだ。バンビはルナに抱き着いている、栗色の髪の少女を見て、すべてを察した。
「よぉバンビ、ご無沙汰だ――そこの金髪のおにいちゃんはだれだ」
「俺の相方だ」
アズラエルが言い、シュナイクルが促した。
「なら、倉庫のほうへ」
ルナとルシヤふたりだけを店に残し、倉庫のほうへ移動したダックとシュナイクルらは、立ったまま、声を潜めて話し始めた。ダックだけは、みんなと視線をあわせるように、穀物が入ったでかい木の箱に腰かけた。なにせ、巨大すぎる。
「俺ァ、ダック・U・ガニエ。マケロッタ人だ。ルシヤとアンディの担当役員をやってる」
「驚いた――君、もしかして、S06の出身かい? サバユ地方の」
クラウドの言葉に、ダックが驚いた。
「びっくらこいた。マケロッタ人って言って、俺の出自を当てたのは、おめえさんがはじめてだ」
角のある頭頂部をカリカリかいて、ダックは身体をゆすった。木の箱がミシミシいった。
代表的なラグバダ、ケトゥイン、アノール、エラドラシス以外にも、L系惑星群にもとから居住していた原住民の種類は、数万を数える。さらにS系となると、数億もの種族と民族があるのだ。中でもマケロッタ人は、非常にマイナーだ。
「名前を読んでもらえりゃわかるが、ミドルネームがあんだろ。俺の祖先はL系に帰化してんだ。だから出自は一応、L86ってことになってる」
「――ああ! L86のチリカビカ地域の山岳周辺にも、マケロッタ人が住んでいたな」
「なあ、こいつ、なんなんだ」
ダックが薄気味悪そうに、シュナイクルに聞いた。アズラエルは苦笑していった。
「コイツはもとL18の心理作戦部の副隊長だ。めんどくせえことに、一度読んだもの見たものは、すべて暗記しちまうという特殊技能持ちなんだ」
クラウド以外の全員が、驚いた顔でクラウドを見た。クラウドは、なんでもないことのようにいった。
「仕事柄、原住民の種類はぜんぶ覚えていてね――ま、いくらなんでも、マケロッタ人に直接会ったのは、君が初めてだけど」
ダックは呆気にとられ、それからアズラエルを見て、
「それで、おめえが、ルシヤのいってた傭兵さんか」
「ああ」
それから、ダックは軽く自己紹介をした。軍事惑星出身のふたりに向けて。
彼はもともとハンシックの常連で、毎日来るような頻繁さではないけれど、定期的にきて、サバユのハムをつかったジャーヤ・ライスの大盛りと、マケロッタの酒をひと瓶、あけていく。ほとんど開店当時から来ている古客なのだった。
「いやァ、おめえ、俺ァ腰抜かしたよ! シュナイグル、おめえがルチヤンベル・レジスタンスだってのは知ってた。でもまさか、俺が電子装甲兵の担当になって、まさか、その娘っ子がハンシックに来ちまうなんてよ」
ダックは、病気でほとんど外に出られない父親のアンディに代わって、よくルシヤの面倒を見ていた。図書館に連れていったり、食事に連れていったり。リリザは親子につきそって、いっしょにでかけた。
しかしダックも常にいっしょにいられるわけではない。彼も担当役員としての事務仕事もあるし――ルシヤの動向を完璧に把握しているわけではなかった。
だから驚いた。
いつのまにかルシヤに友人ができ、それがまさか、ハンシックの看板娘だなんて。
学校に行けなかったルシヤは、同年代の友人もできなかったし、近所では、「服がみすぼらしいわりに、言葉遣いが妙に丁寧な変わったお嬢さん」といわれていた。父親も愛想がないうえ、いつもびくびくしていて怪しい。
親子は近所で浮いていた。心無い、うわさの的だったのだ。
だから、ともだちができたのは、ダックにとってもうれしいことだった。
その相手が、ルチヤンベル・レジスタンスの孫と知るまでは。




