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キヴォトス  作者: ととこなつ
第三部 ~ハン=シィク篇~
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87話 バンビとクラウド 2


 結局ハンシックに行くことができたのは、昼をすぎたころだった。

 シュナイクルとジェイクは不在で、ルシヤとバンビだけが店に残っていた。ふたりは豆をさやから取り出す作業をしていて、ルナとアズラエル――そしてクラウドの姿を見るなり、作業の手を止めた。

 バンビが、豆の(から)を膝から払って、立ち上がる。


「久しぶりだね、アレクサンドル」

「――どうも」


 クラウドの友好的なあいさつに対して、バンビの表情は硬かった。


「話はあっちで」


 店の外、駐車場のそばのコテージを示す。クラウドはだまってバンビについていった。


 それを見送ったとたん、ルシヤがほうっと息をついた。


「今日は、朝から、ずっと緊張しどおし! バンビが。あれはまた、腹を壊すんじゃないか」

「バンビさん、緊張すると、おなかをこわすの?」

「あれはよく、腹をこわす。野菜ばっかり、食いすぎじゃないかと思うの」


 ルシヤはそういって、豆を袋に入れ、床に散らばった殻をほうきでまとめはじめた。


「シュナイクルとジェイクは?」

 アズラエルの問いには、

「買い出し。店は、ちゃんと夜から、開けるから」

「るーちゃん、るっちゃんから、メールとかくる?」


 ルナは聞いてみたが、ルシヤは困った顔で首を振るのみだ。


「わたしも、電話をしてみたし、メールもした。でも、応答がない――昼めし食った?」

「一応、食べてきたけど……」


 ルナがいうと、ルシヤはすこし残念そうな顔をして、

「わたしは、まだなの。じいちゃんが、いないから、パンと牛乳で、すませようと思う」

 言いつつ、ルナを振り返り、振り返り、厨房へいく。足取りは、妙に重い。


「るーちゃん?」

 さすがに挙動が怪しいので、ルナは聞かざるを得なかった。


「ルナは、料理できるか?」


 やっとのことで、ルシヤは聞いた。厨房まで、まだずいぶん距離がある。

 ルナはアズラエルと顔を見合わせた。


「できるよ、人並みには」


 ルシヤの目が、とたんに輝く。


「じゃあ、なにか、つくって!!」


 厨房に向いていた足は、一目散にルナのほうへ向いて、手を引っ張って厨房に連れ込んだ。厨房はきちんと片付けられていて、無人だ。先日、皿洗いをしていたヒューマノイドの姿はない。


「勝手に入っていいの? シュナイクルさんに怒られない?」

「じいちゃんが、ルナを怒るわけないだろ」

 ルシヤは、冷蔵庫を開けていった。

「わたしが、ひとりで火を使うと怒るけど――なにがつくれる?」


 冷蔵庫の中は、見たことのない肉や魚、変わった調味料でいっぱいだった。ルナは冷や汗をかいた。ハンシックでふだん出しているものは、どれもつくれそうにない。なにせ、調味料のパッケージに書いてある字が読めないし、得体のしれない魚や肉の数々。

 違和感がないのは、たまごくらいなもので。


「――あ」

 卵とハム、ケチャップがあるのを見て、ひらめいた。


「るーちゃん、ごはん残ってる? あと、ピーマンと、たまねぎとにんじんはあるかな?」

「ある! 持ってくる」

「ハムとたまご出すね」


 ルシヤが猛然と倉庫へ走っていくのに声をかけてから、ルナはフライパンを探した。




 コテージには、すでにストーブが入っていた。

 どうやら、凍えながら話をすることにはならなそうだ。バンビがテーブル向かいの椅子に腰かけたので、クラウドは真向いに座った。


「アレクサンドル、」

「軍に協力する気はないの」


 バンビこと、アレクサンドルは、クラウドの言葉をぴしゃりとさえぎった。


「どうしてこの宇宙船にあんたが? まさかあたしを捜しに来た? エーリヒの差し金? いっておくけど、L46のDLは、自滅するわよ。下手に電子装甲兵に手を出したばかりに」


 クラウドは大きく嘆息した。そして言った。


「おそらくそうなんだろうな。だから、エーリヒは、電子装甲兵の調査を打ち切った」

「打ち切った?」

「それから、俺が宇宙船に乗ったのは、単なる旅行だ。チケットは当たったものだし、俺はおさないころから地球に興味があったよ。エーリヒが、宇宙船にいる俺にまで協力を仰いできた理由は、このところ、一時的にDLの攻勢が激化したからだろう。ケトゥインは気が気じゃない。なにせ、ついにルチヤンベル・レジスタンスの領地がDLに奪い取られた。このままじゃL46の北大陸の勢力図が激変する。L43のDLの動きも気を配らなきゃならない」


 アレクサンドルは疑わしげな視線を向けた。


「あんたが旅行? それを信じろって?」


 クラウドは、再度、深々と嘆息した。


「悪かったよ――しつこく訪問しすぎたとは思っている」

「そうよ。あんたはしつこかった。デイジーとマシフの研究資料を見せろとね」


 アレクサンドルがデイジー殺害の犯人として服役したとき、両親よりも弁護士よりもマメに訪問してきたのは、なんとクラウドだった。


「軍人だって理由だけで、よくもまああれだけ面会を許可したもんよ! あの刑務官も!いくら美人でも、あんたみたいなストーカーはごめんだわ!」


「悪かったよ。ほんとうに悪かった――でも、俺のしつこい追撃のおかげで、資料は無傷で君の手に渡ったんだぞ。すこしは感謝してくれてもいいんじゃないか」


 デイジーが殺害された事件は、アレクサンドルから目を離さなかったクラウドにもすぐ情報が入った。それで、アレクサンドルの逮捕時、すぐさま軍警察に顔を出した。


 L22の軍警察は、デイジーの事件が、単なる通り魔事件や、かつての研究仲間のいざこざといったものでなく、L18の心理作戦部が関わってくる――あそこはほぼ諜報部――が首を突っ込んできたのを見て、あっさり捜査本部を閉じた。


 警察星も同様、心理作戦部の副隊長の姿を見るなり、「あ、これ、関わらん方がいいやつだ」と手を引いた。


 重要な証拠となりうるデイジーの調査資料も、所持品も、ろくに調べもせずアレクサンドルに返された。


 これが、心理作戦部に渡されていたら、話はまた違ったかもしれない。軍警察は、アレクサンドルに直接返した。クラウドはその時点で、調査資料の存在を知らなかったから、渡せという指令を出さなかった。


「あんたに渡ってたら、きっと無傷とはいえないわね」

「そう毛を逆立てないでくれないか」


 クラウドは困り顔で、三度目のため息を吐いた。


「あの資料は、手元に来たら確実に目は通すが、君に一部の欠けもなく渡したはずだ。俺が持っていてもしかたのないものだと思う。専門家じゃないからね」

「じゃあどうして、あたしの存在を見つけて、接触しようとしたの」


 クラウドは、わざわざアレクサンドルの存在を探そうとしたのだ。旅行で、宇宙船に乗ったというのに。

 クラウドの明瞭だった言葉が、急にどもりはじめた。


「――エーリヒに、調査協力を頼まれたのは事実だ。そのまえに、ルチヤンベル・レジスタンスが壊滅したというのをニュースで見て、いてもたってもいられなくなった――つまり――まあ、そうだな――俺から、エーリヒに声をかけた――それで、」


「どうしてあんたみたいなのが、この宇宙船に乗ったの!!」


 バァン!! とテーブルにアレクサンドルの両手が打ち付けられる。クラウドはびっくりして言葉を止めた。


「あんたみたいなやつにヒマを与えると、ロクなことをしない!!!!!」


 クラウドはちょっぴりうなだれた。まさしくその通りなのだ。ミシェルにもそう怒鳴られて、出て行かれたばかりだ。


「悪かったよ――俺に理由も伝えず、いきなり調査を打ち切ったエーリヒに意趣返ししたい気持ちもあったさ――でも、」

「あんた、心理作戦部に帰った方がいいわよ」

「言わないでくれ。恋人にもそれをいわれて、出て行かれたばかりなんだ」


 クラウドの悲壮な声に、アレクサンドルはざまあみろという顔をした。


「この天国みたいな宇宙船で、恋人までできて浮かれてるから、頭のほうもゆだるのよ。なにが恋人よ、うらやましい。こっちなんか研究一筋で、恋人のひとつもできたことなかったのに」


 茶のひとつも出さないと思ったら、アレクサンドルはウィスキーの瓶を取り出してきた。勝手にコップに注ぎ、(あお)る。


「俺の分は?」

「勝手に飲んだら?」


 アレクサンドルが示すサイドボードに、何本かの洋酒とグラスがある。クラウドはしかたなく一本の瓶とグラスを持ってきた。アレクサンドルは、分け合う気はないらしい。


「君の好みは、どんなだい」


 アレクサンドルの瓶を覗き込みつつ、酒のことを聞いたつもりだったが、返ってきたのはまったくべつの好みだった。


「懐が深そうな男かな――アズラエルも素敵ねって思うけど――だめよ。結局、みんな比べちゃうんだわ――あたし、シュンに恋しちゃったもん……」


 乙女のように目を潤ませるもと科学者がいた。


「シュン?」

「シュナイクル。ハンシックの店長」


 ああ、ルチヤンベル・レジスタンスの長だった男か、とクラウドはうなずいた。クマみたいなもっさり大男を想像していたが、なかなかの色男だった。


「叶わない恋なのよ――なにがどうなっても――ぜったいに――」

「彼がヘテロだから?」

「それ以前の問題」

 アレクサンドルは涙を拭きこぼした。

「いえるはずなんてないじゃないのよ! シュンにとって、あたしは一番憎むべき相手なんだから! おまけに、こんなハゲのおっさんに言い寄られても――」

「運命の相手はほかにいるかも」

「いない! あたしには――あたしは、研究が運命で、恋人で、運命の相手なの、それはわかってりゅ……」

「君、だいじょうぶか」


 酔って、一度テーブルに伏したアレクサンドルは、急に真顔になった。


「――クラウド、あんたホントに、首を突っ込んだのはヒマつぶしか」

「え?」

「ヒマつぶしかって聞いてるの。軍の依頼じゃない?」

「俺は軍を離れた身だし――いっただろ。エーリヒは、調査を打ち切った」

「……」


 アレクサンドルは、真っ赤な顔で、なにか考えているようだった。


「軍を離れたっていうのは信用しない。いまだにあんたは、軍とつながりがある。それは間違いない」

「……」


 今度はクラウドがだまる番だった。否定はできない。話せば長くなる。


「あたしには守りたいものがあるのよ――危険も多い」

「……そうだろうな」


 アレクサンドルが「バンビ」と名を変え、容姿まですっかり変えて宇宙船にいるのが、なによりの証拠だ。


「アズラエルとルナが関わる以上、あんたも金魚のフンみたいにくっついてくるんでしょうね――それはもう、どうしようもない」

「失礼な。金魚のフンより、役には立つさ」

「どうだか」


 アレクサンドルは酒臭いため息を吐いた。


「あんたが一番の厄介者になる可能性だってあるのよ。むしろ今は、その可能性が高いわ」

「――正直にいうよ。すまない。それは否定できない」


 ふたりのあいだに、しばらく、沈黙が訪れた。

 クラウドは、アレクサンドルが口を開くのをひたすら待った。関わるなといわれても食い下がる気はあったが、選択権はアレクサンドルのほうにあるのだ。

 アレクサンドルは悩んでいるようだった。この、ただでは引かない、厄介な男を前にして。


「クラウドあんた、これから見るものを、軍には報告しない、自分の胸にだけおさめられるって約束できる?」

「なんだって?」

「約束はできない――そうよね。たぶんそうだわ。でも、あんたが口外することで、助かる命が助からないとなれば、あんたにも罪悪感くらいわくかしら」

「……詳細を聞いても?」

「あんたのヒマつぶしには、人ひとりの命がかかってるのよ。それでも首を突っ込む?」


 クラウドはグラスの中身をすべて呷った。それから、グラスを揺らめかせながら、つぶやいた。


「それほどの大ごとなら、」


 アレクサンドルはもう一杯注いだ。今度は、クラウドのグラスにも。


「俺がもし、君との約束を破って裏切り、軍におもねれば、ルナちゃんが怒るだろう。すなわち、ルナちゃんが怒ると、ミシェルに話が伝わる。そうなると、ミシェルが俺を見て『信じられないこの悪党!』と思うわけだ。となると、俺にはもはや死しかない――ミシェルに嫌われるなんて――」


 クラウドは絶望的な顔をした。


「どんな状況下であっても、俺が優先すべきは軍じゃなくミシェルだ。君はルナちゃんをすでに掌中(しょうちゅう)におさめている。だとしたら、俺の心臓を狙ってるも同然だ」


「……あんた、イカれてると思ってたけど、ここまでとは思わなかったわ」

「だいたい、L18の男なんてこんなもんじゃないかな」

「みんなそうだみたいな言い方するんじゃないわよ。L18の住民がかわいそうよ。あんただけよそんなのは」


 アズラエルもだいたいそんな感じである。飼いウサギ最優先。

 しばらく考えていたアレクサンドルだったが、やがてグラスを置いて立った。


「これから見るものは、企業秘密。他言厳禁。軍にも、エーリヒにも心理作戦部にも報告しないで。もちろん、だれにも。それから、あんたの判断でよけいなことはしない。詮索もしない。知りたいことがあるなら直接あたしに聞いて。行動も、あたしに知らせてから行動して。約束できる?」


 アレクサンドルは、ほとんど無駄だと分かっている約束を突きつけた。クラウドはうなずいた。


「いや――本当に、このことに関しては、約束を守るよ」


 クラウドは右手を挙げて誓った。アレクサンドルは、最初から信用していない顔で鼻を鳴らした。


 どちらにしろ、ここで追い返したところで、この男は自分の興味を満たすためなら、なにをしてもバンビの秘密を暴くだろう。知らないところでウロウロされ、勝手に暴かれるくらいなら、最初から見せておいた方がいい。


 クラウドに監視されるというなら、自分も監視するだけのことだ。


「ルナに感謝しなさいよ」




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