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キヴォトス  作者: ととこなつ
第三部 ~ハン=シィク篇~
205/943

87話 バンビとクラウド 1


 ルナは、夢を見ていた。

 ずいぶん賑やかで、きらびやかで、目がチカチカするような光の集まりだ。ルナが目を凝らしても、果てが見えないほど向こうまで、商店街が続いている。たくさんの人――いいや、動物でにぎわっていた。


「おっと、ごめんよ」


 ラクダの親子連れが、ルナをよけて商店街へ入っていった。たっぷりの電飾でかざられた門構えには、「メルカド」と大きく書かれている。

 ルナがくりかえし、何度も見ている、遊園地のメルカドの夢だ。

 ルナはちいさなモグラの三姉妹を乗せた、イワシが運転手のタクシーを横目に見ながら、メルカドに入った。


「鮭はウサギ、鮭はウサギ……」


 ぶつぶつつぶやきながら、例の、鮭とシャチのサンドイッチ店を探す。たしか、まっすぐこの大通りを進んでいったら、あるはずだ。


「ううん?」


 ルナは、てくてく歩きながら、首を傾げた。


 なにがどうしたとははっきりいえないのだが――先日来たときと、なにかがちがう。

 妙に、薄暗い気がするのはなぜだろう。


「あれ?」


 地下に入っていくちいさなカフェの手前にあったはずのトラックが、今日はない。たしか、ここだったはずだ。


 ルナは周囲をキョロキョロ見回した。右手に古書店、その手前に肉の串を売っている屋台、一膳めし屋、おでん屋……ジェラートの屋台、カクテルの屋台、シュレビレハレ・パンケーキだの、変わった品物の屋台が並んでいる……そうだ、ここでまちがいないはず。


「今日は、おやすみ?」


 ルナはだれにともなく、つぶやいた。どことなく薄暗い影を背負った動物たちが、ルナをチラチラ見ながら過ぎゆく。


 なんだか今日は、メルカドが怖い。

 早く用を済ませて、帰りたい。


 ――鮭はウサギだ。鮭をつかまえて、店の場所を聞き、いっしょに、一度だけほかの動物に変身できるチーズ・マフィンを買いに行け。値段はおそらく、銀のビジェーテ五枚。


 ルナはアンジェリカのメモを思い出す。


「一度だけほかの動物に変身できるチーズ・マフィンってどこだっけ……もっと先だったよね」


 鮭のサンドイッチ店がないなら、そちらへ行ってみようか。でも、なんとなく、ルナはこれ以上進むのが怖かった。アズラエルといっしょだったら、行けただろうけれども。


「夢の中にまで、アズは連れてこれないんだよね……」


 ためいきをつき、そういえば、銀のビジェーテなんて、持っていただろうかと、かばんを漁る。ルナはジニーのバッグを下げていた。タキからプレゼントされた、五千万デルのバッグのほうだ。


「銀のビジェーテって、これかな?」


 それはすぐに見つかった。バッグの中で輝いていた銀色の切符を取り出すと、真っ白な光がパーッとルナを照らし出した。


「わわわ!」


 あまりにまぶしい光に、過ぎゆく動物たちが驚いて振り返る。ルナはあわてて、バッグにしまいなおした。


 だが――遅かった。


「やあ、ウサギのお嬢ちゃん」

 いやらしい笑みをたたえた動物が、寄ってくる。

「お金持ちだね。おじさんたちに奢ってくれないかな」

「五枚も持ってるのか。一枚でいいからくれよ」

「それがあったら、この借金暮らしからも解放される」

「なあ、くれよ」

「くれよ」

「くれ」

「くれ」

「くれ」

「寄こせ」


 ルナは真っ青になって逃げようとしたが、後ろも、まっくろな動物たちが待ちかまえていた。

 体がすくんで、動けない。

 悲鳴すら出なくなったルナの上から。


「おめ、銀のビジェーデなんぞ、こったなところで出すもんじゃね」


 野太い声がした。聞いたことがないのに、聞き覚えのあるへんな感じだ。


「わあっ!!」


 まっくろな動物たちは一気に四散した。


 たしかに今は夜だったが、ルナは、空も見えないほど頭上が真っ暗になっているのを見て、驚いた。なんだかとても大きなものが空を覆っていて、星も見えない。このあいだ見たカブトムシなんかより、ずっと大きいものだ。


 鋭いふたつの目が、心配そうにルナを覗き込んでいる。それほど大きな動物――いや、動物というよりかは。


「無事だが? なんでおめさん、こったなどごろに」


「へびだー!!!!!」

 ルナは叫んだ。


「ヘビでねえ。ウワバミだべ」

 




「へびだー!!!!!」


 ルナの叫びを聞きつけて部屋に飛び込んできたのは、アズラエルだけではなかった。クラウドもだ。


「はれ? クラウド?」

「久しぶりだね。おはようルナちゃん。どうしたの」


 怖い夢でも見た? と声をかけてくれたのは、クラウドだった。アズラエルはルナのアホ面を見てあきれただけだった。


「また、へんな夢でも見たのか」

「また?」


 クラウドの問いには返事をせず、アズラエルはお目目をこしこししているウサギに告げた。


「俺たちはメシを食ったぞ。はやく起きてこい」


 午前九時。

 今日のメニューはひき肉入りオムレツと、チーズ、ハム、アボカドとトマトと見たことのない野菜のサラダ。パンが数種類に、コーヒーと紅茶、デザートにフルーツてんこ盛りだ。


「そろそろ、おうちのごはんが食べたいのね? まっしろごはんとお味噌汁と、なっとうと、おつけものと、だし巻き玉子とお海苔とか」

 ルナはひとりごとのようにつぶやいた。

「このアボカドに、なっとうが入ってたらいいのに!! ぬか漬けは冷蔵庫にしまってきたからいいけど、甘酒はそろそろ悪くなりそうです」


 (あん)に、おうちに帰りたいなあという表現だったが、アズラエルは気づいてくれなかった。


「ミシェルが、ルナちゃんのつくったオムレツが食べたいってさ。ひき肉と青菜ときのこが入ったやつを」

「ミシェルはどこにいったの?」

「彼女は、今回俺と別行動。ガラス教室とクラフトフェアと、もう一回リリザに行くとも言っていた――まあ、俺が少しべったりしすぎて、嫌がられたってことさ」


 クラウドはいかにも寂しげにつぶやいた。ルナはそうだろうなと思った。以前ミシェルが、「クラウドは二十四時間いっしょにいたがる。防犯用のpi=poよりウザイ」といっていたのを思い出した。

 ミシェルもストレスがたまったのだろう。


「あれはオムレツじゃなくてたまごやき。ひき肉と小松菜とシイタケをいれて、とろとろの(あん)をかけたやつです」

「つくりかたを教えてくれ」

「よいですよ」

「塩鮭のおいしいのはどこで売ってるんだい」

「総菜屋オダマキのがおいしいんです。焼いたのも売ってるけど、塩鮭や、西京漬けとかも――鮭」


 ルナはケチャップのかかったオムレツをもきゅもきゅ()みながら、アズラエルにいった。


「きのうの夢は、メルカドに、鮭のサンドイッチ店がありませんでした」


「なんだと?」


 アズラエルが新聞から顔を上げた。


「やっぱりおまえ、メルカドの夢を見てたのか――それで、なかったって?」

「うん。銀のビジェーテを出したら、へんなのが寄ってきて、ヘビさん――ウワバミさん? に助けられました」

「銀のビジェーテ? 待て待て。なんだ。いつもの夢とはちがう話なのか?」

「うん。きのうね、アンジェからメモをもらって……」


 ルナはポケットをさぐったが、パジャマだったことを思い出した。蒼白になった。


「昨日あたしが着てたワンピースは!?」

「まだクリーニングに出してないはずだ」


 アズラエルが寝室に向かった。危ないところだった。あんなにうやうやしく捧げ(たてまつ)られたメモを、クリーニングで粉々にするところだった。


 まったくついていけないクラウドが止めた。

「ちょっと待ってくれ」

 アズラエルはすぐにもどってきた。ルナのワンピースを持って。

「俺にもわかるように、説明してくれ」


 ルナが起きるまで、クラウドはアズラエルからだいたいの説明は聞いていたのだが、さすがに意味が分からない語句がある。銀のビジェーテってなんだ。


 アズラエルが、「ルナと一緒に説明する」といった意味が、分かりかけてきたクラウドだった。


 しかし、アズラエルはとっくに理解が追いつかなくなるような内容だったというのに、ZOOカードのことも含め、ルナの夢の話まで、クラウドがすべて飲み込んで理解を示したのは、アズラエルにとっても驚きだった。


 さらに、昨夜見たルナの夢の、たどたどしい説明を、アズラエルは半分しか理解できなかったのに、クラウドは一度で理解した。恐ろしいヤツだ。


「昨夜、サルディオーネの使者であるナバという女性が、ルナちゃんにメモを託したんだね」

「うん。これです」


 ルナはワンピースのポケットに入っていたメモを、ふたりに見せた。


 ――鮭はウサギだ。鮭をつかまえて、店の場所を聞き、いっしょに、一度だけほかの動物に変身できるチーズ・マフィンを買いに行け。値段はおそらく、銀のビジェーテ五枚。


「そいでね、鮭とシャチがいなくて、空は真っ暗で、鮭とシャチがいなくて、なんだか不気味だったのね? そいで、鮭とシャチがいなかったので、銀のビジェーテを出したら、発光しちゃって、まっくろくろすけな動物がくれくれ攻撃をしかけてきたんです! きっとお高めなのね? そいで、でっかいなにかがいてまた空が真っ暗。へびでなくてうわばみさん。助けてくれたの」


 ルナはメモに従って、鮭とシャチのサンドイッチ店に行こうとしたが、昨日はいつもある場所に、店がなかった。それどころか、不気味な動物たちに絡まれて、危なかったのだった。銀のビジェーテをカバンから出したら、大勢が奪おうとして寄ってきた。それを、大きなへびが助けてくれた。


 アズラエルは、クラウドの翻訳によって、ルナの理解するに難解な話をようやく理解できた。


 ルナが日記に書いた記述はまともなのに、口で説明すると、どうしてこんなにもカオス化するのか。


「なるほど……」


 クラウドは、顎に指を当てて考え込んだ。そして言った。


「アズ、昨日の話を、ルナちゃんにしてあげて」

「え? ああ……」


 昨日は、とてつもなくさまざまなことがあった一日だった。ルナだけでなく、もちろんアズラエルにとってもだ。


 ルナがルシヤ二名と映画を観ていたころ、アズラエルはK37区で、現実の、「鮭とシャチのサンドイッチ店」を探していた。


「やっぱりなかった?」

 ルナが聞くと、アズラエルは苦々しげに唸った。

「あると思う。店はな。だが昼間は出てなかった――つうか、実はな」


 アズラエルが苦い顔をしている理由はすぐにわかった。彼は、K37区で、グレンとセルゲイに遭遇(そうぐう)していたのだ。


「グレンとセルゲイ!!」

「――K37区が銀色ハゲの庭だってこと、すっかり忘れてたんだこれが」


 K37区の入り口近くに、グレンがバイトをしているクラブ、「ルシアン」はあった。アズラエルはすっかりそのことを失念していて、まさにバッタリ、ルシアンの前でふたりに遭遇してしまったのだった。


 グレンが日中ここにいるのも、めずらしいといえばめずらしいだろう。彼のバイトはほぼ、夜だ。


 いつもなら、無視もできるが、セルゲイのほうからニッコリ、「アズラエルじゃないか。久しぶりだね。ルナちゃんは元気?」なんて話しかけられてしまえば、それなりの返事を返すしかなかった。


 グレンひとりだったら、無視に決まっている。グレンもセルゲイに対して、「何話しかけてんだこの野郎」という顔はしていたが、彼も大人だった。

「ルナは元気か?」とルナに関することしか興味はないといったふうに話しかけてきた。


「元気だよ」


 アズラエルはそう返した。これで会話は終わりだ。そう思っていたのだが――今日のアズラエルには、目的があったのだった。


「なあオイ」

 アズラエルは会話を続けることにした。セルゲイに向けて。

「ここいらで、夜、サンドイッチのトラックが出てるって話は聞かねえか?」


 セルゲイは当然、グレンの顔を見た。セルゲイは特に、このあたりにくわしいわけではない。


「ああ――聞いたことはあるが、見てねえ。なんでもカルビ・サンドが人気だとかで」


「カルビ・サンド!!!!!」

 ルナが叫んだところを見ると、その店で正解のようだ。


「けっこうボリュームのあるサンドイッチがあるってうわさだが、夜だしな。アルコールはワインくらいしか置いてねえし、なんで夜に出してんのかって。あまり人が入ってる気配はねえらしい。あれは昼のほうが売れる店だろ――どうかしたか? その店が」


「……」

 意外と出し惜しみせず情報をくれたグレンに、アズラエルはちょっぴり絶句したが、「そうか」とだけいっておいた。


「ああこれだ、これこれ」


 挙句の果てに、親切なもと少佐殿は、ルシアンの入口にあるチラシ置き場から、薄っぺらいパンフレットを持ってきた。


「これだ」


 グレンに手渡された二枚折りのチラシには、「イクラ」というサンドイッチトラックが宣伝されていた。


「イクラ!!!!!!」


 またルナが絶叫したので、アズラエルは首を傾げた。たしかにルナは、いくらという名の魚卵が乗った寿司が好きだが――。


「おまえが好きな寿司ネタのことじゃねえぞ?」


 多分――とアズラエルは言ったが、ルナは小さな頭を抱えたまま、コロン、と転がった。


 夢の中で、鮭が、サンドイッチが売れない理由として「イクラが足りないのかもしれない」などと意味不明な言葉をしゃべっていたが――会話全体が意味不明な部分もあったから気にしていなかったが、まさか、店名だなんて思わないだろう。


 しかし、やっとのことで店名が分かった。それらしき店が実在することも――どうして最初から、K37区に来なかったのか。


 このチラシは、原住民が経営しているめずらしい料理を扱った店が特集されているようで、なんと「ハンシック」の情報も載っていた。ルナがハンシックのチラシをもらってきた、「エンリの店」とやらも。


「ハンシック……」


 アズラエルは思わずぼやいてしまった。すかさずセルゲイが聞いてくる。


「ここ、美味しいの?」

「ああ。最近ルナと通ってる。うまいメシが多くて……」


 言ってしまってから、はっとした。口を滑らせた。らしくもなく。


「じゃあ、私たちも行こうか。ルナちゃんに会いに」

「行ってみるか。ルナに会いに」


 にっこり笑ったセルゲイと、ニヤリと笑ったグレンをにらみつけることしかできなかったアズラエルだった。

 全面的に、口を滑らせた自分が悪い。


「……ヤツらにハンシックの存在を知られちまったのは悔しいが」


 グレンは、そのサンドイッチ店が出る時間帯と日付を、調べておいてくれるという。チラシには、出店の時間も日付も書いていなかった。

 昨夜、ルナの夢の中で店がなかったということは、不定期出店なのかもしれない。


「あんまり売れなくて、お店を閉めちゃったろうか?」

 ルナは不安げにいったが、「そういう可能性もあるな」とクラウドは言った。

「じゃあ今夜、いってみる!?」

 ルナが見つける前に、店をやめてしまったら、たいへんだ。


 アンジェリカのメッセージでは、ウサギのはずの(?)鮭をつかまえて、チーズ・マフィンを買いに行かなければならないのだ。夢の中では店が見つからなかったし、現実にお店があったら、なにかヒントが見つかるかもしれない。


 ルナは張り切っていったが、クラウドが申し訳なさそうにいった。


「ごめんルナちゃん。今夜は、ハンシックに行くことを優先にしていいかな。俺は、アレクサンドルと話がしたい」


 アズラエルも言った。


「アンディのほうの娘の様子も気がかりだって。さっきシュナイクルが電話してきた」

「シュナイクルさん」

「ああ。アンディを治療できるかどうかは、ルシヤたちにかかってるわけだろ。まあそれで、ルシヤの担当役員はダックってヤツだといったな」

「うん」

「そっちは、アレクサンドルと話がつき次第、俺がなんとかしよう」


 クラウドとアズラエルふたりのあいだで、目配せが交わされる。なんだかどんどん話が進んでいるのを見て、ルナはアホ面を下げるしかできなかった。

 ルナは自分の携帯電話を見たが、アンディの娘のルシヤから、メールは入っていない。あれからどうしただろう。やはり、父親に、ハンシックにはいくなと釘を刺されてしまっただろうか。


(う~ん)


 ルナは、鮭ウサギに会うのが一等先だと思うのだが、なんだか口を挟める雰囲気ではなかった。




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