86話 贋作士のオジカ Ⅱ 2
「――電子装甲兵の研究自体は違法だから、アンディの治療には、よくよくの用心をしなきゃいけない」
バンビは、すこし話しつかれた様子で息をついた。
長い長い話を聞いて、ルナは目をぱちぱちさせてティッシュで鼻をかんだ。
そして、答えた。
「ようするに、アンディさんとルシヤちゃんの担当役員さんが、違法でも――見ないことにしてくれたら、とってもいいんだよね?」
「そういうことになるわね」
「さっきの、デイジーさんとマシフさんも、だよね?」
厨房で皿洗いをしていたヒューマノイド二体は、かつて、アレクサンドルの研究仲間だったふたりを模したものだった。
贋作士のオジカ。
ルナはバンビのZOOカードの意味が、すこし分かった気がした。
「ねえルナ、ヒューマノイドって、魂が宿ると思う?」
急に話を変えたバンビに、ルナは首を傾げた。
「たましい?」
「うん。あれは、本物のデイジーじゃなくて――あたしがつくった人型ロボットだけど――たまに、ものすごくなつかしい表情を見せるときがあるの」
感情もなく、思考もできないよう、脳に代わる装置は設置していない。人型ヒューマノイドは、違法だということは、バンビはちゃんとわかっている。それでいて、どうして彼女たちの「贋作」をつくったのか。
ルナは少し考えてから、いった。
「あたしね、仲がいいおばーちゃんがいて」
「うん?」
「ツキヨおばーちゃんっていうんだけども、ほんとのおばーちゃんじゃなくて、近所のおばーちゃんなんだけど、あたしそこで働いてたのね? ツキヨおばーちゃんは、地球生まれで、いろんなおはなしをしてくれたの」
「地球生まれ……めずらしいわね」
幼いころ、世界をあちこち回ったつもりのバンビでも、地球生まれの人間に会ったことはなかった。
「そいでね、ツキヨおばーちゃんが生まれた地球の国には、八百万の神様がいるの。いっぱい、神様がいるの。その中に、付喪神っていうのもあって、」
ルナの話を、バンビはじっと聞いていた。
「物にもね、神様が宿るの。本物の神様っていうよりかは、妖精さんみたいなかんじだけど。いっぱいいっぱい年月が経つと。愛用してるカップとか、もしかしたら、そこの冷蔵庫も、百年大切にされれば、神様がやどるかも」
「……百年壊れない冷蔵庫も聞いたことがないわね」
「うんでもね、魂がやどるって、そういうことかも」
「ルナは」
バンビは泣きそうな顔をした。
「……あたしがつくったデイジーとマシフにも、神様がいると思う?」
きっと、ルナにZOOカードがつかえれば、たしかめてあげることができるのかもしれない。ZOOカードの世界は、魂の世界だとアンジェリカはいったから。でもきっと、バンビの想いをふたりはたしかに見つめていて、見守っている――そんな気がした。
バンビがふたりをつくったのは、もしかしたら、いっしょに研究を完成させるためではないのだろうか。志半ばで倒れたふたりを、たとえヒューマノイドの形でもいいから蘇らせて、いっしょに装置をつくりたかったのではないだろうか。
見届けて、欲しかったのではないだろうか。
バンビは何も言わなかったけれど、ルナは勝手にそう思った。
「神様というよりかは、デイジーさんとマシフさんのたましいが、きっといるよ」
バンビはそれを聞いて、ティッシュで鼻をかんだあと、涙をぬぐった。
「見守られてるなら、あたしもがんばらなきゃね」
バンビは待っていたのだ――このときを。
だれにも助けられない電子装甲兵が、ここへやってくるのを。
死に物狂いで装置を用意した。
この装置を完成させることを夢見た「ふたり」とともに。
バンビとルナが店にもどってきた。
バンビの目も真っ赤だったし、ルナの目も真っ赤で、アズラエルの顔を見るなりぺぺぺぺぺと寄ってきて、抱き着いた。ぴょこんと抱き着くさまは、まるでウサギだ。
「今度は失神しなかったか」
シュナイクルがめずらしく、からかい気味の口調でバンビに尋ねる。バンビは小さく笑った。口元は不器用にひきつっていたが。
「平気みたい」
過去の話をすると、バンビは耐えきれなくなって失神する。思い出すだけで発作となり、夜、眠れなくなることも多かった。だが、不思議と今日はすっきりし、心が晴れた気さえするのだ。
もしかしたら、アンディを助けられるかもしれないという希望があるからだろうか。
バンビはふと、ルナを見た。
(不思議な子)
吐き出すごとに、心が楽になっていく気がした。ルナの目を見つめるたび、不思議と、救われる気がした。癒されていくような――。
「明日は朝早くから野菜を出荷しなくちゃならないんだ。今日は寝よう」
シュナイクルの言葉で、全員立った。すでに日付は境界をまたぎ、二時になるころだった。
ルシヤはすでにダウンして、シュナイクルに担がれていた。アズラエルも寝息を立てはじめたウサギを抱き直すと、「おやすみ」とあいさつをして、店のシャインから、グリーン・ガーデンに飛んだ。
敷地内のシャインから出ると、めのまえにクラウドがいた。正確には、壁に寄りかかって、シャインの扉を睨み据えている心理作戦部の副隊長がいた。
ふつうの船客はシャインをつかえるカードを持っていない。待つなら玄関だろうが、シャインの扉前で待っていたことが、まさしくクラウドだった。
「おかえり、アズ」
「おう」
目的などわかっている。今夜は眠ることをあきらめたアズラエルだったが、廊下の向こうから、pi=poでなく、人間のコンシェルジュがやってきたのを見て、ますます就寝をあきらめた。こんな深夜になんの用だ。
彼は、ルナを見るなりいった。
「ルナ様はご就寝で」
「ああ……どうかしたか」
「もうしわけありません。ルナ様をお待ちのお客様がおられます」
「こんな夜中にか」
「はい。待つというので、お待ちいただきました」
コンシェルジュは、柔和な中にも、疲労をわずかに含ませて言った。
「二度も訪問していただいていまして。それなりのご身分のかたですので、追い返すのも失礼かと」
「それなりの身分?」
聞き返したのはクラウドだ。とたん、ルナのウサ耳がぴょこーん! と跳ねて、起きた。
クラウドがそれを見て目を見張る。
「ルナ様、お客様がお待ちです」
「おきゃくさま?」
「はい。サルディオーネさまという方のおつかいだそうです」
「アンジェ!!」
ウサギは叫ぶなり、テッテケテーと廊下を走っていった。
「ゲストルーム358でお待ちでございます!」
にこやかなコンシェルジュの声が廊下に響いた。深夜二時。
ルナが向かったゲストルーム358室は、ドアが開け放たれていた。そのドアを、いかめしい鎧を着た大男がふたり、守っている。
「こんばんは! ルナです」
ルナは、一メートルくらい先からあいさつした。大男は、どうぞ、というように脇に避け、ルナを部屋に入れた。
そこにいたのは、真っ青なベールを頭から被った、いかにもL03のひと――という感じの女性で。眉が太く、目がとても大きかった。
「ナバと申します。サルディオーネさまのおつかいで参りました」
「ど、どうも、こんばんは! ルナです」
ナバはL03の礼にのっとって、三度膝をついてお辞儀して、訪問が深夜までおよんだ詫びと、以前ルナがアンジェリカに電話した際、失礼な取次ぎをしてしまったことの詫びと、それからいくつか詫びをして、本題に入った。
ルナはアンジェリカのことを聞きたかったのだが、とにかくこのナバ、まったく、ルナを見ない。
「あのう……」
「サルディオーネさまからご伝言がございます」
「はい」
あまりな丁重ぶりに、ルナは眠気も吹っ飛んで、シャキーン! と起立していた。
ナバはシルクの布に包まれ、宝石の箱に入ったメモ用紙をテーブルに置き、それに向かって何度も丁重なお辞儀を繰り返した。
「ご開帳させていただきます」
「………………はい」
そういえば、アンジェはとてもえらいひとだったのだ。ルナは改めて思い出した。
うやうやしく捧げ奉られたメモ帳のきれっぱしは、ナバが膝をつき、天に向かって突きあげられる形でしばらく静止し――それから、最大級のうやうやしさで、ルナの手に渡された。
ルナはだばだばと手を泳がせ、スカートで手を拭いてみたりなんかして、恐々、メモを受け取った。
――鮭はウサギだ。鮭をつかまえて、店の場所を聞き、いっしょに、一度だけほかの動物に変身できるチーズ・マフィンを買いに行け。値段はおそらく、銀のビジェーテ五枚。
「さけはウサギ?」
思わず口にしてしまったが、ナバは咳払いをした。ルナはあわてて口をつぐむ。
これは、夢のことだろうか。
銀のビジェーテ――ビジェーテとは、夢の中の遊園地で、よく貨幣代わりにつかわれる切符のことか? 黄金のそれは持っていた気がするけれど、銀の切符なんて、持っていただろうか?
質問しようにも、ナバは目を閉じている。こちらを見ない。
ルナは知らない――L03では、サルディオーネに値する賓客を、ぶしつけに見てはいけないのだ。こんな狭い部屋に、しかも同じ高さの位置に同席していることでさえ、たいそうな無礼にあたるのである。
しかも、サルディオーネ直筆の手紙を、目前で読み上げられるなど。
侍女は決して、賓客の手紙の内容を知ってはならない。なにか事件が起きたとき、巻き込まれる可能性もあるからだ。
「どうかそのメモをお大切に――こちらにサインを」
ナバが差し出してきた石板に、ルナはチョークみたいなペンで名前を記した。ナバはそれをテーブルに置いて、何度もお辞儀をしたあと、ていねいに箱に入れ、布に包んで、ルナに向かってまた三度もお辞儀した。
「深夜の訪問、誠に失礼いたしました、では」
といって、ルナに背を向けることなく、頭も上げず、器用にすすす……と後ろ歩きで部屋を退室していった。大男もふたり、「では、失礼いたします」とナバと同じお辞儀をして、帰っていった。
ルナは、どっと疲れた。
ルナがだいぶ時間をかけてメモ用紙一枚を渡されているころ。
リビングではアズラエルとクラウドが対峙していた。熱いコーヒーを手にして。
「俺が来た理由は分かってるんだろ」
「だいたいな」
「いきなりハンシックに行かなかったことを感謝してほしいくらいだな。アズ、なにを隠してる?」
クラウドは畳みかけた。
「俺は君に、何度も聞いたよな。俺が、アレクサンドルを捜していることは君も知ってる。なのに、君はごまかしたな。ほぼ毎日のようにハンシックに行っていながら、君はアレクサンドルを知らないといった」
「――いや、つうか、怒ってンのはそこか。ハンシックにいるのは、アレクサンドルって男じゃない。バンビって名の、スキンヘッドで顔じゅうタトゥだらけの、ファンキーなおっさんだよ」
「なんだって?」
クラウドは自分の携帯電話を見た。追跡装置のアプリを起動する。
「でもバンビは――アレクサンドルだ。生体認証情報ではそうなってる」
「生体認証情報で検索したのか。どうりで。だが、見かけだけなら、面影はあとかたもねえよ」
アズラエルは、ノートパソコンの上にあった写真を、ばさりとテーブルに放った。そこには、かつてL36で研究員をしていたころのアレクサンドルの写真があった。
怜悧と柔和が合体した顔に、襟足長めのプラチナブロンドを赤いヘアゴムで結んでいる。
アズラエルの携帯電話に表示された――いつ、盗み撮りをしたのか――「バンビ」の写真と見比べて、クラウドは納得した。
今のバンビに、アレクサンドルの面影はまるでない。苦悩と葛藤にいろどられた半生は、バンビの顔から柔和を削除した。整形の跡はないのに、人相が変わっている。
クラウドの検索装置は、生体認証情報で検索する場合と、容姿や体質、体格などで検索する場合もある。生体認証情報で検索した場合、容姿はわからない。
クラウドははっとした。
「なるほど。ふつうなら、バンビを見たってアレクサンドルと分かるわけはないだろうといいたいのか」
写真を指の背で叩く。
「でも君は、バンビをアレクサンドルと特定したんだな。そのうえで、俺になにも言わなかった。なぜだ?」
「俺を尋問する気かクラウド。てめえがそうくるなら容赦はしねえぞ」
アズラエルのこめかみに青筋が立ったのを見て、クラウドはあわてていった。
「そんなつもりじゃない。聞き方が悪かった――ごめん」
この筋肉ゴリラを怒らせたら、腕か足の一本は覚悟せねばならない。
「どうしてわかった? バンビがアレクサンドルだって」
アズラエルはちらりと、机のほうを見た。ルナの日記と、手製のZOOカードがある。
彼は非常に悩んでいたのだった。
バンビの過去にも、シュナイクルたちの過去にもあまり関係はない――関係あるような気はするが、そこではない。もっとなにか、根本的なことだ。
ルナの夢の記録を見てからこの方、なにか、いやな予感だけがぐるぐると脳裏をめぐっているのだった。ZOOカードを見ても、予感がいや増すだけで、正体がつかめない。
できれば、そっち方面でクラウドの知恵を借りたい。だが、説明するには忌々しい事案が多すぎるのだ。
月を眺める子ウサギ、なんて語句は、アズラエルの人生において、あまり口にしたいものではない。
「バンビは――アレクサンドルは、おまえと話し合う余地はあるといってる」
「ほんとうか」
クラウドが身を乗り出したのを、アズラエルは制した。
「でも、期待はするな。あいつは、軍に協力する気はまったくないぞ。それに、俺は俺で、おまえに知恵を借りたい」
「めずらしいな」
クラウドは腕を組んだ。
「アズが俺の力を必要とするとはね。わかった。アレクサンドルに会うのが優先だけど、そっちも興味はあるね」
「だったら、ルナといっしょに説明する。あいつがいないと、俺も説明しがたいことが多い」
「ルナちゃん? どうして、ルナちゃん」
アズラエルは、それについての返答はしなかった。ともかくも、今日一日は、たくさんのことがありすぎた。できるなら、少しでも休んで頭をリセットしたい。
クラウドは、うなずいた。
カップの中身がなくなった時点で、クラウドはゲストルームに向かった。ルナはすでに隣の寝室で、すぴょすぴょと、気が抜けるような寝息をたてて眠っていた。




