85話 贋作士のオジカ Ⅰ 1
突然シャイン・システムに向かって駆けだしたルシヤを、ルナはあまりな低速で、やっとの思いで追いかけ、シャインの扉が閉まる直前に滑り込んだ。勢いあまって、反対側の扉からコロリンと転がり出て、気づけばハンシックの倉庫にいた。
「待って」
ルシヤは猛然と店側に走りゆき、ウサギ失格のルナは、ぴこぴこぴこぴこ、懸命に追いかけた。
そして店に入って一番に見た光景は、なぜかアズラエルとバンビの握手シーンだった。
「バンビ! なんとかできないの」
ルシヤも、いろいろすべてが、全速力だったようだ。店に駆け込み、みんなの「お帰り」の挨拶にすぐ答えることもできずに息を整え、それから発した言葉がそれだった。おかげさまでルナは間に合ったが。
「なんとかって?」
バンビは惜しんでいたが、アズラエルのほうから手を離した。
「ルシヤの父さんのことだ! おまえ、まえ言っていただろう! 電子装甲兵は、短命だって」
「短命?」
ルナもつぶやきかけたが、アズラエルの声のほうが大きかった。
「ルシヤのお父さんに会えたの」
それには答えず、バンビは聞いた。いつものヘラヘラした笑顔でなく、真剣に。
「会わなかった。でもルシヤは、父さんが咳をするといっていた。熱もあるようだ」
「……DLを出て、何年たったのかしら」
「それは、聞かなかった」
ルシヤはがく然とした顔をし、それからうつむいた。「聞けばよかった。ごめん」
「いいのよ。聞く機会はまだあるわ。それより、よく気付いてくれたわね。からだの様子のこと。聞いてくれて、ありがとう」
バンビの言葉に、ルシヤは顔を上げた。ほっとした顔をしていた。
「なんとか、できる?」
「なんとかねえ……そうねえ……」
バンビはひとつ嘆息し、皆の顔を見渡した。
「全員、わけが分かんないって顔してるわね」
無理もない。皆が皆、中途半端にしか事情を知らないのだ。
「みんな座れ――ともかくも、なにか飲むか。コーヒーか、いや、茶にするか」
シュナイクルはカウンターに並べてあったマグカップに、人数分のお茶をポットから注いだ。ジェイクがミルクと砂糖をトレイにのせて、運んでくる。
ストーブ近くの一番大きなテーブルに、全員で座った。緊迫したまなざしで、バンビの言葉を待つ。
「やだ。なんて顔してるのよ」
「俺がどれだけ混乱しているか、おまえに分かるか」
シュナイクルが茶を一気に干して、ほとんど唸り声みたいな声でつぶやいた。
まさか、孫が初めて店に連れてきた友人が、電子装甲兵の娘だなんて。
「――ごめんなさい」
バンビがそんな謝り方をするなんて。だれが想像できたろう。真っ白な雪原に、突然放り出されたガゼルのような声だった。弱々しく、震えていた。シュナイクルは思わず言った。
「謝るな。おまえを責めてるんじゃない」
「いいの。当然よ。もとはといえば――あたしのせいなんだもの」
ジェイクが、バンビの肩を撫ぜた。お人好しのこの男は、もともとバンビとはどんな関係なのだろう。そのおだやかな優しさが、バンビを救っているだろうことは間違いなかった。
バンビは、無理やりに笑みを取りもどし、つとめて明るい声を出した。
「まず、あらためて自己紹介からね。さっきアズラエルには言ったけど、あたしの本名は、アレクサンドル・K・フューリッチっていうの」
ルナが「えっ」という顔をしたのを見て、バンビは苦笑した。
「その顔を見ると、ルナもあたしの正体を知っていたって思ってもいいのかな」
バンビが自ら、正体を明かした。それは、ルナにとっても衝撃だった。
「まあそれはそれで……あたしの“正体”を理解してるなら、説明は省けるわね。どんな経緯であたしのことを知ったのかは――聞きたいところだけど、いまは重要じゃない。クラウドのことなんだけど、」
アズラエルのほうを向いた。
「彼があたしを捜してる原因は、見当がついてる。クラウドは、話が分からない男じゃないと思うんでね、話し合う余地はあると思ってる」
「――その言葉を聞くと、クラウドと会ったことがあるように聞こえるんだが」
バンビは肯定した。
「これは実際、極秘事項なんだけど」
極秘事項というわりに、バンビはためらわなかった。
「一時期、電子装甲兵の対策のために、軍に協力していたことがあるの」
ルナとアズラエルは顔を見合わせた。まさか、ふたりが知己とは。こちらは単なる「知りあい」の意味だろうが。
それは、ルナの夢だけでは分からなかったことだった。
シュナイクルやルシヤは、ひとことも口を挟まなかった。恨みごとも、意見も、なにも。彼ら親子と、バンビのあいだでは、すでに解決していることだからだろうか。
シュナイクルもルシヤも、バンビが電子腺の開発者だということを、すでに知っている。
知っていて、いっしょに暮らしているのだ。
「むかし、心理作戦部を頼ったことがあって――それは、研究仲間の保護が目的だったんだけど」
バンビの顔色が、沈んだ。
「冷静になりゃ、嫌でも分かることなんだけどね……。軍ってのは予算と、軍の決まりの範囲でしか動けない。それは、あたしたち研究員もいっしょだった。心理作戦部のエーリヒは、けっこう破天荒なタイプで、自分の裁量で動くことがあるから、もしかしたら願いを聞いてくれるかもしれないと人に言われて、心理作戦部を頼ったの。研究仲間の保護を軍に頼んでも、実際に動いてもらえるのはひとつきも先だったから」
深い深いためいきとともに、バンビは吐き出した。
「そのとき、手を尽くしてくれたのがクラウドだった。でも、やっぱり動けるまで最低一ヶ月。彼は尽力してくれたの。それは分かってる。もともと管轄外だし、彼らが手掛けているのはL46だけじゃないんだもの。当然よね。とてもじゃないけど間に合わないと思ったあたしは、軍を飛び出して、ひとりで先走ったってわけ」
「軍との契約を破棄したってことか」
「そうよ」
「じゃあおまえ、軍はともあれ、クラウドに悪い印象はないんじゃないのか」
アズラエルは、なぜバンビがクラウドから逃げているのかが、分からなかった。ルナもだ。バンビの言葉の限りでは、クラウドに対する悪感情は見られない。
「だってあいつさ、しつこいじゃない」
バンビの、いかにも嫌そうなひとことに、アズラエルは納得した。とても、納得した。
ルナも真顔でうなずいた。うん! しつこい!
「今あたしを捜してるのだって、現在のL46の状況を見て、協力願えないかってことなんでしょうよ。どんな鈍いヤツでも予想がつくわ。逃げ切れるなら逃げてもいいけど、アイツしつこいから、たぶん自分が納得するまで、どこまでも追いかけてくる」
「……そうだと思うぜ」
「幼馴染みがそういうなら、確定でしょうね。だからどっかで、お互い腹を割って話し合ったほうがいい。あたしは、軍との契約を破棄した分も、ちゃんと服役して罪を償ったし、いまさら協力する気はない」
「服役だと?」
アズラエルが目を丸くした。それに対しては、バンビでなくてジェイクが苦笑した。
「俺とバンビさんは、刑務所で会ったんだよ」
「は!?」
「L11の監獄星」
どう見ても、犯罪者とは縁遠いように見えるジェイクがムショ帰りとは。
アズラエルは、純粋にそちらの方が驚いた。
「その話はまたあとで。クラウドと話し合う余地があるっていうのはね――電子装甲兵ってのは、まあ――軍が思ってるほど、脅威にはならないからよ」
「脅威じゃないだと?」
「きっと、DLと直接戦ってる軍は、そういう結論に達していると思うわ。だから、ルチヤンベル・レジスタンスにも軍の保護下に入るように言ったけど、聞いてもらえなかった――結果は、このあいだの新聞の通り」
ルチヤンベル・レジスタンスは、滅びを迎えた。
「心理作戦部には、L46のDL専門の調査隊はない。だから、クラウドが知らなくても無理はないと思う。そうね――組織自体が、あと一年持つかどうか」
「……どういう意味だ」
バンビは静かに告げた。すでに、シュナイクルやルシヤは聞いている見解なのだろう。やはり口をはさむことはなかった。
「ルシヤちゃんのお父さんを見ればあんたでもわかる。電子装甲兵は不完全なの。いくら兵士を量産しても、半数以上が移植段階で死んでいく。残った半分のうち四割が、一度戦闘に出たら死ぬ。さらに残った一割のうちの九割が、三年以内に死ぬ」
アズラエルもルナも、目を見開いた。
「ルシヤちゃんのパパが今生きてるってことはね、ものすごく“運がよかった”のよ」
心理作戦部は、ほとんどひとが出払って閑散としていた。
隊長エーリヒの姿すら覆いつくすような、机に置かれた報告書と資料の山。さらに一枚の紙切れが足される。山積みになっているほかの報告書には目もくれず、エーリヒは、手を伸ばした。
「来たな」
新たに届いたL46のDLの報告書を見たエーリヒは、すぐさま「調査終了」と告げた。
報告書を届けたベンが思わず振り返る。しばらくL46の事案につきっきりだったふたりの隊員も、エーリヒを見た。
「終えるんですか?」
ベンは聞いた。「まだ、なにも解決していませんが」
「うん。こうなるかなあと思っていたけれど、あれだな、放っておけば自滅する」
「はい?」
エーリヒが開いているパソコン画面いっぱいに、枯れかけた巨大な樹が映っていた。気分転換の画像検索でないことは、ベンも分かっているが、その枯れた木がなにを意味するのかはさっぱり分からなかった。
「電子装甲兵は、ほかのサイボーグ案件と同じで、不完全だ。しかも、予算が足りないってことさ」
それで、隊員たち全員が納得した。
深々としたためいきのあと、「やったおわった休暇取っていいですか」の声と、「辺境管理課行ってきます。俺、まだL03のF地区エラドラシスのまとめ残ってるんで」という声とに分かれた。エーリヒはどちらにもイエスの返事を返した。
辺境惑星群管理課に行く気の毒な隊員には、ベンが温かい食事と、シャワーと、仮眠をすすめた。隊員は了承し、食堂に向かおうと部屋を出たところでぶっ倒れた。仮眠が先だった。よくある光景だ。
運ばれていく彼を見ながら、エーリヒとベンは、一番近い休暇の日付を思い浮かべた。それは果てしなく遠い。隊長、副隊長になる資格? それは無限の体力だ。
社畜。だれがいったんだっけ、それ。
「ベン、クラウドにもいっといて。もういいって」
「了解」
クラウドがベンのメールを受け取ったのは車を運転している真っ最中で、彼は道路のわきに停めてまで、メールを読んだ。
字面が目に入ったとたん、彼は脱力した。速読も、いいときと悪いときがある。一瞬で中身を読み取ったクラウドは失望し、天を仰いだ。
L46のDLの調査は終了。
クラウドへの労いと感謝が、定型文としてくっついていた。
エーリヒはエーリヒなりに、目途がついたということだろう。しかしクラウドには、分からなかった。どうして、エーリヒが調査を終了したのか。いつもならそれが分かるはずなのに、クラウドはエーリヒの思考を追えなかった。
当然だ。今、クラウドはエーリヒのそばにいない。心理作戦部の副隊長ではないからだ。
それが妙に悔しく、腹が立った。エーリヒが得ている十分の一も、クラウドは情報を得ていない。それゆえに、エーリヒと同じ「調査終了」の考えに至らなくても無理はないが、このままぶった切られるのは、いささか悔しかった。
今まさに、手掛かりのひとつであるアレクサンドルに接触しようとしているのに。
がっくり、うんざり、ためいき。
ひと通りの流れで感情を吐露したあと、クラウドは、すぐさま思考を切り替えた。
(まさか、煽られてるんじゃないよな)
クラウドのこういった考えは、すでにエーリヒもお見通しかもしれない。あえて煽って、クラウドが新情報をつかむのを待っているかもしれない。それにあえて乗ってやるのも、やぶさかではないが。
(見てろよ、エーリヒ)
「運がいい、だって?」
デジャビュだ。ルシヤの父親のアンディは、どうも運のいい奴だと、アズラエルも思ったことがある。
なにせ子ども連れで、あのDLを脱走してきたヤツなのだ。
「そうよ。――どうかした」
アズラエルの反応があまりにおおげさだったもので、バンビはいぶかしげな顔をした。
「いや、続けてくれ」
「じゃあつづけるわね。ルシヤちゃんのお父さん――アンディ・F・ソルテといったわね。とにかくアンディの病状を、あたしがなんとかできるかできないか、っていう答えには、治療はできる、といっておく」
「じゃあ……!」
ルシヤとルナの顔が輝いたのを見て、バンビは首を振った。
「でも、アンディがこちらを信じてくれるかくれないかは、べつよ」
あまりに分かりやすく、ウサギ二羽の顔が沈んだ。
「どんな経緯をたどって宇宙船に乗ったか知らないけど、平穏無事に、とはいえないと思う」
先ほどのルシヤの言葉を聞いたかぎりでも、あらゆる組織や軍、人に追われて逃げ回り、ようやく宇宙船という平穏の地にたどりついたということだろう。
そして、宇宙船に乗った今も、部屋からほとんど出ず、おびえて暮らしているのだ。
「……待てよ? DLのタトゥは、消せるはずなんだよな?」
アズラエルはふと思い立って、聞いた。
「消せない」
バンビは首を振った。
「なんだって?」
「“怪盗ルシヤ”の時代は、消せたかもしれない。あるいは、ただのDLの兵士だったら」
「おいおい……」
「電子装甲兵は、バーコードと数列のタトゥごと、体内に埋め込まれているの。タトゥを消すには、電子腺を身体からなくすしかない」
「マジか」
バンビのセリフに、ジェイクがお手上げの意志表示をした。
「じゃあルシヤの父さんは、ルシヤを抱えて、タトゥも消せずに世界中逃げ回り、ふつうならとっくに死んでるはずだってのにまだ生きて、この宇宙船に乗ったってわけか?」
「そうなるわね」
「逆に考えれば、なんて運のいい野郎だ」
アズラエルも唸った。
彼の人生を考えれば、とても幸運とはいいがたいが、相当、悪運が強いといったところか。
「見せたいものがあるの」
バンビが立った。ずっと考え込んでいたシュナイクルが顔を上げた。
「――研究室か」
「うん」
バンビはうなずいたあと、ルナだけにいった。
「ルナ、いっしょに来て。アズラエルは少し待って」
「どうして俺はダメなんだ」
「あんたには、クラウドと話をつけてから見せるわ。今のあんたが、クラウドの“目”になっていないという保証はない」
「用心深いんだな」
「研究室だけは、荒らされるわけにいかないの。――じゃ、ルナ」
うながされたルナは、「うん」とうなずきつつ、アズラエルを振り返り、ぴょこたんとバンビのあとをついていった。




