11話 エルバサンタヴァとふしぎなおばけ 3
近所のスーパーはだいぶ混んでいた。そういえば、今日はポイントが二倍の日だった。
アズラエルはさっさとカートに買い物かごを積む――ルナがやるべきことは何もない――ルナはアズラエルのあとをついていくのでいっぱいいっぱいだった。
そういえば、初めてアズラエルと出会ったのは、このスーパーだった。
アズラエルはルナのバッグさえ持とうとしたが、ルナが「それ、あたしの……」とライオンに獲物をかっさらわれたウサギのような顔をしたので、仕方なくあきらめた様子だった。でもあれは、アズラエルにとっては自然な動作だったのだろう。
今日、アズラエルはルナに何も持たせていない――せいぜい、メニューとカトラリーくらいのものだ。
しかし、どうもTシャツにジーンズという、オーソドックスな格好なのにアズラエルは悪目立ちした。べつに、左腕のタトゥのせいではないだろう。この界隈のスーパーだから目立つのだろうか。
何度か、リサに引き連れられたパーティーで会ったことのある女の子たちとすれ違ったあと、彼女たちがこちらを見てなにか噂しあっているのは、ルナにも見えた。たしかに、ルナが男づれというのは、いままでなかったので。
(むきゃあああああ居づらいイイイイイ)
きっとあすから、この地域のウワサになるのだろうかと、ルナはちょっと嫌な予感がした。
よりによって、相手はコワモテの、およそ一般職にはみえない男である。
アズラエルはおそらく、そんなことを気にかけるような繊細な神経は持ち合わせていないだろうし、現実に持ち合わせていなかった。自分が悪目立ちしていることにも気付いていない。というより眼中にないのだろう。
それにしても、アズラエルと一緒のときに、こんなにいろんな人に出会わなくても。
仕方がない。よりによって今日はポイント二倍デー。
ルナはぼんやり思った。
母星にいたころは、アズラエルみたいな男のひととこんなふうに買い物をするなんて、想像すらできなかった。
それをいうなら、アズラエルだってそうかもしれない。こんな、いかにも普通のスーパーで、ルナのような女の子と鶏肉を物色しているなんて、ありえないのかもしれない。
(アズラエルは、傭兵だって)
そう考えると、不思議だなあと思わざるを得ないのだった。
L18とL77。遠いうえ、文化圏も、政治情勢も、まるで違う。
この宇宙船に乗らなかったら、おそらく一生見知りもしない、まるで共通項のない間柄なのだから。
ルナの心中など知らぬ存ぜぬのアズラエルは、商品を手にとってはぽいぽいとカートに入れていく。
「そういや、調味料はそろってたが、冷蔵庫に残ってる食材あるか」
「えっと、キャベツとたまごときゅうり――にんじんと、なっとう!」
「なっとう?」
アズラエルは不思議な顔をして振り返った。
「それはなんだ?」
「納豆知らないの!」
「知らねえ」
「じゃあ、あとで食べてみる?」
「ああ」
普通の会話ができている。ルナは嬉しくなって、ぺとぺと、てけてけ、アズラエルの後ろをついて回った。
素早く動くアズラエルに、ルナは追いつくのが精いっぱいだ。下の棚にあった小麦粉を取るためしゃがんだアズラエルに、ルナはやっと、聞きたかったことを聞いた。
「あのね、さっきも聞いたけど、アズラエルさんが食べたいのってある?」
「俺は別に、食べたいものはない――ああ、いや」
そっけなく言い放ったアズラエルは、言い直した。
「あまり、自分の好みとかはない。だいたい、つくるものはいつも決まってるし。パーティーなら、ピザ頼めば十分だろ。あ、いや、……母星じゃそうだったんだ」
「L18のお料理って、なにかないの」
ルナはさらに聞いた。アズラエルが返事を返してくれるからだ。
「……特別な料理なんかは、別に、」
本当に思い浮かばないようだった。パスタの表示を見ながら、悩み顔をしている。
「あ」
アズラエルはしばらく考える様子を見せたが、やがて、思いついたように言った。
「じゃあ、エルバサンタヴァ」
「え? えるばさんたば?」
「ああ」
アズラエルがやっとルナのほうを見た。鋭い目は和らいでいる。
「L18の料理じゃねえんだが……」
ルナは飛び跳ねた――ウサギのように。
「うん! じゃあ、おにく買わなきゃ! 牛肉と羊肉とどっちがいい? あたしはヒツジさんよりウシさんのほうが好きかな! あ、あとヨーグルトもいるよね! お砂糖抜きのやつ!」
アズラエルは目を見開いた。
「知ってンのか……ウソだろ」
「知って……んん?」
ルナは、立ち尽くした。両手にヨーグルトの瓶を持って。
「エルバサンタヴァはなあ、俺のばあちゃんの得意料理なんだ。少なくとも、俺が知ってるかぎりでは、ばあちゃんしかあの料理は作れねえ。俺はL5系に住んでたこともあったが、レストランでも見なかったし、もちろんL18にもない。ばあちゃんが作ったモン以外、食ったことねえんだ」
アズラエルの表情が、戸惑いを表した。ルナも、その顔に戸惑った。
「……L77にはあるのか?」
「う、ううん? そういや、レストランとかでも見たことないかな……。あれーえ? どこで食べたんだっけ」
一回だけ食べたことあるよ、とルナは言った。
「美味しかったんだよ」
ルナは、う~んう~んと、小さな頭を揺らしながら考えていたが、
「いざとなったらガラムマサラで!」
と叫んで、香辛料がたくさんそろっている売場へ駆け出して行った。
アズラエルは、それが自分の祖母の口癖と同じだったことに驚きながら、その驚きを顔にも口にも出さず、カートを押してルナのあとを追った。
ルナはさっきのアズラエルのように、ぽいぽいとカートに食材を投げ込んだが、カートの中に、エルバサンタヴァの材料は揃っていた。アズラエルがなにひとつアドバイスをせずとも。
アズラエルは、神妙な顔つきをしていたが、まだルナには、アズラエルの微妙な表情の違いは分からなかった。
ルナがもたもたしているあいだにさっさと勘定を済ませ、さっさとバッグふたつに食材を詰め、さっさと持って車に向かう。ルナはやっぱりあとを追うのが精いっぱいだった。どうしてこんなに速いのか。
「アズラエルさん、速いよおおお」
「ゆっくりでいい。リーチが違うからな」
「なんだと!!」
ルナはさすがに怒ってアズラエルをぺけぺけ叩いたが、彼にはハエほども影響力がなかった。
なんだか、ルナは嬉しかった。
やっと、慣れてきた気がする。
そう思ったのも束の間、アズラエルは最初の時のような無表情にもどっていた。そして、険しい顔で辺りを見回す――そういえば、昨夜もこんな様子を見せたし、今日も何度か、同じような顔でどこかを見ていた。
ルナもいっしょにキョロキョロあたりを見回したが、人混みがあるだけだった。
「だれか知り合いでもいた?」
「いや……」
アズラエルは、それ以上何も言わず、車のドアを開けた。
アパートに帰ったものの、まだミシェルとクラウドは帰ってきていない。
さっきまで、用事があるといって逃げてしまおうかくらいに考えていたルナだったが、ここにきて、ようやく多少、アズラエルに慣れてきた。ルナが話せば、返事が返ってくると知ったので。
彼は、そんなに喜怒哀楽が顔に出ないだけだ。
もともとの顔が、ようするに怖いだけだ。
それならばルナは平気だった。父親が、そんな感じだから。
「よし! つくろう!」
ルナは腕をまくってエプロンを付けた。冷蔵庫から食材を出し、買ってきたものもテーブルに置く。
いつもはpi=poのちこたんに手伝ってもらっているが、今日はアズラエルがいるからいいだろう。掃除を終えたちこたんは、充電中だ。
メインはもちろんエルバサンタヴァ。
ハロウィンなので、小ぶりなカボチャをくり抜いて、マカロニとソースをつめたグラタンを。
リサが好きな、きのこたっぷりのペペロンチーノを大皿に山盛り。
それから、鯛とたまねぎとオリーブのカルパッチョ、鮭と根菜のサラダ、カラフルなフルーツの盛り合わせ、からあげやポテト、ハロウィン仕様のチーズの売れ残りがあったので、それらをならべたオードブルを。
バゲットも大きなのを一本買ってきた。焼きたてだ。
三種類のディップに、ワカモレ、野菜スティックやコーンチップスも添えて。
ルナは大皿料理をほとんどつくったことがない。カボチャを切り、くり抜く作業をしてくれたのもアズラエルだ。
彼の持つ“ナイフ類”は、ずいぶん切れ味がよかった。
「アズラエルさんの包丁は、切れ味がよすぎて怖いのです!」
「じゃあ、俺が剥くからそれをこっちによこせ」
多少のアドバイスや、カボチャを切る手伝いくらいはするものの、つぎつぎに出来上がっていく料理。ほとんど手を出す必要もなかったアズラエルは、感嘆した。
「動作は鈍いのに、よくもまァこれだけ、手際よく作れたもんだな」
「動作が鈍いはよけいですよ!」
ルナはそろそろ、ちゃんとアズラエルにご意見が言えるようになっていた。
「それに、アズラエルさんも手伝ってくれたから」
両親が共働きだったので、高校生のころから、夕食はルナがつくることが多かったのだ。
(それより)
ウサ耳がぴこぴこ揺れた。
(傭兵が、お料理をしています……!)
ルナには、そちらの方が衝撃だった。
アズラエルはほんとうに、カボチャのパイを作ってくれた。器用にパイ生地を粉から手作りだ。何度も生地を折りたたんでは、バターが溶けないように冷蔵庫にもどし、カボチャのフィリングをつくり、パイ生地を、目を三角に、口をギザギザに切り抜いて。
「食うか?」
ルナがじーっと見ていたので、アズラエルはパイ生地の切れ端に、カボチャのフィリングをのせて焼き、味見をさせてくれた。
「おいしい!」
「よかったな」
アズラエルが、するすると器用にリンゴを剥き、バラの形に整えるのを、目を丸くして見ながら、
「傭兵の訓練に、お料理っていうのはあるのかな?」
と聞いた。
「いっしょだよ」
「へっ?」
「両親はふたりとも傭兵。一度任務に入れば一ヶ月は帰ってこねえことがザラにある。おまけにおふくろは家事がニガテでな。あいつのつくるメシは敵兵のせん滅につかえる」
「せんめつ!!」
「俺には妹ふたりとクラウドがいた。俺がつくるか、レトルトか、近所のピザ屋か。選択肢は少なかったってわけだ」
「……」
「しかも、そのピザ屋のピザは、最高にまずい」
「それはたいへんだ!」
ルナのウサ耳がぴーん! と立つと同時に、グラタンを焼き上げたオーブンが、チーン! と合図を鳴らした。
さて、肝心のエルバサンタヴァだったが。
「イメージとしては、牛肉のヨーグルトグラタンです」
玉ねぎをバターで炒め、大皿に敷く。一口大に切った牛肉のかたまりに小麦粉をなじませ、バターでこんがり焼き、玉ねぎの上に乗せて。
「ヨーグルトに卵と塩コショウ、チリペッパーと、パプリカパウダー……?」
ルナは混ぜ込みながら味見をし、首を傾げ、パプリカをずいぶん振った。
「こういう味だっけ?」
ますます、記憶が混乱してきた。
「ちがった! ナツメグ?」
「俺が食ったのは、ナスも入ってた」
アズラエルは勝手にナスとズッキーニを刻み、勝手にバターで炒めていた。
それらも加えた大皿に、おそらく実物とはちがうであろうヨーグルトソースを回しかけ、チーズをたっぷりのせて、オーブンに放り込んだ。
「チーズは焼きたてにのせるんじゃなかったかな?」
「正解はナツメグ。今の時点で、俺がむかし食ったのと、だいぶ近いぜ」
「あたしのはね、玉ねぎと牛肉だけで、ソースの上からいっぱいガラムマサラを……」
ルナはちいさな頭を抱えた。
(あれは、どこで食べたんだっけ)
『今日はいろいろ切らしているから、味付けついでに、コイツをいっぱい振りかけとこうか』
そういって、ガラムマサラの缶を出してきたのはだれだった?
あれはレストランで食べたのではなく、だれかがつくってくれたのだっけ。
デリバリー? だれかの手作り? それとも、スーパーのお惣菜?
(うう~ん、思い出せない……)
「俺のばあちゃんは、ガラムマサラはつかわなかった。ナツメグを切らしていたとき、代わりにつかったらうまかったからそうしただけで、ほんとうはナツメグだけだ」
「……おばあちゃん」
「ああ。ばあちゃんは、冷蔵庫に肉とチーズとヨーグルトがあると、すぐコイツをつくった」
「あのね、あたしの近所に」
言いかけたところで、買い物からもどってきたキラが、テーブルを見て黄色い歓声を上げたので、話は途中で終わってしまったのだった。




