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キヴォトス  作者: ととこなつ
第一部 ~再会篇~
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1話 チケット  1


 今日も、ごくありふれた一日になるはずだった。

 この春、二十歳になったばかりのルナの勤め先は、近所のちいさな本屋さん。

 今日は休日。いつもより、すこし遅く起きたルナのめのまえにあったものは。


「これは」


 ルナはキッチンに入って早々、とてつもない光景に出くわした。一年に一度あるかないかの荘厳(そうごん)な光景――。

 ダイニングテーブルに、パンが山積み。


「パパだ!!」

 ルナは叫んだ。

「パパだな!? もーっ」


 ルナはわめき、パンの山に突進した。ルナの身長を軽く超え、天井近くまで積み上がった、市販のパンの山。ほぼ二メートルのパパしか届かないような(いただき)には、星型のチーズ蒸しパンがひょいと乗っかっていた。


「いまは八月だよ! クリスマスには早いです!」


 ルナはぷんすかしながら、パンの山をくずしにかかった。


「これじゃ、しばらくずっとパンじゃないか」


 ママが苦笑いしながら、近所におすそわけに行く光景が想像できた。

 しかし、パパは悪気があってパンの山をつくったわけでも、いたずら心でつくったわけでもないのだった。それはルナにもわかっていた。

 そんなお茶目なパパではなかった。どちらかというと無口でクールなパパだ。お茶目ないたずらをするのは母親のほう。


 むかし、ルナのパパは、食べ物に不自由した時期があるらしく、いざ買うとなると大量に買い込んできてしまう。だから、ルナのうちでは、パパひとりで買い物には行かせない。


 今朝は偶然(ぐうぜん)、パパが買い物に行ってしまったのか。そういえば、朝食用のパンの買い置きが切れていた。

 ルナは地上一階にあったメロンパンを引きずり出し、ビニール袋を破って、さっそく食いついた。

 もふ。もふもふもふ。


「リサのうちに持っていこうか」


 ルナがメロンパンをもふりながら、パン・タワーを見上げたときだった。

 インターフォンが鳴った。

 ルナは食べかけのメロンパンを両手で持ったまま、玄関へ走った。


「はいはーいっ!」

『ルーナーっ!!!!!』

「リサ?」


 インターフォンから聞きなれた声の絶叫。ルナはあわてて開けた。


「ルナ! ルナルナルナルナ!!!!!」


 ドアを開けたとたんに肩をわしづかみにされ、ぶんぶん揺さぶられた――リサ。

 隣人の、幼馴染み。


「入っていい!?」


 ルナが「いいよ」というまえに、リサは「おじゃまします!」と叫んで威勢よく上がりこんできた。そして、リビングに飛び込むなり、用心深くあたりを見回す。


「だれもいない!?」

「う、うん」


 今日は月曜日。ルナだけが休み。父と母は仕事に行った。だれもいないことをずいぶん念入りに確認してから、リサは用件をルナのまえに突き出してみせた。


「見てこれ!」

「リサ・K・カワモトさま。E.S.C……?」


 それは、チケットだった。

 遊園地やリゾートの宿泊券にしてはずいぶんシンプルだし、リサの名前が刻印されているだけで、あとは複雑な模様がうっすらと紙一面に印刷されているくらい。まるで紙幣のようだった。

 つややかなプラスチックのような紙質は、プレミア感がある、特別なものに感じられたけれど。

 なんのチケットなのか、ルナにはまったく分からなかった。

 にぶいルナに業を煮やして、リサが叫んだ。


「これ、地球行き宇宙船のチケットなのよ!」

「!?」


 ――地球。


 ルナが住む太陽系L系惑星群とはちがう、特別な呼び名でよばれるその星は、ルナたち人類発祥の地だ。

 遠い遠いむかし、ルナたちの祖先は、地球からL系惑星群に移住した。

 L系惑星群からはかなり遠い位置にある――厳正な管理体制のもと、出入星が制限されている特別な星。


 なにしろ、四年に一度しか、地球に行く宇宙船は運航しないのだから。

 リサが持って来たのは、その宇宙船の乗船チケットだった。


 チケットは、オークションに出されているし、購入も可能だが、その額がともかく一般人が気軽に買える額ではなかった。


 しかし、金持ちだけが地球行き宇宙船に乗れるというわけではない。

 このチケットは、当選する。つまり、無料で配られる――ある日、家のポストをのぞいたら、チケットが投函(とうかん)されていた――というのは、宝くじより低い確率ではあるが、実際に起こりうることだった。

 まさかリサも、その幸運が自分のもとに舞い込むとは思ってもみなかったわけだけれども。


 ただし、宇宙船に乗ったとしても、難解な試験に合格しなければ、地球にはたどりつけない――なにしろ、チケットが届いた、という話はごくたまに聞くものの、宇宙船に乗った、あるいは、「地球に行ってきた」という人間が、まぼろしのようにいないのも事実。


 だいたいの人間は、普段の生活に満足していて、むずかしい試験を受けてまで、地球に行きたいとは思わない。

 このチケットは「地球」に魅力を感じない人間にとっては、ただの紙切れにすぎない。


 ただの紙切れというのも語弊(ごへい)がある。地球に行きたい人間にとっては、のどから手が出るほど欲しい、貴重なチケットだ。オークションに出せば、一億二億の値段は簡単につく。

 そんなチケットが、リサの手元に届いたわけで――。


「当たったの」


 信じられない。

 ルナはチケットを恐る恐る覗き込んだ。そして、指先でちょんと触った。


「これは本物なのよ」

 リサは深刻に言った。

「昨日、ポストに入ってたの。郵送じゃないわ。切手とか貼ってなかったし、メール便でもない。きっと、特別な配達経路があるのね。それで、チケットにある電話番号に電話したら、ホントに地球行き宇宙船の会社だった。サイトもあったわ。それで、ツアーガイドのカザマさんっていうひととも話したの。いろいろ聞いて――あたしも信じられなくてさ、かなり疑ってたんだけど――やっぱり、ホントに当たったみたい」


 リサの手には雑誌があった。ボロボロだ。ずいぶん古びていて、およそ百年も前の刊行日だった。開いたら、真ん中から分解しそうだ。

 いや、すでに分解していたのだった。ルナが手にしているものは、実際の厚さの十分の一ほどしかなかった。


「これって、最初の数ページだけ? のこりは?」

「ないよ。これだけ売ってたの」

 リサは肩をすくめた。

「地球行き宇宙船って、ふつうに街があって、アパートもお店もいっぱいあって、あの“リリザ”にも寄るのよ!」


「これ、どこで買ったの?」

 ルナには雑誌の入手先のほうが気になった。

「ネットのオークションで落札した。地球行き宇宙船のチケットよりよっぽど安かったわ」


 ルナは慎重に雑誌を開いた。今にも崩壊しそう。

 発刊元はE.S.C。チケットにも書かれている、地球行き宇宙船を管理する会社だ。船内には、たしかに街が存在する。とてつもなく大きくて、広い宇宙船かもしれないことはわかった。


「豪華客船のすごくでっかいやつ……?」

「これ、百年まえの、地球行き宇宙船に乗ったらもらえるパンフレットなんだって。カザマさんが、この 雑誌に書いてあることとほとんど同じことを言ったの。そうそう――そうだ! むかし、いとこがこの宇宙船に乗ったことがあるっていうのは、まえ話したよね!?」


 リサの声は、興奮のせいかますますでかくなっていく。


「う、うん」

「ママの知り合いでも、当たったことがあるひとがいるみたいなの」

「ほ、ほんとに!?」

「うん。でも詐欺(さぎ)かもしれないと思って、そのひとは売っちゃったんだって。オークションで。でも、やっぱり本物で――その、オークションで買った人と連絡先交換したらしくて、そのひとが、リリザとか船内のリゾートとかの写真いっぱい送ってくるから、自分が行っとけばよかったって、すんごい後悔したみたい」

「……」

「そのひとは遊びまくって、一年くらいで帰ってきたらしいけど……せっかくなら地球に行けばよかったのにね」

 リサは(あき)れ顔で腕を組み、言った。

「お金もらえるっていうのもホントみたいなの。だから、いっぱい遊べるって」


 チケットが本物なのは、よくわかった。


「リサ、これ、売るの」


 ルナがチケットを見つめながら聞くと、リサは「まさか!」と大きな声で否定した。


「じゃ、じゃあ――」

「行くわよ。行くに決まってるでしょ」

 そして間を置かず、言った。

「……ね、一緒に行かない?」


「ほ!?」

 ルナは絶叫した。

 ちょっぴり、乗ってみたいとは思った。

 ほとんどまぼろしの存在だった地球行き宇宙船の実在と、ほんとうにチケットが当たるんだという驚きだけだったルナは、ウサギのように飛び跳ねた。

 リサのことだから、見せびらかしに来ただけかと――。


「これ、ペアチケットなの。もうひとりいっしょに行けるのよ」


 ペアだとしても、リサが自分を誘うとは思わなかったルナだった。リサにはルナより親しいともだちは山ほどいるし、誘える友人はほかにもいるだろう。

 それに。


「カレシは!?」

「え? あいつはいい。別れる」


 リサはきっぱりと言った。地球到達までには難解な試験があるという噂だが、運命の恋人に出会えるかもしれないという宇宙船に、リサがおまけつきで乗るわけがなかった。


「行こうよルナ――ダメ? まあ、二、三日の旅行じゃないし、地球に行って、帰ってくるまで往復三年間――四年間? ほとんど留学みたいなかんじだし。バイトはやめなきゃいけないだろうけど、これ、すごいチャンスだよ? ルナ、地球に行ってみたいっていってたじゃない」

「う、うーん……」

「別の星の大学に進学したと思えばよくない?」


 ルナは迷った。地球という星に興味があったのはほんとうだ。でも、生まれてこのかた、母星L77から離れたことのないルナが――修学旅行でL74に行ったことがあるくらいのルナが、L系惑星群から離れて遠い星に行くなんて。

 パパとママが、許してくれるだろうか。


「リサのパパとママはいいって?」

「うん。いつか行きたいなあとは思ってたけど、まさか、チケットが当たるなんて思わなかったし。でも、あたしが前から行きたがってたのは知ってたから、行って来いって」

「……そう」


「ルナ、正直、迷ってる場合じゃないと思う」

 リサは真剣に言った。

「このチケット、もう一度当たるかどうかなんてわからないんだよ? すごいチャンスなの、分かる? お金なくたって、行けるんだからね? むしろ、お金までもらえるんだからね?」


 旅行費用を心配しなくていいというのもまた事実。地球行き宇宙船を運航しているE.S.Cという会社から、お金がもらえる。

 見れば見るほど至れりつくせりで、逆に不安になってくるのだが――。


「リサ、美容師試験、どうするの」

「それは、おいおい考える」


 リサは美容師試験が近いはずだったのに、今は地球行き宇宙船のことで頭がいっぱいだ。

 無理もなかった。

 ルナのまぼろしのうさ耳が、そわそわぴこぴこと揺れ出した。

 行ってみたいというより、行きたい。

 リサのいうとおり、二度とないチャンスかもしれないのだ。


「もしルナの親がダメだっていったら、あたしも説得するから」

「……」


 リサはどことなく必死に見えた。どうしても、ルナと行きたいらしい。ルナが行けないというなら、ほかにも誘う友人はありそうなものなのに。


「返事は明日でもいいけど、ルナも考えてみて。あ、このチケットのことは、だれにも言わないでね。じゃあね!」

「あ、リサ」


 リサは言うだけ言うと、さっさと帰って行った。


「ぱん……」

 すこし、持っていってもらえばよかった。


 ルナは山積みになったパンを振り返ってつぶやいたが、パンどころの騒ぎではないのだった。いつもだったら、このパン・タワーを見たら、ひとことでもツッコミがあるはずなのに。


「ぱん……ギャー!!」


 微妙なバランスを保っていたパン・タワーは、リサがドアを閉めた衝撃で、あっさり崩壊した。

 ごくありふれるはずの一日は、パンの山とともに総崩れになった。




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[良い点] お気に入り一覧から消えていたのですごく焦ったのですが、こちらにあってよかったですー! 初めて読むようなワクワクを感じます! こんなに何度も楽しい思いをさせてくださってありがとうございます!…
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