83話 ハン=シィクの子 2
倉庫側の扉が閉まり、反対側の扉が開くと、そこはすでに暗くなってだれもいない、K06区の公園だ。
「わたしのアパート、あそこなの」
ルシヤが、こぢんまりとしたアパートを指さした。
「お茶でも飲んでいってっていいたいところだけど、きっとパパがびっくりしちゃうから――ごめんね」
「いいよ」
ルナではなくルシヤが返事をした。
「ほんとにびっくりしたわ。ルシヤがルチヤンベル・レジスタンスだなんて」
「正確には、ハン=シィクの子だよ。そのあたり、もう少し話し合う必要が、ありそうだな。わたしだって、びっくりした。ルシヤがDL――ルシヤ――じゃないか。とうさんが、DLなんて」
「まだ混乱してる」
「おまえまさか、もう二度とわたしと会わないなんて、いわないだろうな」
ルシヤはきびしい顔でいったが、アンディの娘は、困った顔でうつむいた。ときおり見せる、ひどく大人びた表情だ。
「わたし、ルシヤ、好きよ。ルナも」
今にも泣きそうな顔だ。
「でも、パパが会わせてくれるかどうかは」
「……ルシヤのとうさんは、ルチヤンベル・レジスタンスを、憎んでいないって、」
「憎んではいないわ。怖がってるっていったでしょう。パパはいろんなものに怯えてるの。軍事惑星にも、傭兵にも軍人にも、パパにお金をかけて、つかまえようとするやつらにも」
「なんだって」
「わたしたち、ダックが――ダックおじさん、担当役員さん、ね。彼が、わたしたちを見つけてくれるまで、逃げ回っていたの。パパがDLだって知ったのは、宇宙船に乗ってからよ。それからはいっしょうけんめい調べたわ。L46のことも、DLのことも、いろいろ。ダックおじさんに字を教えてもらいながら」
ルシヤは、もうひとりのルシヤの言葉を聞きながら、唇をかみしめた。
「――とうさんは、元気か?」
「え?」
唐突に、思いもかけないことを聞かれて、ルシヤは戸惑った。アパートの、自分の部屋のほうを振り返りながら、しかし、答えた。きょとんとした顔で。
「いるわよ? いっしょに住んでるわ」
「そうじゃなくて――えっと、病気は、してないか?」
とたんに、ルシヤの顔色が沈んだ。
「そういう意味ね……。元気……とは、いえないかも。ずっと、咳をしてるわ。熱も少しあるみたい。病院に、いけないから」
「それは、電子装甲兵だから?」
「そう、よ……」
アパートの一室に、明かりが灯った。ルシヤはそれを見て、「パパが起きたみたい。帰るわ」とあわてて身を翻した。
「ルシヤ! また会おう! 絶対だよ」
「うん!」
妹の背がアパートに消えていくのを、ルシヤは見守り、それから、しばらく、なにか考えごとでもするようにたたずんでいた。
「――さて、話してもらおうか、アズラエル」
シュナイクルは怒ってはいなかった。だがアズラエルは、先日、ルナを同じ言葉で追いつめたばかりであり、今度は自分が同じ言葉で冷や汗をかくことになるとは思いもしなかった。
ぜんぶ正直に話したっていい。しかし、アンディ親子がDLだったことも、偶然恋人が行きたがったメシ屋の店主がルチヤンベル・レジスタンスだったって、それはアズラエルのせいではない。
おまけに、バンビがアレクサンドル・K・フューリッチだという事実にたどり着いてしまったのは、ルナの夢のせいだ。
なにもかも、ルナの夢のせいだ。
知らなきゃ知らないですんだのに。
「おまえ、知っていて連れてきたのか」
なにを? アンディの娘が、もとDLの子であることを?
正確には、ルシヤを連れてきたのはルナだ。アズラエルはやけになった。答えたくなかった。いろんな意味で。
「おまえの孫もルシヤ、アイツもルシヤ。L46では、ルシヤの名が尊いのか」
「……そうだな。俺も意外だ。まさか、DLのやつが、ルシヤの名を子につけるだなんて」
「知っていたかそうでないかと言われたら、知っていた。なんとなく、そうじゃないかと思っていたんだ。でも、今日、ルナとルシヤがいった映画館で合流したのは、ほんとうに偶然だった。待ち合わせしていたわけじゃない」
シュナイクルは、暖炉の火を見つめていた。
「ルシヤの話す内容から、もしかしたらDLじゃねえかと検討つけたのは俺だ。ルナも仲良くなっちまってから知ったことだ。あんたの孫とも仲良くなっちまったんだから、いつか――いつか、黙ってたって、互いに顔を合わせちまうだろうと。連れてこいと言ったのは、俺だ」
「……」
「ついでに言わせてもらえば、俺たちと、ルシヤとアンディ――アンディは親父の名だそうだが、はじめて会ったのも、俺たちがあんたらと出会ったモジャ・バーガーだ。あんたたちが出てったあとに、あの親子が入ってきた。あのガキ、ルナを見るなり『ママだ』と抜かして飛びついてきた。親父のほうが困っちまって、必死で謝りながら、ルシヤを抱えて逃げていったよ」
「そうなのか」
シュナイクルは、ぼそりといった。
「あんたの孫も、あっちのルシヤも、ルナが母親に似てるって」
「サリヤに似ている……か、そうだな。顔は違うかもしれんが、俺は、」
そのまま、シュナイクルは詰まった。それ以上、アズラエルに、質問もしてこなかった。
アズラエルは、シュナイクルにそんな顔をさせたくなかった。そんなことを思ったのは、はじめてだった。なにせ、相手は男だ。だが、彼らのためを思うなら、いわなければいけない言葉を、いうしかなかった。
もう二度と、ここに来られなくなっても。
「シュナイクル、俺は、あんたたちのことは好きだ」
ほとんど――というかまったく――男に言葉で好意を示したことなどないアズラエルが、そういった。ともだちとか気色悪いという男が、それをいった。シュナイクルには、それが分かるわけもなかったが、聞く姿勢はとっていた。
「あんたがつくるメシも好きだ。だけど、もうそれが食えなくなるかもしれないってことは、残念なことだ」
「なにを勘違いしてるか知らんが、俺は怒ってるんじゃないぞ」
シュナイクルはやっと口元をゆるませ、暖炉の前に立った。心の広い男だなあとアズラエルは思った。俺だったら、一発くらいぶんなぐっている。
心優しいレジスタンスの長は、エラド・ワインをカップに注いで、アズラエルに手渡す。受け取るのを待って、いった。
「驚いてるだけだ」
「俺の相方はな、宇宙船にいっしょに乗った相方は、クラウド・A・ヴァンスハイトという。心理作戦部の元副隊長だ」
「――?」
シュナイクルは首を傾げた。無理もない。けれど、アズラエルが反応を見たかったのは彼ではない。
あまりにも予想通りに、厨房のほうから皿が割れる音が聞こえた。
飛び出してきたのは、バンビだった。
「おまえ今、なんていった」
バンビの青ざめた顔は、アズラエルには十分通じた。
「シュナイクル、おまえは、バンビの正体を?」
「正体?」
いぶかしげな顔をするシュナイクルに、しまった、知らなかったかと焦ったアズラエルだったが、バンビが苦笑した。
「シュンは知ってる。ぜんぶ知ってる。――あんた、あたしになにを聞きに来たの?」
「そういうつもりじゃない。だから、もう来ないといってるんだ」
いくらアズラエルとルナが、ハンシックのことを隠そうとしても、クラウドのことだ。すぐにバレてしまうだろう。クラウドがどういう意図を持ってアレクサンドルを捜しているのかはわからない。けれど、アズラエルたちがここに入り浸れば入り浸るほど、クラウドに見つかる可能性は高くなる。
クラウドは追跡装置を持っている。ハンシックの店の名は、すでに手に入れているだろう、近日中に来るかもしれない。
この店の連中はいいやつだった。メシも旨かった。だから、アズラエルができるせめてもの礼だ。
「クラウドはすぐここを嗅ぎつけるぞ。今のうちに身を隠せ。リリザまで逃げたら、クラウドだって追ってはこないだろう。」
「……!」
いつのまにか外からもどったジェイクも、バンビも、口を開けていた。
ふたりは見合い――それから、困惑気味のシュナイクルの顔まで覗き込んだ。ピストル型の人差し指が、シュナイクルからアズラエルに向けられる。
「これだけ聞かせて」
バンビはあわてても、冷静さを失ってもいなかった。
「あんたは、クラウドに命じられてあたしを捜しに来たんじゃないってことね?」
「ああ。俺だって困惑してんだ」
アズラエルは、バンビの顔色が余裕を失っていないところを見て、深刻になったことを後悔した。
「この店を知ったのも、本当に偶然だよ。ルナが、ダチと一緒にいったカフェでチラシをもらってきた。行きたいって言ったから、いっしょに来ただけだ。そうしたら、モジャ・バーガーで会ったやつが店を開いているときた」
バンビとジェイクは、また顔を見合わせた。シュナイクルは、納得と、ついていけない顔と、半々の顔だった。
「あんたの言葉を、信じるよ」
ジェイクのほうがいった。
「DLの父親のほうとは会ったことあるの。接触は?」
「ない。モジャ・バーガーで一度きりだ」
バンビは「そう」といったきり、皮肉な笑みを浮かべた。
「まったく、奇妙なことになってきたわね。ハンの樹のもとに、ルチヤンベル・レジスタンスの末裔と、もとDL、電子腺の発明者が一堂に会するなんて」
電子腺の発明者。
バンビははっきり、自分の口から、それをいった。
「やっぱりおまえは、」
「そうよ――やだシュン、そんな顔をしないで。たぶんあたしの正体って、そういうことだと思う――あらためまして、よろしく」
バンビは、アズラエルに向かって手を差し出した。
「アレクサンドル・K・フューリッチ。科学者よ」




