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キヴォトス  作者: ととこなつ
第三部 ~ハン=シィク篇~
197/927

83話 ハン=シィクの子 1


 ルナもルシヤを追った。ルシヤの足は、ふたりとも、早かった。

 ルナが息をあえがせながら追いついたときには、ハンシックのルシヤは、すでに倉庫の入り口に立っていた。


 もうひとりのルシヤは――シャイン・システムの扉のまえだ。

 段ボールが積まれた倉庫の奥、シャインの扉の前でうずくまり、泣いていた。


 ハンシックの入り口ではなく、こちらへ走ったのは、こちらに出口があると思ったからだろう。

 ルナはほっとした。雪原の中に飛び出されたら大変だった。ルナの足では追いつけない。明かりひとつない真っ暗な雪原で遭難したらと思うと、焦りに焦った。


 ルシヤの嗚咽(おえつ)だけが、しずかな倉庫に響いていた。

 帰ろうと思ったけれど、シャインの扉が開かなかったので、途方に暮れているのだろう。

 あまりにもちいさな肩を震わせて、ルシヤはしゃくりあげ、泣いている。


 ルナはすぐさま駆け寄りたかったが、ハンシックのルシヤが通路をふさいでいた。彼女も、ルシヤに駆け寄ることなく、だまって、見つめていた。


 追ってきたルナの姿を認めると、ルシヤはやっと気づいたように顔を上げた。それから、ルナが行こうとするのを制し、自分が、ルシヤに近づく。


「ルシヤ」


 うずくまっていたルシヤの肩が揺れた。振り返って声の主をたしかめる。涙と鼻水でぐしょぐしょだ。


「ルシヤ、わたしは――わたしのじいちゃんは、ルチヤンベル・レジスタンスだ」


 ふたたび、ルシヤの目から涙がこぼれ落ちる。


「おまえは、DL(ダイロン)なのか」


 ルシヤは、ルシヤの問いに、猛然と首を振った。


「ちがうわ! わたしはちがう! パパはDLだったの! でも、わたしを連れて、逃げたの! だからもう――」

「じゃあ、おまえのとうさんは、ルチヤンベル・レジスタンスを、憎んでるわけじゃないんだな?」

「そんなこと――!」


 ルシヤは泣いた。


「パパはだれも憎んでなんかいない。おびえてるだけよ! パパも、わたしも、ただ……」


 ルシヤは膝のあいだに、顔を埋めた。


「た、ただ……しずかに、暮らし、たい、だけ……逃げたりせず、に」


 ルシヤが、もう一歩、ルシヤに近づいた。


「じゃあ、わたしも、DLを、憎まない。おまえも、おまえのとうさんも」


 ルシヤが顔を上げ、信じられない表情でルシヤを見た。その目には、絶望しかなかった。


「あなた、知らないだけよ。DLが、あなたたちに何をしたか」


「知っている」

 ルシヤはいった。

「知っている。じいちゃんから、聞いた。わたしは、乳飲み子だったから、なにもおぼえていないけど」


「それなら――!」

「でも、じいちゃんは、わたしの話にするなといった」

「――え?」


「じいちゃんは、わたしが理解できる年になったとき、包みかくさず話してくれた。とうさんやかあさんのことも、仲間のことも、ルチヤンベル・レジスタンスのことも、DLのことも。でも、それはじいちゃんの体験だ。わたしの体験じゃない。だから、おまえは、このことはただの事実として、心にきざめといわれた」


 ルシヤは、絶句した。


「わたしは、事実を聞いただけ。聞くだけでもつらかったけど、悔しさも悲しみも、ぜんぶじいちゃんのものだ。わたしのものじゃない。わたしのおもいじゃない。わたしはおぼえていない」


 ルシヤはどこまでも淡々と、そして、力強くいった。


「DLは、憎いよ。でも、おまえたちは、うらまない」

「わたしの――パパが、あなたのパパや、ママ、を、殺したかもしれなくても?」

「それは、おまえがやったわけじゃないだろう?」


 その言葉をいったのは、シュナイクルだ。

 ルナは気づかなかった。厨房はどうしたのだろう。手をタオルで拭きつつ、シュナイクルは孫の後を追うように、ルシヤに近づいた。


「パパ――パパはきっと、それをしたかもしれない」

 ルシヤはしゃくりあげながら叫んだ。

「あなたの家族を殺したかも。パパは、ずっとうなされているから。たくさんのひとを手にかけたことを」


「……後悔してるんだな」


「ママが死んだことも。でんしせん、が、てきごう、しなくて。わたしもきっとでんしせんがてきごうしないから、パパはわたしを連れて逃げたの。わたしは実験台になるところだった。赤ちゃんのうちからでんしせんを入れれば、強い戦士になるからって!」


 シュナイクルの顔がひどくゆがんだ。言葉にせずとも、わかった。ルナも同じ気持ちだった。いつのまにか来ていたアズラエルまで舌打ちし、バンビが口を覆った。

 ――なんてことを。

 あまりにちいさな呻きを、ルナだけがひろった。


「みんな死んだの。つぎつぎみんな死んでいったってパパが言った。ママも、パパの仲間もみんな。せんそうじゃなくて、でんしせんにてきごうしなくて。でんしせんがじょうずにはいっても、みんな帰ってくれば死ぬの。あのままそこにいたら、パパも死んでいたかもしれない」


 ルシヤは泣いていた。

 姉も、妹も。

 ハン=シィクの民の過酷な末路に憤り、泣いていた。


 ついにルシヤは、自分の涙をぬぐい、ルシヤの目と鼻の先に近づき、しゃがみこんだ。ルシヤの真剣な目が、ルシヤを見据えていた。


「おまえは、わたしの妹で、おまえがL46生まれなら、おまえはわたしと同じ、ハン=シィクの子だ」

「うっく……」

「よく、生きていてくれたな、きょうだい」


 ルシヤが両手を広げるのと同時に、ルシヤは胸に飛び込んだ。


「うわああああん、うあああ」


 広い倉庫に反響するような切ない悲鳴を、ルシヤはとどろかせた。そのふたりを、まとめてシュナイクルが抱え込む。

 シュナイクルが、なにかいっている。その言葉はルナに聞こえず、ぼやけるように消えてかすんだ。


 ――その瞬間。

 ルナは。

 ルナだけが、違う光景を見ていた。


 つなぎを着た初老の大柄な体躯の男が、ふたりの少女を抱え込む。シュナイクルにもっと年を取らせ、白髪にし、長いひげを蓄えさせた老人だ。老人はシュナイクルの面影を宿し、娘たちは「ルシヤ」に生き写し。ふたりとも黒髪で、片方は、病の治療のため、髪はみじかく刈られている。


 ――ママは死んだのね? シュンおじさん。

 ――ママだけじゃない、パパも死んだ。

 ――わたしたちどうなるの。

 ――おまえたちは俺の子だ。なにも心配いらない。さあ、パパとママの冥福を祈ろう。


「ルシヤ」と「ピューマ」が死んで、娘二人は「グリズリーおじさん」に預けられた。


 ――ママを殺したあの女はどうなったの。

 ――許せない、わたしきっと仕返しするわ。

 ――パパもきっと、あの女に殺されたのよ! 始末されたの。


 泣きじゃくり、わめく姉妹を、男のおだやかな声と手がなだめる。


 ――恨むなら、強くなれ。おまえは病を治し、強い肉体を手に入れろ。おまえは学べ。だまされないよう、利用されないよう賢くなれ。

 ――強くなれ、ふたりとも。両親のように。

 ――復讐するなら、彼らのはかない人生に対してだ。

 ――ルシヤのように、強く気高くあれ。

 ――生きるんだ。


 ――わたしきっと、ママみたいに強い人間になるわ。


 娘二人の、力強い宣言――まるで脳みそに打ち付けるような――声が聞こえたあと。


 ルナがはっと気づくと、映像は消えていた。過去の映像が、三人に重なって見えたのだ。


(なんだろう、いまの)

 ルシヤの嗚咽がやみはじめている。

(ルシヤが死んだあとの、三人の会話?)


 ――あの女?

(あの女って?)


 いつのまにか、バンビはいなかった。


「ルゥ」


 アズラエルがルナの肩を抱いてうながした。ルナは三人から目を離さないまま、アズラエルに所持されて、店のほうへもどった。


 ルナたちがレストランにもどると、客数は半分以下になっていた。入り口の外で、ジェイクが客と話している。どうやら、すでにcloseの札がかけられたらしかった。


 新たに来る客は、店先の札を見て残念そうに帰っていく。食事中の客を急かすことはなかったが、ひとり、またひとりと、食事を終え、席を立って会計を済ませていく。


 ルナは、自分の鼻の頭も真っ赤なことに気づいた。

 最後に見た映像が、あまりにリアルで衝撃的すぎてポカンとしていたが、号泣しかけたばかりだったのだ。


 やがてうしろから、ふたりのルシヤを抱えたシュナイクルが現れた。

 シュナイクルの顔の位置は高すぎて、ルナには彼の顔色を伺えなかった。しかし、彼の相貌はおだやかだった。


 ――さっき見た、老人と同じ。


 彼はしゃがみこみ、ルシヤふたりを降ろした。


「さあ、メシを食え。メシを食って元気になれ」


 食事を終えた客たちが、次々と店を後にしていく。シュナイクルがさまざまな言語で、「悪いな」とでも声をかけているのか――だれも、気を悪くはしていないようだった。


「メシを食うよ! ルシヤ!」

「……うん!」


 姉に引っ張られ、妹ルシヤはシュナイクルを何度も振り返りながら、食事が用意された席に座った。

 アズラエルはとなりの、別の席に移動していた。

 ルナとルシヤふたり――「親子」で座った席には、できたての食事が置かれている。

 ルナも鼻をかみ、めのまえのおいしそうな食事に集中することにした。


「いただきます!」


 ルナとルシヤの盛大なあいさつのあと、おずおずと、もう一人のルシヤのちいさな「いただきます」が加わった。


 ハンシックのルシヤは大口を開けて豪快に焼きそばを頬張り、アンディのルシヤは、ちいさな口をいっぱいに開けて、麺をすすった。


 大きな目が、さらに真ん丸に見開かれる。


「――おいしい」

「うん!」


 それからは、ふたりとも無言で食べた。勢いがすごいルシヤと、のんびり、味わうように食べるルシヤ。


「おいしい」


 ルシヤは何度も言った。


 デザートのダルダ・ソーダと焼きリンゴアイスを持ってきてくれたのは、シュナイクルだ。

 ルナと二人のルシヤは、それもぜんぶ食べた。おなかを押さえながら。ときどき微笑みあいながら、静かに、ゆっくり。


 午後七時はすぐにきた。時間切れだ。おそらくシュナイクルもアズラエルも、ルシヤから聞きたいことがまだまだあったろう――しかし、約束の時間は七時までだ。過ぎれば、アンディが心配する。


 ルシヤを送って、バンビ以外の皆が、シャイン・システムの扉前まで来た。ルシヤのアパート近くの公園には、ルナとハンシックのルシヤが送っていく。


「じいちゃん、わたしとルナで、ルシヤを送ってくる」


 孫の言葉に、じいちゃんは「ああ」といった。


「また、おいで」


 ルシヤは、ふたたび目を潤ませて、深々とお辞儀をした。


「とてもおいしかった。ごちそうさまでした」



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