82話 本物のルシヤはだれだ? 1
翌日午後、昼食を終えたあたりで、ルナはシュナイクルから借りたシャイン・カードをつかってK15区に飛んだ。
ルシヤとは、映画館のあるデパート前で、待ちあわせの約束だ。
「あれ?」
一瞬、人違いかと思ったのは、ルシヤがずいぶん可愛いワンピースを着ていたからだ。
いつも着ている、じいちゃんとおそろいの軍服ではない。まるでK39区の雪原みたいな真っ白なワンピース。すそに小花柄の模様がついている。羽織ったコートは薄いベージュ色で、靴もリボン付きの茶色いブーツだ。
「あっ! ルナ!!」
ルシヤのほうが、手を振って駆けてきた。
「可愛い! 似合うよ、ルシヤちゃん!」
ほんとうに似合っていたので、ルナは手放しでほめた。ルシヤは顔を真っ赤にして、口をとがらせた。
「ル、ル、ルナに、失礼に、ならないようにって、じいちゃんと、ジェイクと、バンビが……」
ようするに、みんなか。
ルシヤはハンシックの紅一点だ。ほんとうは、みんな、ルシヤを着飾りたかったのかもしれない。
「ルシヤちゃん、今日、ちょっとおこづかい余分に持ってきた? 映画分だけ?」
「おやつは、買えるよ。カフェ、も入れる」
「じゃあ、映画見て、お茶して、すこし服でも見よっか」
「え? いいよ、服なんて……」
「見るだけだよ」
ほんとうは、ルナがプレゼントしてもいいような気がしたが、誕生日でもないのにそんなことをしたら、シュナイクルがまた、ものすごく困りそうだったので。
可愛いのが見つかったら、こっそりジェイクに情報を流しておこう。
ここはシュナイクルではなくジェイクだと思う。それからついでに、ルシヤの誕生日も聞いておこう。
ルナは決意した。
「ルナがいってるのは、こういう服だろ? これ、ぴったりくっついて、気持ち悪いし……」
ルシヤは、格子柄のタイツをつまんで、嫌そうな顔をした。
「冬だからねえ。それはいてないと、たぶん寒いよ?」
「じいちゃんにも言われた。足は冷やしちゃいけないって……平気なんだけどな」
映画がはじまるまで、まだ時間がある。このあたりのカフェでお茶でも、と思ったルナは、急に後ろから飛びつかれて、つんのめりそうになった。
「ママ!!」
相手は、一発で分かった。
「ママ!?」
ハンシックのルシヤのまなじりが、吊り上がった。ルナに飛びついたのは、間違いなく、アンディの娘のルシヤだった。
「ママ久しぶりね! ここに来たらママに会えるかなって思ってたら会えた! うれしい! ――あなただれ?」
ルナの右腕にしっかり抱き着きながら、ルシヤは邪気のない顔でもうひとりのルシヤを見た。
ハンシックの黒髪ルシヤは、わなわなと震えながら――。
「おまえのママじゃない! わたしの、かあさんだ!!」
すさまじい形相で、ルナの左腕をつかんだ。
「うえ!?」
ハンシックのほうのルシヤは、想像以上に力が強い。ルナは腕が抜けるかと思った。
「ちがうわ! わたしのママよ!」
ルシヤは叫んだ。
「おまえのじゃない! わたしのかあさんだ!」
もうひとりのルシヤも負けじと叫ぶ。
「わたしの!」
「ちがうっ!!」
「わたしの!!!!」
「わたしのだ!!!!!!!」
ルナの両腕を引っ張り合いながら、ルシヤたちの目には、大粒の涙がたまりはじめた。
道行く人々の視線も痛いが、ルナはなにより、ふたりの涙にギョッとした。
「わ、わたしのぉ~~~~~~わたしのだもん」
「わたしのかあさんだああああ」
ついにふたりはルナの腕にすがって泣き出した。周囲の視線が、ものすごく痛い。
「……」
ルナはもちろん泡食ったし、言葉を失ったが、なんとなく、いう言葉は決まっている気がした。
「し、姉妹でケンカしないの!」
ルナの言葉に、ふたりのルシヤは目をまん丸くして、ルナを見上げた。ふたりの涙と鼻水をティッシュで拭いてあげながら、ルナは言った。
「あたしがふたりのママなら、ふたりは姉妹でしょ」
――子どもは、ほんとうに分からない。
ルナの言葉が、しっくりきたのかどう思ったのかは知らないが、急に泣き止んだ。
そして、値踏みするように相手を見――「わたしは、ルシヤ」と、ハンシックのルシヤが先に言った。
「ルシヤ!? わたし、ルシヤ・L・ソルテ」
アンディの娘のほうが、驚いて目を丸くする。
「えっ……」
もうひとりのルシヤも同じだ。想定外だったのだろう。同じ名前だなんて。互いにまん丸くなった目をのぞきあったが、すぐに探るような細目になる。
「同じなまえだ……苗字がないとか言わないのか。バカにしないのか」
「世界には苗字のない人が、あなただけじゃなく、たくさんいるわよ?」
ハンシックのルシヤはふたたび目をぱちくりさせ、それからようやく笑みを浮かべた。相手を探るような目つきが、ようやく和らいだ。
「おまえ、悪いやつじゃないな」
「どうしてわたしが悪いやつなのよ。あなたのものを、なにか盗んだ? あなたこそ、わたしの服が、ボロボロだとか、貧乏くさいとか思ってるんじゃないの? そのわりに、言葉がすましてるって」
「今日はルナと――か、かあさんといっしょだから、特別のおしゃれをしてきたの! わたしがいつも着てる服なんか、じいちゃんのおさがりだ。軍服だよ。みんなバカにするけど――じょうぶで、長持ちしていいんだ」
「たしかに軍服は、長持ちするわね。格好いいし」
ルシヤとルシヤは、ニッと笑いあった。
それから、ふんぞりかえって聞いた。どちらかは、言うまでもなく。
「ルシヤは、いくつ?」
「わたし、八歳」
「わたしが、十歳で、ルシヤが、八歳だから、わたしは、ルシヤの姉だ」
「いいわ。じゃあわたし、ルシヤの妹ね」
なんとなく、アンディの娘のほうが年上な印象を受けるが、むかしは逆だったのだ。無理もない。
「わたしは、きょうだいが欲しかったから、ちょうどよかった」
「あら。わたしだって、もうひとり家族がいたらよかったと思ったことはあるわ」
ふたりはそう言って、まだまだぎこちないながらも、ふたたびニッと笑った。子どものわりに、ずいぶん不敵な笑みである。
彼女たちは、どちらともなく、手をつないだ。
ルナは、足から体の力がぜんぶ抜けるような気がするほど、ほっとした。
映画がはじまるまで時間があるからと、近くのカフェに入ることにした。それを言ったのはアンディの娘のルシヤで、三人は、小路にあるちいさな喫茶店に入った。
一度は安心したものの、ルナは、一抹の不安に駆られていたのだが――ハンシックのルシヤがルチヤンベル・レジスタンスの末裔で、アンディの娘のほうは、DLを親に持つかもしれないということ――互いがそれを、知ってしまったら。
なんのタイミングで、出身地の話が出るか分からない。
心臓がバクバクしていたが、ほとんどそれらしい話題は出なかった。
話のメインは、ルシヤの映画のことだ。
あとは、ふたりにしか分からない、船内の学校のこと。
ルナに分かったのは、ふたりとも、一度は学校に通ったこともあったが、理由があって行かなくなったということだけだった。
「ルナ」
「うん?」
ふたりの娘(?)を微笑ましく、半分心臓を過活動させながら――見守っていたルナは、急に話を振られてびっくりした。
「わたしもルシヤで、ルシヤもルシヤだ。区別がつかないから、あだ名で呼ぼうと思う」
それもそのとおりだと、ルナは思った。
「そうだね……じゃあ、ハンシックのルシヤちゃんは、るーちゃんで、カフェオレのルシヤちゃんは、……るっちゃんはどう?」
アンディの娘のほうは、甘いカフェオレを頼んでいた。
「わたしはかまわない! じいちゃんもたまに、わたしのことをルーって呼ぶぞ」
「あだ名ってなんかすてきね。仲良くなった気がする。わたしもるっちゃんでいいわ。でもわたし、ルシヤのことはルシヤって呼ぶわよ」
「ああ。おまえのことは、ルシヤって呼ぶ」
「うん」
「わたし、あだ名ってはじめて」
「わたしも、はじめて! じいちゃん以外は」
はにかんで笑いあうふたりは、ほんとうの姉妹のようだ。まるでずっと離れ離れで、やっと再会したような――。
(まちがってはいない気がするけど)
店内の時計を見て、ルシヤが叫ぶ。
「映画が、はじまるよ! チケット、買わなきゃ」
映画はいつもどおり、おもしろく、かっこよく、悲しく、感動的だった。
ルナたちは、そろって涙を拭きながら映画館を出――暗くなりはじめた空を仰いで、もう一回観に来る約束をした。
「もう一回みたいなあ……もう二回くらい、三回くらい見たい」
「わたしもみたい。けど、じいちゃんが許してくれるかなあ」
「わたし、もう十回目よ」
「え!?」
ルナとルシヤの声が被った。
「毎日来てるの。でも楽しいわよ。わたし、ルシヤのセリフもほとんど暗記しちゃった!」
アンディの娘のルシヤが、目いっぱい身体を伸ばしながらそう言った。
「わたし、女優なんかもあっているかもしれないわね。ママは美人だったの。パパはものすごい競争を勝ち抜いて、ママをものにしたんだって!」
「そうか。ルナは美人だから、そうかもしれない」
ハンシックのルシヤは、あっけらかんと言った。ルナはなにも飲んでいないのに吹き出すところだった。
アンディの娘のほうが、目をぱちくりさせて、それから苦笑した。ルナもびっくりするほど、大人びた笑みだった。
「……ちがうの。ルナじゃなくて、わたしのほんとうのママよ」
ハンシックのルシヤは「ええっ!」と叫び、ルナとルシヤを交互に見て、ほっとしたように肩を落とした。
「おまえ、ほんとに、ルナの子じゃないのか」
ルシヤは、アンディの娘が、ほんとうにルナの子だと思っていたらしい。
ルナと髪の色が同じだし、親子と行っても差し支えないくらい――知らない人が見たら勘違いするくらい、似ているのは事実だった。
ルナはなんて答えていいか困った。「ちがうよ!」と盛大に否定するのもルシヤが傷つきそうだし、あいまいにもできない。
「ルナが、アズラエルと、結婚するまえの子かと思った……」
「そもそもアズとは、結婚してないんですよ」
ついでに、アズとも付き合っているわけではないんですよ。
ルナは、そう言い含めたが、ルシヤは分かっていないようだ。
「あなたこそ、ルナの子じゃないのね」
言われて、ハンシックのルシヤは、顔を赤くして唇を引き結び、だまった。そして泣きそうな顔で謝った。
「ごめん……わたしは、ルナの子じゃない。おまえを見て、びっくりして、ウソをついた……」
「責めないわ。わたしもウソをついたもの。ルナに、ママになってほしくて」
優しくルシヤに微笑むルシヤは、やっぱり姉のようだった。
「わたしも驚いたわ。あなたてっきり、あの軍事惑星のひとと、ママの子どもかと思った」
「軍事惑星のひとって、アズ?」
ルナが聞くと、ルシヤは「そういうなまえなのね」とうなずいた。
「わたしは、アズラエルに似ているか?」
ルシヤは変な顔をした。
「眉がしっかりしているところが似てるかもだけど――あなたどちらかというと、ママ似ね」
ここでいうママとは、ルナに他ならない。
ハンシックのルシヤは、可愛らしい刺繍の入った布製のバッグから、一枚の写真を大切そうに取り出した。
「これが、わたしの、ほんとうの、かあさん。サリヤって、いうんだって」
ルシヤは、思い出にすらない父と母の写真を、二人に見せた。
背の高い男性と、みつあみの女性が、赤子を抱いて微笑んでいる。
ルナは写真を見て一瞬ヒヤリとしたが、農地であろう背景に、ルシヤが「ルチヤンベル・レジスタンス」だと示す証拠はなかった。
「……やっぱり、あなたのママも、ルナに似てるのね」
アンディのルシヤは微笑んだ。
ルナには分からなかったが、似ているらしい。
「わたしのママも、ルナって名前で、顔もルナに似てるの。パパがびっくりして、ものすごく困ってたわ」
「じいちゃんもそう。ルナがサリヤに似てるって。ルナを見ると、泣きたくなるし、でも、顔を見ると、安心するんだって。サリヤが生きてる気がするって」
そう言って、ふたりはルナの顔を見た。ルナはどんな顔をしていいか、分からなかった。
モジャ・バーガーではじめて会ったとき、シュナイクルまでルナのほうを驚いた目で見た理由が氷解した。
「おまえの――その、ほんとうのママは、どこにいるの?」
ハンシックのルシヤがアンディの娘のルシヤに聞くと、「わたしを産んでから死んだわ」と平然と言った。
「そうか……」
ルシヤはうつむき、
「わたしのかあさんも、わたしが乳飲み子のうちに死んだんだ」と言った。「だから、思い出がない」
「そう……」
ルシヤが、ルシヤを見た。
「わたしたち、なんだか似てるわね」
「そうだな……! 似てるかも」
「でも、新しいママもできたし、わたし平気よ。パパは優しいし」
「わたしもじいちゃんがいるし、ジェイクやバンビもいるし、さみしくない」
言いながらも、ルシヤは、ルナの手をぎゅっと握った。もうひとりのルシヤも、ルナの手を握った手に、力を込めた。
ルナは困惑していた。
どうしよう。一気にふたりの子持ちになってしまった。
「わたしの前世は盗賊ルシヤよ。どんな逆境にもめげない。生き抜くの」
アンディの娘のほうの決然とした言葉に、ハンシックのほうのルシヤが、目を見開いた。
「なにいってるんだ。ルシヤは、わたしの、前世だ」
ルシヤは胸を張った。
「ルシヤの名をわたしにつけてくれたのは、どんな困難な人生でも生き延びろと、父さんや母さんが、そう願ってつけてくれたんだ。ルシヤはルシヤに生まれ変わる。わたしがルシヤ!」
もうひとりのルシヤは不敵に笑った。
「そう思うことは悪くはないわ。でも、ルシヤはわたしよ?」
「わたしがルシヤ! ルシヤの生まれ変わり!!」
「ルシヤはわたしよ」
「わたしがルシヤ!!!!!」
そろそろルシヤがゲシュタルト崩壊しそうだったが、ふたりは互いに譲らない。ルナはふたりを連れて、すこし服でも見て回りたかったのだが、止まらなそうだった。
「まあいいわ。ふたりともルシヤだし。そのうち、あなたもわたしが、ほんとのルシヤだってことが分かるわ」
「わたしは、ルシヤとならぶくらいの、サバットの達人だぞ!?」
「わたしだって小さなころから習っていたなら、サバットくらいできたわよ!」
「わたしは誇り高き――!」
そろそろ、出身地の話題も避けて通れなくなってきたあたりで、ルナは悲鳴のように口をはさんだ。
「あっ! あっ、あのさ! 夕食はどうするの? 夕食!」
ルナの存在を忘れていたわけではないらしい。ふたりは同時にルナのほうを向いた。
「夕食?」
「そう! 夕食!」
「そのことなんだけど」
ハンシックのルシヤが、最初から決めていたようにルシヤに言った。
「ルシヤは、ちょっぴりおそくなっても、平気か?」
「平気よ? パパに電話をすれば」
さっきまでのケンカがなんだったのかと思うくらい、ふたりはふつうに顔を見合わせた。
時刻は午後五時をすこし過ぎたところだ。
「じゃあ、うちにおいで。おまえは、わたしのともだちだから、今日のメシ代はタダ」
「さっきいってたけど、ごはん屋さんなのよね? そんなのダメよ。ちゃんとわたし、お金を払うわ。モジャ・バーガーよりすこし高いくらいなら、平気」
「きっと、じいちゃんは金を受け取らないよ。うちはハンシックっていって、メシを提供する店だ。じいちゃんのつくるメシは、うまいよ」
「う……ん、」
ルシヤは困ったような――迷っているような――でもすこし、行ってみたいような――ソワソワした顔で、ルナを見た。
「あたしも行くよ。るーちゃんのおじーちゃんのごはんは、すごくおいしいよ?」
ルナの言葉が決定打だったようだ。ルシヤはちいさく、うなずいた。ハンシックのルシヤは鼻息も荒く、先導した。
「じゃ、行こう――」
「ごめん、るーちゃん、るっちゃん、あたし、トイレ行ってくるね。ここで待ってて」
「便所なら、うちにあるぞ?」
「う、ううう~ん、もれそうかも!」
「そ、そうか! じゃあ、早くいって!」
「うん!」
ルナはルシヤ二名がびっくりするほど低速で、すこし遠いトイレに駆けていった。本物はこっちのはずなのに、怪盗ルシヤの面影なんて、微塵もなかった。




