81話 ハン=シィクの風 2
「!?」
ルナのウサ耳がぴょこたーん! と立ち、それから頭を抱えた。自分のバカさ加減にさすがにうんざりしたからだ。
「どうしてここで鮭サンド!!」
思わず叫ぶと、「どうした」とアズラエルがテラスの扉を開けて飛んできた。
(鮭サンドはおいしかったけども! おいしかったけども! それだけです!)
ルナは目を座らせたまま部屋にもどり、アズラエルがパソコンを使う横で、タブレット端末で、船内のサンドイッチ店を検索した。
鮭サンドが美味しい店。
ルナは、アズラエルも同じものを探していることに気づいた。
「おまえが気になってるんだから、意味のないものじゃねえだろう」
「意味はないかも」
ルナは眉をへの字にした。ミシェルは鮭が大好きだが、ルナもたしかに好きだが、あの鮭サンドはおいしかったが、とても意味があるとは思えなかった。
もしかして、ルシヤが鮭サンド好きなの?
「市場っていうと、やっぱ思いつくのがK15区のでかい市場だろう。それからK33区、K06区に移動販売車がある――おまえが夢で見た鮭サンド屋は、車だったのか、屋台だったのか?」
ルナは記憶を探った。黄色いトラック型の――。
「移動販売車だった――気がする」
「K08区やK02区の観光地によくあるよな……移動販売車。一ヶ所ずつ当たってみるか」
「本気で!?」
この船内だけでも、どれだけ移動販売車があるか。
「行くぞ」
行動力がすさまじいライオンは、さっさとウサギを抱えて部屋を出た。
「こいつはラッキーだったな。ここに来てよかった」
ルナもアズラエルの言葉に賛成だった。
別荘内にシャイン・システムがあることは、セレブ保養地なので、当然といえば当然だったが、アズラエルがムスタファからもらった別荘のカードキーは、シャインのカードも兼ねていたのだ。シャインの利用には、特に金額はかからないので、つかい放題というやつだ。
「シュナイクルから借りたほうは、あとで返そう」
別荘のシャインから、まず一番に向かったのはK15区――宇宙船玄関口の区画だ。ここにはおおきな市場があって、月ごとにイベントが催されている。
ルナとアズラエルは、すべての屋台と移動販売車を見てまわったが、鮭とシャチのサンドイッチ店らしい店は見つけられなかった。サンドイッチを置いている店や、専門店はあるが、ルナが夢で見たサーモン・サンドやカルビ・サンドが置いてある店はない。
近いような――似たような店は、ないこともなかったが。
ルナは、「あれはシャチでなくサルと子豚です」と言い放った。
アズラエルには違いが分からなかった。たしかにコメディアンみたいな風体のふたりだったが。
置いてあるのは、甘い菓子パンがほとんどだった。
「鮭ちゃんはたぶん――女の子なのね」
「女?」
アズラエルは想定外だという顔をした。
「おまえ、だって、こいつは自分のことを俺って、」
「うん。でも、このこ女の子」
ルナは譲らなかった。
K15区から、K06区に移動した。移動先は、K06区役所内だ。
K06区は、要介護だったり、ひとや機械の介添えが必要な船客が住む区画で、遠くに買い物に行けない船客のために、移動販売車がたくさんある。
ここで、いいものを、ルナたちは発見した。
K06区を中心に、あちこち船内を移動する移動販売車の一覧表を見つけることができた。
何日、何時何分、どの移動販売車がどの場所に来るかが、すぐ検索できる。現在、K06区にいる移動販売車の一覧もすぐ見られる。
しかし残念ながら、K06区内に、バーガーショップの移動販売車はあったが、サンドイッチ店はなかった。モジャ・バーガーにインビス、グストゥルムのみ。
パン屋もあったが、外観だけで、あのサンドイッチ店とは違うことが見てとれた。
「これはクマとネズミです」
ルナは言ったが、アズラエルにはやっぱりちがいが分からない。貫禄ある、大柄な白ヒゲじいさんと、眼鏡をかけた小柄なばあさんの組み合わせだった。
そう――見えなくもないが。
移動販売車に船内一くわしいというK06区の区役所員にも聞いてみたが、どうやら、サーモン・サンドやカルビ・サンドがおいしい移動販売車というのはなさそうだった。
「できたばっかりというのもあるかもしれませんね」
「できたばかり?」
「うん。商売始めたばっかり。悪いけど、この検索サイトには、自分で登録してもらわないと載らないから。移動販売車仲間がいたりすると、このサイトの存在も教えてもらえると思うんだけどね。サイトの存在を知らないってこともじゅうぶんありえますよ……SNSとかやってないの」
ルナは首を振った。すでに検索済みだ。それらしいSNSはなかった。
「そうかあ、じゃ、むずかしいかも。でも、たぶんはじめたばっかりだと、ここに来るよりかは、K15区の市場なんかに場所取ると思うよ。そのほうが、客は来る」
K15区には、なかったのだ。
ルナはタブレットの地球行き宇宙船パンフレットを開き、K15区の市場に出展されている店の一覧を出してみた。ルナが目を座らせて検索しているあいだに、アズラエルも調べものをしていた。
「K33区はまったく可能性がねえな。あそこの市は、原住民用だ――中央区のオフィス街行ってみるか。昼食時だ。なにかありそうだな」
ルナは口をとがらせて検索に集中していたので、アズラエルは子ウサギを小脇に抱えてさっさと移動した。
中央区のオフィス街――ちょうど昼時もあって、いくつかの移動販売車が点在していた。
しかし、それらしいサンドイッチ店はない。
サンドイッチ店はあったが、まったく別物だった。なにせ、サーモンはなかった。
「それにあれは、サヨリとししゃもです」
「おまえ、見た目だけでそう言ってんじゃねえよな?」
アズラエルから見ても、彼らはサヨリとシシャモのような感じだった。つまり、縦に細長い。学者みたいな青年二人だ。しかし、メニューにサヨリ・サンドもシシャモ・サンドもない。
「見つからないね」
ルナとアズラエルは、中央区役所のフリースペースで昼休憩にした。
ルナは移動販売車で、豚の角煮やチンゲン菜、ゆで卵などをご飯に盛った台湾風のお弁当と、ジャスミン茶を買った。アズラエルはカレーとコーヒー。
「ほかに、さがす方法はねえもんか」
ルナの二倍のスピードで食べ終わったアズラエルは、区役所のパソコンで船内の移動販売車を検索したり、フロントでたずねたりしていた。
「おい、K23区とK02、08に行くぞ」
「うん」
ルナは口元にごはんつぶをつけたままうなずいた。
「ここも、移動販売車がけっこうあるらしい――最悪の場合、リリザって話もあった」
「リリザあ!?」
「リリザに降りる店舗もあるんだと。まあ、移動販売車、だからな。どこに移動してても不思議はねえが――新しい店舗だと、それはないらしい。リリザに降りるには、最低三年以上、黒字経営でなきゃ、リリザでの出店許可が出ねえんだと」
K23区――ミシェルが好きな芸術家の街、K02区の観光地、K08区のスクナノ湖周辺――足が棒になるほど歩き回ったが、目的のサンドイッチ店はどこにもなかった。
すっかり陽が沈んでしまったので、今度はK12区へ。
夜になれば、呑み助専用の屋台が出始めるからだ。
しかし、すっかりくたびれて、おめめをこしこししているウサギを見て、アズラエルは一度帰ることに決めた。
「まあ、焦ることはねえよな」
よくもまあ、ついてきたものだとアズラエルは感心したくらいだった。傭兵の足に。
背負ったまま別荘にもどると、ルナはすっかり寝こけていた。
アズラエルはベッドにウサギを寝かしつけ、その足でK12区にもどった。
アズラエルが帰ってきたのは、明け方近くだった。宵っ張りの屋台もすべて撤収するころ。
鮭ならず酒はけっこう飲んだが、収穫はあった。
夜に出る屋台は、飲み屋がほとんどだが、スイーツに麺類、それから軽食の屋台も出る。アズラエルが、ふだんならば入りもしないおでんの屋台で、有力な情報が見つかった。
サンドイッチ店が、最近、新しくK37区の屋台街に出はじめたらしい。夜にサンドイッチ店というので、めずらしくて噂になった。けっこうおいしいと評判なのだが、出る時間帯がいまいちなのだ。
「あれ、昼のオフィス街で出したらいいのに」
おでん屋のタコみたいな親父はそう言って笑った。
――そう。サンドイッチ店が店を出す時間は、夜から深夜にかけて。
ルナの日記を読み返したアズラエルは、舌打ちした。
ルナが夢の中で歩いたのは、「夜」のメルカドだ。
すなわち、「昼」ではない。
ハンシックも、昼ではなく夕方から深夜までの営業だ。
つまり、ルナが夢の中で見た店舗は、すべて夜営業だと思ったほうがいい。
翌朝、別荘で用意されたふわふわオムレツとパンの朝食に、アズラエルの土産のおでんが並ぶという不思議な朝食の席で、ルナのウサ耳がぴこんと立った。
「夜?」
「ああ」
アズラエルの説明を聞いて、「そういえばそうだった」と言わんばかりに、ルナのウサ耳が力を失ってしおしおと垂れていく。
「まァ、昨日も言ったが、急ぐ必要はねえんだ。仕事じゃねえんだから」
「うん」
おでんが思いのほか美味しかったのだろう。ルナのウサ耳がもとにもどった。
「今日はおまえ、ルシヤと約束してるだろ」
そうだった。今日はハンシックのルシヤと映画を観に行くのだ。
「夜はハンシックに行くしな。明日、夜にK37区に行ってみよう」
「うん!」
ルナは元気よくうなずいたが、まだ、そのめずらしい深夜のサンドイッチ店が、鮭とシャチのサンドイッチ店だとはかぎらないのだ。




